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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第16回 在宅介護で「食べる」を支えるとは
大妻女子大学教授・川口美喜子先生インタビュー Vol.5

はじめに

 連載初期に3回に亘り掲載した川口美喜子先生のインタビュー続編を、先週に引き続き掲載します。といっても、取材からすこし時間が経ったので、その間に在宅介護で栄養指導や給食をされ、改めて感じておられることもあるかもしれないと考え、再度、ご面談をお願いしました。
 再びお会いした川口先生は、在宅介護に関わる中で悩み、ご自身の仕事について再考し、新たな覚悟をされ、行動していることなど話してくださいました。
 お話には、私たちが病院志向から離れ、「セルフメディケーション(自助努力で健康を維持・管理すること)」や「地域での介護予防」「在宅介護」を実現するために、社会がどう変わっていくべきか、個々の生活者は何をすべきか、ヒントがありました。
 そして、食べることがもっと大切に扱われなければ、超高齢社会となった日本の「生活の質(QOL)」の維持・向上は難しいのではないかと、改めて考えさせられました。

都会の「限界集落」で新たな苦悩

 川口先生は新宿にある「NPO法人白十字在宅ボランティアの会 暮らしの保健室」で毎週木曜日に給食を行うと共に、食について相談に来た人に栄養指導を行っています。場合によっては、在宅介護に介入し、療養している人に寄り添った食事の提案・提供、家族への調理指導なども行います。大妻女子大学教授に就任してほどなく、病院とは異なる場で「食べることのサポート」を始めたのです。
 暮らしの保健室は、度々メディアも取り上げる、注目されている場なのでご存知の方もいるかもしれません。高齢化率48.3%(2012年10月)、つまり都会の真ん中の「限界集落」である都営団地に設けられたよろず相談支援の場です(2011年7月オープン)[*1]。
 地域には独居高齢者、老々介護世帯が多いにも関わらず、かかりつけ医を持っている人は少ないという特徴があり、暮らしの保健室は地域住民に「最小限且つ有効な医療へのアクセス支援」「健康づくり・介護予防啓発」「在宅介護サポート」などを行う場として発展してきたということです。
 食を支える取り組みは、地域で医療・介護に関わるさまざまな職種が連携(多職種協働)するいい機会になる取り組みであり、セルフメディケーションや介護予防、在宅介護支援のベースとして重要視されていて、川口先生はその一端を担っているのです。
 しかし、川口先生は当初、「ここで自分に何ができるか」悩み、ときには途方に暮れたと話します。

「島根大学医学部附属病院では『患者さんの目標』…それは治療だったり、緩和ケアだったり、人それぞれでしたが、目標に併せて栄養管理計画を立て、日々3食を提供できました。カルテがあって、多職種から情報とサポートがあり、必要に応じて栄養剤や薬も使えるので、食べることを支える技術が存分に発揮できたのです。
 自分の持っている「引き出し」をすべて開いて、やれるだけのことをやったと自負もありました。
 ところが、暮らしの保健室に相談に来る方にはそれがほとんどできません。『在宅』での食を支援するというのは、病院栄養士がスライドしてできることではないのです。頭を切り換えて、栄養アセスメント[*2]の発想から離れないと、真に寄り添えないと気がついて愕然としました。
 多くの利用者の目標は、その日1日を平穏に過ごすことです。在宅では、小さな家庭の中にいろいろな問題があり、皆さん、さまざまな不安を抱えながら平穏を保とうとされているわけです。
 生活の中で食はどのように扱われているか、食にどのような問題・希望があるかは見えにくい。利用者も、栄養士にどんなサポートを望んだらいいか、分からないのです。
 暮らしの保健室では週に1度、昼食の提供をしていて、その利用者が多いことや、その機会に耳にすることから、『食のサポートに期待はしている』と感じましたが、具体的ではないので困惑しました」。

 川口先生のおっしゃることが、私には分かる気がしました。在宅介護で起こる問題はドラマチックではないから、誰かの助けを借りる必要があるような、ないような……些細なことだから、手をこまねいている間に日々が過ぎてしまう場合も多いのです。私も、急変するわけではないものの、日に日に問題は深刻になっているとどこかで感じながら(それは、がんで闘病中の友人が日に日に痩せていった折)、ひとまずその日、食事がとれれば、それ以上のことまで考え及びませんでした(今は不十分だったと分かります)。
 病院で食べることを支える中で生まれた「アイデア」や「技術」の引き出しを、どうしたら在宅で活かせるか悩んだという川口先生。悩みながらも現場へ赴く中で、目の前の霧が晴れたと話します。

患者・家族の食の自立を支える

「暮らしの保健室室長の秋山正子先生の後ろ姿を見ていて、在宅は、いのちの長さよりも限りある人生の質を大切にする場なのだと気づいたのです。がんなど、病気と共に生きている方々は、普段の生活をよりよく生きること、穏やかに生きることを願っています。その方が持つ『いのちの力』を引き出す栄養治療をめざして対話することを教えられ、シフトチェンジができました。
 それからは利用者や、相談に来る方の個々の問題に寄り添い、家庭でできる対処法をみつけ、提案・指導しています。必ずしも療養している人の食の問題でなくても、家庭の食生活全般の問題に関わります。  それは、手持ちの「アイデア」や「技術」をシンプルに、より誰でも使いやすく洗練させることにもなるし、現場に立ち会えば、引き出しはさらに増えます。
 それから、私自身の元気も回復しました(笑)。病院を離れて、患者さんの側に居られないことが実は辛く、寂しかった。私は、食べることに寄り添えることが幸せで、うれしいのです。
 引き出しを、次代を担う栄養士教育に活かすこと、多職種と分かち合う機会も大切だと考えていますが、現場から離れたらアイデアも出なくなっちゃう。食べることを支える現場に居続け、食べることの大切さを理解してもらえるように、引き出しの中味を伝え続けたい」。

 一方、「技術を活かして社会貢献する中で、新たなアイデア・技術を生み出し、それを教育・研究で精査し、社会貢献に役立てる」循環を回すことが、大学で教鞭をとる自身の仕事だとも考えておられます。「引き出しがあり、現場があり、大学があるおかげで、食材メーカーなどから『この食材の使い方を研究してほしい』といったオファーが来るなど、広がりがあります」と瞳を輝かせる川口先生です。また、

「週に1度といえども、給食の機会に得られる情報は思うより多いので、訪問看護のバックアップとして重要な場だと感じています。毎週、給食を楽しみに食べに来てくださる方がいて、その方々の食べる様子を見守っていると、暮らしや老いの状態、その変化が見えてくるのです。
 認知症の症状が出始めている方の場合『食べ物の認知ができるか否か』『食欲は』『箸が使えるか』『摂食嚥下機能は』『食べられる量は』『食べ物の話しができるか』『調理法や味つけに興味を持たれるか』などから健康状態を推し量り、変化を察することができます。
 とくに、自発的にSOSを出すことが難しい独居高齢者や老々介護世帯、精神疾患で療養中の方などは、こうした機会に問題を早期発見し、ケアにつなげることが大切でしょう」。

 利用者にしてみれば暮らしの保健室に行って、おいしい昼食をいただくことが「かかりつけ食医」「かかりつけ看護」とつながることになるので、手軽で、安心です。
 自分自身や、共に暮らす家族には気づけないことをみつける目を、暮らしに身近な場につくるというのは、日本社会がこれから取り組んでいく地域包括ケアの課題の一つですから、暮らしの保健室は注目を集めているのです。
「暮らしの保健室に行けば、食べることの相談に乗ってくれる人がいると知ってもらうためにも、給食は大事。何かあったとき、気軽に相談できるでしょう。全国各地にこういう場ができることを願います」と川口先生は話します。

 とはいえ、介護保険では栄養指導(調理含む)を頼むより、料理と他のことも頼めるヘルパーに来てもらう方が助かると考える人もいます。しかし男性で、料理の経験も少ないヘルパーの場合など、「引き出し」のまったくない人に食べることのサポートができるでしょうか。
 一方、栄養士としては仕事がないので、ヘルパーとして介護職に就く栄養士も少なくないと聞きます。この場合は、引き出しがもったいない。また、栄養士でも摂食嚥下リハビリテーションについてなど、場合によっては在宅での食のサポートに必要な知識と現場経験が少ない人もいるということですが、スキルアップの機会は十分でしょうか。
 地域包括ケアの中では、もっと食べることを大事に扱わなければ、自助での健康づくりや介護予防、在宅介護が普及しないのではないかと思うので、危惧します。確実に食のサポートを必要とする人は増えますし、食べる問題が大きくなると心身の健康状態が悪化し、家庭での対応は困難になるからです。
 食のサポートができる(引き出しを持っている)栄養士が、食べる問題での自立・自助を促すはたらきができるよう、介護保険制度の見直しも含めて改められる必要があるのではないでしょうか。栄養士が核となって、在宅で食のサポートができる人材育成、配置が行われることも、地域包括ケアの重要課題だと改めて感じました。

 次回は、小樽栄養士会が介護予防の一環で行った「負担にならない簡単料理を学ぼう(嚥下調整食調理実習)」をご紹介予定です。

  • [*1] 参考資料「食べることの意味を問い直す 物語としての摂食・嚥下」(新田國夫、戸原玄、矢澤正人共著)内、「在宅医療の歴史と口から食べるまちづくり 東京都・新宿区/株式会社ケアーズ 白十字訪問看護ステーション統括所長・NPO法人白十字在宅ボランティアの会 暮らしの保健室室長 秋山正子」
  • [*2] 病院では、患者さんそれぞれ栄養状態の「スクリーニング」が行われ、医師、管理栄養士、薬剤師、看護師その他の医療スタッフが協働で、栄養状態、どのようなものを食べることができるか(摂食機能及び食形態)を考慮した「栄養管理計画」を作成されて、必要な栄養・提供される食事が考えられる。栄養管理計画に基づいて、患者さんごとの栄養管理を行うとともに、栄養状態を定期的に記録し、必要に応じて計画を見直すこと全体が「栄養アセスメント」。
     栄養アセスメントは、一部の病院栄養士と調理師を含む、院内のさまざまな職種が参加する横断的医療チームである「栄養サポートチーム(NST)」が担うとともに、「臨床栄養部」(名称は医療機関によって異なる。構成は、主として病院栄養士並びに調理師の「栄養管理部門」)も担う。

プロフィール
●川口美喜子(かわぐちみきこ) 大妻女子大学家政学部教授、管理栄養士、医学博士。専門は病態栄養学、がん病態栄養並びにスポーツ栄養。1996~2004年島根大学医学部附属病院第一内科文部教官(助手)並びに島根県立看護短期大学非常勤講師、2004年4月島根大学医学部附属病院栄養管理室長、2005年5月島根大学医学部附属病院NST(栄養サポートチーム)の構築と稼働、2007年4月特殊診療施設臨床栄養部副部長、2013年4月より現職。