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和田行男の「婆さんとともに」

日常言葉に潜む「響き」

 日常何気なく使う言葉で、交通手段がないとか移動手段がない時に「足がない」と言う。
 以前、市民向けの取り組みで地元の方も交えて舞台に上がらせてもらったときに、ごく普通に「この町は足がないことが課題ですね」と発言したことに対して、参加されていた81歳の方から、感想文で「足がないという言葉の意味をよく考えてほしいと思いました」と指摘を受けた。

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 僕自身、子どものころから「大人たちの差別や偏見の思考と行動」を感じながら生きてきた。
 そのことが今の僕の「婆さん支援」の考え方のベースとなっており、ご指摘に対して感じるものがあったので、調べ切れない中で記事にするのもどうかとは思ったが、ご指摘を受けた以上、自分の中で 「しろくろ」はっきりさせたいので、自分なりではあるが述べてみたいと思う。
 「あし」を感じにすると「足」「脚」「肢」の三つがある。
 ご指摘された方はどのアシを指したのかわからないが、普通に考えて漢字でいえば「足かな」と思う。
 この方は、足が不自由になっているとか足のない方に配慮すべきではないか、「足がない」という言い方は差別用語ではないかということでご指摘されたようだ。
 そういわれてみれば「のうがない」「かたておち」といったように、差別や偏見に満ちた言葉だと言われれば、そうともとれる言葉は他にもあるが、「あしがない」について考えてみたいと思う。
 勘違いしないでほしいのは「弁解」や「言い訳」を述べるのではない。どんな言葉であれ、そのことで不快な想いをされた方がいたことは事実であり、それに弁解するつもりはない。
 ただ、気にしないで使った僕がだらしないのか、世間が気にし過ぎになってやしないかを検証してみたいだけなのだ。
 よく「お足代」と言って結婚式の参列者や来賓などに渡すが、その「お足代」の「足」は車など交通手段を指しており、「お肢代」というように、動物に使う「肢=あし」は使わない。
 そもそも「お足」とは何か調べてわかったことは、「お足」とは、もとは女房詞(にょうぼうことば)だそうで、室町時代初期、宮中に仕える女官たちの間で上品な言葉遣いだとされ使われ始めた隠語表現のことで、その代表的なものに「お」のつく単語があり、腹を「おなか」、強飯(こわめし)を「おこわ」、欠餅(かきもち)を「おかき」と呼ぶなどである。味噌汁のことを「おつけ」と呼ぶのもこの類で、これにさらに二つ「お」をくっつけたのが「おみおつけ」、漢字で書くと御御御付となる」』とあった(おもしろいやろ)。
 もともと「お足」とは「お金のこと」のようで、お金はあたかも足が生えているかのように行ったり来たりすることから、お金を「足」にたとえ、女房詞で「お足」となったそうだ。
 そういうところからひも解いていくと「足がない」というのは、行ったり来たりする手段がないという意味であり、女房詞としての接頭語の「お」は抜けているが、現代人である僕らが使っている「足がない」と「お足代」の「足」は「いったりきたり」という意味において共通をもっているのではないか。
 つまり「あしがない」の「あし」は「人様の足=肢」ではなく「いったりきたりする手立て」のことで、そういう言葉の語源とか意味合いを知らない僕でさえ、「あしがない」の「あし」は「人様の肢」とは思っておらず、切断等で肢がない人のことと同義では使っていないのだ。
 きっと「ない」をくっつけて使う「足がない」と「自身の状態=下肢が不自由:下肢切断といった状態」を重ね合わせて不愉快な思いをもたれたのであろう。
 でも僕としては、もともとこの言葉には「差別性」や「侮蔑性」はなく、日常的に国民生活の中で使われている「足がない=移動の手立てがない」という言葉はご指摘を受けるような言葉ではないと思ってきたし、これでより確信がもてた。
 何でもかんでも差別的・侮辱的言葉として消失させてしまう傾向には反対だし、その意味では学校教育の中でこうしたことをきちんと伝えていくことが必要なのではないだろうか。
 感想文でご指摘を受けたことで、これからも言葉の意味をしっかり考えて人前で話をしたいと思ったし、こうして改めて考察してもし自分が間違っていたら、その時点から素直に修正していきたと思えた。
 これを読んだ方、間違っていたらご指摘ください。その時点で再び考えさせていただきます。

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いろんな取り組みが…
どちらも北海道函館市で見かけたチラシです。
カフェはゲスト参加させていただきました。
RUN伴は「声かからず」「自主参加せず」ですね。
きっと倒れます、元陸上部和田行男。ハハハ

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コメント


御御御付(面白いです)。ちなみにわたしのスマホ変換では御味御付も出てきました。
正しい「言葉」を使うことは大切なことだとわたしも思います。そして正しい「言葉遣い」もあってこそだと。
わたしの事業所には認知症の方のことを「認知があるから」と繰り返すケアマネがいます。
また知的な障害を持つ方に「日本語がしゃべれないから」という上司がいます。
あー…と思うのですが、自分では使わないように返答するしか今は出来ません。
一事が万事、なのか、問題点の捉え方、考え方に相違があってなかなか分かりあえず、奮闘しています。


投稿者: ねむりねこ | 2013年09月30日 17:08

グループホーム職員です。何回か和田さんの講演を、聞いていますが言葉の定義をはっきりさせようというお話が印象的でした。認知症の定義しかり、略語には気を付ける(例えば原発ではなく原子力発電)、など。今回の記事も同じ考え方によりますね。私も普段から気を付けるようにしています。当たり前の言葉にこだわるところから、全てが始まるような気がしています。


投稿者: どたろう | 2013年10月01日 13:32

「表現の自由」にも係わることだと思いました。手を抜かず検証していく姿勢に圧倒されますが、がんばって私も少しは身に付けたいです。


投稿者: 夜勤ヘルパー | 2013年10月02日 04:05

調剤薬局の薬剤師さんは、薬を出すときに、「~さん
は、認知が入っているのですね。」と言います。
また、知り合いの介護ヘルパーさんも、「わたしが受け持っている人には、認知が入っている人はいないわ」といいます

「認知が入る」というのは、いわゆる業界用語なのでしょうか?


投稿者: パートナーは認知症 | 2013年10月03日 15:51

パートナーは認知症さんへ

次はそれを話題にしましょうね。


投稿者: わだゆきお | 2013年10月03日 22:57

次の話題、楽しみにしています(*^_^*)


投稿者: moto | 2013年10月05日 19:50

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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