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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第15回  患者、家族の「食べる喜び」を支え続ける
大妻女子大学教授・川口美喜子先生インタビュー Vol.4

はじめに

 過日、インタビューした大妻女子大教授・川口美喜子先生のお話は、その全体が医療・介護に携わる人にも、患者の家族にも大変参考になるものだと思え、3回の記事掲載ではお伝えしきれなかったので続編を掲載します。
 実のところ本心では、川口先生がインタビューに応えてくれた際の録音をそのままお聞かせできないのが残念でなりません。原稿にまとめるために何度も録音を聞き直しましたが、時折、島根弁が混ざる熱心な答弁を聞けば聞くほど、整理された文章より肉声の方が、川口先生がなぜ患者や要介護者の「食べること」にひたむきに寄り添うのか、伝わる気がするからです。
 とはいえそれをしたら私は仕事を投げ出すことになってしまうので、今回は、主として川口先生が著書「がん専任栄養士が患者さんの声を聞いてつくった73の食事レシピ」を出版した経緯についてうかがったこと、そしてお話を聞いて私自身が感じ、考えたことをまとめます。

笑顔のため、食べることをあきらめない

 医療や福祉の現場に入る栄養士であれば、患者や要介護者の栄養管理に携わることは仕事です。しかし川口先生は、必ずしも栄養管理だけにこだわっていないようです。
 食べて元気になりたいのに、食べられない患者。思い出の味や好物を食べることで、ひととき幸せを噛みしめたい患者。食べたいのに食べられなくて苦しむ患者に、何かしてあげたい家族。また急性期病院を離れ、在宅栄養相談に携わってからは、「家族に手作りのものを食べさせたいけれど、食事の支度が困難な患者」まで、食べることに寄り添う信念で相談に乗り、具体的な提案をされています。
 そうした行動の背景には、「食べたいのに、食べることをあきらめて亡くなる人が多い」ということと、それを栄養士として放っておけない気持ちが強くあり、自ら出版社に企画を持ち込んで本を出したのも、同様の動機だったそうです。

「食欲がない、食べられない状態が続くと、絶食して、必要な栄養は点滴などで入れましょうということになるケースが多いと思います。多くの場合、患者さんも『食べたいのに、食べられない』ので、半ば食べることに絶望して、食事の話をするのもイヤという状態かもしれません。
『聞かれても思いつかない、話したくない』と言われ、気の毒で、非力が悔しくて、奥歯を噛みしめたことが何度もあります。
 だから、そんな患者さんとすこしずつコミュニケーションをとり、5年間蓄積したエピソードと、患者さんの悩みに応えて生まれたレシピを本にしたいと思いました。
 その5年というのは、病床にがんの積極的治療を行っている患者さんが多かったので、治療に耐える体力・免疫力低下を防ぐために、経管栄養なども併せて栄養状態の維持・改善を心がけましたが、たとえ味覚障害があっても、香りを楽しんでもらえる工夫をするなど、できることはたくさんあると分かったからです。
 がんの患者さんの病態が変化し、複合的な代謝異常である悪液質対応が必要な時期や、終末期にも、患者さんとコミュニケーションがとれさえすれば、食べることの希望に応えられます。
 そうしたことを知らなかった『5年前の自分が欲しかった本』を作れば、栄養士ほか栄養管理に関わる医療・介護スタッフが、受け持ちの患者さんの食べることをあきらめず、コミュニケーションをとるツールとして利用してもらえるのではないかと思って。
 また昨今、在宅で治療をする方(定期的に通院して化学療法を受けるなど)やご家族も、食事の不安を抱えていることが少なくないので、お役に立てるならうれしいです。
 在宅療養・介護の栄養相談に携わるようになって、ご家族が『食べることだったら何かしてあげられそうなのに、やり方が分からない』と悩んでいることが多いと感じます。家族の中では、食事の思い出が共有されているので、食べることが好きだったのに食べられないこと、好物が喉を通らなくなったことを、我がことのように苦しんでおられます。
 私が知っているのは、相談に来ていただいた方や講演会で質問を寄せてくださった方だけですが、きっとたくさん困っている方がいらっしゃると思うと、私に限らず栄養管理できる人や本、情報と出会って、それぞれの方の食の問題が改善されるよう、願うばかりです」。

 川口先生の著書や講演には、患者のエピソードが具体的にたくさん出てきます。著書に登場する患者73名全員の顔は、今も、いつでも思い浮かぶそう。患者や遺族が川口先生に「私(家族)のこと、どんどん話していいよ。困っている人の役に立ててください」と、情報の公開を快諾したということで、川口先生は「大事なものを託された」という気持ちを持ち続け、書き、講演していると話してくれました。
 私自身が川口先生の本を読んで思ったのも「4年前にこの本を知りたかった」ということで、故に連載初期にインタビューを申し込んだのです。
 本には私が見送った友たちと似通ったエピソードが多数登場しています。そして「そんなに難しいことが書いてあるわけじゃないから、知っていれば私にもサポートできたのに、知らなかったからできなかった」と思い、残念です。
 ある友が最期に食べたのはイチゴ。ほんの一口だけれど、サイダーも飲みました。とはいえ亡くなる2週間以上前でした。もっと他に食べられたらうれしいものがあったと思います。でもその後はもう無理だとあきらめてしまった。
 それでも葬儀の席で伯母さんが「最期に食べた物は何だったろう」と気にかけていて、「イチゴでしたよ」と話せたとき、一同すこし和みました。そんな話しができたことが遺された者の救いになり、やっとこさ食べている姿でも、生きる力を感じさせた姿が記憶に残っています。
 川口先生にこの経験を話すと、最期には「梅干を食べたい」「味噌汁の香りをかぎたい」「お母さんの甘い卵焼き」など馴染みの味、懐かしい味を望み、たとえ食べられなくても、提供すると笑顔を見せる人が少なくないとのこと。

「終末期にも、食べることは『笑顔にできること』だと思うんです。食欲って、大きな欲求で、食べる喜びをサポートできる栄養士っていいなと思っていて、栄養士をめざす学生たちにも話しているの。患者さんも、ご家族も、他の医療・介護スタッフも笑顔にできる。当面は栄養士教育と、在宅栄養相談で支えていきます」。

 そう話す川口先生の講演はYouTubeでも何本かご覧になれます(公衆の面前で緊張されているせいか、川口先生はすこしおすましして話されていますが、後半、熱弁が垣間見られます)。
 次回は川口先生が急性期病院を離れ、在宅医療・介護に関わるようになって感じておられることをまとめます。

プロフィール
●川口美喜子(かわぐちみきこ) 大妻女子大学家政学部教授、管理栄養士、医学博士。専門は病態栄養学、がん病態栄養並びにスポーツ栄養。1996~2004年島根大学医学部附属病院第一内科文部教官(助手)並びに島根県立看護短期大学非常勤講師、2004年4月島根大学医学部附属病院栄養管理室長、2005年5月島根大学医学部附属病院NST(栄養サポートチーム)の構築と稼働、2007年4月特殊診療施設臨床栄養部副部長、2013年4月より現職。