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荒川区男性介護者の会の「オヤジの介護」

アスリートの名言

 北京オリンピックが近づいてきた。この時期になると思い出されるのが過去にアスリート達が残した名言だ。
 やはり印象深いのは、1992年バルセロナオリンピックでメダルを期待されながら不運なアクシデントに見舞われ、8位に終わってしまった男子マラソンの谷口浩美選手。レース後に「こけちゃいましたから」とコメントし、お茶の間にさわやかな印象を与えた。
 ただ、私の印象に残ったのはその後に彼が言った一言、「この次、もっとがんばります」だ。4年に一度のオリンピックで42.195kmのマラソンを走り終えたばかりだというのに、決して納得のいくレースではなかったはずなのに、なぜこんな言葉が出てくるのか。

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 その昔、俳優・脚本家でもあり映画監督でもあったチャーリー・チャップリンは、「監督の最高傑作はどの映画ですか?」と聞かれるといつでも「Next One(次の一作だ)」と答えていたそうだ。
 オリンピックでマラソンを走るとか、国際的に評価される映画を創るというのは、常人には計り知れないとてつもないエネルギーを要する作業だろう。超一流と言われる人達は、そんな大業を成した直後でもすでにその先を考えている。

 2001年3月、要介護5だった父が亡くなった時、母は要介護1。通夜、告別式も車いすで列席した。父を介護した3年間、自分としてはあまりにも後悔と反省が多い。虐待もしたし、入院・入所させた期間も通算2年以上と長かった。仕事も忙しかったが、もっとやりようはなかったのか? 何より父の気持ちを考えてあげられる余裕が無かった。思い返せば自責の念に駆られるばかりだ。
 父の介護が終わった時、車いすに乗った母を見ながら「今度はもっとがんばろう」と思っていた。
 あれから7年間、母に対しては虐待もしていないし、入院させた期間も手術の必要があった時に2週間だけ。3度の食事もほとんど作っているし、知的障害がある弟の面倒もそれなりにみている。

 1996年アトランタオリンピックで、バルセロナに続き2大会連続でメダルを獲得という快挙を成した女子マラソンの有森裕子選手はレース後、殊勝にも「初めて自分で自分をほめたいと思う」と語られていた。
 私は、毎日自分で自分をほめている。

(K)

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プロフィール
荒川区男性介護者の会
(通称:オヤジの会)
妻や両親を介護している男性、介護をしていた男性を中心とした「男性介護者の会」の先駆け。東京都荒川区を中心に、住み慣れた地域で暮らす家族介護者の支援を展開している。定例会での介護の悩みや意見交換のほか、行政や地域の企業や商店、研究者、他の介護者の会などと連携をしながら、様々な情報発信を行っている。
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