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和田行男の「婆さんとともに」

ささやか

 誰にでも「ささやかな娯しみ」というのがあるだろう。僕にとってのささやかな娯しみは…。

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 ささやか…言葉の響きからして控えめな感じを受けるが、その意味は「形式や規模があまりおおげさではなく、控えめなさま」と辞書にあった。つまり、控えめなたのしみということか。
 つい最近知り合った施設の幹部職員は、カシオの時計「G-SHOCK」を集めているそうで、ささやかな娯しみだと言っていたが、「おおげさではない」というのは個人の感覚で、お金がそれなりにかかっていたとしても、手間隙がかかっていたとしても、その人にとって「ささやか」であればささやかということであり、「ささやか」には絶対的な数量や金銭の価値という基準はなく、謙遜する気持ちも含めて「自分の表れの言葉」のようだ。
 さて理屈っぽい話はさておいて僕の「ささやかな娯しみ」について話題を移すと、僕の娯しみは、あちこちの町に出かけた時に街中をぶらついておもちゃ屋に入り、自分の時代に合った「プラレール」を買うことだ。
 僕のポリシーは「僕の時代に合った」であり、何でもかんでも集めるわけでもなく、プレミアムな物を集めるわけでもなく、僕にとって身近な鉄道車両にしか興味がない。
 プラレールとは、タカラトミーというメーカーが1959年、キューバ革命・フジテレビ放送開始の年に、当時は金属製の玩具全盛時にあって、軽くて安全な玩具「プラスチック汽車・レールセット」として世に出した。僕が4歳の時のことだ。
 読んで字のごとくプラスチックのレールの上を走らせる鉄道玩具で、男女問わず子どもの頃に誰もが一度は手にするオモチャである。
 昔からはまっていたのではなく、つい最近思い出したように買い集めだした。
 というのも、お決まりのようにうちのちびっこにプラレールを多量にくれた人がいて、それで遊んでいたのだが、ちびっこをほったらかして自分が夢中になっていることにふと気づいた。
 もともと鉄道大好き人間で国鉄マンにまでなった僕であるから、決して不似合いな話ではないが、万単位のお金をつぎ込んで鉄道模型を集めていた頃の僕にとって、プラレールは子どもの玩具で、娯しみの対象外・眼中になかったのにである。
 まあ、お金を使い果たした今の僕にとって高価な鉄道模型には戻れないことを思えば、せめてものささやかな娯しみということになる。
 しかし、ささやかなと思っていても、その世界にはまると、これがなんともおおげさになる。たったひとつから始まった「ささやか」ではあるが、今ではインターネットでネットオークションを使って探しまくり、プレミア価格(定価より高い)でも買おうとする自分がいたりする。
 またぶらっとおもちゃ屋に入ってではなく、おもちゃ屋を必死で探し回って買い集めようとしているのだから、たかが子どもの玩具におおげさな話なのである。
 人からはいつも「子どもさんへのお土産ですか?」って聞かれるが、そこは「はい」と誤魔化さず、きりっとした態度で「僕の娯しみです!」と答えてしまうなんぞ、決してささやかではなくおおげさなのだ。
 つまり自分にとっての「ささやかな娯しみ」はまた「おおげさ」でもあり、他人には計り知れないほど価値のあることでもあるのだ。
 つい自分の価値基準で他人の大切なことやものを「ささやか」にしてしまうことがあるが、他人にはささやかに見えても・思えても、自分でささやかだと言っていたとしても、その人が「ささやか」と表わすことにこそ大きな価値を感じているものであり、東日本大震災後に「ささやか」という言葉を聞くことがあるが、「ささやか」のもつ意味は深くて大きいのだ。
 婆さん支援でも同じで、「自分のことが自分でできる」なんていうささやかに思えることほど、その意味はでかいということに気づくけば、この業界は大転換するだろう。
 誰もにある「ささやかな娯しみ」や「ささやかなこと」「ささやかなもの」が、実は大きな意味をもっている大げさなことだと気づけたとき、婆さん支援策が変わり、婆さんの生きる姿が変わるということだ。
 ちなみに大げさとは「物事を実質以上に誇張するさま。また、誇張されたさま」とあるが、僕がこの文中で使った「おおげさ」は「誇張したさま」ではなく「おおきなこと」くらいの意味だから、言葉を間違えているかもしれない(ごめんなさい)。
 自分の周りにある平素は全く気づけない「ささやか」の大切さに気づくと、それまでの人生観がひっくり返るほどの価値転換が起こる。
 決して「ささやか」を侮ってはいけないのだ。


コメント


 行政官として実地指導にあたっているが、この部署にきてそれほど時間はたっていないなかでも、先輩たちの言うことに、???をもつことがあります。
 事業者は介護保険法に基づいて運営に当たっているのに「これはこうしなくてはダメです。」と自分の解釈で言うことが多々あり、自分が上役に「法にはこう書いてあるのだから、保険者として事業者に要望したいのなら、お願いするべきではないか」と直訴することもあります。
 自分たちには異動がつきものだけに、昨年と今年では違うことを事業者に言うこともあるようで、それを知るたびに、同じ狢として事業者に申し訳ない気持ちになり、思わずため息がでる毎日です。
 先日たまたま和田さんの先週のブログを拝見して、思わずコメントしてみました。
 自分も頑張りますので、行政官が間違っていたらぜひ言ってください。ただし事業者も間違っていたら正してください。わざと間違わないようにしてください。
 お互いに力を尽くしてよりよい介護保険事業に育てていきたいと思います。
 +


投稿者: tokoro | 2011年08月29日 16:49

話のタネにもならないような、小さな小さなことがらに気を留める癖…があります。

時と場合と人によっては、とてつもなく大きなことであるかもしれないし、そう感じたことを元にした、ささやかな行動が私の仕事の大半を占めている気がします。

なんでもない小さなこと(に思える大きなこと)がちゃんと話のタネになり、ネタの宝庫になれるくらいになったら、この職業ももっと面白くなるだろうなあと思います。


投稿者: すみこ | 2011年08月30日 03:12

いつも楽しみに見ています。
通所介護で管理者をしていますが、スタッフを守る姿勢として、どのようなことに注意を払うべきでしょうか?
現在試みていることは、スタッフに助けられていることを自覚し、どんなことも自分が逃げない・自分の判断を見直すことをしています。
ぶしつけな質問でしょうが、答えていただけると幸いです。


投稿者: nonta | 2011年08月30日 21:54

nontaさんへ

 コメントに質問をいただきましてありがとうございます。
 いいタイミングなので、次週のブログで思うことを書いてみますね。お待ちください。


投稿者: わだゆきお | 2011年09月02日 14:59

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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