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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

支える側が支えられるとき

「バス停のイス」

バス停にほったらかしの
雨ざらしのあの木のイス。
今にもバラバラに
ほどけてしまいそうな
あのイス。

バスを待つ人を座らせ
歩き疲れた老人を憩(いこ)わせ
バスに乗らない若者の談笑につきあい
時にはじゃま者扱いされ
けっとばされ
毎日のように
学校帰りの子どもを楽しませる。

支える。
支える。
崩(くず)れていく自分を
必死に支えながらも
人を支え続け
「それが私なんだもの」とつぶやく。

そのイスに座り
そのつぶやきが聞こえた日は
どれだけ人を愛したかを
一日の終わり静かに考える。
少しばかり木のイスの余韻(よいん)を
尻のあたりに感じながら
〈愛〉の形について考える。

 『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)に加筆

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 私は学生の頃から国語が苦手だった。文学作品のある部分に線が引かれ、この時の作者の気持ちを何字以内で答えなさいと問われると、「字数の制限の中で、人の心の深淵が語れるわけがない。」と屁理屈を言って、自分勝手に解釈し、ろくな点数をとったためしがない。そんな私の詩が、中高生の模試問題になることがある。そして、私のもとに問題が送られてくる。私の詩にも線が引かれ、作者の思いや考えを尋ねた問い。国語が苦手な私にとっては、それが自分の詩作品だろうと苦手なものは苦手だ。答えを書き、おそるおそる解答を見る。正解ではあるが、その解答に私はそんな風に考えていたのかと教えられるときもある。そんな時、私の詩が人の心の襞(ひだ)の中に入って、新しく生まれていることを感じて嬉しくなる。
 冒頭の詩「バス停のイス」を問題にするなら、こんな問いはどうだろう。「それが私なんだもの」とつぶやいたのは誰ですか? もちろん答えは、「イス」なんだが、解答は微妙に違うんだろうなあと、自分でふった問題なのに国語が苦手な私にははっきり答えることができない。この詩「バス停のイス」は、バスの中から見た光景を書いたもの。壊れかけたイス数脚。それに腰掛け、数人の若者が談笑していた。イスは、人を腰掛けさせ、人を支えるためだけに生まれてくる。もしも、私がイスに生まれていたら、「それが私なんだもの」と言えるはずもなく、こんな役は、もうたくさんだと怒鳴るだろうか。それとも、俺も誰かに支えてもらいたいんだようと弱音を吐く毎日だろうか? いつも恨み言ばかりだろうなあと思った。ちょうど母の介護をすることになったときだった。自分の意に染まない状況だった。そこから逃げることばかり考えた。受け入れることなしに。何で私ばかりこんな役が回ってくるのかと、いつも悶々としていた。
 そんなある日、信号待ちをしていると、横断歩道をはさんで反対側に赤ん坊を抱いた若いお母さんがいた。その時、突然私たちの間を大きなダンプが砂ぼこりを立てて通り過ぎた。通り過ぎた後、前を見ると若いお母さんは赤ん坊をしっかりと抱きしめ、横断歩道に背を向けていた。その時私はふと思った。あの赤ん坊がいるからこそ、あの若い女性は母親然としているのだと。胸に抱いた赤ん坊が、あの若い女性から母性や勇気、優しさという人間性を引き出している。赤ん坊を育てている母親が、赤ん坊に育てられている。育てる側が育てられていると。私もそうだ。母が認知症にならなかったら、こんなふうに母のことを思いやっただろうか。認知症の母に、人間性を引き出されている自分に気づいた瞬間だった。母に感謝した。こんなになっても母は、まだまだ私を育ててくれていると。母を支えていると思っていた私が、母に支えられていた。
 その日から、「支える側が支えられる」と思い、母に感謝しながらも、時には逃げたい、逃げようと、もがく日々が続いたが、認知症の母の世話をしているうちに、自分が何ものであるかが分かってきたような気がした。私の人生から「人を支えること」を差し引いたら、何も残らないと思った。詩を書くことでさえ、人を支えるときがあると。イスだけではなく、人もまた人を支えるために生まれ、人と関わり、人とつながることで、人は人となり得ていく。イスを見て、いつもその思いを確かめる。母の紙オムツや尿取りパッドを、棚に一つ一つ並べながら、この生き方も悪くないなあと思えるようになった。
 講演の最後には、必ずこの「バス停のイス」を朗読する。朗読しながら、「それが私なんだもの」と言っているのは誰だろう?という問いが、いつも頭をかすめる。母の介護の日々を振り返ってみると、答えは「作者」の私でもあるような気がするのだ。そして、「母」という答えもあり得るのではと思うのだ。やはり、私は国語が苦手だなあ。自分の詩でさえも、明確な答えが出せないのだから、ほとほといやになってくる。

P10100392.JPG


*5月23日(土)東京、24日(日)札幌で、この「支える側が支えられるとき」という演題で、認知症の母の話をします。皆さんにお会いできることを楽しみにしています。
場所や時間は下記のサイトをご参照ください。
http://www.caresapo.jp/kaigo/blog/fujikawa/2009/03/


ぷーさん、kikiさんコメントありがとうございます。
政治的意図を持ったプロパガンダやCMコピーでは、伝えたいことを強調するため、隠れて見えなくなるものがあるものです。舛添さんの発言もそう。ぷーさんの「プロたちも時には、肩の力をふーっと抜いて欲しいです。」という言葉。私も同感です。「介護はプロ」「家族は愛情」というと、プロは淡々とオムツを替え、食事をさせて、「介護」をこなせばいいように聞こえます。しかし、実はこの「介護」という行為や仕事には、「愛情」とか感情という人と人との間の心の問題が切っても切りはせないと思います。また、家族だからこそ愛情を与えられないときもあります。だから、ぷーさんのおっしゃるように「一緒に頑張っていきましょうの方が」私も好きです。
 「そんな自分を認めたくなかった。でも私だけじゃなかったんだ。と。泣きながら楽になりました。ありがとうございました。」というkikiさんの私の詩への感想。この「そんな時があった」という詩は、最初新聞に発表したのですが、こんな不届きな心を本当に人に公表していいのだろうかと、新聞に掲載するのを何度もためらったのを覚えています。私もkikiさんの感想を読みながら、私だけじゃなかったんだと泣けてきました。kikiさん、私こそあなたに感謝しています。


コメント


こんにちは。

何度も藤川さんとお話ししていたにもかかわらず、藤川さんの作品や世界には触れることがありませんでした。

今、会社のパソコンで藤川さんの詩を読んでます。

私の気持ちを何か伝えたいんですけど、言葉が何も出てきません…

ただただ黙って詩を読んでます。


投稿者: ヤマコシヒデトシ | 2009年05月20日 09:07

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
ご注文はe-booksから
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