ページの先頭です。

ホーム >> 福祉専門職サポーターズ >> プロフェッショナルブログ
和田行男の「婆さんとともに」

交流から交事へ

 2011年に結成した、災害時に応援し合う「災害支援法人ネットワーク・通称おせっかいネット」には、北海道から九州まで15法人が参加している。
 ただネットワークをつくっても、人のつながりがなければ絵に描いた餅になるし、気持ちの通わない形式的なものになりかねない。そこで年に2回顔を突き合わせ、学びや遊びといった「事」を共有している。結成してからそれを4回積み上げてきた。
 先日も愛媛県松山市で学習交流会を開催したが、その結果、随分と人と人の関係が深まったように感じた。事に交われば必然的に深まっていくことものである。

wada2013020401.gif
ホンダのカセットボンベ方式発電機を2台購入し取扱の説明を受けている、おせっかいネットの仲間たち

続きを読む

 共同生活も同じではないだろうか。
 特養にしてもグループホームにしても、他人同士が一緒に過ごす場所では、必ず人と人が交流する。
 でも単に交流=行き来しているだけでは、人と人の関係は「できたとしても深まりはしない」だろう。
 夫婦生活でも同じで、家を拠点にして、夫婦がそれぞれ家から出て家に戻るという交流をしているだけでは、夫婦という関係における人と人の関係は深まらない。
 ところが、人と人が交流する介護施設において「事」を入居者同士が一緒に交わって行うということがどれだけあるだろうか。
 グループホームができるまで、生きていくために欠かすことができないことで誰にとってもわかりやすい家のこと=家事(あえて「いえごと」とよんでくれるとありがたい)を、そこで暮らす人たちが共にすることは、ほとんどなかった。
 それでは人と人の関係は「あったとしても深まることはない」だろう。
 その点グループホームという仕組みは「家事」を共にすることが容易な仕組みになっている。これはそれまでの介護施設の常識を覆す仕組みだ。
 この仕組みでは、献立を決めること、買物に行くこと、調理をすること、掃除をすること、洗濯をすることなど、家事のほとんどを入居者主体で行えるように応援することが可能だ。
 それだけに、人と人の関係を深めることが他の介護施設に比べてたやすく、仲良しこよしからケンカまで起こりやすい。それだけ他人を感じて生きていけている証ともいえ、自己を表出できるということだ。
 人と人の関係を深めるために「事」はとても大事で、その「事づくり」は、僕らのような共同生活支援者にとって大切な仕事だ。
 ところがどうも、グループホームでさえ「事づくり」までいかず、人が交流すれば良い程度のところで完了させてしまっているところが気になる。つまり、一応交わっているという「交流風景の形造り」で留まっているということだ。
 グループホームで仕事をしているときに、町内会主催の町内清掃活動があり、入居者に説明して「行くよ」と言ってくれた人たちと一緒に参加させてもらったが、町内の人たちと一緒に「事を交えた」ことで関係はぐーんと深まった。町内会に加わっていれば関係があるということではないのだ。
 流れに交わるだけではなく事を交えることが大切で、その事が年に何回しかないような特別なことよりも、毎日流れるようにある生きていくために欠かせない日常的なことのほうが、より関係は深まりやすいのではないだろうか。特に認知症という状態にある婆さんにとっては尚のことである。
 共同生活の場で仕事する専門職として、共同生活への支援「共同生活介護」は不可欠で、非常に専門性の高いことだと僕は考えているが、それを意識している専門職がどれだけいるか、それを実践している専門職がどれだけいるか。
 それに挑んでいる専門職がいるかいないかで婆さんの生きる姿が大きく違ってくることを、この先も語っていきたい。


コメント


「共同生活介護」当たり前の普通の生活、自分でできることは出来る限り自分で(勿論見守り・支援の元)がグループホームと思っていました。この地域に30近いグループホームありますがそんなことしているホームは数か所。訪問の度に落ち込んでしまいます。それでもちゃんと認可がもらえる。どう思われます?
有料の届け出を迫られ届出を出しました(2年前)≪住んでる人が一人でも届出をしなければならず≫無届事業所は悪徳事業のように思われているように感じるのは私だけでしょうか?
今4人の内一人だけ夜、自分のたべたいラーメンやおかずを作っていますが、日常的に個別の日常生活をしてももらうのが難しいです。和田さんのいうような支援がしたくて頑張ってきましたが・・・。


投稿者: kagayakiフクダ | 2013年02月05日 14:40

「甘いものが食べたいから(商店街に)買い物に行きたい。」と言う入居者さんに「家族に買ってきてもらって下さい。」と答えたスタッフがいました。

「サービス提供票に外出や買い物と明記してないからダメ。ケガしたら責任とれる?それにいつも言うから相手にしてたら、キリがないよ。」…いつもって何だろう?

私はケアプラン、介護計画書を読み直しました。気分転換を図るためデイサービスを利用する…確かに買い物に関して何も書いてない…でも何か違う。


投稿者: わたる | 2013年02月07日 23:41

お盆にのった食事が目の前に運ばれてくるところでは「何が食べたい」とか考える必要も、伝える必要も、あの人はどうだろうって巡らす必要も、折り合いをつける必要も、ぶつかって喧嘩になる必要も、生じないですもんね。

私はグループホームに勤めていて、特養の人や実習生によく「御飯つくったり、バスや電車ででかけたり大変だね。スゴイね」って言われるけど
それができない仕組みの中で生活支援することのほうが、よっぽど大変でスゴイと思う。

そんな不利な状況の中でも、熱を失わずにやってる人も、きっといるんだろうなぁ。。。


投稿者: ばーばら | 2013年02月09日 04:48

人と生きている証しの喧嘩も、中身というか質が変わったと感じた時は、とても気にかけるようにしています。支援する側の、ちょっとした目線の変化や偏りが、映し出されてるようにも感じるので。
この人達だいじょぶかぁ?って関係性の支援策を考える前に、自分達だいじょぶかぁ?ってなるべく振り返るようにしたいです


投稿者: 桃まんじゅう | 2013年02月09日 05:15

いえごとを日常的に支援しているスタッフ。
昨日
旦那さんの食事を心配し職員からお金を借り
一人で近所のコンビニへ向かった93才の利用者
こっそり後ろから見守る職員は
ウキウキ・ヒヤヒヤしながらの黒子役です。
日ごろから利用しているので店員さんも心得ていて
品定めにおつきあいしてくれて(感謝)
調理する気満々で、生のブタ肉パックをゲットして
二人分の温かいコロッケ片手に帰ってきました。
自発的な生活を支えることにやりがいを感じてくれるスタッフ
その姿にこちらも力を貰え、嬉しく思いました。
ありがとう。感謝です。


心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしています。
長崎のGHでまたしても防火管理体制の不備で4名の尊い命が奪われてしまいました。
スプリンクラーは設置されていても、
夜間は職員一人です。怖い。

目の前のばあさんたちの命を守るために
勤める職員のために
今やるべき事、今できることはなんでしょうか
行政はもちろん、近隣の方々や駐在さん・消防団・・・・
周りの協力なしでは安心して生活できませんし勤めることも難しいです。


投稿者: なんくる | 2013年02月09日 12:16

わたるさま
私も思うのです。
提供表にないからこれはだめ、あれはダメ、こーしてこーなったら責任とれる??

そんなことばかりです。

今この方の望みを少しでも手伝える、縛らないようなそんな風にしていきたいです。
私は一ホームヘルパーですが、たった3か月努めてきた中でも何回もそんな風に言われました。「提供表にないから・・・」
ケアマネさんが考えてくれた提供表にケチつけるわけじゃなく私は介保にケチつけます。
賢い人なら、この限られた中でどこまでできるかを考えていくんだろうけど、残念ながら私はバカです。

だから介保自体そのものにケチつけます。
もっと自由にやらせろーーー。


投稿者: 細野 | 2013年02月10日 03:11

スーパーで買い物をしていて品物がみつからないと「だめだこいつ(職員)じゃ!こりゃ聞いたほうが速い」と、さっさと店員さんに聞いて、品物を獲得してくる入居者がいました。

入居者が社会の中で生きていくことを応援したいなぁと思い始めています。

外に出ればいい、職員は多いほうがいい、法人内や同業者に協力者が多いほうがいい…と思ってきたけど

必ずしもそういうことだけではないんだろうなぁとも最近は思う。

単体でやってるグループホームの人が、経営のことやら人手や協力機関のこと、防災のことなどいろいろ厳しい!と悲鳴をあげていたけど、自分達だけではどうにもならないから、必然的に社会(お隣り)の中に入っていく話を聞いて

厳しい条件の中だからこそ、自分達の能力をあげる必要がでてきたり、厳しい条件だからこそ、世の中に埋もれてる資源を引き出すことができるんじゃないかなぁ、と感じました。

今の恵まれた環境に感謝しつつ、ある意味(能力や資源を引き出す必要性が少ないって意味)では厳しい環境だということも自覚して、いどみたいなぁと思います。


投稿者: k | 2013年02月10日 15:11

細野さんへ

わたしも訪問介護に携わったことがあり、コメントよんでいろいろ懐かしく蘇ってきました!

なりたての頃は私は細野さんのように、考えることもせず、計画書にないことを頼まれては、どう断るかに頭を使って悩む毎日でした。

「息子の・食事をつくって」と言われ、(お願い今の前半は言わないで〜)、と思うんだけどあの手この手を使って結局動かされるのは私のほうで、プロとしては相手のほうが上だなって落ち込んだり。

そのうちに、おかしいのは後半(食事をつくって)のほうではと思い始めたり…
息子のためにって目的があるならなんとか、少しでも自分で作ることに関われるかもしれないかとか考えてました。

調理や掃除が少しでも自分でできるようになったり、ヘルパーがいない時でもできることがでてくると、それはほんとに嬉しくてしょうがなかったです。

介護保険法の理念と制度(言ってることとやってること)が矛盾してるなって思うことはあります。きっと制度は、関わってる私達がつくってきたものでもあり、私達はこれからの制度をつくっていく人、でもあるんじゃないかなぁと思いました。
コメント読んでいろいろ思い出し、考えさせられました。ありがとうございました。


投稿者: すみこ | 2013年02月10日 16:17

ケアプランにないことは支援出来ない、という話題について。
ケアプランに縛られる、なんてことがあるのですか。やらない言い訳に使っているのか?何が問題なんでしょうね…
プランに組み込まれていないと支援が出来ないのなら、組み込まれていることしかやらないのが我々の仕事ということですか。ありえないですよね。その人の生活全てを紙に書けるんでしょうかね。
そういう環境に身をおいていると、嫌でも染まってしまうと思います。飲み込まれて、正常な判断力が鈍ってしまうと思うのです。
1+1=3にも4にもなるように、1+1=マイナスになることもあると思います。普段の1の力も出せなくなってしまうようになるんですね。
だから、出来るだけ、自分を見失わないこと、何とかしようと思い過ぎないこと。目の前の自分にやれることをまずやる。いつも最高の仕事をすること。かなと今は思っています。
そういうあなたをちゃんと見て評価してくれる人がいるはずです。
真実は強いです。あえて戦わなくても。だから敵ができちゃうんだと思います。恐れられるみたいですね。自分を信じて、潰れないでいてください。潰れると立ち直って舞台に戻るだけでも大変です(経験中)。
必要以上に嫌われることはないと思います、自分のために。状況は今のままで続くことは有り得ませんから少しの辛抱…と、おおらかな気持ちでいられたら、わたしも悩みすぎなかったなと思いまして、投稿させていただきました。


投稿者: Anonymous | 2013年02月10日 17:39

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

コメントを投稿する




ページトップへ
プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

【ブログ発!書籍のご案内】
new!
和田行男さんのブログ発第2弾『認知症開花支援』が刊行されました。前作『認知症になる僕たちへ』から2年半――。パワーアップした和田行男のメッセージにご期待ください。
定価:¥1,680円(税込)、10月20刊行
→電子ブックで内容見本をご覧いただくことができます
→ご注文はe-booksから
wadaprof3.jpg

和田行男さんのブログ「婆さんとともに」をまとめた書籍が刊行されました。
タイトル:『認知症になる僕たちへ』
著者:和田行男
定価:¥1,470(税込)
発行:中央法規
→ご注文はe-booksから
wadaprof2.jpg

メニュー
バックナンバー
その他のブログ

文字の拡大