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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン! 2008年07月

グローバリゼーション

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 ある学校に呼ばれて、講演をしたときのこと。
 校長先生がボクを紹介するとき、 「みなさん。今日のサンコンさんの話は、日本と全然違う文化の話です。カルチャーショックを受けるかもしれないので、心の準備をしてください!」だって。

 確かにそうかもしれない。文化が違うのは確かだよね。
 例えば、食文化はだいぶ違う。食べ方だって、日本はお箸で食べるけれど、アフリカでは手を使って食べることが普通だもんね。



いじめとケンカ

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 いじめは良くないよね。
 日本でももちろんだけれど、ギニアでは弱いものいじめをするのは最低のこと。力の強い者は、力の弱い者を守ってあげることがルール。

 それからケンカのこと。
 ケンカのときは「先に手を出した方が悪い」というルールがあるんだ。だから、どんなに叩かれたとしても、自分が手を出したりしなければ勝ち。兄弟ゲンカをしていると、親やお兄さん、お姉さんがやって来て、「誰が先にやった!?」って確認する。先に叩いたりした方は、ひどく怒られるんだ。

 兄弟同士だけじゃなくても、ケンカにはルールがある。
 誰かケンカをしていたら、絶対仲裁に入るのもそう。無視しちゃいけないんだ。ケンカしている人がたとえ知らない人同士だったとしてもね。 それもギニアのルール。
 みんな、両親やきょうだいから教わったこと。



高層ビル

 日本からギニアは、1万6000キロ離れてる。なかなか行かない国、なかなか行けない国だよね。
 ボクも、35年前に日本へ行くことが決まったとき、宇宙に行くのと同じくらいの気持ちだった。当時、飛行機の経路はすごく遠回りだった。冷戦下の時期だったから、ギニア→パリ→アラスカ(アンカレジ)→日本、というふうに飛んできた。ずーっと飛行機の中だったから大変だったな。



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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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