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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!

なんでも「3年」

 ぼくが、初めて日本に来たとき、まるっきり、わからない世界に飛び込んだ気がしたんだ。一回も日本語を聞いたことがなかったからね。
 あのころは「言葉」が「鳥の鳴き声」にしか聞こえなかった。きっと、生まれたての赤ちゃんが初めて言葉を聞いた時って、こんな感じだったのかなぁって思ったよ。
 だから、日本語を話せるようになるなんて、絶対無理だと思った。マスターするなんて夢にも思わなかった。

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 でも、いっしょうけんめい勉強したんです。
 1年くらいじゃダメだった。
 3年くらいかかって、やっとカタコト。ようやく自信をもてたかな。でも、800万人のギニア人のなかで、一番最初に日本語をしゃべれるようになった。
 それでも10~20年やっても、その言葉で生まれ育った人からしてみれば「なんかヘン」と突っ込まれてしまうもの。

 毎日1つでも2つでも新しいことを覚える。毎日の積み重ねが大切。いきなりできるようにはならないもんね。

 やっぱり、日本人の友達としゃべれるようになって嬉しかった。
 苦労したほど印象に残る。簡単なことだと残らない。難しいほどインパクトが大きい。これは大切なこと。

 でもね、笑っていいともに出ていたとき、タモリさんに言われたんだ。
 「サンコン、女の人に日本語教えてもらったろう?」って。

 ボクの場合、最初に習った先生が女の人だったからね。その影響があったみたいね。


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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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