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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

メリー・クリスマス―『夜と霧』のエピソードから

 クリスマスを迎えるたびに、私はV.E.フランクル著『夜と霧』(原題は「強制収容所における一心理学者の体験」(1946年)、1961年、みすず書房)の一節を想い起してきました。生きることの意味を考えさせられるエピソードです。

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 「1944年のクリスマスと1945年の新年との間にわれわれは収容所では未だかつてなかった程の大量の死亡者が出ているのである。」
 「それは過酷な労働条件によっても、また悪化した栄養状態によっても、また悪天候や新たに現れた伝染疾患によっても説明され得るものではなく、むしろこの大量死亡の原因は単に囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろうという、世間で行われる素朴な希望に身を委(まか)せた事実の中に求められるのである。」(同書、181頁)

 「…何の生活目標をももはや眼前に見ず、何の生活内容ももたず、その生活において何の目的も認めない人は哀れである。彼の存在の意味は彼から消えてしまうのである。(…中略…)このようにして全く拠り所を失った人々はやがて仆(たお)れていくのである。あらゆる励ましの言葉に反対し、あらゆる慰めを拒絶する彼等の典型的な口のきき方は、普通次のようであった。『私はもはや人生から期待すべき何物も持っていないのだ。』これに対して人は如何に答えるべきであろうか。」(同書、182頁)

 これらは『夜と霧』の第8章「絶望との闘い」に記された一節であり、ナチス・ドイツの敗戦によりアウシュビッツ強制収容所から解放された後のフランクルが、ウィーン第三学派の実存分析によるロゴテラピーを提唱する原体験となっているところです。

 同書には、当時の収容所における個人と環境の抑圧的な相互作用の中で、究極の絶望に追い込まれていった囚人たちの、自己放棄または自己崩壊が描かれています。セルフ・ネグレクトとは、まさにこのようなことを指すのでしょう。

 「…一つの未来を、彼自身の未来を信じることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。(…中略…)通常これは次のような形で始まった。その当の囚人はある日バラックに寝たままで横たわり、衣類を着替えたり手洗いに行ったり点呼場に行ったりするために動こうとはしなくなるのである。何をしても彼には役に立たない。何ものも彼をおどかすことはできない―懇願しても威嚇しても殴打しても―すべては無駄である。(…中略…)彼は自己を放棄したのである!」(同書、179頁)

 この師走には総選挙が行われました。成人して以来の長い投票経験の中で、私にはもっとも虚しさの漂う選挙でした。東日本大震災と福島第一原発の被災者の生活再建策をどうするのかが、総選挙の主要な争点にならなかったからです。せいぜい経済対策の従属変数としての「復興策」が垣間見られた程度のものでした。

 それでは、被災者の多くが「政治には何も期待しない」と発言する現状を、私たちは等閑に付したままでいいのでしょうか。困難と抑圧に喘ぐ人たちと未来をともに拓くことにこそ、同胞としての最低限度の連帯責任があるのではないかと思います。

 20世紀に出来した二つの世界大戦や地域紛争のほとんどは、経済発展とその利害にかかわる衝突です。「国益」や「民族間・宗教間の対立」という姿をまとっていたとしても、事柄の本質は経済的な利害対立に起因する戦争だったと言っていいでしょう。その意味で、戦争の犠牲者の大部分は、「経済成長政策の犠牲者」と言い換えることができるのです。

 日本は戦後長期にわたって国家間の戦争の当事者になることはありませんでした。ベトナム戦争でアメリカ軍の兵站としての実質的な役割を果たし、イラク戦争で巨額の債権放棄をして戦争への協力をしたとはいえ、日本国憲法の下でギリギリ戦争の当事者にはならなかったのです。

 しかし、戦争という蛮行を回避してきたといっても、わが国の現状は、経済成長のための犠牲者を産出し放置する構造からはまったく脱却してはいないし、むしろそれをますます強化しようとしているのではないかとさえ思えてくるのです。非正規雇用や被災者の生活再建の問題、障害者権利条約の実質化と批准の課題等々、これらの人権擁護の課題はGDP世界第3位のわが国の巨大な富をもってしてもなお、「経済成長まずありき」という発想の枠組の下でしか構想し実現することのできないものなのでしょうか? わが国の現状に、私は野蛮さを感じざるを得なくなりました。

 今、非正規雇用や失業に由来して生活保護受給にある人たちは、正規雇用に働く人たちとともに、経済政策というコインの裏表を一体のものとして構成する存在です。このような現在の社会が構造的に産出している問題の総体を見ず、非正規雇用や生活保護の側にある人の問題だけをあげつらう態度は、19世紀的な社会的野蛮であると主張したいのです。

 さて、自殺は究極のセルフ・ネグレクトと言えるかも知れません。年間3万人を超える自殺者を産出し続けている現状の一端は次のようです。

表1 自殺の季節別割合(平成16~20年の平均)
季節度数(人)日数一日あたり(人)
春(3から5月)40,64927.146088
夏(6から8月)37,14224.746081
秋(9から11月)37,17424.845582
冬(12から2月)35,11923.445278
合計150,084100.01,82782
表2 自殺の曜日別実数・割合(平成16~20年の平均)
曜日度数(人)日数一日あたり(人)
19,48413.026175
24,20816.126193
22,88115.326188
22,08714.726185
21,49314.326182
21,46714.326182
18,46412.326171
合計150,084100.01,82782
*表1・2:厚生労働省「人口動態調査に基づいた自殺の特徴に関する調査」(平成22年3月30日)
 自殺統計にみるわが国の特徴は、春と月曜日に自殺のピークがみられる点にあります。春にピークがある点について、厚生労働省は「有識者の間では、社会的要因のみならず、生物学的な要因も関連しているのではないかとの指摘もある」としますが、このような「有識者の見解」ほど怪しいものはありません。

 自殺の背後には、季節性感情障害(たとえば、季節性うつ病など)が介在することもあり、自殺は確かに社会的要因だけで説明できるものではありません。しかし、「春」という年度初めと「月曜日」という週初めに自殺のピークがあることは、この一年の、この週のそれぞれの始めにあって「彼自身の未来を信じることができない」ことに強い関連性を持って現代の自殺が発生しているように思えてなりません。

 精神医学者の笠原嘉さんは、サリヴァンの「個人的親密への要求」を取り上げて、次のように説明します(笠原嘉著『青年期』、23-30頁、中公新書、1977年)。

 「自分と同じことを感じ、自分と同じ体験を持ち、同じ不安を未来に向ってなげかける人間がいることを知ることの意義は、単なる慰め以上のものである。人間が社会性を獲得していくために不可欠なステップとしての相互の確認が可能になる。」

 経済成長のための競争的人間関係の強化が「親密さへの要求」を社会的に抑圧する下では、被災者の生活再建を柱に据えた真の復興策はむろんのこと、社会保障・社会福祉の発展はあり得ないのです。ここに、いじめや虐待を親密圏に発生させ、そのことがますます公共圏を貧しいものとする基礎的な構造が横たわっていると考えます。

 戦争や密室の収容所という形ではないけれども、現代の私たちは(そして多くの政治家は率先して!)、日常生活世界に暴力を蔓延させる現実を推し進め、一見開放的な社会空間においては、震災や出自・職業的地位をテコに人間を絶望的な格差の檻に囲い込む「強制収容所的システム」を作りつつあるのかも知れません。

 いじめや虐待のない日常生活世界と社会的抑圧の克服に資する政策のリアリティが万人のものになることを祈って。メリー・クリスマス!!


コメント


私は、先日の総選挙前後の各党の争いにおいて、どこが国民のためになっているのだろうかと疑問でならなかった。なぜなら、国民のためだというのであれば、まずは被災地の復興支援に取り掛かるべきだと思うからである。国民のためだという言葉は、彼ら政治家の自己満足に過ぎないのではないかと思う。復興の兆しが見えずに、震災から2度目の冬がきているというのに、政治家同士言い争いをしていても仕方ないと思う。このような様子を見たたくさんの国民が、「政治には何も期待しない」というのも致し方ないと私は考える。宗澤先生が考えるように、今の日本を動かしている人たちの現状が、私たちのような一般人の現状を生み出しているのだといえよう。まずは、国全体が希望を魅せることが、今の日本には必要であるのではないかと思う。それによって、生きる希望をも持ち、自殺する人が少なくなることを願う。


投稿者: n_m.SS | 2013年01月02日 19:51

私たちの生活と政治を切り離すことはできないにも関わらず、昨年暮れの総選挙では投票率が戦後最低で、政治に対して期待していない有権者の多いことが伺えた。
セルフ・ネグレクトは国全体に蔓延している。

しかし現状は、東日本大震災以降いよいよ余裕もなく、震災復興なくして日本は前へ進めない。

震災を風化させてはいけない。私たちは、同じ島国に住む運命共同体である。絶対に復活するという目標を国民、そして政治家が強く持てば、セルフ・ネグレクトの状態を脱却できるはずではないかと思う。
そのような意識が、震災直後に比べて薄れているように感じる。


投稿者: おむすび | 2013年01月03日 19:29

被災者の生活再建策が総選挙の主要な争点にならなかったのは、震災から2年が経過しようとし、人々の被災地を慮る意識が薄まってしまったことが原因だと考えています。このことに私は同じ日本人として非常に恥ずかしい気持ちになりました。もう一度、私達一人一人はもちろん、国民に大きな影響を与えられる政治家こそが声を大にして被災地の復興を掲げていかなければならないと思います。


投稿者: マンゴーNo.2013 | 2013年01月08日 15:52

命を落とすまでには至らなかったけれども自殺を図った自殺未遂者は自殺者数の約10倍いると言われています。
自殺に至るまでの経緯は様々で一概に原因をまとめることはできませんが、私は「経済的要因」と「人間関係の希薄さ」にあるように感じます。
1990年代以前は80歳以上の高齢者の自殺者は年齢別のどの年代よりも多かったのだけれども、1990年代以降は毎年自殺者が減少しています。それは年金や国民保険などの社会保障制度や医療保険制度が発達したためであると言えます。このことは失業に関係のない自殺者にも言えると思います。
震災で家や家族、友人を失い現在も苦しんでいる方は沢山います。孤立や人間関係の希薄により被災者が自殺という決断に踏み切ってしまったらそれほど残念なことはありません。未来が見えないことは恐ろしいことなのだと思います。
国や政府が日本の国民、特にそういった方々に希望や未来を与えていくことがこれからの日本にとって最も重要なのだと思います。


投稿者: YMGT | 2013年01月08日 17:24

私は留学生で母国は韓国です。韓国は自殺率はとても高く、OECD国家の中で最も自殺率が高いです。さらに韓国では死亡の原因で1位は自殺であり、自殺の問題がとても深刻な状況であります。自殺率の原因は日本と同様のことも多くあり、憂鬱症、人格障害(虐待による障害、いじめも含む)、経済的な貧困、不安などがあります。韓国も日本と同じのように日常生活に暴力や職業的地位などにより、格差の檻に囲い込まれていると思います。それで考えてみると「強制収容所システム」は世界に広がっているし、国家間の協力及び相互間の討論なども必要だと考えます。


投稿者: コスモス | 2013年01月14日 15:36

日本における既存の人権問題の解決においても「まず経済の発展ありき」という発想に基づいているという記述を読み、私は一つの不安を持ちました。

先日の総選挙の際、多くの政治家が今の日本における最重要課題を被災者支援であると述べていたことを覚えています。

ところが、蓋を開けてみればその課題が経済の発展を前提としているとすれば、現在不況である日本にとって必要な政策は経済政策であるということになってしまうのではないでしょうか。

被災者達は早急な支援を求めていることはだれの目にも明らかです。しかし、GDP世界3位という経済状況にゆとりのある国であるにもかかわらず、あくまで経済の発展を優先するのです。

こう考えると、私たち国民は政治家たちに騙されている気がしてなりません。あくまで選挙の得票数を得るためだけに国民の支持を集めやすい政策や意見を提示しているだけのような気がします。これでは政治家を信じて国を任せることなど、何の政策をするのであろうが私はできません。

いくら国の経済を立て直そうが、国民の代行者であるはずの政治家を国民が信用できないのであれば、日本に輝かしい未来はまず訪れないだろうと考えます。


投稿者: スモーク | 2013年01月14日 22:38

就活が始まった今、特に「親密さへの要求」が抑圧されているように感じます。若者たちが「自分と同じ」人とがいることを知ることは、多くの場合は傷のなめ合い・甘えだと自他共に思い込んでいます。これは就活生どうしの蹴落とし合いという、競争的人間関係に引きずり込むような考え方ではないでしょうか。自分だけこんなにも苦しんでいて、誰にも必要とされていない…と孤独を抱え込むことが、就活生の自殺が増加している大きな原因の一つだと思います。


投稿者: vitamin | 2013年01月15日 22:13

経済の発展のための競争的人間関係が、人々の生きにくさに影響を与えているのは明らかだと思います。それは表に示されたように、他の曜日と比較して土曜日・日曜日の自殺者数が少ないことからも表れていると私は感じました。土日はある程度、競争的な人間関係から解放される時間を作ることができるため、自殺衝動を抑制できているのかもしれないと考えました。現代を生きる我々が明るい将来を見ながら日々を過ごせるよう、平日も競争からの解放時間を意図的に作るような社会の流れを作っていきたいと思います。


投稿者: OMT | 2013年01月16日 15:30

(選挙に関して)
“支持政党がない”人の割合が高く、選挙結果が国民の総意なのか疑問に感じた記憶がある。それは国民の政治に対する無関心や、情報が迷走していることが原因なのではないかと思う。自分も国民の一員であることに自覚を持ち、積極的に情報を得ようとする姿勢がなければ、正しい判断ができないのではないだろうか。また、メディアが流す多くの情報のうちどれが正しい情報であるのかを見抜く力が必要だと感じた。
(震災の復興に関して)
予算を組むだけで満足してしまい、その後の運用がうまくできていない状況があるのではないかと思った。現在は復興<経済回復の考えから復興よりもオリンピック招致などを優先してしまっているのではないだろうか。震災から2年が経過し、記憶が薄れつつあることも原因の一つではないかと思う。
(自殺に関して)
自殺者数に関するデータを見て、改めて日本は自殺者数が多いと感じた。世界でも通用するような日本人を育成するために教育・市場に競争原理を持ち込み、その敗者が淘汰されていく…といった社会構造にも原因はあるのではないか。その点では、自殺は政治ともつながりがあるように思う。


投稿者: iphone7 | 2013年01月16日 15:54

震災の直後はあんなにやっていた現地の報道もほとんどなくなり、私たちも今までと変わりのない生活をしてしまっている人も多いと思います。ですが、現地のリポートの番組を見たとき、実はまったく現地の人々は救われていないことを知りました。
なのにテレビに映っている政治家は選挙に勝つこと自体が目的であるように感じます。増税だの新党立ち上げだのとお金のことや自分のことばかりで、議論も私にはただ与野党で争い自分たちが勝ちたいだけで、「国民のため」なんて言われてもあまり実感することができません。被災地の人々も私たちも、春の月曜日、新しい始まりをうれしいとまでは思えなくても、「頑張ろう」という気持ちで迎えられるようになればいいなと思います。それは、個人の努力だけでは不可能だと思います。私たちの希望の一票を無駄だったと思わせないように、国民の代表として頑張ってもらいたいなと思います。


投稿者: おむらいす | 2013年01月17日 15:23

『「彼自身の未来を信じることができない」ことに強い関連性を持って現代の自殺が発生しているように思えてなりません』とありましたが、私の場合も同様です。周囲は就職活動が始まり、そのストレスから精神を病む人が出てきました。これは、そのひとの精神力によるものなのでしょうか。やはり、将来に希望が見出せなかったり、社会や政治に期待できなかったりすることも要因になっていると思います。


投稿者: すず | 2013年01月20日 01:08

総選挙では自民党によって経済成長が強調された。これは日本国民一人ひとりの安心した生活への寄与を重視するのではなく、日本という国家の国際的な地位を取り戻すことを示しているのではないか。震災から2年近くが経過し、未だ仮設住宅で窮屈な生活をしている人々がいる。そうした人々を親身になって考えれば復興を一番の政策目標に掲げるであろう。あくまで復興への手段である経済成長を一番の政策目標に掲げるのは、被災者を、国民を裏切る卑劣で残忍なことである。これ以上被災者の不安を増大させてはならない。つまり「強制収容所的システム」の檻から一刻も早く救い出していかなければならない。


投稿者: 赤いキリン | 2013年01月20日 01:17

この前、総選挙が行われましたが、自分も今回の選挙にはあまり意義を感じませんでした。結局政治家はマニフェストを掲げるだけで実行できないからです。本来重視しなければならない「復興」をないがしろにし、自分たちの利益追求を行う日本の現状は何か違うと思います。国として人として本来あるべき姿をもう一度問いただす必要があるのではないかと思います。


投稿者: ミントン | 2013年01月21日 15:07

私は中国からの留学生です。母国で自殺する人が近年前そんなに大きな問題とは感じません。しかし、ウィキペディアでの「人口10万人あたりの自殺者数」によると、1999年の中国はまだ27位ですけど、2010年の時、もう10位になりました。それを考えると、経済成長につれ、経済的な格差が一層に拡大すると不況のつきもの(就職難)、社会地位の不平等などの原因で、自殺率が高かったと考えます。


投稿者: superman | 2013年01月21日 19:54

戦争の犠牲者は経済成長政策の犠牲者と言い換えることができるといったフレーズがとても印象的な記事であった。また、日本の経済成長政策が多くの犠牲者を生んでいるといったことも事実であると感じる。そしてその波は教育現場にまで及んでいると私は考える。幼いころから競争を強いられた子どもたちのストレスが、いじめや非行・薬物乱用の大きな原因の一つであるといっても過言ではないだろう。今の日本は、近い未来の経済安定のために、遠い未来を担っていく子供たちを苦しめているのではないか。


投稿者: FTNY | 2013年01月21日 22:11

震災からの復興や原発を主な争点に挙げ必死に票を取りに行った総選挙に対して「今の政治には期待していない」という被災者の人々の言葉は究極の皮肉だと思います。特に今まで怠惰な政治を行ってきた大きなツケを与党は払わされたと思います。
現代では非常に地域のコミュニティの存在感が希薄化してきたことで不安感を持つ人々の孤立な感情をさらに高めている結果になってきているのではないかと考えます。また頻繁に報道で近隣トラブルが報じられることからむしろ経済の停滞から競争的人間関係が地域で発生しているのではないかと考えます。
その人の感情の受け皿になってあげるべき拠り所的な存在、そしてなにより雇用機会の創出の必要性を感じました。


投稿者: はるいち | 2013年01月22日 00:40

自民党は経済再生を復興に次ぐ課題として公約で紹介している。今回の記事を読んだ私にはこの方針に不安を抱かざるを得ない。最近では被災地のことがあまりメディアで取り上げられなくなったが、依然として仮設住宅暮らし、放射線など問題は山積している。逆に経済についてはよく取り上げられている。これは復興について政府はまだ目立つ動きをしていないからではないだろうか。このような状況で経済再生を大々的に推し進めるのは全体的に見れば、大きな利益をもたらすかもしれないが、今一番救うべき人たちをないがしろにし、ますます被災者の反感を買ってしまう行為である。今年の4月1日は月曜日にあたり、二重の意味で始まる日である。そういった日に「未来を信じる」ことができず自殺する人が出ないように自民党にはぜひ頑張ってもらいたい。


投稿者: マウス | 2013年01月22日 02:25

被災者の生活を壊していながら、政治家はどうして他の事に目がいくのでしょうか。被災者の家はどうなるのか。慣れ親しんだ土地はどうなるのか。被災地の学校はどうなるのか。そこに通っていた子どもはどうなるのか。そのことを置いておいて、何が国民のためなのか、と思います。被災地のためにも「経済成長せねばならない」と言えるのでしょうか。いったい何のための経済成長なのでしょう。そもそも「国際競争に勝つための経済成長」と、「国民ひとりひとりが幸せに暮らす」ということは天秤にかけることではなく、「国民ひとりひとりの幸せのための経済成長」でなくてはならないと感じます。経済成長によって利益を得るのは一部の資本家だけです。被災者には届きません。おそらく自分たちにも届きません。そのことに自分たちは、気づかなくてはなりません。


投稿者: 天然芝 | 2013年01月22日 11:01

私の地元は福島県です.東日本大震災について,当時私は埼玉にいたのだが,身近な人間,友達が被害にあったことを聞いた.時と共にその後の復旧処置などについて動向を気にしてはいたが,やはり,まだまだ復旧したとはいえない.そんな中で選挙が行われ,復旧問題が解決しない中「我々が日本の未来を変える」という発言を聞くと,「震災問題から目を背けて未来が変えられるのか.」と思う.少なくとも被害にあった人々はそう思っているはずです.素人の考えかもしれないが,政治家は,選挙で当選すればそれでいいというような甘い考えを持っている人が多いのではないかと思う.
 自殺に関して,原因は人間関係にあると思う.日本の競争社会の中で自分の居場所を作るのは容易ではない.自殺動気についても,人間関係,仕事関係がほとんどではないかと思う.そんな競争社会から解放され,ストレス発散する場を求めることはとても重要である.人それぞれ思うところはあると思うが,今後私がこの競争社会をどう生きていくか不安を感じるとともに楽しみでもある.


投稿者: まうまう | 2013年01月22日 16:05

私は今まで納得できない一つのことは自殺である。人はなんで自分の命をそんなに軽く見るの?命が両親からくれたのに、自分がこの世に来る意義が必ずあるだろう。もしかしたら、私のイデオロギーまだまだ成熟していないか?まだ本当の社会人でないか?まだ現実の厳しさを分かっていないか?それはかもしれない。上の表を見ると春の自殺率が一番高い、一年間の一番いい時期なのに。
 確かにこの世にいじめや虐待ことがたくさんある、これに対して私たちはほとんどの場合は自分のことに関係がなく黙って見ばなしをする。もし、これから、日本全土の人たちがいじめを見れば、すぐ止めさせるならば、なん年後は、この島がいじめ問題もうないはずだ。


投稿者: seung-勝 | 2013年01月22日 17:19

私は中国からの留学生です。母国で自殺する人が近年前そんなに大きな問題とは感じません。しかし、ウィキペディアの人口10万人あたりの自殺者数によると、1999年の中国はまだ27位ですけど、2010年の時、もう10位になりました。それを考えると、経済成長につれ、経済的な格差が一層に拡大すると不況のつきもの(就職難)、社会地位の不平等などの原因で、自殺率が高かったと考えます。


投稿者: superman | 2013年01月22日 20:12

経済成長というと、一見聞こえの良い言葉に思えるが、今回の記事を読んで経済成長という言葉の裏に隠された問題がはっきりとわかった。自民党に政権交代した今、経済成長が叫ばれているが、経済を発展させる過程の中で競争や対立、利害関係を避けて通ることはできない。結局その中で勝ち残り、他人を蹴落とすことのできた者だけが快適な生活を送るのでは、弱い立場に立たされている人が希望を持つことはできない。(ここでの「弱い立場の人」とは非正規雇用、就職活動中の学生、被災者等)そういった状況の中で生まれてしまうのが「自殺」なのではないか。政治家の中でそういった人々と同じ目線で、同じ弱い立場に立って声をあげようと考える者はどれほどいるのだろうか?投票する側の無関心さ・政治への不参加も問題として挙げられているのは事実だが、政治家が一般人の立場になって本当に困っている人々をも救い出せるような政治目標を掲げ、実行しなければ「国民の代表」としてトップに立つ意義はないと思った。


投稿者: でこぽん | 2013年01月23日 09:07

日本人の自殺者の多さには閉口します。私はその解決策として、労働時間の短縮を推奨したいと思います。それによって、気持ちや時間に余裕を持つことができ、精神的負担を軽減させることができるでしょう。余暇が増えることによって、自分の趣味にお金をかけることができたり、旅行に行けたりするので、経済活動にも貢献できるのではないでしょうか。今の日本の現状として、とてもではありませんが希望を持てる状況ではないように感じます。政治家はその状況を重く受け止め、日本のさらなる発見のため精進するべきだと思います。


投稿者: みかん | 2013年01月23日 13:20

東日本大震災からまもなく2年が経とうとしている。福島第一原発事故により発生した放射能汚染問題は、最近のニュースではほとんど目にすることがなくなった。もちろん問題が解決したわけではない。今も劣悪な環境の中で放射能汚染を取り除くために尽力している人たちが多数存在するのである。しかし、昨年の選挙で目が向けられたのは、危険な状況で働いている人たちの支援ではなく、他の原発をどうするかということであった。確かに、いつ起こるか分からない震災に対して同じ過ちを繰り返さないようにすることは重要なことであるが、これでは今必死に復旧作業をしている人たちの苦労が報われないのではないだろうか。チェルノブイリの事故を踏まえると、今回の放射能汚染もあと何十年もの間解決されないかもしれない。そうなるとそこで働いている人たちや故郷へ帰って暮らすことを願っている人たちは生きる希望を失ってしまう。中には自殺をする人もでてくるだろう。震災と原発事故が起きてしまったという過去を変えることはできないが、また新しい明るい未来を創造していくことはできる。したがって、政府はもう一度被災地の現状と向き合い、被災地に関わるすべての人たちの支援をすることで未来創造の礎を築いていく必要があるのだ。


投稿者: ブレンドコーヒー | 2013年01月23日 23:19

 最近のニュースで被災地の報道をしているのを見て、おばあさんが「仮設住宅は意外と住みやすいよ。」とのことを言っていた。それに対し、被災地を訪れた人は、住みやすいと思うまでに長い間仮設住宅に住まわせてしまっている現状に反省し、一刻も早く改善したいとのようなことをコメントしていた。このことから政府には被災地復興にもっと重点をおいてほしいと思った。
 現代の競争的人間関係は自殺の増加につながっているし、それは経済成長の犠牲者を増やしているともいえると思う。また、現代になってまで、そのような犠牲者を出してはならないと思った。表面的にだけよい政策ではいけないので、「強制収容所的システム」がなくなるような日本にしなればならない。


投稿者: 白桃 | 2013年01月24日 03:22

私はいじめや虐待を行う人は育ち方、あくまでも本人とそのすぐそばの生活環境が影響した結果であると考えていた。しかし、国家が経済成長のための競争的人間関係の強化を目指し「親密さへの要求」を社会的に抑圧することがいじめや虐待を行う基礎となっているとするとだいぶ話は変わってくる。政府の政策における経済成長そのものが間違っていると断じることはできないが、今までも経済成長を目指した政策は行われてきたのだから国家はこれらの副作用とも呼べる影響を多角的に検討・対処することはできたはずである。これらの問題を検討・対処してこなかったのは国家としての怠慢であるともいえるし国民たちのセルフネグレクトであるともいえる。
これらのことから政治家や国民も失敗から学ぶだけでなく今一度、温故知新の考えを持ってほしいと感じた。


投稿者: どうけ | 2013年01月24日 03:39

私は現在の政治にとても疑問を感じています。先日、総選挙が行われましたが、何度総選挙をくり返してもこれまでの日本の政治を振り返ると、今回も満足にマニフェストを実行できないのではないのかと感じます。たとえば沖縄の基地問題や震災復興など、早急に解決しなければいけない問題がどんどん後回しにされ、結局うやむやにされている気がしてなりません。現状をしっかり見つめた政治を行ってほしいと感じます。


投稿者: あっぷる | 2013年01月24日 18:51

私はこの世の中をどう生きていくかということを、もっとしっかり考えるべきだと思う。確かにこんなことを考えるのは阿呆らしいしめんどくさい。しかし、やはり生きることに対して能動的にならなければ、本質としての人生を一向に理解出来ないのではないかと思ってしまう。これを理解出来たなら、自分が生きている理由、生きる意味というものが少しずつ分かってくるんだと思うしそう信じたい。もっと人生に対して積極性を持ちたい。そう感じる。


投稿者: andy | 2013年01月25日 02:29

わたしは、宮城県出身で被害はあまりないほうだったが実家は被災した。あの大地震が起きて約2年たつが、今回の選挙で復興や生活再建策などがあまり題材にならなかったことに関して憤りを感じる。たしかに、景気の回復なども重要な過大だと思うが、苦しむ国民の生活にもっと目を向けるべきではないか。時間がたてば生活が戻るというわけではない。今回の選挙は与党がどの党、誰が当選するなど政治家の利益を争うそんなものに感じて虚しさも感じた。


投稿者: たわ | 2013年01月25日 07:13

私自身被災地の出身なので、日本の政治には復興支援をどうしていくかという部分に期待している。しかし現状はどうだろうか、具体策もあまり出ないまま後回しにされている気がする。被災地の人たちはそれでも日々復興に向けて一生懸命努力している。だからこそもっと国民の声を聞いて、全員で協力し合えるような政策出してほしいと願っている。


投稿者: らすかる | 2013年01月25日 15:18

 「セルフ・ネグレクト」という言葉があるのですね。過酷な環境におかれた人が、自身への関心を無くす状態、記事中の「自己放棄」ですね。「夜と霧」における収容者の例を読み、日本の決して少なくない自殺者数を考えたとき、私はこの「セルフ・ネグレクト」とその原因であろう環境への怖さを感じました。 (日本のみに限ったことではないのでしょうが、)「彼自身の未来を信じることができない」人々が日本には多く存在します。自殺者数に反映される数は、氷山の一角でしかないはずです。
 記事では、社会が「親密さへの要求」を抑圧することが関係するとありましたが、私もそうだと思います。自身を信じるために、他人との関わりの中で存在を認められることが必要だからです。それが今の競争社会では叶わないのでしょう。しかし、競争社会も、政府が経済政策を震災の復興策よりも優先したことも、結局私たちが自分たちの豊かさを求めている結果だと思います。また、家族や地域など、人の持つ社会は学校や会社だけではないはずですが、それぞれの社会で人々の関係が薄れているのかもしれません。私たちは、もう少し周囲の人々への関心を持つべきです。


投稿者: まりおと | 2013年07月13日 15:09

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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