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和田行男の「婆さんとともに」

捜索模擬訓練ご一行

 「少々遅すぎた。ずっと前に認知症の方が行方不明になり捜索したことがあったが、その時にやるべきだった。反省している」
 北海道にあるその町の首長は「SOSネットワークシンポジウム」と題されたこの取り組みの冒頭に300人の参加者を前にそう語った。

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 その町の「グループホーム連絡会」の呼びかけに応えて保健所など行政機関が動き、首長も賛同して、この取り組みは実現したようだ。
 取り組みは1日で、午前中に(1)行方不明になり亡くなるという最悪の結果となったある町の事例報告、(2)認知症サポーター養成講座、(3)北海道で活動するグループホームの事業者団体代表からの報告。午後は「模擬訓練」で構成されていた。僕はサポーター養成講座を担当。
 その町の人口は2万9000人。高齢化率は26%。年々0.8%増加しているそうだ。2万9000人の町で300人が集まったのだから、東京に置き換えれば12万人が参加しているのと同じ規模であるから驚きだ。
 警察署生活安全課の課長が「こんなにたくさんの人が集まったこと、首長自らが率先して取り組みに参加していることに驚いた」と感想を語っていたが、首長からも「大切な一歩を今日踏み出すことができた」と語られた。
 この町にとって、町史に残すべく画期的なことと位置づけて取り組まれてきたことがひしひしと伝わってくる。
 そんな町民の思いに応えるかのように、雨降りだった天気も模擬訓練を実施する頃には、捜索する側も行方不明者も汗だくになるほどの晴天に好転。
 首長自らが行方不明者役となり、もうひとり女性の行方不明役と計二人が、ある決められた地域内を歩き回るという想定で捜索模擬訓練は行われた。
 行方不明者である二人に捜索者が出会うと、二人に付いて歩いているスタッフが役場に連絡を入れる。連絡を受けた役場からメイン会場に連絡が入り、会場に映し出された大きな地図を使って「いま、ここで捜索者に出会いました」ということが地図上で報告される仕組みになっていた。こうすれば、捜索に出られない参加者も実情がつかめる。行方不明者を見つけて声をかけた訓練参加者には「お声掛けありがとうございました」という名刺大のカードが渡される。
 模擬訓練のスタートは、行方不明になった人の家族=妻が警察署に届け出るところから始まる。警察官は本物の婦人警官だ。
 夫が行方不明になって警察署に届け出る妻。おどおどしながら婦人警官の淡々とした質問に答える場面が舞台上で繰り広げられるのだが、妻役はちょっぴりコミカルな人で、ときどき会場の笑いを誘うから、退屈せずに楽しく想定場面を見聞できた。長丁場の企画では大事なことである。
 行方不明者の特徴は、一人は男性で、ガッチリとした体型、オールバックの髪型、いつも仕事に行くといっては麦わら帽子をかぶり泥の付いた長靴を履いて出かける。足腰はしっかりしており体力もある。会話はちぐはぐで、他人に聞かれても名前などは言わないようだ。元は役場に勤めており、今でも本人にとっては現役役人である。
 妻は警察官の質問に、身長、体重、今日の服装まできちんと答えられていたが、ここまで嫁はんや旦那のこと、親父やおふくろのことを答えられるかは、実際には疑問。案外身近にいるだけに関心がない=知らないものだ。
 警察官からも「家族は思い込みで情報を出しがちだ」とアドバイスしていたが、警察官から夫のこと妻のことを聞かれたら、知らなくても「知らない」とは答えにくいもので、いい加減にでも答えてしまいがち。
 でもそれが後々やっかいなことになることを伝え、知らないこと・わからないことは「知らない・わかりません」と答えることの大切さを伝えるのも、僕ら専門職の役割である。
 もう一人は女性で、もんぺ姿で頭に大きなリボンをつけ、赤ん坊のお人形さんを持ち歩いている。役を担った人は、やや照れながら自分の町を歩いていたのが印象的であった。

 さてさて、この二人に何人の人が出会えるか。
 捜索に出た人は、老若男女織り交ぜて約200人。
 町には社会福祉協議会などから巡回車が出され、模擬訓練を実施していることを市民に案内して回っていた。同時に捜索中に体調不良者が出た場合を想定して看護師・保健師が乗り込んで待機している。捜索に出る人も高齢者がいるからである。
 僕も捜索に出てみたが、町の景色を見たり、買い物をしたり、巡回車の写真を撮ったりしながらの「不良訓練参加者」だったので、女性の行方不明者にしか出会えなかった。
 東京のように路地や入り組んだ道路がなく、広々としているので見通しがよい。東京なら歩くか自転車が捜索には向いているが、この町なら車でもいいかなと思えるが、どっこい僕が行方不明者に出会ったのは建物の陰である。
 グループホーム事業者団体の代表者は二人に出会えたそうで、その秘訣は「メイン通りではなく、人目に付きにくいところを重点的に探した。それも長年にわたって自施設で起こった行方不明者の捜索に当たってきた経験から、行方不明者には『不安がある』『人目につきたくない』という行動心理があるように思えるからである」と語っていたが、僕の決め手は、行方不明者役に付いて歩いているスタッフの挙動不審な行動だった。
 またこの町のSOSネットワークでは、行方不明者情報をネットワーク登録者にメール配信する仕組みを構築していた。登録者は現在110名ほどのようで、役場に行方不明の届けが出されて5分後にはメール配信されるようだ。
 保健所の方の名刺には「住み続け隊募集」と書かれてあったが、その隊員こそSOSネットワークのメール登録者となる。
 この町の首長の公約は「住みたい町、住み続けたい町の実現」だそうだが、首長の冒頭の挨拶で「安心して暮らせる町づくりに町内会の力添えが不可欠だが、今日もたくさんの関係者が来てくれているので、とても安心している」旨の話があった。
 この町の人たちは、認知症対策として模擬訓練を行っているのではなく、安心できる町づくりを展望して、人と人のつながりを構築することを最も大切にしているのではないかと思えた。
 認知症という状態に扮して行方不明者役を担当した首長と施設職員は「探し出してくれるかとても不安だった」「声をかけてくれたときはホッとした」と役を通じて感じたことを率直に語っていたが、声をかけてくれた人のことが「天使様に見えた」(和田著『大逆転の痴呆ケア』冒頭に書いた~まだ見ぬ介護者へ~より)のではないか。
 僕は町民の皆さんに「皆さんが、認知症になった人は箱の中へ閉じ込めて保護してやるべきだと考えるなら、それもひとつの選択肢であり、皆さんが決めること。でも、認知症になってもこれまで通り市民生活を送りたいと思うのなら、金ない・人手ないのないない日本にあって、まだある・再建できる可能性のある人の社会に息づく互いに助け合ってに向かわない限り不可能だ」旨のことを話させてもらった。
 捜索に出た人で行方不明者に出会えた人は、男性行方不明者に対して21名、女性行方不明者に対して9名だったそうだ。一番早い人は捜索に出て10分後には発見していた。
 地域を限定して、情報が正確な中での訓練でしかないが、こうしたことをきっかけにして、住民同士が気に掛け合う関係が構築されていくことだろう。
 それはきっと婆さんの行方不明の捜索にとどまらず、子どもから高齢者まで住民に影響を及ぼすさまざまな犯罪への抑止効果をも生むことだろう。なぜなら住民同士の目が行き届く町になるのだから。
 他人から関心をもたれるなんて、うっとうしい町になりそうだが、超高齢社会を目前に控えた日本にとって、その道が一番安上がりで効果的で波及効果を生む道のように思う。
 ブログを読んでくれているみんなも、観光がてら模擬訓練に参加してみてはどうだろうか。僕も身近なところでやってみようかなと思えることが思い描けた。
 みなさん、ありがとうございました。


コメント


 お疲れさまです。勤務先のまちでは、有線放送で迷い人が流れます。
 このまちに来て一年、月に一度以上あるので結構あるんだと思いつつ探しに出たことはなく反省。五年前グループホームから出て行ってしまったおばあちゃん、通りにでた所のコンビニのおじさんに、駅を聞いたがおかしいと思い呼びとめていてくれことなきに。そのお店おばあちゃんを介護していたから気付いたと。とても感謝でした。
 デイサービスの利用者さん15キロ歩いて疲れて座り込んでいるところ(たまたま施設のまえ)、でてきた職員さんがおかしいと通報してくれ見つかりました。運営推進会議が始まった当初、地域のおみせや銀行などなど認知症理解してもらい、町で支えよう!ではなかったでしょうか? 
 話は変わりますが、日曜日、参議院選挙の開票速報見ていた利用者さんたちが、私たち選挙行ったかしら?と、、
 答えに困りました。昨年はいち家族のみ連れていかれましたが、、。わりとしっかりされている方々で、、グループホームですが。どうなんでしょうか?若年性の方も増えると、、。そんな取組みされている所ありますか? 


投稿者: むらさき | 2010年07月14日 22:23

 一人暮らしの私のおじい(90)は、最近体力が落ち一人での外出が難しくなりました。時々へんてこな思考回路にもなるけど、こと選挙となると本人「当然でしょ」とばかりに投票所に行く手立て(車でつれてってもらう)を考え今回も無事、一票を投じてきました!
 この先字を書く力がなくなったり、外出手段を考えられなくなったり、選挙があることすら忘れてしまうかもしれない。本人がそんなことを予測できたら、抜け落ちた部分の手立ては、なんとか誰かに考えてもらってでも行きたい・・・と思うんじゃないかなあ?
 もし施設に入所して、どんなに行事や外出に参加させてもらっても、これができなきゃ、おじいにとっては、痛い。と、書きたいところですが、選挙にも行きたいけど、連れてってもらえるなら買い物にも祭にも、会合にも出たい人。あんまり歩けないけど、車イスは嫌!想像しただけでも手がかかります!

 “事”が起きると色んなことを考える。コメントにあった「私たち選挙行ったかしら」も利用者さんによっては‘事”かもしれないし。むらさきさんのように、事として捉えて立ち止まって考えられることは大きいと思う。その積み重ねかなあと思いました。

 専門職って、人と人をつなぐ繋ぎ目の役もあるのかなと思いました。警察の人・医療の人・役所の人・店の人・介護の人・・・それぞれの専門分野が自分達の役割を守ることだけじゃなくて、専門外だからと他人事に思うんじゃなくて、‘人が人のことを他人事と思っていられない人と人とのつながり”をつくる役も担ってるんだなと思いました。


投稿者: すみこ | 2010年07月16日 05:05

 こんにちは、むらさきさん。
 私の勤務施設では投票所を開設し期日前投票を施設で行っています。市役所とは、どのような取り決めをして行っているのかは知りませんが、その方法で御利用者の方は毎回投票しています。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2010年07月16日 08:23

 訓練ではない、災害。。。
 昨日は生まれて初めて命の危険を感じた。あっという間にいつもの道が川のようになっていく。大きな道路も生活道路も。どこを迂回しても進めない。。。踏切も濁流ではないか。
 家に帰れない。家には家族や可愛い犬どももいるのに。携帯で安否聞く。雨の勢いが少し弱まったタイミングで何とか帰宅。情報確認すると、土砂崩れや河川決壊で通行止めになっていた。
 激しい雨の音、防災無線、消防のサイレン。無線は日本語と外国語。避難勧告で真剣に避難を考えたが、親と犬どもを連れ、豪雨の中避難場所にはとても行けない。道は冠水しているから車は無理。家にいるしかなかった。テレビやラジオ、地元のケーブルテレビ、ネット、防災無線。必死に情報を得るも不安消えない。自分の近所がどうなっているかが分からない。
 明け方からはヘリコプターの音が途切れず。どうなっているかが分からない。外に出ることもこわい。家からそろりそろりと様子を確認して、少しずつ出た。
 出勤しなければ。じいさんばあさんは大丈夫か。親戚友人は幸いみな無事である。
 職場までどうやって行くか。20Km以上あるのでできたら車で行きたい。車は動くか。昨夜は水の中を走ったから。道は大丈夫か。
 出勤後、じいさんばあさん宅に電話。今日デイ利用予定の人はデイに任せる。勤め先の地域の被害の状態が分からない。地元職員に聞いても分からない。ネットを見てもまだアップされていない。市に教えてもらった。
 幸いみな無事だった。
 ありがたや。
 疲れた。。。寝ます。。。おやすみなさい。


投稿者: まんまる | 2010年07月16日 21:52

 すみこさん 美枝子さん コメントありがとうございます。
 すみこさんのおじいさん、自分流あってすてき。元気の素ですよね。
 以前、利用者に振り回される介護。が理念の下働いてまして結構気にいった理念でした。お世話になったケアマネさんが、介護の仕事始めた頃、上司に自分たちの仕事は、利用者と利用者の会話の架け橋と教わったと伝授してくれました。そうありたいと思ってます。時々、逆に架け橋してもらってますけど。
 選挙の件、利用者さんの願いならば、役場で聞いておかねばですね。
 グループホーム、初めの一年、日勤帯三人、夜勤帯二人で、お出かけしたいかたに着いていけたし、いろいろできました。そんな人員配置になる日願いたいです。     


投稿者: むらさき | 2010年07月18日 00:32

 まんまるさんへ

 まんまるさん、親戚・友人の方・ホームの御爺さん御婆さん、ご無事で良かったです。そして、ゆっくりお休みください・・、とても疲れたことと思います。
 怖い気持ち・・・少し解ります。私は、以前、新潟県の三条市の床上浸水し、ボランティアをしに急ぎむかいました。とりあえず、家にあるものをかき集めリュックに詰めて持っていき現地の人に配りました。どんな状況だったかというと川が溢れて鉄砲水が町を襲いました。現場の状況は自動販売機がほとんど上の部分を残して水に浸り泥で汚れました。
 私のボランティア先は小鳥屋さんで、小鳥達は、逃げることも出来ずに籠の中で息絶えたそうです。しばらく、お手伝いしたかったけれど、2日間しかお手伝いできませんでしたが、家の中の泥だしを行いました。自分は体験していないけれど、鉄砲水の怖さ・・一瞬にして町を飲み込む怖さ・・知りました。
 現地の人と仲良くなり沢山の幸せの絆・・築きました。そこでいただいて食べたおにぎり・・とても美味しかったです。そして、見ず知らずの人があっという間に仲間になれる・・災害を通して、見ず知らずの町の人々が一丸となって強く結ばれていました。大変だったけれど、とても素敵な思い出です。
 むらさきさんへ
 むらさきさん、とても素敵です。その調子で頑晴ってくださいね・・・。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2010年07月19日 21:08

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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