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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

生きるための戦い

「こうこく」

父から戦争の話を聞いた。
戦争で父は爆撃機に乗っていた。
「命がけだった」
と父は言った。
父の爆撃で
失われた命があるかもしれないと
私が言及すると
父は口ごもった。
戦争など何にも知らない息子に
問いつめられ
父の爆撃機は行き場をなくした。

認知症の母が苦しそうに大声を出した。
「そろそろオムツかなあ」
と言って、
その爆撃機は
介護など何にも知らない息子に
見送られ
妻の介護という
命がけの戦争の中に
飛んでいった。

母のオムツを替えて戻ってきた父に
「こうこく」のことなんだけれど
と、私は戦争の話を続けた。
父は恥ずかしそうに
「母さんのために
 お金を残しとかんといかんし
 大変なんだ」
と広告を私に見せた。
広告には
安いインスタント焼きそばと
インスタントコーヒーを探し当て
赤丸が付けてあった。
父の「皇国」は
いつの間にか
「広告」に変わって
心の中に生きていた。
死ぬためにではなく
生きるためにである。

『手をつないで見上げた空は』(ポプラ社)

DSC_7361.JPG
写真=藤川幸之助

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 太平洋戦争の長期化と戦局の悪化で、その頃東京の大学に通っていた父も戦争に参加することになった。雨の降る明治神宮外苑陸上競技場での学徒出陣で、遠くに東条英機を見た話を父はした。「国のために死ぬつもりだった」とその時の覚悟を父は話した。そして、飛行機が墜落し、四体がバラバラになって死んでいった友人達への思い。人を殺さなければならない苦痛。自分の命が死にさらされる恐怖。いろんな思いを父は話しながら、「戦争はいかん。戦争は絶対やっちゃいかん」とこの言葉でいつも話を締めくくった。命をかけ、命を死にさらし、人の死の痛みにも向きあった父の言葉には、言語に絶する重みがある。
 その戦争から40年経って、今度は母の認知症に命がけで父は向きあうことになる。「命がけで」とは少々大げさな表現だと思われるだろうが、そう大げさでもない。その数年前に心臓のバイパス手術をしている父は、心臓の機能が著しく悪く、身体障害者手帳をもっていた。ニトログリセリンという発作の薬を携帯しての暮らしだった。その上、脳血栓で倒れたこともあり、満身創痍の状態での母の介護だった。母がアルツハイマー型認知症だと分かったとき、「お母さんは俺が幸せにする。」と宣言した。そして、「お母さんのために残された命を生きる覚悟だ」と父は話した。学徒出陣したときの、若き日の父の話を思い出した。父にとっては、介護も命がけの戦いだった。
 そう思ったけれど、忙しくて一か月に一回ぐらいしか父と母の暮らしを見に行けない私には、父の介護の大変さや病気が進む中の母の辛さなど何一つ分からなかった。「お父さん、お母さんは病気なんよ、わけの分からんこと言ってもやさしくしてやらんといかんよ」いつも、電話口で父に小言ばかり言った。そんなある日、帰省すると、安いインスタント焼きそばとインスタントコーヒーを探し当て赤丸が付けてある広告チラシが、テーブルの上にあった。それを見つめる私に「少しでも節約して、お母さんの病気を治す薬をアメリカに買いに行きたい」と恥ずかしそうに父が言った。こんな父の姿を見るのは初めてだった。
 戦争では死ななかった父だったが、心臓の発作で突然死んだ。母の介護の無理がたたった。父の代わりに私が母の世話をした。母に食事をさせた。2時間もかかる食事に苛ついた。母の徘徊に付き合いながら歩いた。いつまでもいつまでも歩き続ける母を情けなく思いながらも、いつまでもいつまでも母と一緒に歩いた。母の体を抱えながらおしめを替えた。何でこんな臭いを俺がかがなくちゃならないんだと思った。母の世話をしながら、父はあんな体の状態で、よくこんな大変なことを一人でやっていたと思った。父は愚痴一つ言わなかった。父にとって介護は、母という一人の人を守り、自分も生き抜く孤独な戦いだったのだ。多くの人を殺し、自分も死ぬ覚悟の戦争とは全く違う戦いだった。
 ベッドに横たわる母の横に静かに座る。母の手を握り、母を見つめ、母にまなざしを送る。父もこんなふうに手を取って母と暮らしていたのかと思いをはせる。死ぬ覚悟ではなく、命に寄り添う覚悟が心の中に力強く生まれる。「戦争はいかん。戦争は絶対やっちゃいかん」と言った父が、「母さんの世話はしっかりやり抜け、その生きるための戦いはやめちゃいかん」と言っている。心の中のどこか遠くから父の声が聞こえる。

◆ぷーさん、コメントありがとうございます。
 「空から「やっと植える気になったかしら」と母に言われている気がします。」とぷーさん。私も植物を育ててみようかと、幾度となくトライしたのですが、水をかけるのを忘れることがとにかく多くて、私には無理のようです。ぷーさんの場合、お母さんが空にいらっしゃるようなので、私ならば水掛を空のお母さんにお願いします。次に植える花は、コスモスがいいと思います。あまり水をかけなくても花が咲くからです。

◆たっちゃんさん、コメントありがとうございます。「その笑顔に会場中が引き込まれていくのを感じてました。」とたっちゃんさん。
 そういっていただくと、とても嬉しいです。
 私の講演を聞いて、アドバイス好きの友人がいます。猫背だったとか、早口だったとか、あまりギャグはいらないとか。アドバイスはとても次にいかせるものばかりですが。その友人に、たっちゃんさんのコメントを読ませようと思います。そして、ほめて育てることを逆にアドバイスしてやりたいと思います。

◆還暦姉ちゃん、コメントありがとうございます。「若い頃からの長い生活も加味しているのでしょうが、笑い合っているのを見たことがありません。私がクッションに成れればいいのですが」と還暦姉ちゃん。私は「電話に出るときのあのムッツリはどうにかならないか」と、よく友人から言われます。ものを書いているとき、突然電話がかかると人は急には笑えないものです。ですから、長年笑い合ってらっしゃらないならなおのこと、笑い合うのは難しいでしょうね。還暦姉ちゃんのご苦労を感じます。


コメント


「命がけで守る」と言うことの本当の意味を、自分は分かっているのか?考えるきっかけとなりました。医療の現場で働く私は、日々色んな患者さんと家族の方に接してます。よく言われるクレーマーの方と先日、問題が発生してしまいました。
相手方の言い分は、「自分の大事な家族を、流れ作業のように扱われどんなに悔しいか! 自分の親がそんなケアをされたら、どう思うか? プロなら良く考えて看護・介護にあたれ!」とお叱りを頂いたばかりでした。忙しいとか時間が無いとか、ケアする人の都合で振り回されてしまう患者さんの現実があることを反省しました。苦痛を訴えられる患者さん、訴えることの出来ない患者さん、
どの患者さんにも、丁寧な言葉がけでケアにあたる、当たり前が当然のように行われてる…そんなことを願って大事な家族を入院させている事を、改めた私達は意識しないといけないと感じました。


投稿者: たっちゃん | 2009年08月15日 21:10

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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