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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第78回 これからの在宅医療と摂食支援の未来予想(前編)

はじめに

 鈴木内科医院(東京、大田区大森)院長の鈴木央先生に、在宅医療が広がっていく中で「食べることを支える取り組み」の必要性、課題、展望についてうかがってきました。
 在宅医療関連学会の役員等も務め、講演などで東奔西走する鈴木央先生のことは、ご存知の方も多いでしょう。半世紀に亘り、町に暮らす人々の「かかりつけのお医者さん」を担ってきた同院のことは、インターネット上でいくつか記事を読むこともできます。
 同院が本格的に在宅がん患者のターミナルケアを開始したのは1977年から。前院長・鈴木荘一先生(央先生のご尊父)は、イギリスの聖クリストファー・ホスピス院長、シシリー・ソンダーズ女史から直に学んだ緩和ケアを取り入れ、入院と在宅の両輪で終末期の患者を支えました。
 一方、鈴木央先生は都南総合病院の内科部長時代には在宅診療部を立ち上げ、在宅医療推進の必要性と意義を実感され、1999年、「父と共に患者さんの生活を支える“町医者”になろう」と決め、鈴木内科医院の副院長に就任。その数年前から同院は入院病棟を閉め、内科、消化器内科、老年内科の外来診療の傍ら、認知症などがん以外の病気も含めて在宅療養を支える診療所として365日、24時間対応する体制に変わった、とのことです。
 在宅療養で「食べることを支える」ニーズは9割を超え、その実現には多職種連携、市民との交流、市民への啓発が大切と、さまざまな立場の方の参考になる貴重なお話がうかがえたので、摂食支援の周辺について語られたことも含め、全3回でご紹介します。

在宅医療を進化させたパートナーシップ
多職種の実践者が地域を変えてきた

 長きに亘り在宅医療に携わってこられた鈴木先生にまずうかがったのは、主治医として関わる在宅療養患者に「食べることを支える必要がある」と診立てるケースはどれくらいあるか? ということでした。
 在宅療養患者の3割に咀嚼の問題があるとか、7割が低栄養などというデータがあります[]。さまざまな理由によって摂食支援を要する人の数を合わせると、実際はどうなのでしょう。地域によっても事情、問題は違うでしょうが、長く在宅医療に携わってこられた鈴木先生の実感をうかがってみたいと思いました。
 その問いに鈴木先生は個人的な見解として、「在宅療養患者の9割以上が摂食支援を必要としていて、その場合、歯科治療や栄養管理につなぐことを試みるが、患者さんやご家族の生活状況による希望、多職種連携の不足などさまざまな理由で、ケアにつながるケースは半分程度」と答えてくださいました。
 とはいえ鈴木先生が在宅診療に当たる大森地区は「摂食嚥下ケアの聖地」などとも呼ばれるほど。摂食支援の先進地で、鈴木先生も同地区で在宅医療に携わった当初から多職種で摂食支援に関わり、いくつも成功事例を経験してきたと話します。

「当地で在宅医療に関わる前、僕には大森地区が『摂食支援先進地』といった認識はなくて、しかし、患者さんを縁にそのことを知りました。
 摂食支援で重要な歯科やPT,ST、管理栄養士などの多職種が在宅医療を推進するパートナーとして大変重要な存在だと気づいたのは、あるレビー小体型認知症の患者さんのケアがきっかけです。
 衰弱して入院、胃ろうで退院されて在宅に戻られた方で、第一声が『どうして食べてはいけないの?』でした。この意欲があれば、また食べることができるようになるかもしれない。そこで嚥下評価はかかりつけ歯科医と昭和大学歯科病院口腔リハビリテーション科からの訪問診療、食姿勢をつくるのはPT、日常の口腔ケアや嚥下訓練はかかりつけの歯科医と歯科衛生士やST、そして食形態や栄養ケアを担うのは区の管理栄養士と、チームで摂食支援に当たって患者さんが回復し、ADL,QOLが改善した経験をして、以来、交流が深まりました。今でこそ珍しいケースではないですが、1990年代でしたから先駆的事例として話題にもなりました。
 とくに、歯科の情熱に胸打たれた。認知症の患者さんは治療の自覚が乏しく、口を開けてもらうのも一苦労という場合が少なくありませんでしたが、熱心に困難な症例と向き合う様子を知り、尊敬しました」(鈴木先生)

 その摂食支援をきっかけに在宅療養を支える多職種の仲間ができ、対話する機会が増えたことで、改めて「口の中のトラブルを抱える在宅療養患者が多いこと、そのトラブルを解決するパートナー、パートナーシップが大切なこと、医科も歯科も変わる必要があり、急性期医療と地域医療の隔たりを改善する必要も感じた」と鈴木先生。

「医科は喉を診ても口腔内衛生や機能、歯を診ず、入院中には義歯を外す悪習慣があり、在宅に戻った患者が『生活者として主体的に食生活を営むこと』に配慮が足りない。その結果、摂食嚥下機能の悪化や栄養障害、衰弱のリスクが放置されるケースが少なくないと気がつきました。
 一方、患者さんが僕の仲間の歯科ではない歯科をかかりつけとしていた場合など、在宅診療の経験がないためにリスクが放置されるケースもありました。  こうした点を改善するのは一朝一夕にできることではありません。そこで90年代からどの職種も実践者が同職種の仲間を徐々に増やし、在宅対応力を高めてきました。
 医科も、歯科も在宅での治療で『やったことがないこと』に対して慎重になるのはやむを得ないことでもあります。しかし、患者さんを最期まで生活者として捉え、日々の暮らしを支える在宅医療の中で口の中のトラブルを解決し、食を支える意義は大きい。
 歯科が在宅でどこまでのことができるか等、専門家の意見に対して僕がどうこう言うことはできませんし、ケースによるとしても、『在宅診療経験が増えるとやれることは増える』と実感している歯科の先生は少なくないようですから、より多くの歯科に在宅医療のパートナーになっていただきたい」(鈴木先生)

 2014年からは同地区の歯科医師会主催で開かれている「大きな森の勉強会」(在宅診療未経験者向け)に鈴木先生も参加し、交流を増やしているとのこと。勉強会実施の成果は在宅での抜歯件数などの増加から目に見え、在宅対応がスムースになってきている実感を得ています。

「僕は経験から、摂食嚥下機能は環境と意識状態によって左右される場合が多いと考えていますから、退院時の機能評価が低く、胃ろうが施されているケースであっても、経過に関する情報が急性期病院から地域に引き継がれると共に、在宅で再度アセスメントと口腔ケアを行って、食べるトライアルを支える必要を感じます。
 家に帰って安堵感を覚え、意識がはっきりして、食欲が出てくる。そのとき適切なトライアルによって口から食べることが徐々に可能になっていくと、患者さんやご家族の心理状態も大きく変わっていきます。
 患者さんを診ていて思うのは、もう食べられないという状態から、生きていてもしょうがないというスピリチュアル・ペインが出てきてしまうのは不自然なことではない、ということ。1口でも食べられると、『生かされている』ではなく『生きている』実感を得て、生命力が回復するので、1口の意味は大きい。
 誤嚥性肺炎のリスクがないとは言わないが、経験的にはほとんどなく、適切なケアが提供できれば、心と体に及ぼすメリットが大きいのです。
 とはいえ、この頃の極端な“胃ろうバッシング”も考えものです。使い方と時期に合わせた摂食支援について医療者はもとより一般の理解も促すことが課題でしょうか。そして、胃ろうだけの問題ではなく、そもそも認知症の初期のケア自体が尊厳を保持できているか見直す必要を感じています」(鈴木先生)

 鈴木先生は、在宅医療と看取りの重要な要素として「緩和医療」「意思決定支援」「人生の最終段階まで継続される生活支援」「家族ケア」「スピリチュアリティへの配慮」を挙げ、摂食支援はそのすべてにつながることと話しました。

「大森地区では専門職それぞれの職能団体の中で90年代からの実践者がリーダーシップを発揮し、リーダーを中心に多職種のつながりもできているので、この頃は在宅療養サポートに通じるイベントが医科主導でなく開催されています。
 医療者向けのイベントに限らず、一般向けのものも多職種協働で行われ、そのポピュレーションアプローチの機会が多職種交流を深める、好循環も生み出しています。
 在宅ケアの指示体系は『主治医→多職種』ですが、上下関係はありません。どの職種も専門性を磨き、対等に、フランクに関われています。
 目指すことは同じ、『患者さんの課題解決』なので、意見が対立することがあっても、顔が見える関係で対話できれば、連携は止まらない。忙しいからといって会議だけ、文書だけで連携しましょうといっても無理があるでしょう」(鈴木先生)

 大田区では在宅で療養する人の半数、要介護認定者の15%を在宅で診て、看取っています。その現状は、対話の積み重ねによって育まれてきたと鈴木先生は話しました。高齢者の在宅療養を支える連携体制が整っていくことで、小児や障がい児・者の在宅療養を支える連携へ広がりも期待されています。

 次回に続きます。

[*]^ 国立長寿医療研究センター 平成24年度老人保健健康増進等事業 在宅療養患者の摂取状況・栄養状態の把握に関する調査研究報告書