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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン! 2007年04月

ボクが日本に来た理由

 ボクが子どものときはサッカー少年だった。でも高校生のときに右足を大ケガして、なかなか治らなかった。ギニアは医療がまだまだだから、足が悪いままになってしまった。サッカーの夢をあきらめて、一生懸命勉強したんだ。
 それで、大学に入って、ヨーロッパに国費留学させてもらった。そのあと、ギニアの公務員試験を受けたら、1万人の中の1番になったんだ。それで、公務員になって外務省に入った。
 公務員試験の科目は、社会とかタイピングとかがあった。タイピングは特技だったんだ。タイプするとき、周りの人が仕事ほったらかして見に来るぐらい早かったんだ。でも、今はできないんだけどね。タイピングが上手だったから、外務大臣の秘書になったの。それで、日本に大使館をつくるときに、外交官として日本に行ってくれといわれたんだ。 




こんにちは サンコンです

 こんにちは、オスマン・ サンコンです。
 ボクの新しいブログに来てくれて、ありがとう。

 最初だから、自己紹介をしますね。
 ボクは昭和24(1949)年3月11日生まれ。ギニア共和国のボッファというところで生まれました。
 きょうだいは22人。男10人、女12人で、ボクは12番目です。なんできょうだいが多いかというと、ギニアは一夫多妻制なので、ボクにはお母さんが3人いるからです。みんな同じ屋根の下で、仲良く暮らしています。

 名字のサンコンはギニアの言葉で川という意味。名前のオスマンはモハメッドのMessenger boyという意味です。ギニアはイスラム教徒が多く、私もイスラム教を信仰しています。

 ギニアでは、子どもが一人生まれるとオレンジとかマンゴーなどの実がなる木を一本植えて、その木の下にへその緒を埋める慣習があります。そして、木が大きくなって実がなったら、その子が最初になった実を食べるんです。お祝いだから、きょうだいや友だちを呼んで、みんなで一緒に食べます。ボクの木はオレンジ。今年で58歳だけど、毎年たくさん実をつけます。それを日本に送ってもらっているんだけど、すごく甘いんだ。



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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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