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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

手放しながら得る

SDIM1711.JPG
写真=藤川幸之助


「ひがん花」

あぜ道の
ひがん花よ
悔やむなよ
ここに出てきたことを
ここにその姿で
出なくてはいけなかったことを

たとえ今は葉がなくても
まわりの花もない名もない雑草が
葉になってくれているじゃないか
たとえ毒があるとののしられても
優しく手折り
胸に抱いてくれる
少女がいるではないか

黄緑色の
一筋の空への思い
秋の中
ひがん花
葉のない自分を
深く生きろよ
赤く生きろよ
ひがん花の
赤を生きぬけよ
赤・赤・赤
赤を生きぬけよ

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 全国各地に講演に行く。その帰りに母にお土産をと思うのだが、饅頭を買って帰っても母は食べることができないし、置物では数が増えると病室では邪魔になるしと、迷っていたらキューピー人形のことを思い出した。母が認知症を患ってすぐの頃だ。母はキューピー人形を肌身離さずもっていた。外を散歩するときも、便所に行くときも、食事するときも、もちろん徘徊するときも、いつも裸のキューピー人形を抱いて歩いていた。人目を気にして、私は母から人形を取り上げるのだが、ふと気がつくといつの間にか母は自分の子どものように人形を大切に抱いていた。
 そのことを土産物屋で思い出してから、キューピー人形のキーホルダーを土産に買い求めるようになった。全国にはいろんなキューピーがある。北海道の雪うさぎキューピー、茨城の水戸黄門キューピーや納豆キューピー、東京の都庁キューピー、名古屋の金の鯱キューピー、広島のお好み焼きキューピー、大分の関サバキューピー。母はたぶん喜んでくれていると思うのだが、それよりも同室の方や看護師さんなどが喜んでくれるので、調子に乗って講演に行くと忘れず買ってくるようになった。
 よく見ると、どれも全く同じ裸のキューピー人形にいろんな色や形のフェルトを貼って作っただけのものなのだ。裸のキューピー人形が、そのご当地のコスチュームを被って、そのご当地のPRの役割を担っているというわけだ。このキューピー人形のように、人もそれぞれ役割や立場を担って生きている。漁師、教師、医師、看護師、農家、作家、銀行員、大工、音楽家などいろんな職業もそうだが、一人の人間も父親であり、母親であり、子どもであり、時には介護する側であり、介護される側にもなりえる。
 その役割や立場を担った人間から、小さなフェルトの部品を一枚一枚はいでいく。仕事とや肩書きというフェルトを脱ぎ、家庭での役割を脱ぎ、男女という性別も脱いでいく。すると、人間の存在そのものに行き着く。裸のキューピー人形になる。さらにそこから、認知症の母は、言葉を脱ぎ捨て、歩くことをやめ、食べることをやめ、全てを手放しながら「いのち」そのものになろうとしている。純粋な「いのち」として、今母は生きている。
 SOUL FLOWER UNIONというバンドの歌「満月の夕(ゆうべ)」の歌詞に、「解き放て いのちで笑え 満月の夕(ゆうべ)」とある。「解き放つ」とは、「全てを自ら脱ぎ捨てる」こと。つまり、それは、手放すということ。手放し空っぽになった手には、もっと人生に大切なものが満ちてくるのだと、この歌を聴くといつも感じる。たまには、自分の役割や立場を脱ぎ捨てて、物なんかすっかり手放して、この世界を見つめてみる。すると、見えてくるものがあるのではないかと思うのだ。
 「満月の夕(ゆうべ)」を聞きながら母の病院へ向かった。彼岸花を見つけた。葉もない、花びらもまばらになった不格好な彼岸花だった。ただ、黄緑色の茎だけが一筋、空へその思いを届けるかのようにスッと伸びていた。手を施さないと生きていけなくなった母に似ていると思った。彼岸花は、その花が朽ちて後、冬の初め頃にやっと葉が出てくるのだそうだ。そして、その線状の葉は冬を越し春には枯れてしまうという。
 母という彼岸花に葉が出るまでは、私が母の葉になろう。そして、冬という「いのち」の終わりの季節を、その「いのち」から目をそらさず、しっかり見つめよう。そうすれば、「生きる」ことの何かが分かるのではないかと、一輪の朽ちかけた彼岸花を見て思った。母の病床に行くと、ベッドの上の母も棚の上のキューピーもただじっと一点を見つめているだけだった。キューピー人形から始まって、私だけがジタバタして大げさな話になってしまった。

■ぷーさん、コメントありがとうございます。
「「ちょっと帰って考えてみましょうか」というと「そうだねぇ~」と・・・この時間が大好きなのです」とぷーさん。明確に分かることや、理由がきちんとあることが大切なのではなくて、ぷーさんみたいに「分かろうとすること」「理解しようとすること」が大切だと思います。「分かろうとすること」「理解しようとすること」は、その人を受け入れるということですから。そんな時間を大好きなぷーさんの側にいてもらえる方は幸せだと思います。

■SAKさん、コメントありがとうございま
す。「今回のブログを拝見し、これまでの僕は母に向かって漠然と歩いて寄っていただけだったのでは?と考えさせられました。」とSAKさん。私も、SAKさんと同じで漠然と母の側にいました。いや、今でも漠然と母の側にいますが、漠然といる私に、その意味や輪郭を母が私に示してくれるんです。母の介護のこの道が無駄で自分にとっては大きなリスクだと思っていたときには、何にも学ぶことはなかったのですが、その道を受け入れ引き受けたとき、そこには大きなメッセージが横たわっていました。

■たっちゃん、コメントありがとうございます。「今回の写真は、どこか人生の明暗を映し出してるように見えます。色合いがそうさせるのか・・。」と写真へのたっちゃんのコメント。写真を撮影するときは意味付けはしませんが、写真を撮った後、確かにたっちゃんの言われるようなことを考えて、この写真を選びました。この写真はRAWという規格で撮っていて、それをソフトで現像しました。
この写真は露出をあげて明るくしていくと、家々がはっきりと浮き上がってきて、家の中まで見えるくらいの写真です。この写真の明暗の中には、人の生きる姿が隠れています。

■kikiさん、コメントありがとうございます。「無理に通って疲れた顔を見せても母は喜ばないだろうと、思うのです。頻繁に行かなくても、母はわかってくれると思い甘えています。どんな姿になっても母であり甘えています。」と還暦姉さん。私も、還暦姉さんに同感です。私は、母の介護をはじめた頃は、テレビの中の頑張って介護をしている人や本の中の優しい介護者に出会うと、いつも焦っていました。母の介護をしっかりやらないといけないと、人の目が気になったり、人と比べて自分の介護のお粗末さを嘆いたりしていました。でも、今は自分なりの母との距離感や介護との距離感をつかむことの方が大切だと感じるようになり、自分にやれることだけ精一杯やるようになりました。この方が、母は幸せだと思います。


コメント


今回の『ひがん花』は、自分の事に置き換えた思いが読後に巡りました。

自らの葉を持たない彼岸花は、赤く咲く事を全うする事で周りの花や雑草たちに囲まれ、風景としての美しさを帯びる。

何も持たない自分でも、宿命を全うしようとする事で自分の色を増し、気付くと周りの人たちが自分を囲み、支え、助けてくれる。
そしてそれは人間関係においては絆や信頼や愛という、美しい情景なのかもしれない。

・・との思いに至り、改めて日々自分の周りにいる方々の事を考えてしまいました。

分かっていても日々の中で埋もれてしまいがちな他者への思い。

今回はそんな僕を立ち止まらせ、周りの方々へ改めて思いを馳せるいい機会となりました。

ありがとうございました。


投稿者: SAK | 2009年10月13日 23:37

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


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著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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