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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!

日本で介護を受けますか?

 正直いうとね、ボクはね、介護を受けるまで生きていたくないな。
 そういう風に思ってる。みんなそうだよね。

 でもね、もし、介護が必要になってしまったら、日本で老人ホームに入るかな?
 でも、自分の意志としては、ずっと元気でいたいし、正直なところ、介護はできれば受けたくないなぁ。

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 実はね、「介護されるまで生きていたくない」って2年前に亡くなった母のセリフなんだ。その時は意味がわからなかったんだ。
 母はギニアの家でずっと兄たちの家族と一緒に暮らしてたんだけど、
 「自分の2本の足で歩けるうちに死にたい」
 「歩けなくなったら死んでもいい」
っていってた。実際には車いすを使ったりして、そうはならなかったんだけれどね。

 でも、進んでいる日本の「介護」を持っていって、少しは親孝行できたかなって思う。
 お風呂もギニアには無かったんだけれど、日本でからだにいいって教えてもらったから、ギニアでもつくったんだ。母はとっても気に入ってくれたよ。
 電話でも「介護」してた。姪っ子たちに食事の内容を指示したり、確認したりしたよ。

 「サンコンは死ぬまで日本で暮らすの?」ってよく聞かれるんだ。
 でもね、ホントに僕たち介護をうけられるのかな?って思う。だって、日本人じゃないから。外国人に介護保険はないから、ね。自分で元気にならなければ行けないんだ。
 でも、国民健康保険(医療保険)とか、民間保険は入れるけれどね。


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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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