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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

農水省が市場・事業者育成を始動 
「新しい介護食品(スマイルケア食)」(前編)

はじめに

 本連載31~33回でインタビューを掲載した東口髙志先生(藤田保健衛生大学医学部外科・緩和医療学講座教授)のお話に出てきた「新しい介護食品(スマイルケア食)」について、どのような展望をもつ取り組みか、農林水産省食料産業局食品製造卸売課にお話をうかがってきました。
 本施策の準備段階には「これからの介護食品をめぐる論点整理の会(2013年2~7月)」と「介護食品のあり方に関する検討会議(同年10月~2015年3月)」が重ねられ、それらに東口先生は委員として参加、検討会議の下に設置された「認知度向上に関するワーキングチーム」では座長を務められました。
 そこで2回に亘り、農水省でのお話と、過日、東口先生にうかがったお話を併せてご紹介すると共に、「新しい介護食品(スマイルケア食)」の普及に必要と考えられていること等をまとめます。

高齢者向け食品の市場拡大と
健康寿命の延伸を狙う

 2014年11月、一般公募により「新しい介護食品」の愛称が「スマイルケア食」と決まりました。ニュースや、今回の記事タイトルを見て、「介護というなら農水省ではなく厚労省の取り組みでは?!」と思った方もいるのではないでしょうか。
 筆者も、東口先生へのインタビューで「スマイルケア食」についてうかがい、農水省の新たな取り組みと聞いた瞬間には「農水省が?!」と思いました。
 しかし、世界でも類をみない速さで高齢化が進んでいて、10年後には国民の3人に1人が65歳以上となる超高齢社会の日本で必要となるのが「介護食品」です。また、介護食品といっても噛むことや、飲み込むことに問題を抱える人向けの食品や、低栄養の予防といった観点でつくられた食品であるため、対象は必ずしも高齢者に限りません。介護食品市場の拡大は、食品産業や農林水産業の活性化にもつながるということから、農水省が取り組むということです。
 さらに、こうした取り組みを通じて利用者のQOLの向上や健康寿命の延伸にも役立てていく狙いもあるとのこと。

「介護食品の原材料としてより多くの国産食材が使われることは、地域の農林水産業の活性化にもつながり、利用者にとってのメリット(おいしく、安心で、健康づくりになる)も期待されることから、農水省は地場産農林水産物を活用した介護食品の開発に取り組む事業を支援しています」(農林水産省食料産業局食品製造卸売課)。

 現在、さまざまな機関の調査から国内の介護食品の市場規模は約1000億円とみられています(9割が施設等への業務用で、在宅用は1割程度。全体の8割が流動食、2割が柔らかい食品)。
 しかし、例えば要介護(要支援)認定を受けている者の数・561万人(2012年度末、日本の高齢者人口の18%)から考えると、介護食品を必要としている潜在的なニーズはもっと大きくなります。農水省が試算する潜在的なニーズは2.8兆円で、約1000億円の現在の市場規模との差は大きく、それだけ市場が拡大する可能性があると考えられています。在宅用のニーズも増え、商品数や流通の仕組み等も多様化することが望まれるでしょう。
 さらに、日本で販売されている介護食品は、世界にはあまり見られないもので、海外市場からも注目をされていて、今後、輸出をしていけるのではないかとも考えられているそうです。
 振り返ると、そもそも「介護食品」とは誰のための、どんな食品かなど、これまで正確に定義されることなく、一般の生活者、さらには医療関係者にすら明確に認知されていなかったとのことです。そこで、「介護食品」について見直す目的で、農水省で「これからの介護食品をめぐる論点整理の会(2013年2~7月)」が開かれ、その内容を受けて、「新しい介護食品」が将来わが国の医療・福祉の担い手に広く活用されるよう導くために、「介護食品のあり方に関する検討会議(同年10月~2015年3月)」が設立され、その中で改めて「新しい介護食品」の定義が再考され、その関連事項も整理されようとしています。
 その討議では、この「新しい介護食品」が今後、必要な人に届くためにどうあるべきか、必要としている人と利用している人の差を生んでいる背景にはどんな事情があるのか、そしてそれに対応する策はなど、論点ごとに4つのワーキングチームを設置し、それぞれのワーキングチームでの結果を基にして本会議でさらに検討されています。
 「論点整理の会」で明らかになった主な課題について、「検討会議」で議論された結果を以下に示します。

  • (1)介護食品といっても、どこまでを指すのかがわかりにくい → 介護食品の考え方を整理
    <「新しい介護食品」の考え方>
    【対象者】原則として在宅の高齢者や障がい者の人であって、以下に該当する人
    • ・食機能(噛むこと、飲み込むこと)に問題があることから栄養状態が不良
    • ・食機能に問題があるが、本人または介護を行なっている人の工夫等により栄養状態は良好
    • ・食機能に問題はないが、栄養状態が不良
    • +上記に移行する恐れのある人
    【内容】単品としての加工食品、家庭でつくる噛むこと・飲み込むことに配慮した料理、
    料理を組み合わせた1食分の食事(宅配食など)
    【配慮すべき点】おいしさ、低栄養の改善、食べやすさ、食べる楽しみ、QOLの向上、見た目の美しさ、入手のしやすさ、コストへの配慮
    *治療食・病院食、形状がカプセル・錠剤のものは対象外とする

  • (2)適切な商品を選びづらい → 何を選べば良いか一般にもわかりやすい早見表「新しい介護食品の選び方」を作成、日本摂食嚥下リハビリテーション学会の分類に即して整理、嚥下食ピラミッドなどの他の分類との対応関係を明確にする、必要な人に商品情報を届ける、選びやすい売場づくり、食べ方の紹介などで普及を促す(詳細は次回<5月20日にアップする記事>に掲載)

  • (3)「介護食品」という名前に抵抗感がある → 年齢に関係なく利用可能な食品であるという認知を広めるため、愛称として「スマイルケア食」を決定

 (1)が定められた「新しい介護食品」の考え方です。
 主たる利用者は高齢者と予想され、「考え方」の原則は「在宅の高齢者や障がい者」となっていますが、「一般の若い人にも『食べるのが難しいときに、食べやすい食品がある』ということを知っておいてもらうことが必要」と考えられています。
 (3)(抵抗感払拭のため愛称設定)はそのための施策でもあり、今後の広報によって、あらゆる年代の人が「風邪をひいたとき」や「抜歯した後」などに食べやすい食べ物も「スマイルケア食」として認知を広げていく考えです。
 そして、「考え方」の「対象者」並びに「内容」、「配慮すべき点」が広範囲に及んでいるのは、

「今後、より多様な商品開発と国産原料の活用が進み、市場が育つためでもありますが、一方で介護食品の利用者に、『食』に対する意識をもっていただく狙いもあるため」(農林水産省食料産業局食品製造卸売課)。

 それは、そもそも早急に介護食品を広めるべき要因の1つに、高齢者に「低栄養」並びに「低栄養のリスク」をもっている人が増えている、という問題があるからです。
 メタボリックシンドロームに関する啓発が進んだのは生活習慣病予防にとってはよいことですが、極端に「痩せること」や「ダイエット」に関心が寄せられ、「痩せるリスク」や「栄養の大切さ」がおろそかになっている傾向もみられます。食べ物が溢れ、飽食の時代と言われて久しく、一般には「低栄養のリスク」などと聞いてもピンとこない人が多いでしょう。しかし、栄養状態に問題がある人は在宅療養中の高齢者の7割を超えるとされ、一定程度の割合で低栄養の問題を抱えている人は存在します。
 その原因はさまざまだと考えられますが、食べることの大切さを多くの方々に認識してもらうことが必要です。過日、東口髙志先生は「栄養を守るには『食力(しょくりき)』が必要」として次のように話してくださいました。

「 毎日“食べる”のためには、
  • ・心が穏やかで、自然な食欲があり、食事が楽しく、おいしく食べられる
  • ・口腔環境が良好で、摂食嚥下機能が良好
  • ・消化吸収機能が良好(下痢や便秘もない)
  • ・近隣に食品や食材を調達できる場所がある
  • ・買い物に行け、料理ができる。または誰かに届けてもらえる
  • ・栄養の大切さを理解していて、偏見がない
  • ・食べることでの経済的不安がない

 などの総合力が必要で、それを『食力(しょくりき)』と呼んでいます。
 在宅高齢者の栄養管理(低栄養予防)では、過不足なく食べられているか(栄養素が供給されているか)だけではなく、『食力』が保てているかを見守り、ケアする必要があります。
 そして高齢化のスピードが速い日本では、医療や介護に携わる人だけではすべての高齢者を見守りきれない時代が近づいていて、地域で『食力』をケアする必要性が高まり、市民活動がより重要になってきます。
 ケアしなければ人は簡単に死んでしまいます。高齢化率が高く、限界集落などといわれる地域では単身高齢者世帯や老老介護世帯が増え、サポートする人手も不足します。しかしその中で、地域で協力して『食力』を支え、極端な栄養悪化を防ぐことができれば、高齢者の自立した生活を守れ、医療費削減や介護負担軽減にもつながるでしょう。すべての人の幸福に関わる課題です」。

 東口先生のお話をうかがって筆者は「食力の維持・増進を地域で支え合う」という考えこそ、超高齢社会を迎えた私たちが共有すべき新たな食の概念(食哲学)だと思いました。
 単身高齢者世帯や老老介護世帯でなくても、医療・介護、一家族の中だけでは食力低下を防ぐのが難しいから、これほど栄養状態に問題がある人が増えているのでしょう。高齢者の場合、認知機能の低下や、他の病気の治療やリハビリ等が優先されることで食力低下が放置されることもあると考えられます。
 しかし栄養確保は全身の健康やQOLの改善に影響大なので、地域での見守りの軸には「食力」ケア、サポートが重要ではないでしょうか。
 市民活動を担うのは、何の医療・介護の資格ももたない私も含めた地域の一般生活者です。まず自分や家族、身近な人の「食力の維持・増進」という視点をもって暮らす必要があるでしょう。個人的には、例えば近所の方に病気などのことよりは「ごはんは食べられている?」は聞きやすく、話しやすいことだと思います。
 また、これからの高齢者(及び家族)には「加齢と共に食力が低下していく自覚」を促し、「食力が低下したら誰かに相談する」を当たり前のことにしていく必要も感じます。
 低栄養の予防にも役立ててもらうことなどを狙いとして作成された「新しい介護食品(スマイルケア食)」を上手に活用することも、食生活を見直す手段の1つになるでしょう。
 既に地域で「食べる」を支え合う仕組みが進んでいるところもありますが、まだ、仕組みづくりを模索しているところも多数あり、差が大きいのが現状です。今後、スマイルケア食をつくる人(食品製造事業者等)、流通・販売する人、食べる人、食べる人を支える人(医療・介護、家族、地域)に新たな「食」の概念が共有され、スマイルケア食が普及し、超高齢社会の「食べる」を支え合っていくことにつながればと願います。

 次回は(2)の早見表「新しい介護食品の選び方」についてと、「新しい介護食品(スマイルケア食)」の普及について今後とられる施策や課題について、農水省の担当者からうかがったことを紹介します。