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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

ネグレクト(part2)

 児童虐待には4種類あり、「身体的」「性的」「心理的」「ネグレクト(無視、放置)」がある。ぼくは主に「身体的虐待」「心理的虐待」を母から受けだが、これは「ネグレクト」に比べれば、相手にしてもらえるだけまだましだ。もちろんぼくは、母から極端な関心をもたれても、こころはまったく理解されないことを諦めていた。Aの受けたネグレクトは一見心理的虐待のようだが、心理的無視は相手の存在を認めた上での無視だから、心理的虐待ではない。

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 Aは、母親の築いた「石垣」の中で「放置」されていた。小さいときから心理的に養育されていなかった。母親はそれとはまったく気づかずに、こころの食べ物である「関心」を向けず、しつけと、Aがしでかしたことの後始末のみをやっていた。Aが小3の時に作文を書いてSOSを出しても気づかれなかった。
 おばあちゃんが死んでから、この世に誰も自分を認知する人がいない。さびしさを通り越した「絶対零度の孤独」。ここから将来も生き続けるには、「自分の存在が認知されない理由があればいい」。母から学んだ「理由さえつけば、正当化できないものはない」という生きる知恵だ。そしてAは、自分がネグレクトされる理由をついに見つけた。それは自分が「透明な存在」だからだ。
 ぼくも発病前の浪人時代は死ぬほど寂しかったけれど、自分のことを世間から見れば「透明な存在」だと感じていた。Aが現実感のない「透明な存在」として自分を考えることは、彼も「離人症」であったということだ。ぼくはその頃、「このままだと自殺するか犯罪者になるかしかない」と感じていた。ぼくは今でも、無力感に打ちひしがれると自分を「透明な存在」だと感じることがある。

 繰り返される親の虐待の影響から自分の存在を確かめるために、「ネコの解剖」は進められていた。「透明な存在」である自分を認めてくれる「酒鬼薔薇聖斗」はこうしてAの中に誕生した。彼の存在を認知してくれる「酒鬼薔薇聖斗」は一見「解離」のようだが、交代人格ではなく、主人格の彼と同時に存在した。そして彼の中の「酒鬼薔薇聖斗」は彼の抵抗にもかかわらず、彼をどんどん追いつめていく。
 大人になって性欲と結びついてSMの世界に進む人は、虐待によるトラウマが大きな原因であるような気がする。ぼくはマゾヒストだが、母親からいじめられることと性欲とがどこかでじわっと結びついたようだ。ヒトラーの場合は、自分の惨めさから抜け出すために、虐待された記憶がどこかで加害者である牧師の父と同一化してサディストになったのだと思われる、とアリス・ミラーの『魂の殺人』(新曜社)という本で読んだ。
 あるときAはエアガンで同級生を撃つが、母は先生に事情を聞くこともなかった。また、淳君を殴ったのだが、そのあと彼は謝りに行き「彼の言葉をやさしく聞いてくれた」淳君のお母さんには、泣いて謝っている。
 さらに翌月、Aは万引きをするが、母が店に金を払って片づけてしまう。彼はこの犯罪行為をすることで否定のメッセージを受ける覚悟だったが、母からは無視されてしまった。万引きは彼のこころの悲鳴だったが、母は彼の行為の正当化、つまりは「石垣」であり、後始末だけをする母自身の正当化をした。
 これで親の無能を確認したAは、「酒鬼薔薇聖斗」のおもむくままに暴走を始めた。自転車のタイヤを切り刻んだり、ラケットで友人を叩いたり、女生徒の靴を燃やしたり。さらに「酒鬼薔薇聖斗」は斧を手に入れるけれど、それを見つけた母親は自治会に寄付して終わらせた。炊事場の床からネコの死体が出てきた。わざと見つかりやすいところに隠したのは、彼の精一杯の抵抗かもしれない、と著者は言う。机の上の「犯行ノート」にも親は気づかなかった。ナイフを持っているのを2度見つかりながら、「友達(酒鬼薔薇聖斗)のや」と言って終わる。
 Aは、やったことに対し世間からのフィードバックという実感を得られず、自分が強者なら弱者を支配してもいいと母親に学んだことから「世の中全ては作り物、野菜と同じ。だから切って潰しても構わない」と悟るが、「被支配者が“殺され”ても構わない」ことにたどりつくまで試行錯誤をする。
 中3のときに「母さん、ゴキブリにも一つの命があるんやで」と言うことによって「自分にも命があるんやで」と主張する。彼の見つけた答えは「家の中でゴキブリを見つけたら叩かんとしょうがないやろ」。つまり理由などなく、叩かれたゴキブリと叩かれないゴキブリの差はたまたまであって、家の中にいたことが悪い。自分も親に精神的に殺されたけれど、たまたまこの母の元に生まれてきたことが悪い。
 後に殺人を犯した彼は、「そのときにあの場を通りかかったほうが悪いんです」と言う。それほどに彼にとって命は軽かった。「人の命なんか蟻やゴキブリと同じや」と先生に言ったので、心配した先生は母親に告げたところ、母親は「えーっ、『ゴキブリも人間と同じ一つの命や』と言うてませんでしたか?」と言い返して終わっている。彼は抱きしめられることがついになかったが、「抱きしめて命(自分)の大切さは大事なんだと感じさせること」が大切だと著者は言っている。

 Aは母親の教育どおりに育った。「理由さえあれば、何をやってもいい」彼はついに理由を見つけて殺人を犯す。「人間の壊れやすさを知るための実験」。
(part3に続く)


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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