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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第132回 食支援の必要と可能性 
広めるのは誰か

はじめに

 このところ反省ばかりしている感がありますが、暗い気持ちでいるわけではありません。むしろ未来のために、すこしでも誰かの役に立つことを願って、自分の反省すべき経験を書いておきたいと考えているのです。
 ということで今回も反省から、食べることを支える取り組みの普及について考察しました。

大スターの言葉が
“いまになって胸に迫る

 5月は私にとってすこし辛い月でした。知人や友人の訃報が続いたからです。個人的にとくに親しかったわけではないですが、仕事上でご縁のあった方の訃報もいくつか重なり、その中に、国民的大スターが亡くなった知らせがありました。
 私がその方とお会いしたのは数回だけです。二度目の脳梗塞の後、熱心にリハビリをされていた時期に、ある雑誌のインタビューでご面談いただき、その後、出版企画のお打ち合わせでお会いしましたが、残念ながら企画を持ち込んだ出版社では採用にならず、そのまま数年が過ぎ、機会を逸してしまいました。
 この度のご逝去にともない、たくさんの報道があったので、ご無沙汰していた期間もその方が国民的大スターらしく活躍されていたご様子を詳しく知ることができました。そしてふと、最初のインタビューのときにその方がおっしゃったひと言が思い出されたのです。

「コップ1杯の水を手に持ち、ごくごく飲める。健康なときには当たり前だけれど、それができない自分を知り、できることに感謝する自分が生まれました」。

 ちょうど私は、家族が病気で「食べると鼻から漏れて、食べられない」と訴え始めた頃だったので、この言葉がとても印象には残ったのですが、大スターの言葉の真意を受け止められてはいませんでした。
 インタビュー原稿にはそのまま書きましたが、編集部のチェックでこのコメントは削除され、「リハビリが人生の一部になった」というひと言に変わり、記事は発表されました。

 このときのことを振り返って、大スターの「飲めない」や家族の「食べられない」がどういう状態なのか、今は分かるけれど、当時はまったく分かっていなかったと反省しているわけです。
 大スターの言葉は、食の大切さ、食支援の大切さを感じさせるものとして今、胸に迫ります。しかし、当時の私はこの連載を始める前のことで、摂食嚥下障害も、その原因や症状も、食支援、低栄養、フレイル、サルコペニア、リハ栄養も何も知りませんでした。
 認知症を痴呆と言っていた時代に、高齢者の健康について取材し、記事を書いたこともありましたが、「食べられない」はあまり話題にのぼりませんでした。
 1992年、全国老人保健施設協会会長であられた南小倉病院院長、矢内伸夫先生(故人)に取材した際、餅や白玉、こんにゃく、ゆで卵、バナナ、流動食、さし歯などの誤嚥で、咳き込めず、窒息を起こす高齢者がいると聞き、家庭での応急処置は掃除機で吸い込めと聞いて驚いた記憶があります。
 そんな今思えばとんでもない知識が、唯一、高齢者の摂食・嚥下に関してもっていた知識でした。
 ですから、もしかしたら多くの「食べられないで困っている人」に示唆や勇気を与えたかもしれない大スターの「食べられない、飲めない体験」を掘り下げて尋ねることができませんでした。

 おそらく水に関するコメントを削除した編集部も、大スターの言葉の奥行きを感知することができなかったのでしょう。
 私もそうですが、食べること、飲むことは当たり前にできることだと思っていると、「できない」の意味が分からないのです。すると「できることに感謝する自分が生まれた」という言葉の重さを受け止めることはできません。

 私は今回、大スターが亡くなった後の報道で、大スターが「食べる<飲む>喜び、当たり前に食べられていた<飲めていた>のが、できなくなった」ことについてほかで語っておられなかったか、なるべく気をつけて見ていましたが、見つけられませんでした。
 ほかではそのような話はされなかったのかもしれません。もちろん素敵なエピソードがたくさんある方だったゆえ、「食べられない<飲めない>話」は割愛されてもやむを得ません。しかし、話されても誰も、その言葉を受け止められなかったのかもしれない、とも思います。

 実際どうだったかはさておき、私が読者の方にお伝えしたいのは、食支援の必要と可能性をメディアはまだ伝えられない場合が往々にしてあるということ。誰でも「食べられない」で困ることがあると知らないのです。
 そのため一般の方が患者や家族になったとき、メディアから食支援の情報を得るのは難しいです。専門職の方が「こうしたら、ああしたら食べられるかもしれない」という視点で患者を見て、患者や家族、他の専門職に伝えなければ、困ったまま、食をあきらめることになる人がきっとたくさんいるでしょう。食支援がより普及するために、どうぞそのことを忘れないでいただきたく、記事にしました。
 私も反省を生かして、患者家族としての経験をできる限り伝えることに努めます。