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私はこうして合格しました!

国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。

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第46回 上野陽弘(うえの・あきひろ)さん

見出しリスト

プロフィール

上野陽弘(うえの・あきひろ)さん
平成17年度試験合格

 東洋大学文学部教育学科卒。埼玉県出身。教員になって高校野球の監督になると夢を描いていた大学1年のとき、かつての大切な友人が精神疾患を発症した姿で目の前に現れた。励まそうと思っていたができず、頭が真っ白になり、涙だけが出た。無力を感じ、何もできない悔しさが、人の心へ気持ちを向かわせた。当時在籍していた経営学部商業科から、自らの心を育てたいとの思いで教育心理を学べる学科へ転部し、この時期から精神科病院の看護補助のアルバイトを始めた。病院でソーシャルワーカーという存在を知り、精神保健福祉士の資格取得を志した。教職課程を修めていたため、臨時教員として勤めながら専門学校の通信教育課程2年コースを履修する作戦。しかし、高校受験を控える中学3年生を受け持つなか試験勉強は難航をきわめ、一度目のチャレンジは成らず。大学で学んだ心理検査担当職として精神科病院に転職し、満を持して臨んだ翌年の試験(平成17年度試験)で合格を果たした。この年に、青森県内で新たに立ち上げる精神科病院に転職し4年間にわたり勤務。そして、地元・埼玉県内の設置を待ち望んでいた情緒障害児短期治療施設の「こどもの心のケアハウス嵐山学園」(埼玉県比企郡嵐山町)に転職、4月で7年目を迎える。好きなものは、ストレッチ、神社、古事記、古代史に仮面ライダー。苦手なのは食べ放題と、対人支援の専門職同士のネガティブ発言。「いま自分が“じょうたん”(情緒障害児短期治療施設の略称)でやっている実践を人にわかりやすく伝えるようになりたいです」と、この上なくわかりやすいインタビュー対応の後半、ニカリと白い歯を見せた36歳。

受験の動機

 それはあまりにも悲しい強烈な出来事でした。当時、私は大学1年生。かつての友人が“心の病気”に罹ったと聞き、仲間から、「会ってやって、元気つけてやってよ」と頼まれ、そうかわかった、まかせとけ、いっちょメシでも食って励ましてやるかと、本人と会うまでは軽く考えていました。ところが会ったときに、友人の様子にびっくりしてしまい、頭は真っ白、何を言っていいかわからなくなりました。いろんなところに話が飛ぶ、表情が突然ガラッと豹変する、とても大切にしていた友人を前にして、なんとかこの状況を受けとめたい、声をかけてあげたい、だけど言葉が出てこない、ただ涙だけが止まりませんでした。

 このとき私は自分が悔しくなり、自分が悲しくなりました。将来は教員になって、野球部の監督になってと夢を描いている自分。だけど、大切な友人と向き合うことができなかった、人と向き合えなくて何エラそうなこと思っていたんだろう、教員を目指すというならまずは人じゃないのかと。

 私は心のことを勉強し、自らの心を育てたいと思い、転部試験を受けて教育心理学を学べる教育学科へ移籍しました。このときに学科教諭の紹介で精神科病院の看護補助のアルバイトを始めました。ここでもショックを受ける出来事に遭遇しました。自分と同年代の患者さんが1週間後にいなくなっている、退院かなと思っていたら自殺でした。人の心ってなんだろう、心の病気ってなんだろう、その模索が続くなか、あるとき病棟の看護師長からこんなひと言をいただきました。「ここにいる患者さんたち若いよね。今この人たちに必要なのは治療。でもいちばん大切なのは、もっと前(のステージ)に何かできることなんだよ」。そのときに、いま私が働いている“じょうたん(情緒障害児短期治療施設)”の話が出てきました。生活の場があって学校教育があって、施設だけど治療的にもみてくれる場所ということでした。ソーシャルワーカーの存在も知りました。精神保健福祉士という資格のことも。よし、絶対資格を取ろう、そして将来は“じょうたん”に行こうと心にかたく誓ったのは大学4年のときでした。

 ここからのお話には受験勉強以外のこともいろいろ出てきます。いかにして精神保健福祉士の資格取得に至り、私が多くの方に活動内容をお伝えしたいと思っている“じょうたん”の児童指導員に就いたかまで、少しばかり長くなりますが最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

私が勤務する情緒障害児短期治療施設、
通称“じょうたん”です。
嵐山学園は平成19年12月、埼玉県嵐山町に開設しました。

「教員なら時間をつくれる」は甘かった

 さて、大学4年のときに精神保健福祉士を強く強く志したものの、専門課程を修めるには時すでに遅しでした。どうやって資格を目指そうかと考えていた折、教育実習に行ったときに臨時採用の教員を募集していることを知りました。そこで思いついたのが臨時教員職を勤めながら通信教育で精神保健福祉課程を履修する方法でした。一般企業に勤めてしまうと、しかも就職1年目でまとまった休みを取るのは難しい。でも、教員には夏休みがあるのでそこでスクーリングに通えると、青写真がくっきりと見えました。将来の目標には“じょうたん”があり、学校教育の経験も先々きっと活きてくると考えました。

 大学を卒業してすぐ、日本福祉教育専門学校(東京都新宿区)の通信教育課程2年コースに入学し、臨時教員は1年目を小学校で、2年目は中学校に勤め、2年目後半から受験勉強へと徐々にボルテージを上げていく気構えでした。

 ところが、その思惑は見事に外れました。教員2年目の中学校は3年生の副担任となり、教え子たちの高校受験と私の精神保健福祉士受験が諸々のスケジュール面からも完全にかぶってしまい、ほとんど勉強できずに国家試験1回目のチャレンジは試験会場へ受けに行っただけになりました。

課程は修了、時間も十分

 臨時教員はこの2年で終わりにしました。学校の教員として、子どもたちと向き合い、かかわることにやりがいを感じつつも、自分自身の本当の目標がソーシャルワーカーであることを考えると、申し訳ない気持ちにもなりました。

 次の職場は精神科病院でした。無資格でしたが、大学で心理学を専攻していたことが買われ、心理検査担当として医療相談室に配属され、比較的あいた時間にはソーシャルワーク業務にも入るという仕事内容でした。

 精神保健福祉士の資格を取ったのは、この病院にいたときです。前年までは業務と学習が異なっていましたが、まさに現場と国試の勉強が重なるようになり、勉強する時間は十分にありました。精神保健福祉課程は修了していたので、レポートも実習もスクーリングも課題とされるものも何もなく、前年に学んだことの余韻も残っていて、受験勉強に取り組みやすい条件が整いすぎるくらい整っていました。

利用対象となる小中学生が通う学校は施設の敷地内にあります。生活棟からの通学は2~3分の距離ですが、貼り紙をご覧ください。遅刻はしたくない子どもたちのアイデアです。

野球理論に基づく過去問活用術

 その受験勉強についてです。私はとにかく過去問でした。中央法規出版から発行されているいちばん分厚い本です(『精神保健福祉士国家試験過去問解説集(専門科目)』『社会福祉士・精神保健福祉士国家試験過去問解説集(共通科目)』)。これ以上はないというくらい、徹底的にやり込みました。過去問をベースにした勉強方法に全幅の信頼をおいていたのは、大学受験のときの経験にもよります。では、その進め方です。

 本を購入したのは6月だったと思います。発行されてすぐの時期です。私はこれを買って、いきなり解きました。勉強して基礎的な知識を身に付けてからではなく、いきなりです。そうすると最初は間違いばかりで、科目によってはほとんど得点できなかったりします。それをまず明らかにしてから、できなかったところ、意味すら理解できなかったところを教科書に戻って勉強していきます。教科書は、専門学校の通信教育で配られた科目ごとの本です。

 なぜ、いきなり解くのかというところは、実は野球の考え方からきています。素振りでどれだけ一所懸命バットを振り続けたとしても、来たボールを打つ練習をしなくては実戦では勝てない。勝とうと思ったら、実戦をやってみてその結果を受けて、そのために必要なことをする、また実戦をやってみて結果を見て、その対応のために必要なことをする、これを絶え間なく続けていってはじめて勝つための力が養われる、という考え方です。言い換えると、過去に実際に行われた試験(試合)を実践して、わからなかったところ、間違ったところを自分の勉強にとっての必要なことと見立てて勉強する、という感じです。

 別の見方をすると、勉強をまったくしていなくても得点できる問題がいくらかはあったということで、そこは初めから持っているアドバンテージポイントです。

レベルが上がると見え方が変わる

 過去問はくり返しやっていると答えがわかるので、しだいに問題を解く意味がなくなってくるといった意見があるかもしれません。○か×かを答えるだけが目的ならそうかもしれません。しかし、回答するところをスタート地点と見立てるならば、実は見え方はずいぶん違ってきます。やはり野球を例に出して、A高校とB高校が練習試合を行うとします。2回3回と試合を重ねると、相手校の戦い方が見える自分が違う(レベルが上がっている)ので、そこから引き出してくる対応・戦略が変わってきます。

 これを過去問に置き換えると、問題が見える自分が前とは違うとしたら、その先の勉強も変わってくるということになります。自分のレベルによっては教科書が思い浮かぶ、レベルが上がるとその教科書で説明されている根拠のほうに目が向かう、場合によってはもっと詳しく押さえたいと思って、その内容の核になっている人物が著した文献にあたろうと考えたりします。

 私の場合も実際に勉強をしていて、この人の考え方おもしろいなとか、間違いの選択肢なんだけどここの部分はどうなっているんだろうとか、参考となる文献に辿っていくことがけっこうありました。『ソーシャル・ケースワークとは何か』(中央法規出版)や『精神医学ソーシャル・ワーク』(岩崎学術出版社)、『未知との遭遇』(三輪書店)などは、過去問を勉強していくなかで興味を持ち、読むことに至った本でした。

 過去問が受験勉強にきわめて有効なことは、国試1回目のチャレンジのときからわかっていたので、このときも問題を解くことはしていました。しかし、練習試合(過去問を解く)ばかりで、練習する時間(そこからスタートする勉強の時間)が全然なかったのが敗因でした。精神科病院に転職して練習時間が十分にもてるとわかった時点で、次はいけると確信に近いものはあったと思います。

勉強が楽しくて仕方がない

 そんな徹底した過去問戦略で、受験勉強を開始したのが6月。毎日寝る前の最低2時間を勉強の時間と決めて、夏が過ぎ、秋が過ぎて、冬が来ました。11月を過ぎる頃からは、ランニング・ハイとでもいうのでしょうか。勉強が楽しくて仕方がなくなり、クイズをやっているような感覚になりました。もうだいたいわかり抜いているので、興味がどんどんマニアックになっていて、学んだ知識という道具を自分が働いている精神科病院での支援に「いかに活かすか」を考えたり、わからない状態として残っている内容に対して、まず根拠となっていることの予測をしてみて、そのあと調べてどれくらい近い線だったかを検証してみたりしました。

 試験勉強の後半になると、どうしても知識として定着しづらいことが何かがはっきりしてきたので、それらは図式化したものを自己作成して、夜寝る前に見て、朝起きてからもう一回見てと反復して覚えていきました。

児童指導員を務める、左から中山久平、隅田達哉、上野。
思いを共有し、ともに歩んできた心強い同志です。

デキは文句なし

 試験の手応えは文句なし、まさにカンペキでした。自己採点で9割5分得点できていて、合格を確信しました。

 と言いつつも、結果発表の日は緊張しました。その年の春から、新たに立ち上げる精神科病院のソーシャルワーカー職として採用されることが決まっていたからです。そちらは、当時所属していた精神科病院の一医師が青森県で開業する病院で、心理検査と相談業務の両方を担いうるとして私に声をかけていただいたのでした。私が将来の目標に描いていた“じょうたん”は、まだ地元の埼玉県にはできていなかったこと、また今度のお話はソーシャルワーカー職としての採用でもあり、ソーシャルワーカーとしての本格的な実践・武者修行を青森という新天地で行える魅力に満ちていたこと、さらに、いずれは埼玉に戻ることを認めていただけたということで決断をしたのでした。

 事の大きさをふと自覚したのが結果発表の当日、それだけにインターネットで合格を確認したときの安堵は大きいものでした。

思いもよらぬ吉報

 青森の精神科病院には4年間勤め、この間に社会福祉士の資格も取得しました。結婚した年に妻と二人青森に移り、その妻が妊娠したこと、また実父の他界もあり、そろそろ地元に戻らなくてはと、転職先をあれこれと探していた折でした。待ち望んでいたその情報は病院の職員から唐突にもたらされました。「上野さん、以前から情緒障害の施設行きたいって言ってたじゃないですか。なんかできたみたいですよ」「えっ、それどこですか?」「嵐山学園いってましたよ」「……! それって埼玉の嵐山町ですか!!」。

 はじめは、そんなことはないと思いました。嵐山町には親戚が多いですし、“じょうたん”ができていたら、私の耳に届いていないはずがありません。その話を聞いてすぐに病院を飛び出し、駐車場で職員さんから聞いた電話番号にかけてみたら、な、なんと、1年前に“じょうたん”は開設していたのでした。実は、嵐山町に何か施設が建つという話は当時に聞いていて、しかし近隣住民向けの開所説明会に出た近所の方の話では高齢者の施設ということでした。聞き違いか勘違いかあったのでしょう。

 そういうことだったのかと瞬間に考えを巡らせた私は、電話越しにこちらの事情を切々と伝え、“じょうたん”ができたら絶対就職したいと思っていたんです、精神科でずっと修行していたんですと思いのたけをぶつけました。電話の向こうは園長でした。すると、「じゃあ来てよ」とひと言。これにもびっくりしました。あとで聞いてわかったのですが、園長には精神科のソーシャルワーカー経験があり、“じょうたん”の配置基準には特に定められていない精神保健福祉士を職員として迎え入れることの意味を、私の短い話で即座に感じ取ってくれていたのでした。

やって来たぞ“じょうたん”

 ついに、念願の“じょうたん”に就職しました。平成21年の春でした。さて、そこから先にはまた新たなさまざまなドラマが待ち構えているのですが、そちらは場を改めまして、皆様のお顔を見ながら直接お伝えさせていただきたいと思います。一昨年は日本精神保健福祉士協会の金沢大会で、昨年は同じく協会の大宮大会で、われらが“じょうたん”の活動を発表させていただきました。今後も機会をとらえて自分たちが取り組んでいることを発信し、ご意見をいただきながら歩みを進めていきたいと思っています。

 さあ、皆さんはまず資格の取得です。最後に、エールを込めて言葉を送らせていただきます。出身大学の駅伝スピリッツからお届けします。

「その1点をけずりだせ!」

リカバリー・ストレングス・チャレンジの頭文字をとってRSC。平成23年度に立ち上げた陸上競技部の理念です。
子どもたちの「生きる力」は着実に育っています。