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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第7回 高齢者介護での食のケア(後編)
石飛幸三先生インタビュー Vol.3

 石飛先生のお話をうかがうと、こうしたことは終末期の食の問題とも無関係ではないと気づきます。

 人工的な栄養補給策(胃ろう、経鼻胃管ほか)が救命・延命治療の一環で行われることからすれば、終末期の食のあらゆることは、その人がどのような死生観をもっているか、何に人生の価値を置いているかに添って選ばれることが望ましいと言えるでしょう。

 あらかじめ「口から食べられなくなったらどうするか」を考え、家族で話しておくことは、死生観を共有しておくことになるのです(自力で呼吸できなくなったら、も同様です)。

 もちろん年齢に関わらず、積極的な治療を望む意思を本人が示している、家族が望む場合もあり、希望する救命・延命治療が受けられることが納得の看取りにつながる場合もあるでしょう。それも家族で死生観が共有されていればこそ、なのかもしれません。

 芦花ホームではスタッフ並びに入所者の家族がともに「口から食べられなくなったらどうするか」について考え、意見交換をする場ももたれたそうです。

「看取りとは、臨終に立ち会うことではありません。介護の段階、終末期への移行期から始まっているのです。

 一般的な栄養学や、場合によっては治療にも、とらわれてしまうのはもったいないことかもしれません。ご家族はじめ周囲の者は、その人らしく寿命を全うし、旅立つのを見守り、お手伝いする。そのときに『これをしなきゃいけない』なんて、何もないのではないでしょうか。

 例えば、入所者さんのありのままの食を見守っていると、自然に量が減り、しっかり排泄をして、まるで体の掃除をして逝かれる姿を目の当たりにします。

 そのように人生の坂を下りて行く姿を見る中では、それが束の間でも、人間の一生について勉強させてもらえます。私自身がそうでした。誰にとっても、きっと、とても大切な学びです。

 皆さん若いうちから、人生は“緊急事態”の連続で、それを予期してリスクマネジメントが大事だと分かっているのでしょう?! とはいえ本当の“緊急事態”とは身体的なことだけですよ。アンチエイジングよりも、どう老い、死ぬか、真剣に考えることが大事ではないですか」。

 石飛先生ご自身も、自然の摂理に則った「平穏死宣言」をされています。

「人生で大切なことは時間の長短ではなく、在り方だと思うから。食べたくなくなったら、食べないが、酒だけ、すこしだけ(笑)」。

 次回から、9月に開催される「第20回日本摂食嚥下リハビリテーション学会学術大会」の副会長も務める、国立国際医療研究センター病院リハビリテーション科医長・藤谷順子先生に、2回に亘り、「日々の食事を喜びあるものに」としてインタビューします。

高齢者の食を支えるワンポイント
 自分の口で、おいしさを味わって食べ続けるために、石飛先生は「なるべく下半身の筋力を維持することが大切」と話します。
 筋力が低下すると、呼吸が浅くなり、むせてしまう・飲み込みがわるくなるなどが起こるためです。「立つ、歩くなどにこだわらず、無理のない範囲で下肢を動かすことが、筋力低下を緩やかにし、QOL全体を支えます。家庭で介護されているご家族は、介護のプロとうまく連携して、そういった点にも心を配られるとよいかと思います」。
 より詳しくは、石飛先生の著書「家族と迎える『平穏死』」に記されています。本書は、高齢者の介護と看取りをする場合に参考になるだけでなく、長期に亘って闘病する(治療を受けながら学ぶ、働く)家族などを支える場合にも大変参考になる書です。

プロフィール
●石飛幸三(いしとびこうぞう) 特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。1935年広島県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。1970年独フェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院にて血管外科医として勤務。帰国後、1972年東京都済生会中央病院勤務、1993年東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年より現職。診療の傍ら講演や執筆などを通じ、老衰末期の看取りの在り方についての啓発に尽力。著書に「『平穏死』のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社)、「『平穏死』という選択」(幻冬舎ルネッサンス新書)、「家族と迎える『平穏死』」(廣済堂出版)。