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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

一緒にいてもひとり(part3)

 今週も、『一緒にいてもひとり』(カトリン・ベントリー著、東京書籍)を読んでの感想。今回が最後だ。

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 子どもが大きくなって、水泳に夢中になった。ギャビンも夢中になって、2人でさまざまな泳法やテクニックを話し合い、コーチの厳しい練習を毎日2時間連続で受けた。
 子どもがのどの痛みを訴えて「練習に行くのはイヤだ」と言っても、ギャビンは「弱虫!」だと言い、無理矢理行かせた。その後、子どもはとても具合が悪くなり、医者から絶対安静を言い渡された。ギャビンは「何でわが子が病気になるんだ。予定外だ!」と怒った。ギャビンは病人が身近にいることが嫌いだった。彼にとって病気は、「弱さと不完全の印」だったからだ。
 子どもは何週間経っても回復せず、6か月間学校を休んだ。ギャビンは子どもに言った。「よくなったら千ドルあげるよ」「お父さん、千ドルはほしいけれど、残念ながらよくならないんだ」と子どもが言うと、「じゃ2千ドルならどうだい?」。
 ギャビンは自分を見失い、不安で落ち着かず、心配で困り果てていた。それを表わすことができずに怒ったが、彼自身も助けを求めていた。子どもたちは頭がよくて、スポーツが得意で健康で、自分は完璧な父親だと思われたかった。病気は不完全、弱さ、失敗を意味し、どれも彼の軽蔑するものだった。
 カトリンもこの状態にまいってしまって、カウンセリングを受ける提案をするが、ギャビンは悩みについて話すのが大嫌いで、「会話をしてお金を払う人の気がしれない」と言って一蹴した。しかし、何年もすべてのことを自分がコントロールできると確信していたギャビンは、自分よりも強力なものがあることと、お金が万能ではないことを知り、父親には生活費を稼ぐことより大事な仕事があることに思い至って、仕事を辞め家庭を大事にする投資家になった。

 ギャビンは子どもを自分のようなチャンピオンに育てようと思ったが、日本でも子どもに「東大以外は大学ではない!」と言ってスパルタをしてプレッシャーをかける教育パパなどは、結構いそうな気がする。ギャビンは自分の経験から、勝つこと、成功することが幸せだから、子どもにも押し付けた。しかし、子どもは強いストレスに見舞われて、発病したのだろう。一家ではスポーツは楽しみではなく戦いであり、ギャビンも容赦なかったし、子どもも攻撃的になり、競争心が強くなった。何だか、いじめを行う小学生を思い出した。
 ぼくが長くアスペルガーの人を理解できなかったのは、鍛えることと正反対の「癒し」をこそ求める、統合失調症者だったからだと気がついた。アスペルガーの人は直感が働かなくて論理的思考、理系的思考に頼るけれど、統合失調症の人は勘が鋭過ぎて妄想で頭が一杯になる。
 カトリンはギャビンがアスペルガー障害だと理解することで、夫婦生活をよくするキッカケをつかんだ。ギャビンも自分の思い通りにならない「子どもの病気」で変わるキッカケをつかんだ。子どもの病気がなければ、あるいはモラハラ夫としてカトリンは離婚したかもしれない。まれで幸運な例だったのかもしれない。

 ギャビンは自分以外の家族がスポーツなどで上達しないのは「努力が足りないからだ」と思っていたが、誰しもギャビンのような驚異的な集中力を発揮できるわけではない。子どもの一人はギャビンの見ている前ではテニスをしなくなって、スポーツからやがて遠ざかり、皮肉屋になった。
 ギャビンのような、親の高い期待が子どもに悪影響を与えるのは、受験戦争をしている兵士である日本の子どもたちもまったく同じだろう。ギャビンの子どもたちがギャビンの失敗の真似をして面白がるのを見たギャビンは、普段から絶対謝らない姿勢を反省して、認知の誤りを正すようになった。ギャビンも経験から、子どもとスポーツを楽しむことも大事だと学んだ。
 それでも期待したとおりの成果が出ないとイライラして怒るギャビンに、カトリンは手紙を書いた。対面したコミュニケーションがもっとも苦手なギャビンに、推敲して書かれた手紙は予想以上の効果をあげた。ギャビンは「手紙をありがとう。君の言いたいことがよくわかったよ」と言った。
 また、ギャビンが好きな風呂のときに、カトリンは近くに行って、「私を見ないで」と言って自分の髪をとかすこともあった。「言い争いはしたくない。でも私の気持ちをわかってほしい。あなたは答えなくてもいいし、何も言わなくてもいい。ただ聞いて」。彼はバスタブの中で目を閉じ、リラックスしていた。カトリンは賢く言葉を選んで、腹を立てているとか、責めているとかの言葉は避けて話した。風呂から出て来たとき、彼は別人になってカトリンを抱きしめた。映画の1シーンのようだ。

 小脳のあたりをマッサージすることも、リラックスにとても効果的なようだ。
 カトリンは、関係を改善しようと思ったら、ギャビンが障害者であることを互いに知ることが必要不可欠だと言う。本人も知って、今までずっと感じていた違和感に答えが出て安心する。しかし本人は不完全であるどころか、「定型発達」の人よりもずっと進んでいる。アスペルガーであった多くの偉人の名前がすぐ挙がる。アインシュタインやエジソンはアスペルガーであろうと言われているし、スティーブン・スピルバーグはアスペルガーの診断を受けているらしい。また逆に、アルコール依存症の人にもアスペルガーは多く見られるようだ。すべてはその人の運と縁で決まってくるのだろう。
 アスペルガーは病気ではないので治療法はなく、互いが理解し合う努力をする必要があるだけなのだろう。といっても、これが並大抵ではない。大抵の人は離婚という選択をするかもしれない。ギャビンがアスペルガー障害とわかった時が転機だった。
 しかしアスペルガーの人は異星人ではない。ストレス続きになると、「定型発達」の人だって同じような行動をとる。触覚過敏になり、気持ちが動揺し、多動になり、忘れやすく、短気でかんしゃく持ちになる。
 まだ日本が安定成長していた昭和の頃、これは多くの家庭内でも見られた光景かもしれないが、昭和から平成になりあまり成長しなくなって社会が不安定化するとともに、女性の社会進出と性の自由化の結果、職人肌の頑固オヤジが姿を消し、夫婦関係も欧米化して、隠れていたモラハラもアスペ夫も露出してきたのだろう。
 アスペと同じ発達障害であるADHDも「片付けられない女」などとして、マスコミでも有名になってきた。なぜ「女が片付けられないこと」が目立つかといえば、やはり女は当然家事ができないといけないという社会的な圧力があるからだろう。そのうち、安定夫婦分業社会では隠されていた「片付けられない男」が目立つようにもなるだろう。それにモラハラ妻だって、問題化するだろう。さらに進んでひきこもりなどのコミュニケーション不全などがひとつの原因になって、婚活、アラフォー、草食性男子などの流行、晩婚化や生涯にわたる独身化が進行中だ。
 社会の古いシステムと、障害者問題、虐待の問題、ジェンダーの問題などが複雑に絡み合ったようで、ぼくにもまだこれらを解きほぐすことはできていない。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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