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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

歩くということ

「私でなくても」
            
歩く
母はいつまでも歩く
左手は私の手をしっかり握って
右手では手すりをなぜながら
母は歩く
ホームの中を
ぐるぐると歩き回る
私も一緒にぐるぐると…

時には
私とつないだ手を
はずして指をしゃぶり
指をかみ
まだまだ右手は手すりをなぜながら
ぐるぐるぐるぐる
ただ前を向いて
いつもと変わらない方法で
床のこの模様には
足をそろえて立ち止まり
壁(かべ)のこの絵には
きちんと触って挨拶をし
また歩き始める…

終(しま)いには私が音(ね)を上げて
無理矢理に座らせると
私の右手を
自分の左手で
私の左手を
自分の右手で
しっかり握って
私を見つめ
私が視線をずらすと
母はさっと
左手を口に運びかみ始め
私が立ち上がろうとすると
口から手を離し
焦(あせ)ったように私の両手を
握りしめ
行っちゃだめなんだよと
よだれで濡れた手で握りしめ
私じゃなきゃだめなんだ
と思って母を見つめていると
急に立ち上がって
歩き出し
歩き出して
疲れた私を捨てて
歩いて歩いて
何処へ急いでいるんだい

ふと見ると
いつの間にか
誰かに手を引かれ
私の時と同じように
手すりをなぜながら
歩いていて
私でなくてもよかったのか
そんな私の気持ちはポイと捨てて
母は黙々と歩き
同じ場所をぐるぐると歩き続ける
         『マザー』(ポプラ社)


SDIM1392.JPG
写真=藤川幸之助

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 私のような田舎者が、横浜に行くと大変なことになる。横浜市中区の会場での講演だった。羽田から中区の桜木町駅まではスムーズに行けたが、ここからが大変だった。地図を見ながら会場を見つけるが、なかなか見つからない。ふと気がつくと、同じところをぐるぐるぐると回っていた。会場のビルをやっと見つけたのはいいが、ビルの頭だけが見えているだけでそこになかなか行き着けない。直線で行けばすぐなのに、そのビルに向かって歩いているつもりが、そのビルを通りすぎて自分の後ろ側にそのビルの頭が見えている。また、元に戻ってそのビルの頭と地図を見比べる始末。そのビルに行き着くのに、1時間半もかかってしまった。1時間半というと、私の住む長崎から飛行機で羽田までの飛行時間と同じなのだ。でも、ほとほと自分が嫌になったとは私は書かないのだ。とても楽しい一時であった。
 私は、歩くのが好きだ。目的もなく知らない街をさ迷い歩くのがこの上なく好きだ。だから、横浜のような大都市に行くのがたまらなく好きなのだ。中学、高校時代は、この子は放浪癖があるようだと、よく父母に言われた。山頭火や山下清のようにならなければいいがと、堅実な父は言っていた。講演に呼んでいただいて、全国に行く。講演の前後には、その知らない街をぶらぶらして詩を書く。詩がいくつも生まれる街には、また用事もないのにふらりと行く。詩や芸術性は山頭火や山下清の様にはいかないが、素行は同じようなものだ。さぞや亡くなった父は心配しているだろうが、講演では父の介護の頑張りを話しているので許してくれているだろう。
私のようにとりとめもなく歩き続けるのを「あるく」といい、目標を定めて確実に進行するのを「あゆむ」というのだそうだ。また、「あゆむ」は一歩一歩足取りに焦点を当てた語でもあるらしい。つまり、一歩一歩大切にしながら、目標に向かって歩いていくことが「あゆむ」だ。だから、通知票などの表題に「あゆみ」とあるなど、教育的に「あゆむ」は使われることが多いように思う。
 母の徘徊は、「あるく」と「あゆむ」どっちだったのだろうか?端(はた)から見たら、
目的もなく散漫に歩きまわっているように見えるので、「あるく」であろう。しかし、母の徘徊は無目的に歩いているように私には見えなかった。前述のブログにも書いたが、父が死んですぐの頃から母の徘徊が頻繁になった。父を探していたに違いないし、その歩く姿を見ても一歩一歩大切に「あゆん」でいるように見えた。頭の中に広がる母の物語を歩いているようにさえ見えたのだ。幼少の頃遊んだ草原を、花を摘みながら母は歩き。夢を語り合いながら、若かりし頃の父と並んで海辺歩き。生まれたばかりの息子を背負いながら、息子の将来に思いをはせながら歩いていたに違いないと思うのだ。そして、どこにいて、何をやっているかさえ分からない自分へのとまどいや忘却の恐怖を、一歩一歩歩くことによって解消していたのではと思うのだ。これを無目的だといえようか。母の徘徊は、私たち「正常」と言われる世界から見ると、さ迷っているように見えるけれども、母は自分の命の流れにしっかりと沿い、歩くことで自分の命のバランスを保ちながら、この世の出口という目標へと向かうしっかりした「あゆみ」だったのだと私は思うのだ。
 私は、今度で横浜に行くのは4度目だったが、またまた迷うだけ迷った。しかし、迷えば迷うだけ多くの人と出会い、通りすぎるだけでは気がつかないものに出会っていく。まわりから見たら、大きな旅行バッグをゴロゴロと引きづりながらさ迷っているようにしか見えないだろうが、迷ったおかげで横浜の街は私の頭の中にどんどん刻まれていくのだ。 人生や介護も同じこと、迷いがなく楽ちんなことがいいのではない。迷ったり悲しんだり立ち止まっているときは、とても不安で大変なときだが、振り返ってみるとその時があるからこそ自らの精神に刻まれているものがある。避けたり、要領よく切り抜けてたり、自分の都合のいいように解釈したりするのではなく、受け止め、迷いながらも前に進んでいく。そうすれば、人生が自分自身だけの人生になっていくような気がするのだ。母の介護は寄り道だと思っていた。最初は、無駄な道だと思っていた。しかし、迷う迷い前に進んでいくうちに、この母の介護の道もまた私の歩く大切な道なんだと、この頃思うようになった。
 八木重吉の詩に「歩きたくなる」という詩がある。「むやみと/歩きたくなる/あるくことが/いちばんすぐれていることのようにおもへてくる」母もさ迷うように歩きながら
私を「あゆま」せていた。その点から考えても、母の徘徊は「あゆみ」なのだ。

参考文献:『八木重吉詩集』思潮社
『日本国語大辞典』小学館
『明鏡国語辞典』大修館書店

■kikiさんコメントありがとうございます。「ただ寝ているだけですが、母を通して見えてくることが未だ有ります。」というkikiさんのコメントを読んで、「明鏡止水」という言葉をい思い出しました。曇りのない鏡と静かに澄んだ水の様子から、落ち着いている心を表す言葉ですが、曇りのない鏡や静かに澄んだ水とは母のこと。その母に映るジタバタしている自分の姿をいつも見つめながら、「左手に本を開き右手に母の手を握りながら、折りたたみ椅子に腰かけて」いるkikiさんと同じように母の横に座り、私も日々暮らしています。

■たっちゃんさん、コメントありがとうございます。「仕事をする手を止めて一緒にお布団に入り背中をさすり早くよくなる様に・・・と、眠りに付くまで添い寝をしてくれました。その背中をさする手は一年中手荒れでガサガサしてたけど、なんとも落ち着く母の温もりを感じる手でした。」という、たっちゃんさんのコメントを読んで、私は夜中熱を出して父に背負われて病院に行ったのを思い出しました。その時の父の背中の広さと温かさを、安心感や愛されている心地とともに憶えています。たっちゃんさんのコメントを読んで、亡くなった父に会いたくなりました。

■ぷーさん、コメントありがとうございます。
「自宅では仕事としての介護は出来ません。ものすごいプレッシャーでした。」と、ぷーさん。いろんなところに講演に行くと、介護を仕事にされる方とお会いすることが多くあります。NHKによく出ていらっしゃる三好春樹さんも、第2宅老所よりあいの村瀬孝夫さんも、「仕事だからできているであって、自分の親ならできないと思う」とおっしゃっていました。私の場合は、親でもうまくやれない上、仕事でも全くできないと思います。私には両方ともダメなようです。あまり無理なさいませんように。


コメント


いつも温かい言葉をありがとうございます。多くの方に支えられてますから大丈夫ですよ。
方向音痴の私は時々迷子になります。先日も京都駅で出口を間違えてしまい、30分くらいうろうろ・・・藤川さんの書かれている通り新しい発見がありました(しかし心の中は焦っていましたが)
私たちが使う「徘徊」はその方にとっては「歩み」なんだと思っています。私の事業所を利用されている方の中には、歩んでいて思ったものが見つからなかった時には「あれっ?おかしいねぇ~」といわれるんですよ。最初からないとわかっていても、一緒に付いていくと「あんた知らんかね」と反対に聞かれるんですよ。「ちょっと帰って考えてみましょうか」というと「そうだねぇ~」と・・・この時間が大好きなのです(が、送りの車の時間の関係でせかしてしまうことも多々あります。ごめんね、と思いながら)


投稿者: ぷー | 2009年10月01日 12:35

藤川さん、ありがとうございます。

母が認知症を発症して7年ほど経ちます。
当初はまめに見舞いに行っていたのですが、時が進むにつれ、純粋な老いも見せ始め、藤川さんがおっしゃたように、段々とそんな母に合うのが怖くなっていました。

そんな中、今回のブログを拝見し、これまでの僕は母に向かって漠然と歩いて寄っていただけだったのでは?と考えさせられました。

もう一度、母について思いを馳せ、自分の人生における母の存在をしっかり味わうために、これからは少しずつでも母に歩み寄っていこうと決意しました。

いつもお時間を割いていただき感謝しております。
貴重なお言葉、本当にありがとうございました。


投稿者: SAK | 2009年10月02日 00:58

目的を持って、一つ一つ進んで行くことが歩む事と知り、子供の頃そう教えてくれたらもっと勉強を頑張れたのにな~なんて思いました。さすが教師として子供達を教えてらした藤川さんのお話、大変分かりやすく楽しいです。認知症の方が徘徊している時も、今回の事を理解していれば、話しかける言葉もあったかい優しい言葉をかけてあげることが出来ると思いました。
今回の写真は、どこか人生の明暗を映し出してるように見えます。色合いがそうさせるのか・・。
その人がしている事には何かしら理由がある。頭から否定せず、どうしたの?と話を聞いてあげられる余裕を持つと、もっと人と人は仲良くなれると思う。イライラしても同じ時間。どうせ同じ時間を過ごすならお互い笑って過ごしたい。その為には自分から話を聞く勇気や思いやりが必要なんだと感じました。


投稿者: たっちゃん | 2009年10月05日 19:38

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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