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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!

いじめとケンカ

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 いじめは良くないよね。
 日本でももちろんだけれど、ギニアでは弱いものいじめをするのは最低のこと。力の強い者は、力の弱い者を守ってあげることがルール。

 それからケンカのこと。
 ケンカのときは「先に手を出した方が悪い」というルールがあるんだ。だから、どんなに叩かれたとしても、自分が手を出したりしなければ勝ち。兄弟ゲンカをしていると、親やお兄さん、お姉さんがやって来て、「誰が先にやった!?」って確認する。先に叩いたりした方は、ひどく怒られるんだ。

 兄弟同士だけじゃなくても、ケンカにはルールがある。
 誰かケンカをしていたら、絶対仲裁に入るのもそう。無視しちゃいけないんだ。ケンカしている人がたとえ知らない人同士だったとしてもね。 それもギニアのルール。
 みんな、両親やきょうだいから教わったこと。

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 国際問題も一緒。
 となりの国とは、色んな歴史や問題があったとしても、仲良くできるように話し合っていかなきゃいけない。おとなり同士、一緒にがんばって行かなきゃね。隣の国がキライでも、国は引っ越しできないんだから。ケンカしたってしょうがない。

 少し前の話だけれど、ギニアとフランスはものすごく仲が悪かったんだ。
 知っている人も多いと思うけれど、ギニアはフランスの植民地だったから、奴隷とかの問題がいっぱいあったんだ。1958年にギニアが独立した直後の時期は、特に両国の関係はひどかった。
 でも、独立してから15年が経ったとき、もう昔のことを水に流そうって握手して、お互い国を開いたんだ。それは、ギニアに来たフランス大使のアンドレー・ロインさんのおかげなんだ。彼が大使として頑張って、話し合いを続けて、だんだん仲良くなることができた。国同士のケンカは、力では解決できない。戦争や暴力なんかじゃダメなんだ。だから、彼は「ギニアの友人」と呼ばれて感謝されている。今でもギニア人にとって大切な人。
 大使の仕事は、仲直りもさせる大変な仕事なんだよ。


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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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