ページの先頭です。

ホーム >> 福祉専門職サポーターズ >> プロフェッショナルブログ
佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

人は死ぬ前に何を思うのだろうpart3

 2010年2月のぼくのブログでシベリア抑留された石原吉郎のことを書いた。いつ終わるとも分からないラーゲリ(強制収容所)の生活で、凍りつくような孤独の中で、「ここにおれがいる。ここにおれがいることを、日に一度、必ず思い出してくれ。おれがここで死んだら、おれが死んだ地点を、はっきりと地図に書きしるしてくれ。(中略)もし忘れ去るなら、かならず思い出させてやる。もし捨て去るという、明確な意思表示があれば、面倒を起こしてこれを受けとめる用意がある」と。何という怒りだろう。おれのことを思い出せ! と強要するほどの、ロシアの地で深い孤独の中での、死を覚悟した言葉だ。それほどに一人孤独に死ぬことは耐え難い。

続きを読む

 だれかに自分のことを思い出してほしい。思い出す人がいることが、自分が生きた証となる。墓に名前を刻んでほしいのも、死んだ後に、誰か生きている人に名前を読んでほしいからだろう。本人を知る全員が死に絶えたときに、人は本当の「無」になる。

 死ぬだいぶ前にボケてしまったら、何を思うのだろうか? もしかして自分が死んで存在が無くなることすらも分からないのだろうか。もちろんボケ具合にもよるのだろうけれど。

 スペイン市民革命に従軍した作家のジョージオーウェルは、弾が頭をかすって死にかけたときに思ったのが、自分のことを思い出してくれるだろう妻のことと、この世を去らなければならないことへの「恨み」だったそうだ。この世に絶望していない人なら、ぼくも含め普通の反応だろう。誰だって、未練がある。「恨んでやる!」

 「死んだ夫に、やっと会える」とか「靖国で会おう」などと死ぬ前に、真剣に信じられればどんなにかいいだろう。信じられても、死ぬことはやっぱり怖いのだろうが、何かしらの安心があるのかもしれない。天国も彼岸も生きている人間たちのロマンチックな夢想でしかないのだろうか? 死んだら「無」になるしかないという現実は堪え難い。やっぱり恨んでやる。


※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

コメントを投稿する




ページトップへ
プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
sanobook.jpg
メニュー
バックナンバー
その他のブログ

文字の拡大
災害情報
おすすめコンテンツ
福祉資格受験サポーターズ 3福祉士・ケアマネジャー 受験対策講座・今日の一問一答 実施中
福祉専門職サポーターズ 和田行男の「婆さんとともに」
家庭介護サポーターズ 野田明宏の「俺流オトコの介護」
アクティブシニアサポーターズ 立川談慶の「談論慶発」
アクティブシニアサポーターズ 金哲彦の「50代からのジョギング入門」
誰でもできるらくらく相続シミュレーション
e-books