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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!

外国語を覚える秘訣(その2)

 ボクが日本語を覚えた理由の一つは環境といったけど、日本で知り合った、フランス語が話せる友達ができたことも大きかった。
 話し相手がいることも重要だよ。

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 やっぱり、色んなことを友達と話したいと思うし、友達からは日本のいろいろなことを教えてもらったのも本当に大きかったね。

 もちろん、大使館の中で仕事をしているときも、日本語の必要に迫られた。
 普段はいいんだけれど、事務の人が休んだりすると、ボクが電話番しなきゃいけないんだ。そういうときは、一生懸命「電話かかってくるな」って祈ってる。だけど、やっぱり電話がかかってくるんだ。 そういうとき、電話の向こうから「もしもし」って日本語が聞こえてくると、パニックになっちゃう。
 随分昔のことだけれど、わざとギニア語で「アロアロ」っていう電話に出るときの言葉を遣ってみたり、それに何回か電話をガシャンって切っちゃったこともあるんだ。 だから逃げずに、まともに日本語にぶつかったんだ。 もう、覚えるしかなかったからね。

 人間、必要に迫られて、飛び込んでみると、なんとかなるもんだよ。


コメント


初めましてサンコンさん。今ロサンゼルスからこのブログを拝見させて頂いております。大学時代1週間ホームスティをした家の子と去年再会してすぐに結婚、こちらに住んで4ヵ月。ちょうど言葉の壁にぶつかっているところこのブログに出会いとても励まされました。語学学校とは全然違う現地の人のスピードに着いていけず、ワカラナイ!と文句ばかり言っていましたが、今回のブログを読み、毎日の積み重ねが大切なんだと再確認しました。人間の火事場のバカ力ってすごいものですね! 毎日こつこつマイディクショナリー作ってがんばります(´▽`)★



投稿者: マイ | 2008年04月16日 00:22

語学の習得には、『環境』と『度胸』が大事ですね。私は、渡米して来てから英語を上達させるための『環境』は整っているのに、もうひとつ『度胸』がないので、特に電話での会話は今でも苦手で、主人に頼んでかけてもらっちゃうこともあります。サンコンさんも「逃げずに、まともに日本語にぶつかった」んだから、私も逃げずにぶつからなきゃダメですね。


投稿者: ナナ | 2008年04月19日 02:50

ギニアの事が知りたくて、サンコンさんのブログを読んでいます。
以前、夫(ギニア人)の事で、日本のギニア大使館に電話した時、フランス語で対応されたり、電話を切られたりした事がありイライラしたことがありましたが、大使館の人達も以前のサンコンさんのように日本語がわからず必死だったのかもしれませんね。
これからもサンコンさんのブログを応援しています。


投稿者: mina | 2008年05月07日 04:16

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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