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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

作業所の給料

 ムゲンは、ぼくたちが20年前に古本屋として立ち上げた。当時は結構広いスペースで、メンバーがゆっくりくつろげる場所も確保した。
 立ち上げと並行して、身体障害者の入所施設から2名の重度身障者が退所して、ムゲンの広いスペースに住んでもらおうと準備を進めていた。ぼくと波津子が当面の介護者となるつもりで、施設の障害者を連れて、大阪の作業所や自立生活をしている重度障害者宅の見学に行ったりしていた。

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 一人は波津子に介護されているときに強く抱きついてきたし、また別の人からは「1万円で一緒にお風呂に入ってください」と波津子が言われたことなど、懐かしい思い出だ。2人の重度身障者には、実際に松山のクラブハウスに泊まってもらって、買ってきた巻き寿司を切る練習などもした。もちろん包丁を触るのは初めてで、マヒのある手で包丁を振り回す姿は、怖いものがあった。
 しかし、準備を進めていて、どうしても越えられない壁があった。介護者がぼくたち以外に見つからないのだ。彼らにとっては、子どもの頃からの施設暮らしで、人間関係を築いていくノウハウやつてもなかった。やがて、退所しての自立計画が施設の知るところとなって、本気で施設を出て行くのかどうかの決断を迫られた。親も出てきて、泣いて止められた。20年前のことで、ホームヘルパーの制度も支援費制度も、公的な保障など影も形もなかった頃だ。ボランティアを自前で集める能力が、自立には必須だった。ぼくたちも彼らを無理して出すことには慎重になり、断念した。彼らは今も施設にいるようだ。

 当時は、“施設からアパートに”という障害者の生活をかけた一大自立運動があった。しかし今ではそんな運動など忘れ去られ、ワーカーなどが中心になって「施設」をどんどん増やし、障害者を集めていることに、誰も何も異議をとなえないことに違和感がある。当時は施設からアパートに出ていくのが常識で、作業所という「施設」を新たに作ろうとするぼくたちは、自立運動の中でまったく孤立していた。
 そういう経緯で身障者が来ないままムゲンをやっていると、精神病者が三々五々、集まってきた。彼らには交代で店番を頼んだのだが、古本屋の売り上げは家賃の10万円を払うのがぎりぎりで、彼らに給料を出すことができない。それで、ぼくが専門学校の講師のバイトで儲けた金から、彼らに1万円とかを出していた。鍵もみんなに渡していたのだが、ボランティアの高校生が誰もいないときに来て、自販機からお札を抜いていたのが発覚して、鍵はぼくと波津子が持つようにした。
 オープンから2年で、どこからも何の援助も得られず、家賃も3か月滞納してしまって、古本屋を諦めて、撤収した。ムゲンをこのままつぶしてしまうことも嫌だったので、縮小移転することにした。親の持ち家の元薬局の空き家があり、おまけに作業所として使えるように、親に100万円出してもらって改装した。本当にありがたかったが、家賃も何も払えないのが心苦しかった。それから8年後、行政から援助金が下りるようになって、やっと親に家賃が出せるようになった。

 当時は病院デイケアもまだ少なく、病者が溜まれる場所も少なかったから、友人が友人を呼んで、ムゲンにはいろいろな人が入れ替わり立ち替わり来ていた。
 移転してからは、タバコ販売とジュース自販機がメインの作業になった。当初はたこ焼き屋も計画していて、商品をわたす出窓もたこ焼き器も準備したのだが、店番をやると強く主張していたメンバーが来なくなって、たこ焼きはやめにした。
 タバコは、禁煙運動や値上げ、コンビニ販売の規制緩和などでじりじりと売り上げを減らしていった。もともとタバコ販売は、母子家庭、老人、障害者など社会的弱者の生計を立てる手段として、一般の参入は厳しく規制されていたのが、改革によって弱肉強食の世界に放り込まれた。
 ムゲンは当初から障害の有無にかかわらず、関係者すべての同一賃金体系を目指していたのだが、波津子やぼくにばかり負担がかかり、メンバーは好きなときに来ておしゃべりして、好きなときに帰る人がほとんどだった。
 波津子は本当に献身的にムゲンを支えた。当初はぼくの、当事者の言うことは絶対であるべきだという、「当事者至上主義」が波津子を追いつめ、孤立させ、うつにまでさせてしまったが、本当に波津子なしにはムゲンの20年はない。
 それで、メンバーには平等に、1日来たら何もしなくても200円を支給し、ぼくと波津子は残った売り上げを給料とした。「作業所に来るだけでも労働だ」という考えのもとで、援助金をもらうようになった今のムゲンでも、1日来た人には100円に変わったが、全員に平等に配っている。作業した人はそれに上乗せだ。これは、「居場所」としてのムゲンに来てもらおうという動機形成でもあるし、ぼくは日本でのベーシックインカムの導入を主張しているけれど、それのムゲンでのミニ版でもある。

 前にも書いたけれど、10年前に行政から作業所援助金をもらうようになって、職員の給料は援助金から、メンバーの給料は作業の売り上げから、とはっきりと分かれた。職員の給料はワーキングプア並みに「低め安定」したけれど(新聞に作業所職員の給料は平均15万円と書いてあったが、ムゲンは平均以下だ)、メンバーで給料の多い人は月3万円とかそのくらいだ。これも、着物リメイクに力を入れ出したここ数年のことで、メンバーの給料も上がったほうだ。
 しかし、「もっと給料を上げようよ」と、毎日来るように説得するつもりはないし、来るも帰るも休むもいつでも自由という、「居場所」としての存在でありたいと思っているので、障害年金に足して生活しているメンバーなどはキツイだろうが、“頑張らない作業所”の給料はこんなものだろうかと思っている。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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