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和田行男の「婆さんとともに」

ひとりde自分たちだけde街歩き

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 1999年、今から14年前、東京都で初のグループホームの施設長を任せてもらった時に、僕が描いた入居者の生きる姿は、入居者だけで町をぶらつく姿だった。
 認知症になって介護施設=専門職にかかわられると、常に監視下におかれ、ひとりで外出することが許されなくなる。
 逆の言い方をすれば、僕らは婆さんを監視下に置いてひとり外出を許さない状況にしてしまうが、それも命をあずかる身としては致し方のないこと。それも理解している。
 でも、そこに留まっていては「リハビリテーションの専門職:生きることを支援する専門職」としてだらしないし情けない。だからこそ「監視からの解放」に挑むのだ。

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 北海道釧路市や福岡県大牟田市で早くから取り組まれてきた「SOSネットワーク」は、自宅や介護施設からひとりで外出して、目的地に辿り着けず元の場所へ戻れず右往左往している人、いわゆる行方不明者の捜索システムとして名が知られている。
 でも、本来の目的を僕的に考えれば、行方がわからなくなった人を捜索するのは二次的なことで、本質的には「ひとりで外出しても目的を達成できるように支援する仕組み」だと理解している。
 街中を歩いている人で何となく様子がおかしい人を見かけたときに「どうされましたか」と市民が声をかけ、その方が行きたいところに行けるように応援するのが本道で、その行きつく先が「探していた人」と「出歩いた人」が会えるようにすることにあるのではないか。
 今所属している法人でも、僕の仲間たち(いわゆる部下)と一緒に、「ひとり外出への応援」に取り組んでいて、何人ものグループホームの入居者が、職員につきまとわれることなく一人で外出する「ごくふつうの姿」を取り戻すことができてきた。
 周りからは「危ない」とか「無謀」とか言われるが、現実的には、自分がアルツハイマー病に罹患していることに気づけないまま「ふつうの生活」を送っている人がたくさんいて、その人たちは街中を出歩き、車の運転もしており、慣れた環境の中で「アルツハイマー病などにより脳に病変が起こっていても日常生活に支障をきたしていない=認知症ではない」というだけのことである。
 そう考えれば、アルツハイマー型認知症だと診断されている人でも、その人の生活環境がその人の状態に適応するものであれば「生活に支障がない=認知症じゃないという状態」を一時的・部分的に「できる可能性がある」ということで、僕は「その道のプロ」を目指してきたし目指しているということだ。
 特養やグループホームに移り住むということは「新しい環境に身を置く」ということで、新しい環境に慣れるように支援していくことが必要になる。その意味では「住み慣れたところ」が好都合なのも当たり前のことである。
 その「慣れ=なじみ」を築くためにやったことは、毎日同じコースで買い物や散歩に出かけ、景色が「見慣れた景色」になるように支援することであり、それを繰り返し続けた先で「天気がいいから散歩にでも出かけては」と投げかけてみることだ。
 そうすると、婆さんたちはお互いの顔を見合わせて「行きましょうか」と誘い合いリビングから席を立って玄関に出てはみるが、「ところでどこに行くのよ」「どうしましょう」と不安げにもなる。
 ところが足のほうは通い慣れた道を歩き始め、いつもの公園に辿り着けるようになるのだ。
 下の写真はそのときのもので、右端の男性はまったく知らない人である。このあと大ハプニングが起きたが、それはまたの機会に紹介したい。

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 もちろん状態によっては「そうはなれない人」もいるが、それも当たり前のことで、画一的に考えるほうが間違っているし、「認知症の診断を受けている人は、みんなそうなれない人」と先走るのも間違いである。

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 上の写真は、三人だけでお出かけした時、近所の洋品店で「ウインドショッピング」している姿だが、どこにでもいる人たちの姿である。
 彼女たちはこのあと「キョロキョロして話し合い」をしたが、先へは進めず後戻りし、グループホームに無事帰宅された。ここまでくるのに支援して2年はかかった。僕は通行人のふりをして写真を撮らせてもらっただけである。
 こうしたこと以外にも、美容院までの地図を書いて手渡し、ひとりだけで行くということもできるようになった人もいたが、その人の能力と僕らと美容院の支援と家族の覚悟と地域住民の理解がガッチリスクラムを組めばこその取り戻しである。
 僕の第二の本拠地名古屋市でも、地域包括支援センターの人たちが「ネットワークづくり」に取り組んでいるが、その中で先駆的に先進的に取り組んできたAさんも僕と同じような思いをもっているようで、「決して行方不明者の捜索のためのネットワークではなく、理想だと言われようが、認知症になっても堂々と街の中をぶらつける、そんな街にしたい」と語っていたと聞いた。
 そういう時代になってきたことは、認知症という状態になった人たちにとっては心強い限りではないか。
 時代を後戻りさせるのではなく、人の姿を取り戻すのが、僕らに課せられた専門性ではないか。

日本は広い! 熊本は花真っ盛り 旭川は雪真っ盛り

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コメント


久しぶりにカキコませて頂きます。

 素晴らしい光景ですね…ごく普通に近所を散歩して買い物をして、公園のベンチでひと休み…
 私達なら当たり前の事が、「婆さん」達には制限され、かく言う「有料老人ホーム」から通院以外一歩も出たことがないという方が大勢います。

 専門職としては、これが「当たり前」でないことに気づかなくてはなりません。時とともに感じなくなっている自分に「警告」を鳴らさなくてはなりません。

 地域包括ケアシステムの名目のもとに自治体が少しずつ腰を上げていますが、まだまだ不十分です。
自分たちの老後にも関わりますから、真剣にやろうよ、と言いたいし、言えるだけの実力をつけたいです。まだまだ勉強不足ですから。

 


投稿者: みき | 2013年03月05日 10:15

祖父が老健に入所しました。
階段室やエレベーターには鍵がかかっていて「うちのじいさんのことだから悪知恵が働いて、面会者にくっついて出ていくかもね!」なんて苦笑していました。
本人も売店くらいあるだろうと「一階に行きたい」とはりきってリハビリして、すぐに立ち座りができるようになりました。

ある日の夜中、自分で車イスに移りトイレに行き、オムツをとって、やっちゃったそうで「それはとても危険だから」とリハビリの先生に注意を受け、ベットと車イスにセンサーを着けてくれたそうです。

センサーが鳴った後、どう支援するかが私達の仕事では肝心だと思うのですが、その後自分でトイレや一階に行こうとする祖父の姿がなくなったところをみると、自分でできるように見守ってくれるような策ではないだろうなぁと想像してしまいます。心なしか表情からも、以前の祖父が失われていくようにみえます。

なんのためのリハビリだろう?と一番疑問に感じて落胆したのは祖父だろうけど、施設や職員さんに疑問を投げかけることを断念した私も、気持ちが凍るくらい罪悪感に陥っています。

福祉施設=収容施設と思っていた祖父は、入所を拒み、ご近所や在宅支援の関係者や、家族の支えでなんとかぎりぎりのところで、一人暮らしを維持してこれていました。またこの仕事をしている私に祖父は色んなメッセージを伝えてくれていました。
デイサービスにいた時間に大震災に合ったあとは「毎回みんなで避難訓練をしようって職員に提案したんだ」と。屋上まで登れば足腰鍛えられるし、津波がきても助かる。ゲームや体操してるよりよっぽど現実的だって。

「自販機に◯◯の紅茶をおいてくれって事務の人に交渉した」とも。
現実には、自販機で選ぶこともなく、おやつの時間になるとコップに注がれた飲み物が目の前にでてきていたわけで。
どちらも言いたかった、という話だったようです。

家族の疲れが取れたら、祖父をなるべく外に連れだそうと考えてます。祖父に仲間ができるように、面会にいったら回りの入居者さんにも話かけてみる!と家族は言っていました。はじめは無表情だった人が、何回か話かけたら笑って「表情あるんだ!」ってびっくり感動したって言ってました。


投稿者: ばーばら | 2013年03月10日 10:17

 写真は旭川のどの辺でしょうか?

 私は旭川近郊に住んでいますが、ここ数日の大雪でもっと雪国っぽくなってしまいました。毎日2~4回は雪かきしています。

 春は何処…?


投稿者: みき | 2013年03月12日 11:38

みきさんへ

正確には旭川の隣町、比布です。


投稿者: わだゆきお | 2013年03月18日 18:13

 そういえば、数週間前の新聞に比布町で講演があったと書いてありました。
 雪深い中、お疲れ様でした…


投稿者: みき | 2013年03月30日 18:08

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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