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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第68回 ヘルプマンを元気にするヘルプマン 
漫画家・くさか里樹先生インタビュー(前編)

はじめに

 今回、お話をうかがったのは週刊朝日で「ヘルプマン!!」を連載中の漫画家・くさか里樹先生です。長く愛され、続いている作品ですから、読者の皆さんの中にも愛読している方は多いのではないでしょうか。
 2003年から講談社のイブニングで連載されてきた「ヘルプマン!」が2014年12月に週刊朝日に移籍し、「ヘルプマン!!」となった折、「介護蘇生編」として取り上げられたテーマが胃ろうの扱いと食支援でしたので、漫画に起用した経緯や意図をうかがいたく、インタビューを申し込みました。


「介護」は人間関係を色濃く描ける舞台
地道な営みの中、ドラマチックがきらり

 くさか先生は漫画家としてプロデビューする前、授産施設の職員として働いていました。職業を選ぶとき、特別な思いがあって福祉の仕事を選択したわけではなかったものの、元来、正義感が強く、差別を嫌う性格ゆえ、仕事の中では障害をもつ人と接する上で「差別のない、自然な対応」を心がけていたと振り返ります。

「ところが自然にしようとすると、逆に力が入ってしまう。まったく不自然な自分に気がつきました。一方、私が応対していた知的障害をもつ人たちこそ、誰に対しても自然でした。素直で、そういうところが人に与える安心感がハンパない。彼らこそありのままの自分を生きる、理想的な人の在り方だと思いました。
 2年半勤める中で、彼らと自分は同じ人間だと肌身で感じ、むしろ彼らのようにまっすぐな人間になりたいと憧れるようになっていました。漫画家になり、市井に生きる『人を描く』ことにチャレンジし続けてきた原点は、あの頃、彼らとの出会いにあります。私自身が、自分をしっかり生きたいし、そういう人がステキだと思うから伝えたい」(くさか先生)

 ストレスの多い社会の中で試練に出会い、もがきながら歩む人と、周りにいる人との関わり。そういう人と人の、いいもわるいも、強いも弱いも含めた関係、丸ごとの魅力。それを描くことが、くさか先生にとっては漫画を描くこと、とも。
 読者が登場人物の心情や行動に共感し、心のストレッチをし、勇気を出して、自分が生きる現実社会での歩みを進められる。そんな作品となることをめざしているそうです。
 代表作は「ケイリン野郎―周と和美のラブストーリー」。そして、2003年から続く「ヘルプマン!」「ヘルプマン!!」も代表作といえる大作です。

「競輪という勝負の世界も、人の生活に深く関わる介護の世界も、私としては人と社会の機微を描くのに“いい舞台”として選んだもの。実際に、日常的にいろいろな人間模様が繰り広げられる社会というものの一端で、どちらも特別な世界だとは思っていません」(くさか先生)

 乙女チックな学園コメディであっても、ラブストーリーでも、何でも、読者を元気にするのは物語のバックグラウンドや展開というより、自分や誰かに似た登場人物の心情、行動、その変わりようで、舞台はどこであってもさほど違いはないというくさか先生。

「どのような組織、集団にも、人と人との関わりの中で刺激的なライバル関係や、支え合う関係、理想と現実のギャップを埋めようとする人の努力があり、そこに立ちはだかる壁や意見の対立、悪しき慣例、本音と建前の使い分けなどもある。介護はそうしたことが色濃く見えやすく、分かりやすい舞台だと思いました」(くさか先生)

 とはいえ、介護の世界を漫画に描くようになり、取材を重ねる中では、介護に関わりがない人ももっと目を向け、関心をもち、考え、行動すべき多くの社会的な問題があることにも気づいたそうです。
 日本が、胃ろう人口推計40万超の「胃ろう大国」で、経口栄養に戻ることができる人の率が極めて少なく、食べることをあきらめて亡くなる人が多いという現実もその1つでした。
 ふれあい歯科ごとう代表・五島朋幸先生や、五島先生が率いる新宿食支援研究会メンバーの介護職ほか数件への取材で、胃ろうの扱われ方、食支援の実際などを聞いて驚くと共に、伝えるべき重要な問題だと感じたと話します。

「口から食べ続けるためには食べる機能と体力、生きる意欲が必要。しかし、高齢者の誤嚥性肺炎については一般のみならず医療者にも誤解があり、治療の中で食べる力を奪う危険がある“安静”“禁食”が行われている。肺炎のリスクがあるからこそ、体力づくりや口腔ケア、食支援が必要だということが知られていない。胃ろうも使い方次第でメリットが大きい。
 そうしたことを知り、五島先生の『口から食べることを粗末にしている。医療者も、一般の人も、皆で食べることの意味を考え、社会的な問題として改善していく必要がある』という言葉を重く受け止めました。
 五島先生らは、地元の新宿を『最期まで口から食べられる街にする』として食支援をされているので、その話は具体的で、迫るものがありました。しかし、眉間にシワ寄せてそれをやっているかというと、そうではないようです。
 取材では、介護の中で胃ろうやおむつなどを外す労が大きいこと、外してしばらくは周囲の全員が大変なことも聞きました。けれど、その大変に嬉々として取り組んでいる人もいるんですね。
 何が正しいとか、云々の前に、目の前の患者さんや利用者さんの生気がよみがえった表情や、家族の笑顔を見ることを喜び、楽しんで。あまり気負わず。わくわくしてやっている。
 見るからにおいしそうで、おいしいソフト食、嚥下調整食など見ても、さすが日本らしいものづくりだと感心しました。もちろん、ケアの技術や商品力を高めるための陰の努力や、工夫がありますが、悲壮感はない。そういう取材ができると、介護職も“アーティスト”だと感じます。そうした全体がドラマチックで、漫画として描き甲斐のあるテーマでした。
 食べることの支援は、地味で地道な取り組みのようだけれど、医療や介護業界に限らず、人の暮らしの中のドラマチックは日々のささやかな営みの中にあります。
 そして、食べることで困る人が増えている中では、もっと食べることを支える取り組みが多様なことを一般に知ってもらいたいと思いました」(くさか先生)

 次回も引き続き、くさか里樹先生のお話を掲載します。