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和田行男の「婆さんとともに」

何をかいわんや

 ここのところ、耳の悪い僕にも聞こえてくることに「多床室の復活」がある。また、グループホームや新型特養は必要ないのではないかといった声さえ聞こえてくるが、何をかいわんやである。

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 僕がこの仕事に就いたばかりの23年前からを思い起こすと、婆さんを取り巻く環境は激変してきたと言っても過言ではない。
 何が激変したかというと「認知症になれば人に非ず」の扱いをしていたことから「認知症になっても国民の一員であることに変わりはない」という当たり前のことに気づき、そのためにはどうあるべきかの具体的手立てが講じられてきたことにある。
 そのひとつに住環境がある。
 国民生活を眺めてみると、国民の大多数は身も知らぬ他人様と一緒に暮らさせられてはいないし、暮らしの拠点は「個立て住居」である。
 この23年、いまだに自分の意思とは無関係に、見知らぬ他人様と一緒に暮らさせられる状況は変わっていないが、移された先の居住環境は大多数の国民生活に近づけようとする努力がされてきた。
 100人・50人もの見知らぬ人が共同生活する雑居な生活。人々が往来する廊下(国民生活で言えば道路)に面した居室(国民生活で言えば住居)には扉もなく、その居室はこれまた身知らぬ人の四人住まい、当初はその四人部屋に仕切りさえもなかった。
 これでは福祉の力を借りるようになったばかりに「国民が生きる姿」から遠ざけられるばかりで、憲法に基づいて統治されている国家とは名ばかりの悲惨な住環境に国が追いやることになる。
 この23年「それはおかしい」ということに気づいた人々によって、「せめてもの政策」が打ち出されてきた。
 せめて四人部屋であってもカーテンで仕切るなどプライバシーの確保をしよう。カーテンほどでは憲法のコンプライアンス(基本的人権など)にはほど遠いので、せめて個室にしよう。100人・50人の規模では雑居感は否めず、せめて10人以下の規模にして「雑居感」を排しよう。
 現場の先駆者の中には、廊下側からではなく表から直接居室に入れるようにして「実質個立て住居」にした施設をつくってしまうなど、施策も実践も、自宅から24時間型入居施設に移ることになっても、できる限り国民生活(生きる姿)から遠ざけないようにしていこうという流れになっていたはずである。
 僕が子どもの頃に住んでいた共同アパートは、玄関はひとつ、長い廊下の左右にミニキッチン付6畳ひと間の居室が連なっていた。炊事場は共同、トイレも共同、風呂はない。
 今の新型特養やグループホームとほとんど同じ住環境であったが、もう今の時代にそんな住環境に住みたいと考える人は多数ではなく、マンションか戸建てかの形はともかく「個立て住居」で住まうことが基本になっている。
 いろいろ議論はあってもそれが社会の発展であり、多床室論議をしている連中も「雑居生活」をしているのではなく「個立て住居」を望んで住んでいるはずだ。
 だから施策として、24時間型入居施設に移ってもらうしか手の打ちようがない現状だが、せめて「個立て住居」を保障することでコンプライアンスに応えようとしてきたのではないだろうか。
 平成18年の介護保険制度改正時に「尊厳の保持」を明記したことに象徴されるように、国民としての権利擁護など「憲法下で生活を営む国民生活の継続・連続性」を意識したさまざまな「変革誘導」の流れのひとつとして「個室化」「グループホーム」「新型特養」の施策もあったはず。
 その流れを逆行させるというのなら、それ相当の覚悟をもってやってもらいたいものだし、仮に国がその施策推進を逆行させて、再び多床室を施策として進めるというのであれば、「法令遵守」の看板をまずは下ろしていただきたい。
 多床室復権、多人数雑居生活復権への言い分としてもっともらしいことを並べているのだろうが、何を並べても、要介護状態になった人が住まう24時間型入居施設の環境が「国民が生きる姿」と乖離する策は、わが国がまだまだ未成熟であることの証でしかない。
 また気になるのは「認知症があっても人として」に一生懸命取り組んでいる人たちの中にも、「ひとりよりも二人のほうが落ち着かれる人がいる」とか「お金が払えない人たちがいるのだから」と、多床室を容認する人がいるが、それは枝葉の話であって、「憲法を遵守する」という大前提の軸足をぶらしてはならないと言っておきたい。それが「人として」の思考の土台なのだから。
 たまたま耳垢をほじくったら耳がよく聞こえるようになり、あんなこんな話が聞こえてきたが、空耳であることを願っているし、もしそうだとしたら、僕は多床室化には断固反対であると表明しておきたい。
 仮にさまざまに検討を加えた結果、どうにもこうにも多床室化せざるを得ないとしたら国民に対して問いかけてから実行してもらいたいし、国民も多床室化を願ったとしたら、介護保険法に明記した「尊厳の保持」を謳うほど行政マン・政治家も含めた国民意識は高くないということであり、その文言を法文から引き剥がしてもらいたい。
 現場の人たちは、ここ数年強調されだした「法と法の精神を遵守する」「尊厳の保持」という当たり前の流れを真摯に受け止めて、制度上人手不足の課題があるにせよ創意工夫を凝らして、施錠して閉じ込めないようにしよう、抑制しないようにようにしよう、心身ともにくたくたであっても不適切な言動を発しないように律しよう、本人の意思を暮らしに生かせるようにしようなど、国民生活から遠ざけないために渾身の努力をし、結果も出してきている。だからこそ婆さんの生きる姿は確実に国民の生きる姿に近づいてきているのだ。
 こうした取り組みは、現場の人たちが意識しようがしようまいが、結果としては憲法第11条に謳う「国民の不断の努力」の追求であり、国の役人は現場にだけ求めるのではなく、憲法25条に沿って「向上及び増進」に努めるべきで、ここまで先輩たちが追求し引き上げてきたことを後退させてはならない。

第11条 自由・権利の保持義務
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
第25条 生存権、国の生存権保障義務
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


コメント


 このことに触れていただいてよかったです。
 介護の仕事はしておりませんが、介護の施設もお取引先のひとつとしている仕事に就いております。

 この報道がなされたとき、”まさか”と思いました。
 医療、介護関係者から出た言葉のように報道されていたところもありましたので、そんな認識なんだと愕然といたしました。

 たしかに、高齢者の方で複数の人と過ごしたいという方もいらっしゃるでしょう。
 大切なのはその人、その人の人生の選択にあわせて、選択肢を増やすことだと思います。
 その方の人生としての選択をきちんとできる環境を整備することと感じます。

 誰がどこで話をゆがめているのだろう・・・
 そんな思いがした報道でした。


投稿者: ちゅん | 2010年09月13日 13:20

 私も多床室化に逆戻りするのを耳にしました。
 私はGHで働いていますが、10年近く入居されている方は、認知症も進行してきましたし、他の病気を発症されたり、ADLは介助を要する部分が増えてきました。自分で出来る部分を大切にしながらも、大切にするからこそ、以前よりも見守りを要する時間が増えてきています。GHの3対1の比率では、全くもって時間が足りません。入居者本人もスタッフも妥協して折り合いつけて何とかなっている状態です。
 人材不足や介護報酬が少ないことも分かりますが、せっかくここまで前進してきたのを、逆戻りすることは、絶対に反対です。
 認知症になったって、ちゃんと受け止める日本でありたい。そんな未来のために頑張りたいです!
 認知症だけではなく、寝かせきり老人や座らせきり老人をも、また作り出していくのかと不安です。


投稿者: みいこ | 2010年09月13日 19:55

 研修に参加しました。他職種の人が書いた本。そう思っていたけど、お話を聴き、声聞き、顔見て、壁が外れて‘お仲間”の気を感じたから、ライブ感(!?)ってやっぱりすごいなと思いました。
 方法論が先行しがちだけど、基礎・しくみが大切で、なぜこの方法を選んだか、考え方を伝えていかなくては・・というお話もあった。たしかに。そうでなければ、わざわざ研修に足運ぶ必要もないし、行っったからって専門職になれるわけではないんだと思いました。まじめに聞けば聴くほど、疑問もでる、それも実感しました。

 分かり易い例え話で納得できたら、さらに言葉を戻して(テキストとか法律で使われる言葉)頭に収納する作業を最近時々しています。
 (えっと、ごめんなさい→)例えば「う○こ」の話なんかで例えてもらって、とてもよく理解しても後になって「あの、う○この話は何の話だったっけ」ってことが、実際あったから。理解して、忘れないための私の工夫です。

 隣の席に座った人が、べらべらとしゃべりかけてくれました。研修には99%の方が自主的に参加されたそうです。一人でもほんとのお仲間をつくりたいなと思って、私もべらべら返してしまいました。(関西弁に気を許せたのかもしれないですが!)

 どんな結果も人のせいばかりにしては、いけないんだと思う。たとえ法律に関わるようなことでも。
そろそろ「知恵」つけなきゃいけない時ですかね。


投稿者: 夜勤ヘルパー | 2010年09月14日 08:30

 ある通所サービスがラジオで紹介されていた。
 決まったプログラムはありません。リハビリは生活の中から。利用者は自分のやりたいことをして過ごします。生活にはお金が必要です。だからここではコーヒー1杯飲むにもお金を払って手にいれます。お金が無くなれば稼がなくてはいけません。だからゲームをして勝ったら手に入る仕組みになっています。「それはトラブルになりませんか?」「施設の中専用の通貨ですから大丈夫ですその辺は」・・・おままごとですかそれ?

 「グループホームって自由なところが良いですね」って言っていたはずのスタッフが有料老人ホームに移った。今度はなにが良かったの?自由ってGパンはけることですか?大事なこと伝えてあげられなくてごめんなさい。

 グループホームが爆発的に増えたのに、在宅ではとてもいい仕組みと思う小規模多機能がそれに比べて増えないのはなぜ?

 特養のショートステイを利用中のおばあちゃん。嫌がるばあちゃんをみんなで風呂に入れました。人としての扱いが受けられなかったからなのか、施設側が断ったからか、そんな大事なことも知ろうとしないままばあちゃんは、別の有料型施設に移った。
 数日後、山中で発見されたことを後で聞かされた。私達その時から何かが変わったと思う。ずいぶん時間が経った。今では外出にも付き添ってくれるんですって。オプションとして。
 ばあちゃんになんて言えばいいのかな。ふつうを探せば探すほどこの職から遠ざかっていきそう。私も行ったりきたりです。


投稿者: k | 2010年09月17日 03:04

 今、来年開設の特養ホームの準備をしています。ケアのことは少し分かっていたつもりですが、建築、電気、機械、厨房機器や介護用品を含む様々な備品関係等など、高齢者が集団で生活するって色々なことがあるんだなぁと改めて実感する今日この頃。
 中学校を改修するので、従来型個室と多床室がほぼ40床ずつ。多床室もカーテンではなく、天井手前が少し空いたほぼ壁と言ってもいい造りで、個室と言えば個室。
 この仕事始めて約20年、ここまで来たかという感じ、もちろんトイレもカーテンではありません。「寝てしまえば一緒だよ」と言われれば、「そうかも」と思った時期もあったり、若いときは空いたベッドに泊まったりもしましたが、カーテンのトイレは使えなかった。
 一人の時間、仲間との時間、家族との時間、大勢での時間、自分の時間をどこでどう使うか、自分で決めたいと思うのです。そのためにも、やはり心おきなく一人の時間を一人で使える場所が必要だと思います。


投稿者: ICHI | 2010年09月17日 09:34

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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