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和田行男の「婆さんとともに」

「させる」は虐待と心得よう

 利用者・入居者の「生きている姿」が大事だと言う人が増えてきたように思う。
 それそのものはとても良いことだと思うが、「姿」をつくりだすことだけを目的にすると、とんでもないことが起こる。その典型が「させる」だ。

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 わかりやすい姿で言えば「拘縮している状態の人の姿」と「拘縮がない状態の人の姿」では、同じ寝たきり状態にあったとしても、拘縮がない状態にある人の姿のほうが一般的な人の生きている姿に近い。だからこそ、拘縮しないようにするために手だてを講じる。
 閉じ込められている人よりも閉じ込められていない人のほうが、1日中建物の中にいる人よりは建物の外に触れる機会がある人のほうが、というように、「生きている姿」は、僕らが仕事をしていく中では、とても大事な指標である。
 例えば、グループホームおける食事。
 グループホームが誕生するまでは、24時間型入居施設で「食事を自炊する・自炊してもよい仕組み」は基本的にはなく「食事は提供」だった。
 食事ができるまでの過程に入居者がかかわることは無いに等しく、そのことだけでもグループホームは画期的な仕組みであることは間違いない。
 その結果、グループホームの誕生により、それまでの「介護」ではみられなかった入居者の姿があちこちで見られるようになった。

献立を自分たちで考え決める姿
商店やスーパーで日常的に買い物をする姿
食材を選ぶ姿やお金の支払いをする姿
店員や他のお客さんと話す姿。道行く人と挨拶を交わす姿
日常的に、陽に当たり、風を受け、「暑いね・寒いね」「秋だね・春だね」と語り合う姿
包丁を使う姿。火を使う姿。味見をする姿
料理をつくる過程で、ああでもないこうでもないと思案する姿
包丁で手を切ったり、鍋のふちで火傷を負ったり、漬物の漬け方で口げんかしたり、積極的なときもあれば理由をつくってさぼる時もある
自分のために他人のために食器を準備し、盛り付けをし、後かたづけをする姿

 この国では日常的にみられる、人として当たり前の生きる姿であるが、介護施設においてはほぼ見られなかった姿である。
 その姿を取り戻すことを可能にした仕組みがグループホームという支援策で、まさに「リハビリテーション」を可能にした。
 今では、認知症対応型のデイサービスや小規模多機能型居宅介護などで同じような仕組みにしているところもある。まれに特養でも見られる姿になってきている。
 でもよく考えると、こうした日常的なことはグループホームに入居する人にとっては「特別な姿」ではなく、要介護状態になりグループホーム入居者になる前は「普通にあった姿」である。
 それが認知症の原因疾患やその他の理由で、自分の力でその姿を維持できなくなった・取り戻せなくなった人たちがグループホームに入居してくる。
 だから僕は、まずは「自分の力でできるようにする支援者になる」ことを職務ととらえ、どうしてもできなくなった時には代行をすることまで幅広い支援策をもっている専門職を目指してきた。
 もちろん、それを軸にして入居者ができることであったとしても「してあげる」ことを織り交ぜながら、生活の豊かさを感じてもらえるようにしたりもする。
 それを世間では「自立支援」なんて言っているが、その人が・その人たちが「でき続けられるように」「取り戻せるように」する支援策である。
 ところが、ここに大きな落とし穴が潜んでいる。
 それは「結果としての姿だけを目指す」と起こりやすいのだが、どんな手段を使ってでも「調理している姿」を目指すと「調理をしないとご飯は食べられないわよ」とまで言いかねないのだ。こうなると、「支援」とは無縁の恫喝であり虐待であり事件である。
 「○○さん、これをしてください」
 なんて言う指示命令的な言葉のかけ方も、同じ穴のむじなであり「できるように支援する」なんていうものではなく「やらせている」でしかない。
 その人の中にある力の引き出しは「結果を生むためにある」わけではない。調理している入居者の姿をつくることが支援ではなく、そこに至るまでのプロセスが支援であり、その支援の延長線上に結果があるに過ぎないのだ。
 『大逆転の痴呆ケア』を世に出した僕にも大いに罪があることは自覚しているが、僕の言葉で言えば、支援で大事なことは「させることではなくそそること」であり、その人がその気になるように力を働かせることが仕事であって、決して職員の言いなりになる婆さんの姿づくりをしているわけではないのだ。
 はき違えないようにお互いにチェックしながら、婆さんの「生きさせられている姿」ではなく「生きる姿」を目指そう。


コメント


考えさせられますね
『させる』。
「させることではなくそそること」は、まさにその通りですね。入浴拒否の方を誘導する時も本人をその気にさせるためにそそってますからね。それがどの場面でも出来るようにしていきたいです。

明日から自分の行っているケアを注意していきたいと思います。


投稿者: カロリー | 2013年09月03日 21:20

今から6年前、姉が事故死しました。
わたしは、その日から、生きている心地がしません。
今も覚めない夢を、ずっと見ているような感覚です。
大切な物や人を失っても、生きてかなきゃいけないんですよね。

小さい頃、アリの巣に爆竹を突っ込みました。
アリは、何もできず、こっぱみじんです。
その、アリの気持ちが今なら分かります。
目の前で、家族が破壊されていく様を、アリは見ているしかできない。

姉は爆死しました。
母は『戦争なんて知らんけど、自分の子どもが戦死した親の気持ちが分かる』といいます。

和田さんの本を見ました。

死ぬことが、こわいと思いました。
歳を取って、認知症になるのは、本当に嫌だと思ったし、障害にもなりたくないと思いました。生きることが怖くなりました。

これは、わたしにとって、
生きた心地がしているということかもしれません。


和田さんの、飾らない言葉が好きです。

ズバズバという、潔さも好きです。

来世は札幌ではなく、関西人として生まれてきたいです。笑


投稿者: 本見ました。 | 2013年09月05日 23:16

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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