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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

ケアンズ part2

 ケアンズには3泊したが、中2日にツアーに参加した。日本人向けのツアーで、日本人添乗員がついてくる。1日目は内陸の「どきどきキュランダ観光」と「夜行性動物探検ツアー」だ。2日目は海でグリーン島とアウターリーフクルーズである。アウターリーフと言うのが、世界最大の珊瑚礁、グレートバリアリーフの一部らしいです。

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 「どきどきツアー」と言うのは、日本人の旅行会社のようで、添乗員の男女とも日本人で、パンフレットも日本語で出回っているのを見て、申し込んだ。2時半まではケアンズの近くのキュランダ村観光。それ以降夜9:00頃にホテルに着くまでが、野生動物を訪ねるバス旅行だ。

 朝ホテルにバスが迎えにきて、キュランダ列車という森林鉄道の駅に着く。バスのお客は全員日本人だ。快晴で暑いくらいだ。記念写真を撮ったりしていると、10両以上のクリーム色とオレンジ、緑の古めかしい客車を引っ張って、緑色のジーゼルが入線してくる。2両ほどが「どきどきツアー」の貸し切りだがどの車両も満席だ。見所の大半が右側なので、右に3人がけのイスがあり、通路は左端だ。定刻5分遅れで、列車はゆっくりと走り出した。女性のガイドさんは「5分遅れはとても珍しい、普段はもっと遅れる」と言っていた。森の中をぐんぐん昇って行くと、景色も開けてくる。谷間には保存されているアボリジニの人たちの住居も見える。

佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」2012年3月1日
U字カーブの多いキュランダ列車です

 カーブを繰り返す車内では、ガイドさんが車窓やキュランダ村の見所を教えてくれたり、「この谷にはシーブリーズ(海風)が吹いて潮の香りがします」などといい加減なアナウンスをしたりしながら、楽しげにガイドしている。もちろん「シーブリーズはうそですよ~」と後で言っていたが……。途中の見事な滝では列車が停車して、みんな降りて写真タイムだ。

佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」2012年3月1日
滝の見える途中駅で


佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」2012年3月1日

キュランダ列車の見所の滝です

 2時間足らずで、キュランダ村の駅に到着した。みんながいっせいに降りたため、駅はごった返していた。キュランダ村ではメインストリートにさまざまな店が並び、最後にコアラガーデン、鳥園、蝶園などがある。もちろん鳥や蝶は熱帯性だ。
 キュランダ村のメインストリートを「どきどきツアーのガイドさんおすすめの」コーヒー店で買ったコーヒーを飲みながら、ペンダントやアボリジナルアートなどを買いながら歩いて行った。アボリジナルとはアボリジニとオリジナルを掛け合わせたような言い方だが、アボリジニのアートは素朴だが、現代のアーチストが、複雑に進化させたようだ。ケアンズのホテルの近くのアボリジニアートのお店は、流行が去って潰れていた。波津子の孫はオパールの原石を買っていた。歩く途中でサンドイッチなども食べた。

佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」2012年3月1日
アボリジナルアートです

 いよいよメインストリートの端っこのコアラガーデン、鳥園、蝶園に着いた。2時半に蝶園前が夜行制動物探検ツアーの集合場所なので、全部回る時間がない。仕方がなくぼくと波津子は蝶園を、娘家族はコアラガーデンを見ることにした。世界最大の蝶園だそうで、入ると熱帯性樹木の生い茂るでっかい温室に、さまざまな蝶が飛んでいる。いや~きれいだ!世界で最も素晴らしいと言われる、真っ青な羽の「ユリシス」という蝶もたくさん飛んでいた。この蝶園の周りの亜熱帯林も蝶の保護区だそうだ。蝶はとても人懐っこく、顔や体に羽を休めにくる。ぼくも蝶にとまられたまま、出口まで歩いて行った。そのまま出口から出ようとしたら、波津子に止められた。いっぽうのコアラガーデン組も楽しんだようで、孫がコアラを抱っこした写真を見せてくれた。だらーんとくたびれたコアラだった。夜行性で昼間は眠っているようだ。最近はコアラの抱っこがオーストラリアでは禁止されているとも聞いいたが、例外なのかもしれない。

佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」2012年3月1日
蝶園にて

 さていよいよ、夜行性動物ツアーバスの集合場所の蝶園前に集合したが、ぼくたちが集合するのが一番遅かった。客は日本人ばかりで、ガイドも日本の男性、28歳のイケメンだ。コースはキュランダを出て、巨大蟻塚、カンガルー出没場所、エリマキトカゲ生息場所、ロックワラビー生息場所、ここまで2時間かかる。途中トイレがないのが不安だったが、全然便意もなく快適に過ごせた。

 走行中のバスの中から、土の盛り上がった60cm~1mくらいの高さの岩のような、巨大蟻塚がいくつも見えていた。バスは所定の場所に停車して、記念写真とありの試食!じつはアボリジニの重要なタンパク源だったと聞かされた。「試食するまでバスには乗れませ~ん」と難儀なことを言うガイドだったが、塚に棒を差し込んで採った小さなアリを食べてみると、サラダ菜のような味がした。アリの主食がユーカリの葉だと聞いて納得した。蟻塚をつくるアリは草食性だが、地面にいる大きなアリはこの蟻塚に侵入して、食べてしまうのだそうだ。だから蟻塚のアリは穴が開くと、瞬時に塞いで防衛しているそうだ。足下では実際大きなアリが次々に侵入していた。

 野生のカンガルーはバスから探す限り、見えなかった。「エリマキトカゲは木のコブのようにぶら下がっています。CMで有名な襟巻きを立ててユーモラスに走るのはよっぽどの危機のときで、めったに見られません」ということで、ひたすら木のコブを見つけようとするのだが、誰も見つけられない。バスの運転手さんが見つけてバックさせて、ガイドさんが小さな木に近づくと、木の後ろに回り込んで動くのが見えた。エリマキトカゲを走らせたりすることもオーストラリアでは禁止されているそうだ。

 ロックワラビーの生息地はその名のとおり、ロック、岩場だ。バスは草原のなかの岩場に着いた。身長は20~30cmくらいの小型版カンガルーみたいだ。鯉のエサのようなつぶつぶを、ガイドさんからもらって、岩の割れ目の影からおっとりとちらちらと出てくるロックワラビーに近づいて、口元にエサを出すと、ゆっくりちろちろと食べ始める。その仕草が可愛くてたまらない。餌付けされているので、人を怖がらないようだ。動作がとても緩慢で、逃げ足も遅い。見ていて本当に癒される。イケメンガイドさんによると、むかしは草原で暮らしていたけれど、強いカンガルーなどに追われて、エサは少ないが安全な岩場の隙間に住むようになったそうだ。

佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」2012年3月1日
ロックワラビーにエサをやる

 ツアーのバスは、草原を過ぎ、バナナ園を過ぎ、マンゴー園をすぎて快調に走り続けて、ピーナッツやフルーツの試食もあったりして、湖の畔に到着した。野鳥の観察小屋があって、2階から一人ひとりに貸し出された望遠鏡で覗いた。覗くまでもなく、湖畔にはかもの大群がいて、けっこう圧倒的なのだが、そのなかでわずかにいる鷺や鶴やカワセミなどを探すのだ。見つけるとけっこううれしい。
 森の途中で停車して、絞め殺しの木を見に行った。カーテンフィグツリーというイチジクの仲間で寄生植物だ。木の枝に種が落ちて、宿主に根を張って、下へ下へと根を伸ばして行くのだ。横にも広がって行って、根を伸ばした様子が巨大なカーテンのようで、見事だ。100年以上かけて、宿主の木を絞め殺してしまう。近くにあるもっと背の高いカーテンフィグツリーはジブリのラピュタの城のモデルだそうだ。見たものも2~30mの高さはあるだろう。アバターのモデルになったそうだ。

佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」2012年3月1日
アバターのモデルになった絞め殺しの木です

 日も傾き夕方になって、カモノハシのポイントに着いた。流れの淀んだ広い泥川なのだが、「黒いスリッパのように見えます。とても神経質な動物なので、静かに現れるのを待ってください」とのことで、一行はしゃべらず、ずっと水面を見続けた。あぶくが目印だが、30分見続けて亀が現れただけだった。夕方は現れやすい時間帯らしいけれど、季節は7~8月が多いそうだ。やはり餌付けされていない野生動物を、いきなり行って見つけるのは困難のようだ。

 その後バーベキュー小屋に着き、バスの運転手さんがシェフに変身して、昨日の余りのカボチャのスープと、バスでひき殺したワラビーの肉を焼いてくれた。とても面白い運転手さんだ。実際は、ワニとカンガルーの肉、そしてオージービーフを焼いてくれた。サラダも食後の紅茶も出た。紅茶は缶に入れて紐をつけて、回数を数えながら大きくぐるぐる回していた。途中ニワトリのようなエミューと、背中に子どもがへばりついた目の大きい巨大ネズミのようなポッサムが小屋に現れた。これから真っ暗な夜の森に入るのだが、ガイドさんも「一昨日のツアーの森本さんと言う方が、この森でいなくなって、未だに連絡が取れていない」などと乗客を脅していた。森はLEDライトを片手に小屋の近くを一周するのだが、動物は現れなかったが、蛍がいっぱいいてとてもきれいだった。夜空を見上げたらオリオン座がよく見えた。南十字星は6~8月でないと見えないそうで、ちょっと残念だった。

 バスは電気を消して、ケアンズへの帰路についた。途中これからさらに土ボタルを見に行く人たちが数人降りた。ホテルに帰ったのは、9時半だった。

(Part3に続く)

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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