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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!

ボクが日本に来た理由

 ボクが子どものときはサッカー少年だった。でも高校生のときに右足を大ケガして、なかなか治らなかった。ギニアは医療がまだまだだから、足が悪いままになってしまった。サッカーの夢をあきらめて、一生懸命勉強したんだ。
 それで、大学に入って、ヨーロッパに国費留学させてもらった。そのあと、ギニアの公務員試験を受けたら、1万人の中の1番になったんだ。それで、公務員になって外務省に入った。
 公務員試験の科目は、社会とかタイピングとかがあった。タイピングは特技だったんだ。タイプするとき、周りの人が仕事ほったらかして見に来るぐらい早かったんだ。でも、今はできないんだけどね。タイピングが上手だったから、外務大臣の秘書になったの。それで、日本に大使館をつくるときに、外交官として日本に行ってくれといわれたんだ。 


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 よくテレビに出てたとき、「なんでサンコンは日本にきたの?」っていわれたけど、ボクもケントもデーブもウィッキーさんも、みんなタレントとは違う理由で日本に来たんだよね。
 ボクは外交官として日本に来たけど、日本では外交官のタレントはサンコンが初めて。「わぁー」って有名になっちゃってビックリした。日本の人たちにギニアを知ってもらいたくてテレビに出てたけど、普通の外交官って、あんなバカなことしないよね。

 日本に初めてきたのは、昭和47(1972)年12月19日。正直言って最初はなんにも日本語わからなかった。ホントわかんなかったね。
 ボクがギニアにいた時、日本についてフランス語の本を読んで調べて知っていたのは、フジヤマ、ハラキリ、ゲイシャ、チョンマゲ、ウキヨエ。そのときは、そういうイメージしかなかったんだ。それでホントに不安なまんまで、飛行機に乗って、ヨーロッパ経由で羽田に着いた。
 日本に来てみて、思っていたところと全然違った。飛行機の窓からいっぱいのビルを見て、ホント驚いた。高速道路はみんな空中を通っているし、ギニアと全然違う。ヨーロッパよりも発展してた。ビックリした。

 羽田空港について、そのあと最初に行ったのが帝国ホテル。そこに入ってビックリした。ギニアにはこんな立派な建物はない。
 日本について1週間たったころ、ちょうどホテルの部屋にいたときに大きな揺れがあったの。ボクは何が何だかわからなくて、浴衣のままで外に飛び出して、ロビーに行った。でも日本人はみんな平気な顔して座ってた。
 生まれて初めての地震。ギニアでは地面が揺れるなんて誰も信じない。ホント恐くてギニアに帰ろうと思ったくらい。

 小さい頃、ボッファの空を飛んでいる飛行機をみて、いつかパイロットになりたいと
思ってた。あとは医者になりたいと思ってた。足をケガした影響があったからね。
 でも、こんなふうに外交官になって、ギニアから一番遠い所にある大使館に来た。最初はけっこう不安だったけど、国のために来たんだ。でも日本に来てよかった。日本に来てボクの運命が変わったんだ。


コメント


たまたま(ごめんなさい)サンコンさんのBlogを見つけ、日本にいた頃TVでみたサンコンさんおあの素敵な笑顔が浮かびました。私はアメリカ在住19年のPsychologistです。海外で生き抜くことがどのくらい大変かを身に沁みて知った今、あんなすばらしい笑顔を見せてくださったサンコンさんの心の大きさが改めてわかる気がします。日本を愛していただき、ギニアに日本を紹介していたき、すばらしい架け橋になっていてくださること、ほんとすごいを感じます。私はアメリカの底辺の底辺でもがく人達のために働くPsychologistです。サンコンさんの笑顔にまけない笑顔で生きていけるようかんばります。これからも日本とギニアのためにご活躍されることをお祈りいたします。ちなみにわたしはサンコンさんと同じ年です。


投稿者: Dr. Yuko | 2008年03月10日 10:00

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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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