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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

本当のことを知りたい

 私はバイク党です。何も総選挙に向けて新党を起こすのではありませんよ(笑)。モビリティのあり方として、私の性分に合っていると考えてきたのです。どうしても、バイクを復活させたいと一念発起し、昨今の中古バイク事情を20年ぶりに探ってみました。「情報化社会の進展」「ユビキタス社会の到来」などというのはほど遠いありさまで、得られる情報は旧態依然としています。
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 年式、走行距離、傷の有無と程度、ワンオーナーか否か…。このようなありきたりな情報から、中古バイクの程度を判断できるものではありません。いささかマニアックですが、私の最も知りたい情報は、走行距離1,000㎞以下の状態でエンジンオイルの交換がどれくらい頻繁に行われたかにあります。

 最後に乗りまわしたバイクはホンダCB-1(TypeII)でした。バイクショップでこのバイクの整備をしてくれていたのは、当時、鈴鹿8時間耐久レースでピットのメカニックを担当していた腕のいい整備士でした。バイクを新車で購入するときに、整備士の「常識」を私に伝授してくれました。

 「エンジンの寿命と調子は、走行距離1,000㎞までにこまめにオイルチェンジをすることで決まります。まずは、30~50㎞で最初のオイルチェンジをするべきです。次に、300~500㎞でチェンジします。そして、1,000㎞が初期段階の仕上げのオイルチェンジです」

 「エンジンは金属部品を組み合わせてできています。だから、ミッションの部品同士やピストンとシリンダーが擦れあって、初期段階にスラッジ(金属粉)を多く発生させます。30㎞ほど走ってオイルチェンジして、中から出てきたオイルを太陽にかざしてみると、膨大な量のスラッジがキラキラと光って見えるほどです」

 「このスラッジをメーカーの取説にあるように、初回オイルチェンジ3,000㎞まで放置しておくと、エンジンの中に磨き砂をいれたまま走行していることとなって、エンジンの寿命を縮めるのです。慣らし運転と並行して、初期段階のオイルチェンジをこまめにきちんとすれば、その後のエンジンの調子とエンジンの寿命は飛躍的に良くなりますよ」

 私は理路のとおった彼の説明にすっかり納得し、さっそく走行距離30㎞時にオイルチェンジをしてみました。いやはや恐れ入りました。確かにエンジンから取り出されたオイルの中には、キラキラと夥しいスラッジが漂っていたのです。それ以来、車の購入時にも彼の教えを忠実に守るようになり、おかげで私の使う車やバイクのエンジンの調子はすこぶる快調です。

 ところが、このメカニックの「常識」は世間の常識ではありません。新車購入時のメンテナンスをこのようにすると、エンジンの寿命はうんと延びますから、新車の買い替えサイクルは延びてしまい、メーカーにとっては出したくない情報なのだろうというのが、バイク仲間の友人と話しあった結論になりました。

 消費者の利益に資するオートバイのメンテナンス情報程度のことでさえ、このようなあり様ですから、あらゆる電化製品の取説情報はむろん、原子力発電所に関する情報などに至っては、何が本当のことなのかさっぱり信用できないという気持ちになるのは私だけではないでしょう。

 情報を流す側は、自らを利する情報しか流さない。それを点検すべき支配的なメディアは、広告主体とマス・メディアとの忌まわしい利害関係も手伝って、真実を伝えてきたとは思えません。マーティン・ファクラー著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(2012年、双葉新書)は、ニューヨーク・タイムズの東京支局長である著者がわが国のメディアに巣食う問題点を露わに示した労作だと思います。

 わが国で「自らに利する情報しか流さない」のは政党も同じです。その情報をマス・メディアが垂れ流す。批判的な記事を書いているようでも、実に通り一遍の内容でしかなく、わが国のマス・メディアには批判的能力そのものが欠如しているのだと、最近は考えるようになりました。だって、「記者クラブ」の存続を公約違反として取り上げた新聞社ってありましたっけ? 国民の政治不信の拡大には、政治家の問題だけでなく、マス・メディアも加担してきたのではありませんか?

 メディア・リテラシーの課題だけでなく、「本当のこと」にたどりつけない情報に関する構造的問題にも眼を向ける必要がありそうです。乱立の総選挙を前に、国民それぞれが「情報難民」とならない手立てを熟慮する必要がありそうですね。


コメント


自分も最近バイクに興味を持ち始めました。
もう一年早くバイクの魅力に気づいておけば・・・と後悔しているところです。

このブログをみて確かに情報というのは
ときには国家をも滅ぼすような力を持っていることもあるほど、重要な役割をしていると思います。店側も自分が・自分たちが生きていくために、よりよくなるためにというような考え方で顧客側に”情報”を提供しているのは確かだと思います。でもそれでも自分は、よいと思います。

それを見抜けない自分たちが間抜けなのであって、そのようなことは自分たちだっておこなっているのだから。


投稿者: G-2 | 2012年12月24日 17:54

このブログを見て情報というものはとても便利なものであると同時に、国家を脅かすほどの力を隠し持っていると感じた。情報を流す側は自分たちが利する情報しか流さないのが現状で、今問題となっている原発のことでさえも裏側の情報はわからないままである。しかし、そんな表向きの情報だけが飛び交う中で生きていかなければならない私たちは、その情報をしっかりと見極める力が必要だと考える。


投稿者: せっきー | 2013年01月05日 18:40

僕も中古のバイクをパソコンから情報を得て買ったことがあります。そのとき思ったのは、パソコンの画面を通してみたバイクと実際そのお店にいって自分の目でみたバイクとが違ったことでした。つまり、情報というものにはそれが自分発信ではない限り不確実性を伴うということです。なので、情報は便利ですがただ信じるのではなく、しっかり見極める必要があると感じました。


投稿者: いけ | 2013年01月09日 15:51

情報の持つ怖さは昔からわかっているつもりでした。しかし、地震によって生じた福島の原子力発電事故においての放射能の報道には改めて怖さを知った。マスコミによる報道で、福島県産の商品が売れなくなったり、情報によって人々がいかに操作されやすいかが露骨に出ていたと感じる。
さまざまな手段で情報を手に入る今、そのまま受け入れるのではなく、しっかりと自分で考えて生活したい。


投稿者: きくきく | 2013年01月09日 16:21

情報を流す側は、自らを利する情報しか流さないとありますが、まさにその通りだと思います。原子力発電所に関する情報では、情報の公開が遅いことが多かった気がします。パニックを避けるという目的もあったのでしょうが、非難を避けるために情報を小出しにしていた気もします。原子力発電所の事故というものは大変危険です。専門的な知識がないのであまりいろいろ言えませんが、万が一核燃料による大爆発が起きた場合、情報の公開の遅れにより近隣住民が避難できなかったらどう責任をとるのでしょうか。そして、このことに関しては、自分で本当の情報を知るのは不可能だと思います。情報を流す側と受け取る側には大きな強弱関係があり、本当のことを知ることの難しさの原因となっていると思います。


投稿者: たけのこ | 2013年01月10日 01:13

現代は情報化社会と言われるほど情報が溢れかえっています。広く一般的に情報を得るには自分から能動的にならなければならない、と言われています。それに加えてその情報を取捨選択しなければ真実にはたどり着けないとまで言われるようになりました。しかしどうでしょう。情報を取捨選択する前に自分から情報を得ようと能動的に動いている人は依然として少ないのではないでしょうか。
そこで私は大学からの通知は掲示板が主流になっていることに注目しました。入学当初は困惑するだけでしたが、慣れてくると掲示板に立ち寄るのが日課のようになりました。そう思えるようになってからこの掲示板を使うシステムの意義に気づくことができました。これからはこの感覚をほかの場面でも生かしていきたいと思う。


投稿者: so1 | 2013年01月12日 13:22

私が初めて情報の不確実性に対し考えさせられたのは、震災の時でした。当時、私は原発の安否に不安を持ち、テレビのニュースを見ながらある掲示板サイトの原発に関するスレッドを閲覧していました。すると、テレビでは全く報道されていない重要な情報が原発について博識な方により書き込まれていました。なぜこのような大事なことを政府は視聴者に伝えないのか、私は疑問を持つと同時に、言いようのない恐怖を覚えました。

情報社会と呼ばれる現在を生き抜くためには、正しい情報を取捨選択して吸収し、それを鵜呑みにしないこと。そして多くのことに関して幅広い知識を付けることが必要だと感じます。


投稿者: スモーク | 2013年01月14日 23:38

マスメディアが信用できない、最近特にそう思う。流行っていないものを流行っているように扱うことなどは氷山の一角だと思う。
私は、この問題の解決の糸口はインターネットにあると思う。ネットは特有の匿名性をもち、情報の正確性を疑問視する声もある。大津のいじめ事件の際、無関係の人物の写真が加害者の親だとされネット上に出回ったことは記憶に新しい。ネットは誰もが情報の発信者になることができる。しかしそれは裏返せば、利害関係に囚われず、誰もが平等に発言することができるということである。現在はまだ問題点は多いが、一人一人が自らのメディアリテラシーを育てることから始めるべきであると思う。


投稿者: のん07 | 2013年01月15日 15:32

このブログの記事を読ませていただいて、改めて情報というものの信ぴょう性について考えるようになりました。今の現代社会にはおびただしい量の情報が飛び交っています。対人からの情報もそうですが、その多くはネットからの情報が占めています。ネットは便利である一面、間違った情報をつかんでしまうと恐ろしいことに巻き込まれるという危険な一面もあります。ただ受動的に情報を受け取るのではなくて、能動的に情報を選択し、自分にとってプラスになるものをしっかりと見極めて選択することが必要だと思いました。自分も情報の受信者という立場だけではなく、情報の発信者としての立場もつくり、情報に振り回されるのではなく上手く利用していきたいです。


投稿者: てんほー | 2013年01月15日 17:33

今の時代は情報が簡単に、短時間に、たくさん手に入る時代です。その中の情報のほとんどは、情報を流す側の人にとって利益になるようなものしかないと自分も思います。また、商品や経済に関してはともかく、その中でも政党や政府の組織がこのような自分の利益になるような情報だけを流しているのは自分もおかしいと思います。理由は政治に関することの事実を、原発事故の時のように隠していたら、混乱を招くし、国民がますます不信感を抱き、政治家に対する信用を失うなどマイナスなことしかないと思うからです。ただ、情報を流す側だけでなく、受ける側も情報をしっかりと吟味する力が必要だとも思います。


投稿者: b.o.c | 2013年01月15日 23:30

 私は楽器を弾くのが趣味で、買うのも趣味のひとつです。その中でも私はお金がないので中古を買います。実際に買いに行くのは時間がかかるのでインターネットで購入します。しかし乗っている情報は少なく材の種類や部品の名前の記述がないことが多いです。しかし楽器はそれによって左右されるため、確かに楽器屋としては教えたくない情報ですよね。私たち消費者にとっては不利なことではありますが、楽器屋にとっては情報を公開してしまうと売り上げに大きな影響が出ますよね。本当に難しい問題だと思います。


投稿者: いけた | 2013年01月16日 00:59

『本当のことを知りたい』を読ませていただきました。この記事に対する、私なりの立場と問題指摘をコメントにかえさせていただきます。

私は常日頃から、メディア・リテラシーも含む様々な批判的精神に触れた後に、結局の自分の意見を落ち着かせる難しさを味わっています。確かに短絡的な共感に終始することなく自分で物事を考えることは大事です。マス・メディアや周りの人との接し方において、粗探しのような目線ではなく、落ち着いた理解を築けるような目線を持つ一個人を目指そうと心掛けています。

選挙での投票率の低下、特に若者の選挙離れは多々指摘されていますが、政治への「正統的周辺参加」において何を「正統的」としているかの違いは大きな理解の差を生むと考えます。そこで次の点を問題指摘とします。「投票に行かないことも無効票を投じることも同じ意味を持つとしている点」です。

加えて以下は問題に対する私見です。無効票を投じることは、投票率の上昇には繋がっても組織票の希釈には直接的には繋がりません。むしろ「投票率の高い選挙で勝った」がどのように世間に響くのかを考えてしまうところでもあります。上の意味はきちんと咀嚼されるべきですが、しかし「関心が湧かない」というメッセージを強めるのももちろん無効票の多さです。ただの非情ではない切なる願いへと、その意味を変えるかもしれません。無効票が増えたときのマス・メディアの反応をじっくり考えるのも、メディア・リテラシーのあり方を示す一つかもしれないと考えています。。。ちなみに私は選挙に行くようにしています。


投稿者: ウィル | 2013年01月17日 07:33

この記事を読んであらためて、現代社会における情報のありかたと情報の享受者として取るべき態度を考えさせられました。
現代の社会は情報社会と呼ばれるほど情報が氾濫していると思います。そしてその情報の信憑性は決して高くはないでしょう。やはり人々にはメディアリテラシーが強く求められているのだと思います。批判的な姿勢で情報に向き合って、真偽を精査していく必要があります。与えられる莫大な情報を無批判に受け入れるのではあまりに愚かです。それこそ情報に翻弄されてしまう結果になってしまうのではないのでしょうか。


投稿者: だいだい | 2013年01月17日 14:07

先日、三陸沖で地震が発生した際、関西の高校生がツイッター上にて「地震で建物が倒壊し、閉じ込められた」という偽情報を流し、これを多くの人が拡散したという一連の騒ぎがありました。
情報がテーマである話題では、「政府は本当のことを話さないから信用できない。」といった類の意見は必ず出てきますが、本当の情報を流さないのは政府だけでなく、我々国民(人間)も同じなはずです。
もちろん、立場の違いで重要性は大きく異なりますが、嘘をつく、本当のことを話さない等、これらは人間の本質的なものなのではないか、とすら思えます。

そもそも、我々一般人はどうやったら真実に辿り着けるのでしょうか。
第二次世界大戦中、日本もアメリカもどの国も、戦果に関しては自国に有利な情報しか流しませんでした。日本がミッドウェー海戦に大敗したことも、日本爆撃機によりアメリカ本土が空襲されたことも、当時の人々の間では、国のトップを除いたら、その出来事に立ち会った人にしか知り得ない情報でした。

我々がいくら、無限にある情報の中から真実を導き出そうとしても、その「無限にある情報」の中に本当の情報があるとは限らないんです。

「情報を流す側は、自らを利する情報しか流さない。」
自分の中でこのことに対する対応策を考えても、情報を吟味して正しいものを得られるよう務める、という、極めて曖昧な言葉しか見つかりませんでした。
むしろ、対応策が簡単に見つからないからこそ、この言葉が、過去から現在まで、日本中、そして世界中に渦巻いているのではないでしょうか。
情報とは非常に便利で、非常にやっかいなものです。


投稿者: そんどんよる | 2013年01月17日 18:39

私も店員さんの話を聞いて、先生が感じたようなことを感じたことがあります。そして、最も共感したことは日本の情報は本当のことを伝えないということです。東日本大震災における原子力発電所の一連の報道然り、身近なことでいえばtwitterなどSNSで取り扱われる情報は数多く存在し、何が本当の情報で何が偽物の情報か見極めるのが難しくなっています。マスコミや政府に非があることもあるが、国民にも同じことがいえると思います。私自身もその一人にならないように、自らの情報について責任を持った上で発信していくようにしていきたいです。


投稿者: y.k | 2013年01月18日 23:45

われわれが情報を得るツールとしてテレビや新聞やネットといったように様々なメディアが挙げられる。特にネットは近年、急速に発達しているメディアと言えるだろう。多くの人がパソコンやスマートフォンを持つようになった今日、手軽さとスピードを武器にネットメディアは発達してきた。これにより、われわれは今までには得られなかった有用な情報を得られるようになったが、その一方で個人で情報を検閲する責任が大きくなったのも事実である。莫大な情報の中からなにが真実でなにが嘘なのか見極めることをわれわれは知らず知らずのうちに強要されているのだ。情報化社会の中ではひとりひとりが冷静な視点をもって臨むことが重要なのだと感じる。


投稿者: チェルシー@ | 2013年01月19日 19:52

『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』のところまで読んいて、実は母国の中国の新聞社も似ています。特に近年、政治家の息子たち、車で人にぶつかり、そのけがした人を殴るなど、すごくひどいニュースは第三者による告発がなければ、国民も何も知らずに生活を送っています。また、遺伝子組み換え食品についての弊害も何も言いません。それぞれ、国民知るべきのことを伝えずに済んでいることは改善してほしいと思います。


投稿者: superman | 2013年01月21日 20:25

私は最近高価な楽器を購入しました。
購入するにあたり最初は費用が安くて済むという点から「中古で構わない」と思いながらインターネットを通じて情報収集を行いましたが中古品に対する批判的な書き込みを見ていくうちにその固定観念が刷り込まれていくのを実感しました。
実際に店舗を訪れ、試奏したところ非常に満足したのですが、どうしても二の足を踏んでしまい結局新品の方を購入しました。匿名性が非常に高く、信用性にかける情報であると分かっているのにどこかで不安に
襲われる感覚を感じ、インターネットのその利便的な情報性の負の側面について考えるようになりました。
膨大な情報量を持つということは同時に信憑性も下げる結果となるので、それを取捨選択できる確固たる考えを持つ、持てるようになれる政策や教育が必要だと考えます。


投稿者: はるいち | 2013年01月21日 23:44

私も最近先輩の影響でバイクに興味を持ちはじめ、免許を取ろうと考えています。私たちは様々なメディアを通して情報を得ています。間違った情報を耳にすることは多くあると思います。そういった場合に情報を取捨選択するメディアリテラシーは大変重要になってくるでしょう。先生が言われていた通り、情報の構造に目を向けることは大変重要なことであるように感じました。


投稿者: スイートポテト | 2013年01月22日 09:24

バイクの情報、とてもためになりました。このような情報が世間にまったく広まっていないという実態が今の政治や不況などにもつながっているのではないかと思いました。自分の利益のためでなく人々が安心して暮らしていける国づくりを一人一人が行っていければよいのになと思います。


投稿者: blood orange | 2013年01月22日 09:55

このブログの記事を読んで、私たちの周りに流されている情報はコントロールされたり取捨選択されているのだと感じました。情報を流す側は自分たちに不利益な情報は流さず、私たちは普段疑うことなくその情報を受け取っています。東日本大地震で起きた福島の原発事故は、ニュースで報道され私たちに伝えられた以外の情報も何かあったかもしれません。その他日常のニュースも、政府などにとって都合のいいように変えられた情報が私たちのもとに届けられているのかもしれません。すべてのことに疑いの目を向けるのは少し悲しいですが、すべての情報を鵜呑みにするのではなく、批判の目をもって情報と向き合うことが、今の日本の社会には必要なのではないかと感じました。


投稿者: みたらしだんご | 2013年01月22日 11:35

バイクの整備士さんは、消費者のことを考えられるとても人柄がよい人だと感じました。情報を提供する側である人は、自分たちにとって何が損得であるかを重視している人が大半でしょう。マスメディアも一見、国民に正しい情報を流しているように見えて、隠ぺいしていることもたくさんあるはずです。原子力発電所の問題について、知人から、「テレビでは言われてないけれど、本当は裏でゴロゴロ死体が転がってるらしいよ。」と話されたことがあります。その情報も確かなものと言い切れるものではありませんが、何が真実で何が偽りなのかは簡単にはわかりません。何かの情報を耳にしたとき、鵜呑みにするのではなく、自ら動いて様々な角度から吟味していくことが必要であると考えます。


投稿者: ぶたちゃん | 2013年01月22日 11:45

「情報の取捨選択が必要不可欠である」というのは現代の私たちにとって当たり前とも言えることである。テレビのニュース、新聞、インターネットなどあらゆる媒体が存在するからこそ情報の正確性を私たちが見極めなくてはならなくなった。東日本大震災の後、しばらくして被災地が回復した様子を報道しているものがあったが、今もなお苦しんでいる人々・地域があることを被災者以外の人々の頭の中から消してしまうのではないかと大きな危険性を感じずにはいられなかった。


投稿者: マシュマロ | 2013年01月22日 14:54

僕も最近バイクにとても興味を持っています。なぜかというと、友人が400ccのバイクを購入し、乗っているところを見て、格好いいと思ったからです。だから、時間を見つけてバイクの免許も取りたいと今考えています。単純にライダーの楽しさや気持ちよさを感じてみたいという気持ちもあります。
情報社会と呼ばれるいまの世の中は、ネットなど非常に便利になっていますが、逆に怖い面も持ち合わせています。その情報が正しいものかどうか見極める力であったり、正しく活用する力がこれからもっと必要になると思いました。


投稿者: ぬけげ | 2013年01月22日 16:36

私も先生がおっしゃったような事を経験したことがあります。その業界では当たり前となっている事が世間一般では知られていない、という事が世の中では多くあります。最近では身近に利用できるtwitterなどのSNSも多くあります。情報を身近に受信できる反面、その情報の真偽を自ら判断していく能力が必要であると思います。私自身twitterを利用していますが、政治家の発言や企業の宣伝も見かけることがあります。自分自身が知識を広げ、その情報を見極める事を意識して利用していきたいです。


投稿者: 猿ロック | 2013年01月22日 22:03

私たちの情報源となっているメディアは今や生活には欠かすことのできないツールとなっている。それに頼るしか私たちの情報はなく(現地に行けない場合)テレビ、新聞、ラジオ、ネットなどからの情報を得るしかない。つまり、メディア側も人間が作っているため、その人の価値観が100%含まれないとは限らない。情報というのは現代社会にはなくてはならない物、間違った情報を受け取らないためにも個人がしっかり情報の根源を見抜く力、視点を持たなくてはならないのでは、と思いました。


投稿者: もぐら | 2013年01月22日 22:43

このブログを読んで、情報の怖さを改めて感じた。
近年では、SNSサイトを通じて電車の運行情報や災害時の情報など、有効な情報をリアルタイムで得られるようになっている。実際に自分も活用していて、利便性感じている。しかし、このブログを読んで考え方が少し変わった。改めて考えてみると、情報の多くは情報源が不明確なものが多く情報に確証がない。また、本文にもあるように、発信者側に利する情報しか流さない可能性もある。これらのことから、情報に振り回されないためにも、情報を得る時は1つ1つ吟味していく事が必要であると思った。


投稿者: グラストラッカー | 2013年01月23日 10:04

現代の社会は、メディアが世間にかなり大きな影響を与える。すなわち、事実とは全く異なった報道をすれば、その間違った情報が世間に伝わってしまう。また、一方的に偏ったものを報道すれば混乱をまねきかねない。だから、メディアは慎重に根拠に基づいた事実を報道しなければならないと思う。メディアから情報を得る私たち自身も、その得た情報を、何も疑いもなしに丸呑みするのではなく、ある程度は疑い、その正当性を確認したうえでその情報を信じるべきだ。


投稿者: ちょるる1 | 2013年01月23日 13:19

私はこのブログを読んで、正確な情報を手に入れる難しさを感じました。先日アルジェリアで起きた人質事件に関してもいろいろな情報が流れており、実際にどういう状況になっているのかわからない部分が多くありました。しかも今回の事件に関しては政府でさえもアルジェリア軍に関する情報が乏しいとニュースで耳にしました。政府でさえも正確な情報をつかめていない現状の中で私たちが実際にどれくらい正確な情報をつかめているのか疑問に思いました。今回の事件に限らず、あらゆることにおいて「本当のこと」にたどりつくのは非常に難しいことであると感じました。また私たちもどれが「本当のこと」であるのかを見極める能力を身に付けていく必要性を感じました。


投稿者: マシュマロ | 2013年01月23日 21:51

このブログを読んで、さまざまなメディアが発達している現代において、進んで自ら正しい情報を得ることの大切さを痛感した。自分に利のある情報を得た時に、今までは情報提供者側の立場で考えたことはあまりなかった。ブログを読んで、確かに情報提供者側に利がなければ情報の提供は行われないことを改めて気づかされた。いろんな視点からの情報が得られることこそ、このネット社会の最大の利点だ。テレビや新聞だけでなく、ネットから本当に自分が知りたい情報、情報を見極めることが大切だと思う。


投稿者: アグネス | 2013年01月23日 23:37

「情報を流す側は、自らを利する情報しか流さない」というのは最近の原発をはじめとして、昭和の公害問題の原因にも深くかかわっており、日本では何度も同じ過ちが繰り返されているように感じる。しかしその情報をメディアが報じるままに受け入れてきたのもまた日本国民である。今後は積極的に「知ろうとする」姿勢と、まず自分の頭で考え何事にも疑ってかかるくらいの癖をつけることが必要なのではないだろうか。


投稿者: F.T | 2013年01月24日 00:40

近年、情報化社会と言われるように雑多な情報だけは手に入りやすくなったように思います。しかし、情報から孤立した情報難民の増加や、インターネットの匿名性を利用したモラルの低下など様々な問題も同時に目立つようになりました。
このように、情報化社会はまだまだ発展途上であるので、情報の扱いには特に気をつけないといけないと思います。また、これからの変化にも柔軟に対応していかなければならないので便利ですがとても危うい存在であると感じました。


投稿者: どうけ | 2013年01月24日 04:44

 福島第一原発の事故のとき、私は「情報を流す側は、自らを利する情報しか流さない」ということを強く感じました。私はそれまではマスメディアは正しい情報しか流さないだろうと考えていました。私は小学校から高校まで「インターネットは誤った情報も多いから鵜呑みにしてはいけない」と何度も教わりました。しかし「マスメディアは嘘をつくから鵜呑みにしてはいけない」ということは一度も教わりませんでした。私のようにマスメディアの情報を鵜呑みにする人を増やさないために、このことを学校で教えていくべきだと思います。


投稿者: クロウ | 2013年01月24日 22:07

この記事を読んで、昔聞いた「半分の嘘」についての話を思い出した。1億円当たったと友人に自慢をしていて聞いただけでの情報ではとても利益を得たように聞こえるが、実際には2億円分買っていたので損をしているという話である。このように情報の持つ力は人に与える印象をガラリと変えてしまったり、いとも簡単に人をだますことができる。これから必要なのは政府による正しい全体的な情報の開示と本当に正しい情報かどうかを自らの力で取捨選択していく力であると感じている。


投稿者: CD | 2013年01月25日 00:31

情報化社会となり、私達は以前とは比較にならない程の量の情報を手に入れることができるようになった。しかし、このことが本当の事を知る事に寄与しているだろうか。私はそうは思わない。多くなりすぎてしまった情報により、私達は目隠しをされてしまっている。何を本当に知らなければならないのか。何を考えなければならないのか。こういった生きていく上で必要不可欠なことすら、情報に隠されてしまっている。そんな気がしてならない。この情報と共生していく方法を各人が模索しないことには情報というものは私達の邪魔にしかならない。私にはそう思えてならない。


投稿者: andy | 2013年01月25日 02:00

私もバイクが大好きです。「バイクは自由の象徴だ」とは誰が言った言葉でしょうか、バイクのことをとても的確に表していると思います。さて、情報に関する構造的問題についてですが、インターネットが普及しているこの時代、人々が必要な情報を得られないというのはおかしな話ではないでしょうか。たぶん、人々はどのメディアの情報が信用に足るものか、また、自分でどのように情報を集めればよいのか知らないのではないかと思います。学校でも、コンピューターの使い方は教えますが、情報の集め方はあまり詳しく教えません。そのため、人々は安易にマス・メディアの情報を信用し、億劫だからといって自分で情報を集めようとしないのではないでしょうか。国民それぞれが「情報難民」とならないためには、学校教育で自分で情報を集めることの重要性を教えなければならないと思います。


投稿者: ずみ | 2013年01月25日 02:37

本当のことを知るということは現代なおいてはかなり難しいこととなってしまっている。なぜなら、本当のことはいつでもなにかしらの形でねじれて私達に伝わってくるからである。これは、知るということの本質として仕方のないことであることは否めない。なぜなら、情報というのはそもそも何かを介さなければ知り得ないからである。ただ、あまりにも偏った報道などが多すぎる今はどうも何かおかしさを感じてしまう。私達はどうすれば本質を知ることが出来るのか。それを模索しなければ一生、本当のことは知ることは出来ないのかもしれない。


投稿者: andy | 2013年01月25日 02:41

この記事を読んで感じさせられたことは、世の中に常識など何一つ存在しないのではないかということです。いかなる常識も、ある者の意図が介入しているのではと思うようになってしまいました。教授がおっしゃったように、電化製品の取扱説明書なんかも必要最低限の事しか書いてないと思います。受け手側のメディアリテラシーも課題だと思いますが、私はマスコミが正しい情報を発信することが一番良い解決法だと思います。殆どの国民はネットや掲示板ではなくTVの情報を一番信用しているからです。しかし、結局このようなことは人間の欲深さが生んでいることだと思うので完全になくすのは無理だと思います。したがって、一番大切なのは、両者の利害のバランスを第三者(政府など)がうまくマネジメントすることだと思います。


投稿者: じゅん | 2013年01月25日 04:42

国の情報を知る。これは日本のごく一般の国民ならほとんどがマスメディアに頼ることになるだろう。しかし政党などは自分の党に不利益になることなどは絶対言わない。企業なども同じである。それをわれわれに伝えるのがマスメディアである。マスメディアが伝えることがすべて嘘なわけではない。しかしマスメディアの情報をすべて鵜呑みにするのではなく否定することも重要であるということである。今の日本人にはその能力が欠けているということである。なぜこのようなことが起きるのかというとメディア以外のところから情報を得ようとしないからである。ほかのところから情報を得ることができれば少なからず異なった情報がある。そこで初めてどちらが正しいか判断をし正しい情報を得ることができる。そのようにして情報を得ることが重要になる。



投稿者: こばとん | 2013年01月25日 07:55

インターネットが普及し、様々な情報が簡単に手に入る時代になりましたが、知識のない人にとってはそれらの情報が本当に正しいのかどうか、どれほどの信ぴょう性があるのかを判断することはとても難しいことであると感じます。自分自身、中古のバイクを購入し一年経たないうちに故障してしまった経験があります。知識がなかったのは自分自身の責任ですが、そのバイクがどんな状態なのか、初心者にもわかりやすい説明をされずに都合の良い情報だけを開示されたことにとても理不尽さを感じました。自分たちの都合で情報を隠されてしまってはどんな情報も信じることができなくなってしまいます。原子力発電所や自動車などの命の危険があることに関することは特に、損得を考えずに全ての情報を開示して欲しいものです。


投稿者: SU | 2013年01月25日 10:42

私は、テレビや新聞などのマスメディアの情報は、インターネットの匿名掲示板や動画サイトなどで情報を得るようになってから、信憑性が高くないことに気づいた。別にネット上の情報の方が正しいというつもりはないが、やはり情報の発信側の立場がはっきりしている場合、記事にあった通り自分の利となる情報が発信されるのは人間らしいといえば人間らしいのではないかと思っている。そこでやはり受け手側は情報弱者にならないために、判断能力、知識量、考察力などを身に付けることが重要であると考える。受動的になり、間違った情報を鵜呑みにして嘆くのではなく、情報に対して能動的になり、自ら正しい情報を導くことが情報社会を生き抜くために必要なことだと思う。


投稿者: むせ | 2013年01月25日 11:49

この記事を読んで、表向きだけの情報に惑わされない一人一人の情報を批判する能力の重要性を改めて実感しました。情報の発信者から流されてきた情報をそのまま受け取るだけでなく、一人一人が自ら積極的に情報を集めることによってのみ、真実が見えてくると思う。このことをしっかりと頭に置きながら、生きていきたい。


投稿者: 右ハンドル | 2013年01月25日 12:48

情報という事について、思うことは。大切なことほど隠されているという事です。私は出身が沖縄です。ニュースで報道されている事のほとんどが表面的な事ばかりだと感じています。現地にいって住んでいるこそ感じることや知ろうとしなければ気づくことの無い真実ご本当に山のようにあります。
でも、何よりも悲しいのはその情報を隠そうとする人がいることよりも知ろうとしてくれる人が少ない事だと私は感じています。


投稿者: ちびすけ | 2013年01月25日 15:06

情報という事について、思うことは。大切なことほど隠されているという事です。私は出身が沖縄です。ニュースで報道されている事のほとんどが表面的な事ばかりだと感じています。現地にいって住んでいるこそ感じることや知ろうとしなければ気づくことの無い真実ご本当に山のようにあります。
でも、何よりも悲しいのはその情報を隠そうとする人がいることよりも知ろうとしてくれる人が少ない事だと私は感じています。


投稿者: ちびすけ | 2013年01月25日 15:08

私はインターネットをよく使うようになってから、テレビでの報道をあまり信用しなくなりました。情報を流すのも、受け取るのも人間なので利害を考えてしまうのは仕方のないことかもしれません。ですが、情報を流す人も受け取る人も、情報に対する様々な面での「責任」を、自分の利害よりも先に考えていくべきなのだと考えます。


投稿者: saty | 2013年01月25日 15:51

今までは情報の識別なんて簡単にできると思っていたが、twitterなどをはじめてからあまりの情報の多さに驚いた。中にはもちろん重要な情報もあるが、無駄で無益なものも多く、それらのなかに本当にたいせつな情報が埋もれてしまってるのではないかと私は考える。情報は人間を左右する重要なものである。発信者はその情報にたいして責任をもち、そして利用者も情報をしっかりと識別するなど、情報社会に生きている自覚を持つことが大切であると思う。


投稿者: tvxq5 | 2013年06月18日 23:43

現代の社会は、様々な所から簡単に素早く情報を手に入れることができます。しかし、その情報が真実か否かということは少し疑問があります。ネットの場合を見てみると誰でも簡単に書き込むことができるので真実でないことが多いし、情報を流す側は自分の利となるものを中心に流します。こういった情報化社会の中で生きていくのに大切なことは、自分自身で判断ができることだと思います。ただ素直に書かれたことを信じるのではなく、色んな視点から考えて判断するべきだなと思います。


投稿者: トマト | 2013年07月12日 13:14

現代は情報化社会だと言われるように世界中どこにいても何かしらの情報を常に携帯やテレビなどから受け取ることができます。ただし、先生の言うようにそれらの情報のすべてには情報の発信者がいることを頭に入れておかなければなりません。情報の端から端までをうのみにするのではなく、受け取る側として、それらを取捨選択することが大切だと思いました。


投稿者: NAVY BLUE | 2013年07月12日 22:59

情報化社会となり、私たちの情報網は以前に比べて格段に広がったと思う。しかし、世の中に溢れているすべての情報が正しいものとは限らない。情報には「正しい面」と「間違っている面」の二面性がある。自分自身それをわかっているつもりでも、目の前にある情報をそのまま鵜呑みにしてしまっていることがある。簡単に情報を手に入れることができる今、どの情報を信じるのかは一人一人の責任となってくる。自分の見聞きした情報が果たして信じられるものであるのかを見抜く力が私たちに求められているのだと思う。


投稿者: maruko | 2013年07月17日 07:00

バイクかっこいいですね。両親がkawasakiのバイクが好きなので懐かしい気持ちになりました。先生の記事を読んで、確かに私も自分の利害で情報を流しているときづきました。どの情報が真実でどの情報が嘘なのか、とても難しい問題です。ただ、私は信頼できる友を持つことが大事なのではと思います。例えば嘘かほんとかわからない情報を目の前にしても友がいれば考えを共有できます。視点は人の数だけあるのであらゆる角度から考察することができるでしょう。昨今の溢れている情報に対して、ひとりひとりがしっかり判断できるといいと思います。


投稿者: かいりー | 2013年07月18日 16:57

現代社会を生きる私達にとって、情報は不可欠なものであります。しかしあまりにも多くのたくさんの情報が溢れているため、その情報の真偽を見極める力が重要であるということを改めて認識しました。最近たくさんの人が利用しているTwitterやFacebookですが、私もこのようなSNSを利用するようになって以前よりも情報の識別が難しくなったように感じます。誤っている情報であってもあたかも真実のように伝えられ、そのまままた別の人へと誤った情報が流れていく、というこの流れが本当に危険なことなんだと思いました。 もちろん中には正しい情報もあるので、その真の情報が偽で埋もれないように、私達ひとりひとりがしっかりと情報を識別していくことが重要であると思います。


投稿者: コーヘイ | 2013年07月20日 04:36

私もバイクがすきなのですが、オイル交換のメンテナンスの話は初耳でした。
「自らに利する情報しか流さない」のは、一人暮らしをはじめ、新生活をスタートするときに強く感じました。電器店でパソコンを購入したときに、ブルーレイディスクを読み取れる、という条件のPCを店員にいくつか挙げてもらい購入しました。いざブルーレイディスクを再生しようとすると、読み込みの対応はしているものの、再生をするための初期ソフトでは、DVDしか再生できないのです。つまり、新たに再生用のソフトなりを購入する必要があったのです。私の不注意も反省すべきですが、店員の対応も不親切であると感じました。
お金が係る商売の関係であるときはとくに、多くの情報源を持つこと、情報の確実性を疑うことは大切ですね。


投稿者: 緑公園 | 2013年07月22日 15:15

今21歳ですが、私が小学生の頃と比較しても社会に出まわっている情報の量は格段に増えたと思います。そしてその情報を扱うことのできる人も増え、幅広い年代の人が様々な情報を利用できるようになったと感じています。そんな中で、情報をアクセサリーのように扱う人も増えているように思います。情報を
手にするとまるで自分のものであるかのように、特に問題も感じずに扱っている人が多いのではないでしょうか。溢れかえる情報の中から自分に本当に必要な情報を取捨選択する力が必要なのだと考えます。また、情報を提供する側も、責任をもって発信すべきだと思います。


投稿者: smscy | 2013年07月24日 07:04

 私は歴史の授業で、戦時中に当局による情報統制があったと習いました。手紙や出版物・新聞の検閲もありますが、戦争反対派の知識人を政治犯として収容したことも、その趣旨で行っていたのでしょう。ミッドウェー海戦で日本の不利が決定的となり、このまま戦争を続けていても意味がないと分かっていても、大本営は日本の優位を伝え続け無駄に戦争を長引かせることによって多くの犠牲者を出しました。私たちはみな学校でこのような事実を学び、情報統制の怖さというものを知っています。しかし、私たちの中にはこれはもう過去の話、お隣の国の話であって、先進国の日本に住んでいる自分たちには関係がないと思っている人が多い気がします。自分たちは正しい情報を知らされていると。
 でも、実際はそうではないと思います。福島第一原発の事故に対する政府・東電の対応、情報公開の仕方を見ていれば一目瞭然です。実際は危険すぎてもう手が付けられなくなっているにもかかわらず、「たいしたことはない、十分コントロールできている、人体にそれほど深刻な影響はない」というような趣旨のコメントをしています。マスメディアも政府・東電の対応を軽く批判したりすることはありますが、東電や保安院のいうことを基本的にはそのまま伝えていて、結局マスメディア本来の役割を果たしていません。むしろ、その大きな影響力によって東電・保安院の望む方向に国民を誘導してしまっているようにすら見えます。こうした状況は改善されるべきですが、そう簡単にはなくならないと思います。大切なことは、私たちもマスメディアの大きな影響を受けていて、戦時中のような情報操作が完全になくなったわけではないということを一人一人が認識することだというように感じます。


投稿者: I,I | 2013年07月24日 10:54

現代は数えきれないほど多くの情報に溢れ、自分が無意識のうちにも情報を受け取っていることもある。どの情報が真実なのかまたは真実ではないのかというメディアリテラシーの力が必要不可欠である。この問題に対して、一般的にマスコミによる偏向報道を声高に叫ぶ人が多いが、そういう人に限ってネット上の情報はすんなりと受け入れてしまうという場合もある。
テレビにせよインターネットにせよ、正しい情報を掴み取るためのメディアリテラシーの力を身に着けるために私が一番重要だと思うのは、情報発信者の発信の意図を読みとることではないかと思います。発信者がその情報を受け取った私たち受信者に対し、どのようなことを期待しているのかを逆に考えることで、情報の本質的な意味を理解できると思います。また、現代社会における問題は様々であるが、ある見方が100%正しいという事はあまりない。例えば政策のようなものは、どんなものであってもそれで利益を受ける人と、不利益を被る人が出てくるので、一概に正しいとはいえない。しかし一つの問題には、「Aが正しい」「Bが正しい」といったはっきりとした意見がある。そのため、一つの情報を正しく読み解くためには、特定の意見だけではなく、様々な意見に目を向け、自らの論理力を鍛えることも必須であると思いました。


投稿者: @junh1025 | 2013年07月24日 13:09

私もバイクが好きで、普段からアシとして利用しています。走行中の緊張感と爽快感、そして目的地に到着した時の達成感がやみつきです。しかし、一方で世間からは“危険な乗り物”だとか、“うるさい乗り物”という後ろ向きな意見ばかり耳にします。もちろん十分に承知のうえで乗っているわけですが、これから先バイクに乗ろうと考える人々の芽を摘み取る結果に繋がりかねないので、危ないだけの乗り物ではないと私は主張したい。
 これらもまた、自分に利する情報であると私は考える。バイクが危険な乗り物であるという意見は、自分や家族や友人に怪我をして欲しくない、という考えからくる主張だと考える。逆に、そうではないという意見は、バイクを共通の趣味とした仲間を増やしたい、という考えからくる主張であると考えた。
 結局、どんな場面においても自分になんらかの利益をもたらす情報しか流さないのだな、と思った。ただ、耳にした情報を鵜呑みにして正誤を決めるのではなく、自分で調べたり、体験してどちらの情報が自分に適するのか、よく考えていきたい。


投稿者: JUMPER | 2014年01月05日 21:42

仰られている通り、この国のマス・メディアは各々の利益となるような情報しか伝えようとせず、真実を隠蔽するどころか、あまつさえプロパガンダに利用することさえある始末です。そのような社会を生きる私達に求められているのは、情報の取捨選択能力ではないでしょうか。何が正しくて、何が間違っているのかを熟考して、与えられる情報を鵜呑みにしないようにすることが大切だと私は思います。


投稿者: CNF | 2014年01月21日 10:51

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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