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私はこうして合格しました!

国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。

第55回 高橋麻貴(たかはし・まき)さん

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プロフィール

高橋麻貴(たかはし・まき)さん
平成27年度試験合格

 二松学舎大学文学部卒。千葉県出身。中学のときに難病を患って以後、入退院を繰り返しながら大学まで卒業し、不安定な病状に苦しみながらアルバイトで働き、結婚・出産へと人生の歩みを進めたところで、うつ病に見舞われた。悪化していく種々の状況から入院先を転々と移る療養生活のなか、事態の改善策として見出し得た一人暮らしへの道筋をつけてくれたのが、ある精神保健福祉士だった。資格の力を感じた瞬間だった。その後、精神科デイケアに通い始めると、仲間とのつながり、SST(社会生活技能訓練)や心理教育など興味深いプログラムの数々と出会った。『その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち』を読み、当事者で精神保健福祉士の著者・上岡陽江氏に惹かれ、また当事者研究の向谷地宣明氏と出会い、自ら研究発表に取り組んだのもこの頃だった。精神保健福祉士の資格への淡い憧れがうまれた。まずは一般企業の障害者雇用で生活を自立しよう、そして学校に通うためのお金を貯めよう。その思いは一般就労から2年後に結実し、専門学校の通信教育課程1年7か月コースに入学。受験勉強と仕事を最後まで両立し、試験も1回で見事合格をはたした。今年(2016年)4月より、就労移行支援事業所リドアーズお茶の水(東京都文京区)の生活支援員として勤務している。趣味はバンド活動。デイケアで始め、担当はドラム。好きなことは精神保健福祉関係のセミナー・研修に参加すること。きらいなのは一人ぼっち。「回復は本当に人それぞれです。資格取得で学んだ知識を活かしつつ、必要なときは自分の経験も差し出して支援ができたらいいなと思っています」。伝わる言葉と伝える声が経験を載せ、いろいろ届けてくれる43歳。

動機は回復のきっかけをくれたこと

 精神保健福祉士の資格を取ろうと思った理由の一つは、入退院を繰り返していた時期に出会った、ある精神保健福祉士をすごいなと思ったことです。退院しての一人暮らしを画策していた時期で、最初は一人でアパートを探し回ったんですけど、無職で生活保護をこれから申請する予定ですと言っても、不動産屋は貸してくれるわけがありません。

 そんな折、PSWさんがこれを持って行ってくださいと自分の名刺を渡してくれました。病院のワーカーも説明に伺いますのでと言ってほしいとのことでした。すると、不動産屋の対応が急に変わって、ああこういう人がついているんですね、病院での話を聞かせてくれますかと、トントンと話が進んでいったんです。その後のフォローも頼りになって、精神保健福祉士ってすごいんだと、そのときに資格の力を感じました。

 もう一つは、精神科デイケアの存在です。私は入退院を繰り返しながら、途中からデイケアに通い始めました。プロフィールに紹介いただいているデイケアは、千葉県の流山市というところにある「ひだクリニック」です。全国的にも有名な精神科のクリニック・デイケアなので、ご存知の方も多いと思います。初めは別の医療機関のデイケアで1年、その後、ひだクリニックの「デイケアるえか」に移り2年通いました。ちなみに、現在もメンバーとして登録し、さまざまな活動にかかわらせていただいています。

 このデイケアで過ごしていくうちに、自分もこういうことにかかわる仕事に就きたいなとぼんやりと思い始め、しだいにその意を強くしていきました。デイケアで行われるSSTや当事者研究といったプログラムが率直におもしろいと思いましたし、ここで出会った仲間たちとのつながりから得たものは計り知れないです。そのなかで、自分と同じような生きづらさを抱えている人たちの助けになるというか、応援したいという気持ちが沸々と出てきました。それが、資格を取ろうと思ったきっかけです。

念願だった専門課程の入学へ

 精神保健福祉士の資格を取りたいという気持ちは、デイケアの就労支援を受けるときに伝えました。デイケアの就労支援?と思われる方がいると思うので説明しますと、ひだクリニックは精神科デイケアのなかで就労支援を行うという全国でも珍しい取り組みを以前から行ってきて、私はその支援を受けて一般就労に進みました。

 当初に精神保健福祉士の資格を取って支援の仕事がしたいと相談した結果、ではまず障害者雇用で企業に勤めて、生活の自立を目指そうということになりました。生活保護で貯金がなく学費が払えないので、生活保護を抜けて働きながらお金を貯めていき、目途が立ったところで専門学校に入学する計画でした。

 一般事務の仕事に就いて2年が経とうとする頃、なんとかお金の工面ができそうとの見込みが立ち、就職3年目に入るのとあわせて専門学校に入学しました。学費は一括払いだと貯金がなくなってしまうので、学費を分納できる学校を探しました。入学するときに、教科書代高いなあ、実習費もびっくりするくらい高いなあ、生活できるかなあと思いながら覚悟を決めたのを覚えています。

 専門学校は、通信教育課程の1年7か月コースに入学しました。フルタイムで働きながらの受験だったので、勉強するのはだいたい土曜日曜でした。受験勉強をどう進めていくかというイメージは特になく、レポートの課題が送られてきて、目の前のそれをこなしていきながらこういう知識が必要とされるんだと確認していく感じでした。体力がなかったので、2か月に平均4本のレポート提出はなかなか大変で、もともと体調に波があるところに友達関係のちょっとしたトラブルなどがあると、それがきっかけで状態を崩したりしましたが、それで仕事に行けなくなってしまうようなことはありませんでした。

いつも支えてくれたデイケア

 その点で大きな支えとなってくれたのが、やはりデイケアでした。私は一般企業で働き始めて早々、仕事がなくてつらいという状況に立たされました。その会社には精神障害者について知っている人がまったくいませんでした。そういうところにポンと入っていったので、上司も私に何をどこまで任せてよいのかわからなかったのでしょう。職場が悪いということではなくて、障害者の人にいろいろやらせちゃいけないとか、不安だとか、そういうことから結果として無理をさせないよう放っておかれるのだと思います。それにしても、朝の9時から夕方の終業時間まで一つの仕事もなく、ただ座っているだけの日もあり、「仕事のない苦労」というものを経験しました。

 そういう苦しいときに、私は勤務時間が終わると、帰り道に途中下車してひだクリニックのナイトケアに行っていました。デイ・ナイトケアでは就労の定着支援もしていたので、夜の遅い時間帯まで支援員の職員がいてくれて、めそめそしている私をあたたかく励ましてくれました。やがて職場で直属の上司が変わると、「高橋さんにいろいろとお願いしてもいいですか」と聞いてくれて、すると劇的に状況が変わり、どんどん仕事が増えていき、この会社にいた最後の半年くらいは残業するくらいまでいろんな仕事を任せていただきました。

 仕事があることって幸せだなと思いましたし、私が経験したのと同じような苦労を抱えている人がいることを考えたら、ますますそういう人の力になれる仕事をしたいとも思いました。私が専門学校に入学したのは就職して3年目ですから、精神保健福祉士の資格を取ろうと思って実際に動き出した時期と、これらの出来事が重なります。精神保健福祉士の資格を取得したら「就労支援」に携わりたい、デイケアに支えられながらそんな夢も膨らんでいきました。

散々の模擬試験でエンジンがかかった

 受験対策としての勉強に本腰を入れ始めたのは、試験前年の10月か、もう少しあとだったと思います。夏のスクーリングのときに、今から始めようとしている人は遅いですよと先生方に発破をかけられて、そのときはやろうと思ったのですが、日中仕事をしながら平日の勉強はよほど強い気持ちを持って臨まなくては難しく、気がつくと秋も深まりかけていました。

 これはまずいと思って本気になったのは、模擬試験の結果を見てからです。実は模擬試験を受けるまでは、デイケアなど周囲の応援がありましたし、レポートの成績はよかったし、おまけに周りで精神保健福祉士の国家試験を受験されていた方が軒並み合格されていたので、全員受かるものというちょっとした誤解というか、油断がありました。それが模擬試験の成績表を見て、みんなはもっと勉強していたんだ、これでは無理なんじゃないかと現実を突きつけられて、それから必死になりました。

 試験対策の教材には過去問を使いました。中央法規出版の『精神保健福祉士国家試験過去問解説集』です。本は発売された夏前に購入していました。もう一冊は、中央法規出版の『らくらく暗記マスター精神保健福祉士国家試験』です。試験勉強に使った教材としては以上です。ほかに専門学校から推奨されていたワークブックなどは購入しませんでした。分量があまりにも多くて、それ以前のざっくりしたこともよくわかっていないのに、あれに手をつけちゃったら、とんでもないことになると思ったからです。その意味では、必要とされる知識を大まかにつかめるようになっている暗記マスターは、ありがたい本でした。

過去問を基盤に知識を膨らませた

 勉強の方法としては、まず過去問を一通り、専門科目と共通科目をざっと解いてみて、ああ全然できてないと現状を認識するところからスタートしました。私はわりと完璧主義なところがあるので、間違えた問題を一つずつじっくりと、どこがどう間違っているのかを確認しながら進めていきました。過去問解説集に書かれている解説文だけではわからないところは、教科書に載っている詳しい内容を書き込んだり、暗記マスターに紹介されているポイントを書き込んだりして、理解を膨らませていきました。模擬試験の問題と解説冊子もこの作業に取り入れました。

 この勉強を続けていくと、過去問の各問題に習熟するのと併行して、しだいに過去問解説集と暗記マスターと模擬試験(問題と解説冊子)の余白の部分にいろんな知識が書き込まれていき、やがてオリジナルの辞書のようになりました。自分の字で書き込まれた状態を見ると、ああそうだったとか、あれはあれとつながっているとか、瞬時に復習できる感覚があって、非常に有用でした。

最後は一日3時間睡眠の猛勉強へ

 受験勉強を本格的に始めてからは、平日はつらいなんて言っていられなくなり、仕事帰りにカフェなどに寄って勉強をするようになりました。眠くなるのでコーヒーを飲んだり、体に悪いと思いつつ、時には強いカフェイン飲料に頼ったりもしながら取り組みました。ありがたかったのは、ひだクリニックで就労している人たち向けのプログラム「Career Cafe(キャリアカフェ)」の会場であるレストラン(就労継続支援B型事業所)を使わせてもらえたことです。開催日以外の夜間は誰もいないから使っていいよと声を掛けていただき、カフェに行けばお金もかかるので本当に助かりました。

 1月に入ると、一日3時間睡眠の猛勉強でした。フルタイムで仕事をしながら、体力がないと言っていた自分が信じられないラストスパートをしていました。過去問の本を1科目ずつに切り取って持ち運び、どんなに疲れていても一問でもいいからやるぞと必死でした。

 ここまで来たらもう言う必要もないかもしれませんが、体調に波があって勤め続けられるかどうかと不安だった私が、自分の目標に向かってこんなにがんばることができたのは、ひとえに支え続けてくれたデイケアと仲間たち、地域の支援機関のおかげです。

合格の尊さを実感した

 試験を受けたあと、合格への手応えは非常に微妙でした。専門科目、共通科目ともに試験当日に速報で自己採点をしたところ、昨年の合格ラインのボーダーすれすれでした。うわ~と思いました。受験者全体の得点が少し高かったらもうダメという感じでした。それだけに合格を知ったときは、心の底からよかったと思いました。と同時に報われたとも思いました。国家資格を取得するには大変な努力を要するということ、そして受験に臨んで合格するということは尊いことだと、つくづく思いました。

精神保健福祉士として、当事者として

 私は現在、「リドアーズお茶の水」という東京都文京区にある就労移行支援事業所で働いています。4月に就職したので7か月になります。進路を決める際、私は当事者なので“ピアサポーター”として働くか、PSWという“専門職”として働くかで悩んでいた時期がありました。そのことを最後にお話しします。

 自分の当事者としての経験を力にして働くピアサポーターも魅力的な仕事だと思います。そこにさらにPSWとしての専門的な知識も持ち合わせることによって、より一人ひとりの当事者の方々のニーズに合わせた支援ができるのではと考えました。自分の経験というのはあくまでも自分が通ってきた道であって、それがすべての当事者の方に活かされるとは限らない。回復って本当に人それぞれなので、その人が欲しいニーズにあわせたものをこちらが提供できるように、知識も専門的な技術も持ちながら、かつそこに必要なときには自分の経験も差し出して支援ができる、そういう支援者になりたいと思ったんです。

 私はピアサポーターという看板は出していませんが、かといって当事者性を隠しているわけでもなく、精神保健福祉士として働きながら、あるときは当事者としての自分も両方活かして働いていく。これからの私の目標です。

この日のプログラムが終了して夕刻、
「リドアーズお茶の水」の打ち合わせシーン