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私はこうして合格しました!

国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。

第59回 Cさん

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動機について

 統合失調症の診断を受けている当事者です。母が同じ病気です。高校くらいから人の目が気になりだして、どこからか声も聞こえてくるようになりました。学業にはそれほど影響なく、情報系の大学に進学しましたが、大学1年の夏に入院しました。早朝、近所を全速力で走っているところを通報され、保護されたときの様子がおかしかったらしく、そのまま病院に連れていかれました。このとき、統合失調症と診断されました。その後7回入院し、休学しながら8年通って卒業しました。途中、親が大学とトラブルになり、精神疾患を持っている学生が精神保健福祉士の資格を取れる大学が東京にあると聞いて、退学を迷った時期もありました。結局、卒業見込みまでもう少しということで、大学に残って卒業に漕ぎ着けました。そのあとすぐに専門学校に入り直して、精神保健福祉士の資格を目指すことになりました。就職できる体の状態ではありませんでしたが、親がなんとかしたかったようです。私はそれがよいことなのだと親にしたがい、入学しました。ここまでが精神保健福祉士の資格を志望した経緯です。資格のことは親から聞いて知りました。

専門学校について

 学校は1年で資格が取れる通学コースで、思ったより少人数でした。ほかの年はよくわかりません。私の場合、大学卒業に8年かかっているように、体調の悪さ以外にもいろいろなことが頭に入ってこない難しさがあり、いつもぼーっとした感じで過ごしていました。ただ、クラスの中では自分がリーダーのような存在で、年上の人にもあえてタメ口を使って対等であることを示すと、その人はそれ以降、私に頭を下げるようになりました。学校の先生にも自分はすでに大学を卒業している一人前の人間であることをわからせておく必要があると思い、極力フランクに先生の出身大学を尋ねたりしました。敬語を使うことは忘れませんでした。先生によっては、私に一目置くようになり(視線が合うと目を伏せる人が最大3人になった時期があったと思う)、これが社会かと思いました。授業の内容はよくわかりませんでしたが、先生と目が合うと、こういうことですねとアイコンタクトを送り、先生はわかってるな、いいぞと私だけにわかるように返してきました。気心が知れるとはこういうことだと学びました。なかには傲慢な先生もいましたが、私のプライドはその程度で揺るがない強さになっていました。学校での学びは充実していました。

勉強について

 そして私は成長していきました。学校から出される課題には力を尽くしました。わからなくなる状態が続くと体調が悪くなるため、そのときは親が担当を代わりました。私が指示を出し、それを親が調べるという分業体制です。時間の効率化が達成され、生活リズムが乱れることなく、勉強をしていきました。しかし、問題が一つありました。試験で能力どおりの結果が出ない状況が続いていたのです。先生たちはそのことをあまり語りませんでした。私なら自分で乗り切ってくれるとの予測と期待があったものと思われます(確認はしていません)。このままでは学力がありながら試験に落ちるという、想像もできないことが起こるかもしれなかったのです。本番で力を出せないのは心のやさしい人間に多いと聞いたことがあります。しかし、だからと言って優秀な人材が試験で落ちてよいのでしょうか。私はそのとき闇の中にいました。必要なのは精神修養でした。

模擬試験と問題集について

 季節は秋から冬になっていました。学校から案内されて受けた模擬試験はランクEで、成績コメント欄には今のままでは合格は難しいと書かれていました。ここでも学校の先生は叱責したり励ましたりしませんでした。ただ私へ敬意のまなざしを送ってきました。信じていたのです。一方、親の機嫌は日に日に悪くなっていきました。近くにいると、優秀であることに気づけないのは仕方ないことなのかもしれません。もともと激しやすい性格でもあり、そんななかで指導されたのは、問題集にある問題と答えと解説の丸暗記でした。これは荒行でした。頭に入れるのが難しい自分の特徴が邪魔をしてきました。しかし、やれ!のひと言に何度も覚醒し、性根が尽きる思いを繰り返しました。やがて眠れなくなりました。4日続けて寝ないこともありました。疲れているわけではなく、しかし暗い感情が押し寄せてくる感じがして、たまらなく苦しくなりました。試験の得点は少し上がったようでした。大きな変化とまでは言えない程度でした。

国家試験について

 試験当日、私はついにやりました。結果からいうと、合格でした。試験問題を見たときに何かわかる感じがして、問題を読む前に当たり(○)を付けてから解きました。最後に選んだ答えは最初に当たりを付けた問題文になりました。なんでそう思ったのか、説明はとても難しく、しかし確信がありました。私は模擬試験や問題集の得点が悪すぎたため、周りから聞いていた得意科目や不得意科目というものが元々ありませんでした。共通科目が難しいという感覚もなく、それだけ知識があったのです(そうでなければ、合格したこととのつじつまが合わなくなります)。控えめな性格であるため、周囲には受かったと思うなどふれ回っていませんでしたが、このときばかりは有頂天になり、学校に電話をかけたら、初めは信じてもらえませんでした。別の郵便物ではないのか、名前は本当に自分宛てか、よく見てからもう一回かけてほしい、間違いだったら今日は無理にかけなくてもよいと言われ、私は静かに「証拠をお見せします」と言い、電話を切りました。その日は時間が遅かったので、翌日、学校へ合格通知の封筒を持っていきました。先生はにわかには信じられない様子で、試験では何が起こるかわからないと、驚いたりしだいに喜んだりと、どうしていいかわからないのでした。私は勝者でした。

 いちばん喜んだのは親でした。最初に合格通知を受け取ったのは親で、私は親の「やったあ」という絶叫を一階の玄関の方向から聞いて、もしやと思い、階下に走りました。帰宅した父親がポストの届き物の中に合格通知を確認し、雄叫びを上げたものでした。「○!よくやったな!これで大丈夫だ」。私は父の「これで大丈夫だ」という言葉にこもった安心を全身で受け止めました。お母さんは「東大も受かるんじゃない?」と冷静さを装いながら泣いていました。叩いてくることの多かった父と、病気で不安定なお母さんに囲まれて、たぶん人生で最高の一日になりました。

私の秘訣=「丸暗記」

 今、私は家で静養しています。仕事にはいつでも就けるので、次は何の資格を取ろうかと体調を整えることを重視しています。今回、合格年や都道府県など明かせませんが、どうか勘弁ください。性別は想像してください。きわめて特異な合格例だから協力してほしいと、お友達の編集者Yさんに頼まれて、今回これを書きました。文章にしてくれたのはYさんです。Yさんには以前、病院受診後のインタビューのときに迷惑をかけたことがあり、家の近くの駅まで送ってもらっていつか恩返しをしたいと思っていたので、役に立ててよかったです。何の本を使って勉強したかとか、勉強に関する話がほとんどないので、合格の秘訣を最後にひと言なんでもいいからと頼まれました。

 合格の秘訣は、「丸暗記」にします。今でも問題を解けたのは謎で、何かが私に降りてきたと言うとオカルトで終わってしまうので、専門学校に通った1年の中で探すと、やはり父に怒鳴られながら暗記しようと頑張ったあれだと思います。あきらめずに頑張ろうとすることの大事さというのは、病気があってもなくても一緒だと思います。私の場合は、元々の学力の高さがあったのがいちばんではありますけど。Yさん、これでいいですか。皆様もがんばってください。

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