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和田行男の「婆さんとともに」

駄菓子屋と交わり

 駄菓子。「だがし」って読むが、駄菓子とは何かを知らない人がいても、駄菓子を口にしたことがない人はいないのではないかと思えるほど、駄菓子は一般的な庶民の友である。
 駄菓子ばかりを扱っていた子どもたちの城「駄菓子屋」もめっきり減り、子どもたちのたまり場=コミュニティが減ってさびしい限りであるが、駄菓子屋を介護保険事業にくっつけることで、自然に年代を越えた人と人が交流する場となっているところがある。
 北海道七飯町「四丁目の夕日」という複合施設である。

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 そもそも駄菓子とは何か。
 駄菓子の名称の由来は、高級な上菓子に対して駄菓子・雑菓子(関西)と呼ばれるようになったそうで、元は江戸時代に雑穀や水あめなどを材料に使って(当時は製造に用いる材料が制限されていたそうだ)作り上げた庶民の間食のことで、安さから一文菓子と呼ばれていたそうだ。
 僕が子どもの頃は、子どもへの駄菓子の流通ルートは駄菓子屋で、駄菓子屋のおばちゃんとたくさん語り合いながらお菓子を買ったり、くじ引きをしたりしていた。
 また駄菓子屋友達がたくさんいて、近隣に住む子どもたちは駄菓子屋でつながっていったものだ。
 もちろん、小さい子どもに連れられてきた大人たちも、駄菓子屋を通して近隣住民づきあいをしていたものである。
 ところが、スーパーや大型ショッピングセンター、コンビニエンスストアの台頭で、めっきりと駄菓子屋を見なくなった。
 そんな折、僕がお付き合いさせていただいている北海道七飯町の法人が、複合施設(小規模多機能型居宅介護・住宅「高齢者・若年性認知症対応型」・学童保育・レストランなど)の一角に駄菓子屋を開いた。

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なかむら屋が駄菓子屋

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 その施設が位置する場所は、新興住宅地の一角。若い世代が多く住むようになっている地域であり、子どもたちも地域的には増えている。
 その子どもたちを預けることができる学童保育だけではなく、駄菓子屋をもつことにより人が施設に寄り、自然と高齢者と子どもたち、施設住民と近隣住民、近隣住民同士の交流が生まれることを期待してつくったのだ。
 ここの駄菓子屋のおかみさんは、近隣に住むかなり年配の方で(という言い方で察してください)、僕が抱く駄菓子屋のおばちゃんのイメージどおりの人。
 もちろん値段は破格値(多くは10円)になっているが、それは法人の地域貢献経費(?)のようなもので、そのかいもあって、連日大賑わいのようだ。

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 あえて人のいない場所を撮影したので閑散とした感じだが、店内は駄菓子がたくさん並べられている。ゴリラの鼻くそってご存知?巷では駄菓子の超人気商品のようで、値段的には大人向け駄菓子かな。おいしかったわ。

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 ある行政の企画で「保育園と高齢者施設の複合形態で高齢者と子どもたちの交流のある施設づくり」のテーマをいただき、僕は「日常の中で必然的に接触する複合施設」を提案したが、結局は保育行政マンたちの「高齢者施策と保育施策の線引き」が抵抗となり実現しなかった。一例を言えば、高齢者施設と保育施設の玄関をひとつにする提案をしたが、できあがるとまったく接触することがない別々の玄関にされてしまったのだ。
 最近の研修会で「どうしたら地域の理解を得られるようになるのか」と質問を受けたが、聞けば日常的に施設の外に出かけることはなく、近隣住民や商店の人たちと接触することがないとのこと。人と人が交わることもなく理解を得るなんてあり得ず、人に交わろうともせず理解を求めるのも無理な話だ。
 かといって、無理に利用者・入居者に対して人とかかわりをもたせようとするのも変な話で、大事なことは「関わらせる=奴隷化」ではなく「関わること=主体の取り戻し支援」である。
 ともすると僕ら支援者は、生きていくために欠かせない食材料の調達行動(お買物)など日常生活の必然的な行為・行動を通して人と人がかかわりをもつ「ふつうのこと」には目を向けず、自ら人と人がかかわりをもつ機会を生むことが難しくなる婆さんたちだから、かかわりが生まれる環境をつくらねばと、わざわざ「特別な場の提供」を考えがち。
 複合施設「夕日の四丁目」も、そうならないように、施設敷地内に足を運んでくる子どもたちを中心とした近隣住民と接触する機会を設け、そこでの交わりがうまくいっているからといって、敷地内に行動の範囲を留めようと考えているわけではなく、日常的に七飯の町の人たちと交わる必然的なコトまで描いてのことなのだ。
 何のために駄菓子屋をつくったのだろう。
 その思考が僕らにとって一番欠けやすく、つい「駄菓子屋があってステキ」「子どもたちと交流できるってステキ」「うちでは無理だわ」と現象に目を奪われ、現象に一喜一憂してしまいがち。
 でも大事なことはそこではない。
 駄菓子屋がなくても・駄菓子屋でなくても「同じコト」はできるのだから。そこに目を向けることである。

※複合施設「夕日の四丁目」は、中央法規出版から出ている雑誌『おはよう21』2014年1月号(11月27日発売号)で紹介される予定です。


コメント


人と人のかかわりが生まれるように、ということを重く意識してお仕事しています。

イスの角度をちょこっと工夫したら、ふたりの目と目が合うかな。嫌かな?


洗濯物の山をやりっ放しにして職員が消えたら、ブーブーいいながら共同作業が始まるかな


他の入居者さんの名前を覚えていないのは承知の上「○○さんどこいったか知ってる?」って聞いてみたら
「え〜と誰だっけ?」と天井のほうをみて、おそらく何人かの顔を思い浮かべているようにみえる。
「あ、いたいた」と職員が指さすと「あ〜○○さん!」
呼ばれたほうは、職員でない人(婆さん)に名前で呼ばれることなんてないから、半分びっくり、でもやっぱり表情がいきいきして嬉しそう。


こちらが思う以上に、人とかかわることには支えが必要なんだろうと思います。

会話のきっかけを投げてみたりもするし、時には「THEレクリエーション」的なことが、かかわりを生むために必要だと思ったこともあります。


買い物で店員とかかわる、地域の集会にいく、交流会を開く…
色んな形のかかわりを生むための、色んな形の支援があっていいとは思うのです。でも

最近「かかわり」と「ふれあい」が、ごちゃごちゃになってきました。
辞書で調べてみると、ふたつはあきらかに意味が違って


私が今こうやって、自分として生きていることの要素には「人とのかかわり」が大きく関係しているんだとわかり、きちんと、かかわりを生む支援をしなければと思いました。

「ふれあい」の支援も違う要素で、また出番の多い支援ではあると思うし、ふれあいの延長線上に「かかわり」が生まれることもある、とよく聞いて私もそうとも思います。

でも、最近身をもって感じるのは、お膳立てされていると感じる環境や、やらされる、連れていってもらうと感じている環境では
人と人は、ふれあうことはあっても、かかわりは生まれないのではと思います。
できることは自分でやろうと思えたり、自分で決めたり選んだりできる環境、要するに主体的に生きている分だけ、その延長線に必然的に誰かの存在が必要となり、かかわりが生まれる気がしています。

だからどんな状態にある人にも、その状態の中で、できるだけ主体的に生きていく分量を増やしたいと考えています。


投稿者: くたびれの未知 | 2013年11月19日 16:13

くたびれの未知さんへ

ほんと、ステキなコメントをありがとうございます。なんか、とても嬉しくなってきました。ほんと、ありがとうございます。


投稿者: わだゆきお | 2013年11月20日 09:42

NHKをみています。
「介護」にはとても関心があるというより現実の問題でした。
 ありがとう。
 和田さんのことは、大阪民報のkeiさんからの、お知らせで以前より知っていました。
 和田さん。。これからもご活躍くださいネ。
 akio 拝


投稿者: akio | 2013年11月23日 21:53

九州の講演はないんですかね?


投稿者: 笠松 | 2013年11月24日 03:57

akioさんへ

ありがとうございます。大阪民報社ですか。どなただろう。

笠松さんへ

12月4日大分県、6日7日鹿児島県霧島市に行かせていただきます。


投稿者: わだゆきお | 2013年11月24日 10:40

以前の老健で11年入所スタッフとして働いて、今は違う老健の通所スタッフとして約3年働いています、利用者の「生きる姿」と現実、スタッフの価値観、自分の経験と思い、色々葛藤しながら頑張っています!色々工夫、試行錯誤しながら故郷の老健をより良い施設にできるよう力一杯頑張ります!いつか久しぶりに和田さんの話が聞きたいです。


投稿者: 世羅コニ | 2013年11月24日 21:01

世羅コニさんへ

奇遇でしょうか。
僕が関わっている老健で11年働き、退職して別の老健に移って3年になるヤツがいます。
こヤツは、何ができたということではないヤツでしたが、記録より記憶に残っている介護職員で、いつも「どうしてるかな」と気になっているヤツです。
久しぶりにということは僕の話を聞いてくれたことがあるようですね。いつか僕の話を聞きにきてくれたら、「和田さんの知り合いの記録より記憶に残っているヤツと同じ経歴をもった者でコメントした世羅コニです」と名乗ってくださいね。きっとそれでわかりますから。
俺もヤツに無性に会って話をしたくなってきたわ。読んでくれてるやろか。


投稿者: わだゆきお | 2013年11月25日 20:34

覚えていてもらえて、凄く嬉しいです!まさしくお世話になった世羅コニです!仕事の都合上なかなか県北に和田さんの話を聞きに行けないのがもどかしい今日この頃です。約3年通所リハビリで働いていますが私の今までの経験の価値観と今の会社の価値観と、自分達が目指す、利用者にどのような姿になってもらいたいか?どこを大切にしたいか?色々な事で悩んでいます。同僚のミーティングでの発言に言う事とする事の違い「それは言葉遊びでは?」と思う事が多々あり焦るつもりはないのですがなかなか双方の意見が合致せず苦悩する日々です、これも今の会社で働かなければ、ぶつからなかった事かな?と思う半面自分の経験の良い糧では?と色々悩むのも案外好きな自分もいたりします。これからもTVなどで和田さんの話しを聞かせてもらい地元の利用者に少しでも還せるよう頑張ります!!


投稿者: 世羅コニ | 2013年12月05日 21:49

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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