メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第91回 療養中も親しんだ食生活を 
嚥下のニュートリーのものづくり(後編)

はじめに

 製品を利用する人が栄養ケアを受ける中、口からおいしく食べられること、普段、食べ慣れている食生活を安心して続けられることを支える栄養補助食品・嚥下補助食品を開発・製造・販売する食品メーカー、ニュートリー株式会社を取材し、前編では主に製品についてうかがったお話をご紹介しました。同社は、エビデンスに基づき、なおかつ革新的な嚥下補助食品を多数開発しています。
 後編は嚥下食の存在と必要、手軽さを広く啓発するための情報提供においても、さまざまな工夫とアクションを広げる様子をご紹介します。

ふるさとの味で元気になって!
ユニーク&愛がある「ご当地嚥下食」提案

 この連載の取材で訪ねる先々で耳にすることは、栄養ケアの重要性や摂食嚥下障害、嚥下食の存在などが一般にはまだあまり知られていないということです。
 医療や介護の現場においても、患者の食事に関係しないスタッフなど、栄養ケアや口腔ケア、摂食嚥下障害、嚥下訓練を「言葉」として知っていても、「口から食べる」全体を支えるということ、食べ物の調達や排泄ケア、リハビリテーションなど運動量とのバランス等も含む、多職種連携によるケアの重要性まで理解されていない場合もある、とも聞きます。
 医療・介護の内にも、一般にも、まだ情報が少ないでしょうか。
 また、一般の人の場合は「食べる」があまりに日常的なことで、「食べられる・食べられない」などと考えるようなことではないので、問題が起き、重症化するまで関心をもつ人が少ない、というのもやむを得ないことかもしれません。
 筆者も、介護経験がなかったら「低栄養」や「嚥下障害」を知らなかったと思いますし、介護していたときはケアできることだと知りませんでした。そして、そのことに疑問をもたなければ、今も関心をもっていなかったと思います。
 一般的には「嚥下」という言葉もあまり使いません。「咀嚼・嚥下障害」は食べ物を噛み、飲み込むことの障害で、誰にでも起こり得ることだと、基本的なことから広く情報提供される機会が必要です。

 そうした背景がある中、ニュートリー株式会社(以下、同社)は、医療・介護の内側と、一般、それぞれに栄養療法に付随する情報を伝える工夫をしています。
 その1つとして、全国各地の病院や介護施設で嚥下食の提供に関わる人(管理栄養士や調理師など)を対象に「嚥下食実践セミナー」を続けていて、これは嚥下のメカニズムと嚥下食の調理法、導入までのポイント(嚥下食導入にあたって提供対象者を絞り、対象者に合った物性を選択し、調理方法・器材・設備・作業量・タイムスケジュールなどの観点から厨房業務の見直しを行い、スムーズな運用を行うことについて、検討項目のサジェスチョン等)を、実演を交えて解説するものです。
 病院や介護施設で嚥下食の提供に関わる人を、一般の人へ「摂食嚥下障害、嚥下食について伝える存在」とも位置づけ、このセミナーを情報伝達の核として全国へ広げているのです。
 セミナーの動員数は全国で約2万人(2015年9月時点)とのこと。専門職のスキルアップを支えてきた取り組みと言えるでしょう。
 さらに、各地でセミナーを開催する際、開催地の“ご当地食(郷土食)”を題材とするケースもあり、これは医療・介護関係者並びに一般にも興味をもってもらえるよう開催地の地方紙、管理栄養士監修のレシピサイト「クックパッド おいしい健康」などとも協力して情報公開するほか、下野新聞社(栃木県)と共同で運営するウェブサイト「ご当地嚥下食ワールド」でも情報公開しています。
 2012年11月の栃木県での開催(そのときの題材は「宇都宮餃子」)から続く取り組みで、これまでで30箇所で開催してきました。
 愛媛県にて開催された「愛媛県民のための嚥下食実践セミナー」(2016年月2月9日、10日)では「もぶり飯」、静岡県にて開催された「静岡県民のための嚥下食実践セミナー」(2016年4月6日、7日)では「黒はんぺん」という具合に、開催地独特の味覚が題材として取り上げられています。
 栄養療法を受けている患者は個々の食文化・ものがたりをもっているとしても、ご当地食というものはある地域で「共有されているものがたり」である可能性が高い、大切にされている食材や料理です。その点に着目しているのはユニークで、そして料理する人と食べる人への愛情を感じます。

「嚥下食の提供に関わる専門職の方に、食べる楽しみがある療養食として“馴染みの味”を提供していただけるように、嚥下食プラスαの情報提供という趣意でご当地食をご提案しています。
 見た目もおいしいご当地の嚥下食は“ふるさとの味を口から食べることで、生きる意欲をもっていただきたい”というメッセージを込めています。
 お祝いの日や記念日、行事の折などにつくってみたい、食べてみたいと思えるレシピ開発を心がけていて、専門職の方々から家庭に広がることを期待しています。
 一般の方が熱心に読まれている地方紙に記事が出ることや、「クックパッドおいしい健康」にレシピが掲載されていることで、嚥下食に関心を寄せていただく機会になっているようです。
 一般の方に、体調改善・回復の要となる栄養の大切さが伝わることを願っています」(同社プロモート・リレーション部広報担当 横山祥子さん)。

 また、同社は2013年に書籍「おうちでできる えんげ食」(株式会社エス・エム・エス刊)の編集・技術協力をしています。
 本書は、液状または固形の食材から嚥下食をつくる基本の調理法と共に、一般家庭の献立によく登場する料理を嚥下食としてつくるレシピが31種紹介されているものです。
 予想以上に一般からの関心が高く、約半年で販売が1万部を超え「一般からも嚥下食について情報を求められていると再認識した」と、本書の企画・編集にも関わった横山さんは話しました。
 さらにこの本をきっかけに、介護関係の講座開設を検討していたNHKカルチャーさいたまアリーナ教室から、一般向けの1日講座「おうちでできる えんげ食 実践セミナー」の依頼を受けたそう(2015年4月25日実施)。講座では摂食嚥下障害、嚥下食についての情報提供と、食材へのとろみづけの実習、ゼリー食の調理実演・試食が実施されました。
 介護の話題の中で「食事」を取り上げることは、“プラスに転じる、明るい話題”が提供できる介護講座として好評を得たとのこと。書籍と同様に「簡単」「ひと手間」「時短」などをキーワードに、介護者の不安や負担に配慮した調理法を紹介しているそうです。今後、同様の講座開催が6月に仙台、7月に大阪で予定されています。
 講座などについて詳細は、同社ウェブサイトをご覧ください。

 ご当地嚥下食も、書籍の出版も、カルチャースクールでの講座も、栄養療法と嚥下食についての情報を広める必要性に共感し、「一緒にやってみましょう」という企業があり、人の縁に恵まれたからこそ実現し、続いているということでした。
 製品開発においては医療・介護現場の専門職の声をいしずえに、啓発活動においてはコラボレーションを行う企業と共に。同社のものづくりと栄養療法に付随する情報提供に、栄養ケアを受ける人が安全に口から食べ続け、おいしく、栄養維持・改善すること、すこやかであることを願う人のつながり、アクションをうかがいました。ますますの広がりを願います。
 なお同社は一昨年、海外事業部を設立したということで、広がりは国内のみならず、海外へも期待されます。