ページの先頭です。

ホーム >> 家庭介護サポーターズ >> ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!
ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!

実は、日本はギニアの恩人なんだ

 少し前の日本とギニアの交流の話です。
 1958年、フランスから独立したギニア共和国が国連に加盟しようとしたんだ。その時に日本は、ギニアの加盟を世界で初めて認めてくれた国。おかげで世界で82番目に国連加盟ができたんだ。だから、当時、日本の国連大使だった松平康東さんはギニアでは有名人なんだ。

 あと、独立後のギニアの地図を作ってくれたのは日本人。
 フランスが植民地支配していたときに、ギニアの地図は存在していたのだけれど、撤退するときに軍事上の理由で地図を壊してしまったんだ。それで、独立後に日本から測量士が来てくれて、ギニアの地図を作ってくれた。これは、NHKで放送された『プロジェクトX』でも特集されたから、知っている人も多いかも。

続きを読む

 来年には、日本でTICAD(アフリカ開発会議:Tokyo International Conference on African Development)が開催される。アフリカの開発には、日本が大きな役割をしてくれている。ギニアの学校520校だって、日本のODAのおかげでできた。

 でもね、日本人ってそれを自慢しないし、ハッキリ言わない。だからあんまり日本がやっていることがアフリカでは知られていない。1つ何かをすると10倍くらい(?)に誇張して主張するフランス人とは大違い。やっぱり国民性だよね。
 「武士は食わねど高楊枝」って言うのも、日本人らしいね。言わなくても察することが美学、みたいな。武士道とか、他人に迷惑をかけたくないとか、責任感とかの表れなんだろうな。

 余談だけど、最近、友達に「サムライアフリカ人」と呼ばれているんだ。ホントの話だよ。


※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

コメントを投稿する




ページトップへ
プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
メニュー
バックナンバー
その他のブログ

文字の拡大
災害情報
おすすめコンテンツ
福祉資格受験サポーターズ 3福祉士・ケアマネジャー 受験対策講座・今日の一問一答 実施中
福祉専門職サポーターズ 和田行男の「婆さんとともに」
家庭介護サポーターズ 野田明宏の「俺流オトコの介護」
アクティブシニアサポーターズ 立川談慶の「談論慶発」
アクティブシニアサポーターズ 金哲彦の「50代からのジョギング入門」
誰でもできるらくらく相続シミュレーション
e-books