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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

お母さん方からのプレゼント

 先日、障害のあるお子さんを育てておられるお母さん方を大学の授業にお招きし、子育ての実際や支援者・教師に望むこと等について、学生たちを前に講話をしていただきました。この取組みは3回目となりますが、今回のお母さん方のお話も、学生と私へのとてもすてきなプレゼントとなりました。

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(お母さんの講話-Tさん)

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 「わが子が同じ月齢の子とどうも様子が違う」ことに気づき、さまざまな医療機関を訪ね歩いた挙句に「わが子に障害がある」ことを告げられたときから、親として予期しなかった事態への苦闘がはじまります。この瞬間から、親御さんたちにはJ.ボウルヴィ(1907-1990、イギリスの児童精神医学者)を嚆矢とする「障害の受容」がテーマに浮上することになります。

 「障害の受容」とその一般的プロセスについてご存じない方のために、ここで簡単にご紹介しておきましょう。
 「障害の受容」とは、「あきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観の転換であり、障害を持つことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないとの認識と体得をつうじて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転じることである」(上田敏著『リハビリテーションを考える』、青木書店、1983年)
 そのプロセスは一般に、(1)ショック期からはじまり、(2)否認期、(3)混乱期、(4)解決への努力期、(5)受容期に至るものとされています。

 ところが、このようないささか図式的で抽象化された「障害の受容」概念をことばの説明で終始する授業ほど、眠気を誘う罪な授業はありません。当事者にとっては支援の出発点にあたるテーマですから、学生の胸に刻まれて頭にストンと入るような展開はないものか?

 これまでは文章化された事例を用いながら解説をしてきたのですが、それでもまったく足らないし、つまらない(教えていてずっとそう思ってきました)。
 そこで、「百聞は一見にしかず」と、昨年度さいたま市の条例づくりでお知り合いになった現役のお母さん方に講話をお願いすることにしたのです。

お母さんの講話-Sさん
(お母さんの講話-Sさん)

 まったく効果てきめんです。
 まず、教室の空気ががらりと変わります。当事者をゲストに迎えることによって、学生たちは凛とした適度な緊張感に包まれます。

 次に、お母さん方のお話はリアリティにあふれています。
 「生まれた時には何の疾患もなく、すくすくと元気に育ち、家族みんなで端午の節句のお祝いをした後に、突然高熱を発し痙攣しはじめて病院に駆け込んだものの、一命を取り留めはしたが後遺障害が残り、ドクターからは『運が悪かったとあきらめてください』と言われました…」

学生の質問に応える
(学生の質問に応える)

 このような話を教師の立ち位置から事例で提示することと、当事者の口から直にお話しいただくのとは、メッセージ性が丸で異なります。誰もが経験する乳幼児の急な発熱に対しては「他人事ではない」真実味がある上に、「もっと早く手当てできなかったのか」という悔しさには、医療機関への不信と自責の念の双方を伴う心の運びが手をとるように浮かび上がります。

 三つ目に、「障害の受容」にはかりしれない役割と影響をもたらす当事者同士のネットワークの大切さが実感を持って提示される点です。

 大学に来ていただいたお母さん方はみな、就学前の段階で、療育その他の営みを契機に、赤の他人から「顔見知りの間柄」へ、さらにICTのコミュニケーション・ツールをも活用した当事者同士のつながりへと、「ママ友」としての関係性を深めていった方々です。

 この「ママ友ネットワーク」を介して、単なる情報交換にとどまらず、当事者のエンパワメントが進むにつれて、わが子の「障害の受け容れ」もうんと進んでいきます。それは当事者組織のもつセルフ・ヘルプとエンパワメントの機能そのものなのですが、旧来の当事者「団体」とは、いささか趣を異にします。

 それは、アソシエーション(マッキーバー『コミュニティ』。特定の類似した関心・目的をもつ人々が、それらを達成するために意識的に結合し形成する自由な人為的集団のこと)の一つというよりも、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル、特定の関心・目的によって絆を紡ぎだす人為的集団で、貨幣価値ではあらわされない)というにふさわしく、この30年間に進んだ地域社会の多元化を反映し、ICTをツールに含む自由で互酬的なコミュニケーションと、(当事者性だけでなく)時代をともにしているからこそ紡ぎだされる工夫と自分たちの課題の自覚等が特徴点です。

ミーティングに話が弾む
(ミーティングに話が弾む)

 そこで、このお母さん方がさいたま市の条例づくりに参画された意味は、既存の障害者「団体」の受けとめ方と異なるようにみえます。前者は、「ママ友ネットワーク」という親密圏を足掛かりにして公共圏に開かれるため、行政施策のあり方とともに、新しい社会制作が自分たちの具体的なテーマ(地域社会の間柄やネットワークのあり方、支援者-当事者の今後の関係性など)となって現れます。それに対し、後者は「条例づくりがどれだけ行政施策を引き出したか」という点に関心が収斂しがちです。

 最後に、これらのお母さん方のお話には「贈り物」性があります。それは、私の経験則からいうと、上質な当事者の講話だけに現れる貴重な宝物です。

 「障害の受容」の絡む子育てを自己開示することは、とても勇気を必要とすることです。現代の子育ては、共同体システムの中で代々連綿とつないできたかつての子育てとはまったく異なり、それぞれの親が一からはじめなければならない営みには大変さがつきまといます。ここに、「障害の受容」というテーマが含まれると、なおのことです。

 「私の子育てと障害の受け容れはこうでした」という個別具体的な子育ての物語は、人間の値打ちや見え方、世間の厳しさとやさしさの感じ方、社会と行政の課題への迫り方に、これまでとは異なる新しい視点・価値・心の運び等が胎動し、展開していきます。それは、「天地創造」に匹敵する創世記の物語と言っていい。

 一人のお母さんは、バギーでの移動中に階段で困ったとき、中学生に声をかけて手伝ってもらった後、その中学生の学校名を必ず確かめておいて、帰宅次第、中学校に電話されるそうです。「お宅の中学校の生徒さんたちに助けていただいて、本当に助かりました」と。

 すると学校では、どの生徒がそのような手助けをしたかを調べ、学校中の手本としてその生徒が称揚されることは目に見えています。こうして、理解者の輪を広めているのだとおっしゃっていました。これはまさに「贈り物」の循環ストーリーで、誰かが「贈り物」をすることによって次々と「贈り物」の輪が広がっていく様子は、想像するだけで実にすばらしい。

大人の女性の魅力に圧倒される学生たち
(大人の女性の魅力に圧倒される学生たち)

 こうして、お母さん方のお話は、それぞれの創世記の物語が開示され、最期に「未来の支援者・市民」である学生たちへ「一所懸命な姿勢」「知ろうとする気持ち」「柔軟な心」を持ち続けてほしいというメッセージの「贈り物」で締めくくられます。

 女子学生の感想の中に、次のようなものがありました。
 「今日話していただいたお母さんたちは、とても明るくすてきでした。何故そう感じたかを考えてみると、ママ友ネットワークを通じてわが子の障害を受け容れていくプロセスに形成された絆による、外見的な美しさではなく内面から出る人間的な美しさだと思います」と。まったくその通りですよ。


コメント


 このようなご講義(ミーティング?)があったのですね。私は経済学部の学生ですが、冗談ではなくこの会に参加してみたかったと思います。
 当事者のお母さん方の「リアル」が聞けるなかなかない機会ですし、自分もその当事者に将来的になりうる可能性だってあるので、その心持ちや、子どもとどのように接したかなどをリアルタイムで聞いてみたかったな、とこの記事を読んで思いました。
 それと、「障害の受容」プロセスなるものが理論化されていることを初めて知りました。このような心理状態も順序を踏むものなのですね。


投稿者: デデドン | 2011年12月21日 07:10

 私はこの「ママ友ネットワーク」のような、参加者が能動的に課題を自覚していくコミュニティーは素晴らしいと思います。
 現在の地方での形骸化しかけたコミュニティーにおいて、その一員であることは大きな負担を伴います。強制的に参加させられ、時間とお金を取られることがある時もあります。そのような場で生まれるものなどほとんどない。
 自分から何かを生み出し、相互に伝え合う。こんな地方の創生が広がることを願います。


投稿者: 朱雛 | 2012年01月03日 12:43

自分の周りには障害ある子どもはいないですが、よくテレビなどで、障害がある子どもや家庭について、少々分かると思います。
テレビで、よく子どもに障害があるですが、最もつらいのは、親たちであるという言い方がある、自分が親としての苦労やつらさなど、世間に理解してもらえないとか、世間は“かわいそう”ばかり言われてあくまても冷たい目でみられている。自分の子には、友達がいないし、普通の子どもと同様で普通の生活も出来ないし、つらくて、つらくて、多くの親が諦めたくないですが仕方なく、諦めようと思うこともあるでしょう。
中国にある有名な作家のある本に、こう書いてある「障害ある子は、翼がなくなる天使だった。翼がなくなるから、障害こそある。」障害がある子どもには、我々,唯一出来るのは、温かい目で彼らを見守って行くべきです、子どもだけではなく、家族までです。


投稿者: seven | 2012年01月04日 12:37

 障害のある子どもを持つ事が計り知れないほどの苦労と苦悩を親にもたらす事は想像が付きます。自分が知っているこの国での事件に1975年の世田谷2歳児餓死事件があります。
 この事件は一般にマスコミの報道のあり方、警察の取り調べに対する姿勢に問題提起をするものと捉えられていますが、その一方で障害のある子どもを持つ親の悩みと、子どもへの虐待も重要なテーマとして潜んでいると考えます。
 「障害の受容」には段階的なプロセスがあることは初めて知りました。心境が紆余曲折する中では「否認期」のように現実を受け入れられなくなることがあるのも不思議ではありません。
 この講義でお話しをして下さったお母さん達は独自のネットワークを持っているとの事でしたが、ただ参加するだけではなく、それぞれが問題意識を持って全体での問題を解決、改善していこうとする形はこれからの地域コミュニティーのモデルとなるものだと考えます。


投稿者: CFY | 2012年01月11日 08:22

 障害を持つ子供の親御さんは、はじめから現実を受け入れられるわけではないのですね。しかしだからといって簡単に需要期までたどりつけたわけではないと思います。
 そう考えると講義をされたお母さん方は強くたくましいのだなぁと感じます。お母さん方の講義では、普段聞くことのできないことが聞けたのだろうなぁと思います。また機会があれば僕も参加してみたいです。


投稿者: tsmk | 2012年01月14日 03:37

 このブログを見て、このような講義をしていることを初めて知りました。小学校から大学生になるまで障害についての授業を受ける機会がありました。しかし、それは表面的なことであることがほとんどでした。この講義は障害を持つお母さんの話をきくことで、よりリアルな現状や課題、意識の変え方などを知ることができるいい機会だと思います。
 私はこのような、学生が現代の課題をリアルな話を聞いて解決していくような機会をもっと増やしていくべきだと思います。そして、社会がよりよくなるように貢献していくことが今の学生の使命だと思います。


投稿者: いなか | 2012年01月16日 14:35

障害者といわれると世間からはかわいそうだとか、同情の眼差しはあるけれども、障害が一体どのようなものなのか全く理解されていないのが現状であると考える。「障害の受容」というプロセスがあることは初めて知ったが、我が子に障害があるという現実を受け入れることは言うは易く行うは難し、私の想像をはるかに超える苦悩だと思う。「贈り物」の輪によって理解者の輪を広げるという考え方は素晴らしいと思った。私もお母さん方のメッセージの「贈り物」を受け取り、自分には何ができるのか考え「贈り物」の輪を広げたい。             


投稿者: Felis | 2012年01月17日 00:55

「障害の受容」を迎えるまでの多くの段階の過程の途中や、受容後の日々の生活から障害を持った子供たちの母親たちで構成されたママ友ネットワークは母親たちだけではなく私たちの社会全体が目指すモデルとしての役割も担っており有益で必要なものだと思う。
この講義のように実際に当事者の方から話を聞くことは私たちにテーマについて考え模索させる契機を与えてくれる。それとともに模索の過程で現在提起されている他の物事に関する問題についても考え広い視野を持つことにつながるという点でとても貴重な経験だと感じた。


投稿者: Igo | 2012年01月17日 17:38

 わたしは特別支援教育を学んでいる身なのでこの記事はとても興味深かったのと同時に、参加できなかったことを残念に思いました。
 障害児に対する療育環境も今では進んできたと思うが、「ママ友ネットワーク」のような当事者による能動的コミュニティーが存在していることは、ともに現状を共有できる親にとってはもちろんのこと、そのような親に育てられた子にとっても良いことだと思いました。
 また記事にあるような贈り物の循環というのはとても素敵なことだなと感じ、そうやって将来の支援者の輪が広がっていくことは草の根的な取り組みであるかもしれないけれど、ちょっとずつ社会の考えに根ざしていく確実なものであると思いました。また機会があればこのような講義に参加したいです。


投稿者: A.T | 2012年01月18日 14:03

 実際に障害のある子を持つお母さん方のお話が聞けるというのはとても貴重な経験なのだと思いました。講話を聴くことで他人事とは思えず真剣に考え、感じられると思いました。
 「障害の受容」をひとりで乗り越えるよりも、ママ友ネットワークのように周りとの繋がりを大切にし、同じ気持ちを共有することで乗り越えていくというのはとても大事なことだと感じました。
 つらい思いや経験を乗り越えて、私たち学生に貴重なメッセージであり贈り物をしてくれているというのがとても素晴らしいことだと感じました。
 私も機会があればお話を聞いてみたいです。


投稿者: kmkm | 2012年01月19日 09:42

 このような取り組みがあることを初めて知るとともに、参加できず残念に思います。
 個人的には、「百聞は一見に如かず」という言葉の意味を体感するに至る経験をしてきているため、その言葉がしっくりくるし、このような機会は必ず学生にとってプラスになるものだと感じます。私は特別支援教育を学んでいますが、確かに授業という形態をとる以上は、十人十色の障害や人生観を理解することは不可能で、図式的で抽象化された概念を知るにとどまることは否めません(もちろんデメリット、メリットはありますが)。
 しかし、実際にお話を聞くことで理解が深まると同時に、そのような状況が身近に存在しているということを肌で感じることができるため、意義があると感じました。
 また、「贈り物」の循環ストーリーですが、大変心が温まるものでした。どこか機械的な感じの「共生社会」という言葉は聞きますが、このような贈り物の存在を知って希望を感じました。


投稿者: chocolate | 2012年01月19日 10:05

もし自分の子供が障害を持って生まれてきたら自分はこんなにも強くいられるだろうか。目の前の現実から逃げ出して親の権利を投げ出してしまうのではないか。なぜよりによって自分の子供が、と一生悔やみ続けるかもしれません。リアルな現実と向き合うのには相当な苦悩を伴うけれど、大切なことは親として助けてあげることではなく信じてあげることだと思う。


投稿者: tkdn | 2012年01月20日 14:16

 私には歳の離れた発達障害の妹がいます。妹の障害を知った時、一番衝撃を受けたのは母親でした。父の単身赴任と私の下宿が始まる直前だったので、1人で妹を育てていけるのか不安だったのだと思います。
 初めの頃は『他の子より少し(発達が)遅いだけよね』と妹の障害を認めることができずにいました。しかし、発達障害の子供を持つママ友の集まりに通い出すことにより、母は妹の障害を受容し、前向きになりました。
 この記事を読んで母のことを思い出すのと同時に、子育てに不安を持つ人達にとって「ママ友ネットワーク」はとても大切な繋がりだと感じました。


投稿者: tnk | 2012年01月20日 21:57

 障害のある子をもった家庭などを特集とした番組などを観ると、私は「将来自分の子に障害をもった子が生まれたらどう思うのだろう。」と不安に思ってしまいます。だから、このお母さん方のリアリティのある話は、私にもってこいだと思いました。
 お母さん方の苦労や努力は計り知れないものだろうけど、学生にメッセージを残してくださったお母さん方は本当に強い方々なんだと思いました。また、「ママ友ネットワーク」なるものを通じて、自発的に問題解決に取り組んでいくのは素晴らしいことだと思いました。


投稿者: ぷー | 2012年01月21日 14:54

 もし将来自分のこどもが障害を抱えて生まれてきてしまったら、私はそれを抱え、さらに受容出来るのかと思うと、もしかしたら逃げ出してしまいたくなるのでは…という気さえしてしまいます。
 しかし、講義を行ったというお母様方は、本当に強くやさしく賢い方々なんだろうと、尊敬してしまいました。おそらく受容が出来るようになったあとも、不安や問題は絶えないとは思います。そんなときに、ママ友の存在というのはとても大きな助けになるのでしょうね。機会があれば私もこのような講義を受けられればいいなと感じました。


投稿者: no.3 | 2012年01月21日 14:58

 自分が障害をもった子どもを授かったら、その現実を受け止められるだろうかと思う。誰にでも障害をもった子どもを授かる可能性があるので、自分にも身近な問題であるはずだが、障害をもった子どもを産んだ時のショックやどうしてよいのかわからない気持ち、つらさはまるで想像できない。
 きっと障害をもった子どもを授かった気持ちは、同じように障害をもった子どものお母さんにしかわからないと思う。
 ママ友同士のコミュニティーはとても大切なものだと思う。同じようにつらい経験をしてそれを乗り越えた人と交流をとることで気持ちが収まったり、また頑張ろうと思えると思う。
 
 コメントを書いていても、やはり障害をもった子どものお母さんの気持は想像がつかないです。わたしにもこのような講義を受けることは必要だと思いました。たとえ自分が障害をもった子どもを授かっても授からなくても、最低限、その気持の少しは本心から理解できる人になりたいです。


投稿者: きんぎょ | 2012年01月22日 12:15

 自分の子どもが障害を持って生まれたとき、自分はその子を愛することができるのだろうか…と考えてしまいました。
 障害を持つということはその子だけの苦難ではないということを深く考えさせられました。この講演で話してくださったお母様方はすごく強いと思いました。
 障害の受容というものにはステップがあると書かれていますが、それは障害を負った本人だけではなく、その周りの人もそうなんだと思います。だからこそ、私たちはもう一度、障害というものを見直し、その考え、見方などをしっかりと考えていくことが非常に大切なのだということが分かりました。


投稿者: shirogane | 2012年01月22日 22:50

子どもが障害を持ってしまうということは、それは人生を変えてしまうほどのショックとなるのでしょう。それを受け入れ、前向きにとらえられるようになるためには、同じような境遇を持つ方々とのネットワークを持つことが大切だと思います。
障害に負けず、共に生きていこうとする母親達のしたたかさは、他人との関係が希薄になりがちな現代人にとってとても大切なものと思います。まさにプレゼントをもらった気がしました。


投稿者: sh | 2012年01月24日 02:20

 とても温かく、素晴らしい取り組みだと思う。お子さんの障害がどのようなものであれど、自らが子どもの障害を受け入れるまでの苦悩や子どもの障害に対する周囲の充分な理解を得るまでの苦労は当事者の間において最もスムーズに共有できると思うし、その中で生まれたアイデアや意見は純粋で、極めて高い訴求力をもつだろう。
 社会的な体裁に重点がいく既存のコミュニティでは伝えられなかった話で多くの人々の心を打ったり、解決できなかった問題の答えを導くことができる、「ママ友ネットワーク」を模範にした温かみのあるコミュニティが今後どんどん増えていくことに期待したい。また、機会があれば自分もこのような講義に参加して話を聴いてみたいと思った。


投稿者: ファイナルたかし | 2012年01月24日 02:24

 もし自分に障害を持った子どもができたら、私はどうするのだろうか、受け入れることができるのだろうか、と不安に思っていました。しかしこの記事を読んで、自分の子どもの障害を受け入れるまでにはプロセスがあり、どんな母親でも悩んだり苦しんだりしながら障害を受容していくのだ、ということが分かりました。また、当事者どうしのネットワークがあるということも知りました。このようなネットワークがあれば心強い、と感じました。


投稿者: ike | 2012年01月24日 13:58

私も将来結婚して、子供を持ちたいと思っていますが、もしも自分の子供が障害を持って生まれてしまったらと考えると、自分は親としてどのような心持ちでいればいいのかと考えることは過去に何度かありました。このような講義、ミーティングが行われていると、私のような考えを持っている人にリアルなイメージを抱かせることができるし、それによって、障害を持った子供に対する理解はもちろんのこと、その親御さんに対する理解も深まると思います。そのような理解が深まれば、障害を持った方への各自治体の対応もよくなっていくのではないかと思います。障害を持った方々、その親族の方には、とても勇気のいることだと思いますが、もっと自分たちのことを理解してもらえるために、このような講義を行っていくことが大切だと思いました。


投稿者: KAN | 2012年01月24日 19:42

この「ママ友ネットワーク」の活動は、非常に有意義で素晴らしいものだと思う。私の身近には生まれつき身体が不自由な女の子がいる家族がいるが、やはり産まれてすぐに対面した時には信じられない思いだったと伺った。また、自分の娘に障害があることとうまく向き合えず自分のせいだと思い悩んだり、本人に当たったりしてしまったこともあったそうだ。そういう時に悩みを打ち明け合い、助け合える仲間がいるというのはとても心強いと思う。また、学校などの制度も融通が利かず、個人対学校の話し合いでは主張が通らなかったり取り合ってもらえなかったりすることも多い。そのようなときにも、団体を通して意見を提出することは有効であると思う。
当事者だけでなく周囲の人間が「障害」の概念について正しく理解し、受容することが大切である。


投稿者: Chocori | 2012年01月25日 01:07

 障害を持った子供を育てる、という行為がどれほどの苦難に満ちたものなのか、私にはとても想像がつきません。それを実際に経験のある母親方に聞けるというのは、非常に貴重で、意義のあることだと思います。特に、現在のように核家族化が進み、地域一丸となって行う子育てが事実上不可能となった社会では、相談をするという行為が極めて困難となっています。こういったお話を聞くことは、必ず将来に活きるのではないでしょうか。こういった機会をたくさん設けることは、障害者やその家族が社会の中で生きていくことに必ずや貢献することと思います。


投稿者: グスタフ | 2012年01月25日 01:39

このような子育てに関する講話では、どちらかというとお母さん方がお話をされる事が多いと感じています。それは平日のお昼にお父さん方がお仕事をされているからではあると思いますが、その場合お母さんの方が子どもと一緒にいる時間が長いので、その日にあった出来事などを夫婦で共有し意思疎通が出来ている事に加えママ友同士の繋がりがあるからこそ、自分一人で子育てをしているという感覚がなく、今回講話をされたお母さん方のように凛として振る舞えるのだろうと思いました。


投稿者: 単三電池 | 2012年01月25日 02:06

ここで紹介されていた障害の受容過程が、人が死を受け入れる過程に似ていると思いました。その重さにもよるのでしょうが、障害と共に生きるというのは今の社会では不便が付きまといます。我が子に障害があると知った親の心象の変化は、子の未来を思ってのことなのかもしれません。だからこそ母親どうしのコミュニティーの存在がとても重要なのだと思います。同じような境遇にあるからこそ本心からの相談ができ、情報交換の場にもなるのでしょう。私達にできるのは、全ての人が生活しやすい社会を築いていくことだと思います。障害が障害でなくなる未来を目指してできる限りの努力をしていきたいです。


投稿者: レトルト | 2012年01月25日 03:42

障害を持った方たちの話は小中高と幾度となく聞いてきました。その話を聞いて毎回共通して思うことは障害者の方たちは強いなということです。心ない行為などに負けず日々懸命に生きている姿は自分も見習わなければいけないと思います。そしてその親御さんも障害を受容するというプロセスの中で他の人たちよりも強い人になっていると思います。どんな子どもでも自分のお腹を痛めた子には変わりありません。自分が産んだ子どもを大切にすることは大切ですが難しいことでもあるのかもしれません。


投稿者: HSY | 2012年01月25日 06:36

「もし生まれたわが子に障害があったら。」そう思うと怖くなります。その子はいろいろなことをあきらめて生きていかなければならないのではないかとその子の人生のことを考えてみたり、障害を持ったこの子を育てていくのはどれだけ大変なことだろうかと自分の人生のことを考えてみたりと。なかなかその事実を受け入れるのは大変なことだと思います。中には受け入れることができず、子供を妻に任せて離婚してしまう夫がいるということも聞きます。障害を持つことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないとの認識を早めに持てるためのサポートも必要なのではないかと感じました。


投稿者: N-gonzo | 2012年01月25日 10:05

講義の風景の写真を見て、手にとるようにお母さん方がとても美しいことがわかりましたし、明るくて元気な印象を受けました。ぼくは以前介護体験で特別支援学校に行ったことがあるのですが、児童を迎えに来たお母さんもやはり、明るく元気な美しい方でした。
 将来結婚して、生まれてきた子どもが障害もっていたらどうしようと考えたことがあります。正直、ちゃんと自分の子供として愛することができるか不安も感じたりもしました。でもそういうお子さんを育てているご家族の方々の様子をみて、「大丈夫、自分も自信をもってわが子を愛することができる」と思えるようになりました。そうなってくると、もっと世の中がいろんな人に対して優しくなってほしいと感じるようになりました。そして、もし道端で困っている人がいたら人目を気にして知らないふりをするのではなく、自信をもって手をさしのべたいと思います。


投稿者: もじゃ男 | 2012年01月25日 11:47

「障害の受容」とは、「あきらめでも居直りでもなく、価値観の転換であり~」、という言葉が印象的でした。なかなか難しいことであるのは想像に容易いですが、世の中にはこの受容ができずに育児放棄をしてしまったり、虐待をする親がいます。このように受容できた親は、非常に人間的に強い人だと思うし、だからこそ、最後にあったように、内面からにじみ出る美しさがあるのでしょう・・。障害を持った子供を持つ親のコミュニティや、サポートが重要なのですね。


投稿者: CBNN | 2012年01月25日 13:10

宗澤先生の授業を受けている者です。

最近わたしは介護等体験で特別支援学校に行きました。正直訪問する前は消極的でした。しかし、実際に障害のある子どもたちと接してみるとたしかにある程度の遅れは見られますが、本当に障害のない子どもたちとなんら変わらないと思いました。でもいざ子どもが障害者だったら。そんな体験はできません。だからこのような機会はほんとうに貴重なものだと思います。ぜひまたこのような機会があったら必ず参加したいと思います。


投稿者: ホイッスル | 2012年07月08日 02:14

宗澤先生の授業を受けている者です。

最近わたしは介護等体験で特別支援学校に行きました。正直訪問する前は消極的でした。しかし、実際に障害のある子どもたちと接してみるとたしかにある程度の遅れは見られますが、本当に障害のない子どもたちとなんら変わらないと思いました。でもいざ子どもが障害者だったら。そんな体験はできません。だからこのような機会はほんとうに貴重なものだと思います。ぜひまたこのような機会があったら必ず参加したいと思います。


投稿者: ホイッスル | 2012年07月08日 02:14

特別支援教育について私たちがどのくらいの知識を持っているのかがわからない。しかし、介護等体験で特別支援学校に行ったところでその知識が広がるものだとは思わない。ただの教員免許を手に入れるための過程だというふうにとらえている人が少なくないのが現実である。極力自主的にこのような保護者の現実が聞ける場所であったり、また特別支援学校が夏休み等に開いているサマースクールにボランティアとして足を運ぶことで自分の価値観に影響が与えられることは間違いないだろう。私も今夏、精力的に足を運びたいと考えている。


投稿者: いそ | 2012年07月18日 02:03

「障害の受容」なるものの存在を初めて知りました。(1)ショック期(2)否認期(3)混乱期(4)解決への努力期(5)受容期というプロセスなのですね。自分の子供に障害がある、ということを知ってからそれを受け入れるまでの過程自体が定義されていることに驚きました。この概念を授業で、例えば板書を取りながら教わるよりも、実際に経験をされた方から聴くお話の方が確かに理解を深められると思いました。お母さん方を大学にお招きしてのこの講話は、学生達にとって非常に有意義なものであると思いました。そしてうらやましいとも思いました。講話の内容は「ママ友ネットワーク」についてであって、私もそうですが特に女学生にとっては将来母親になるであろうし、とても興味深いものだと思いました。私の大学でもこのような講話があったら参加したい人は多いだろうし、宗澤先生の言う「上質な当事者の講話だけに現れる貴重な宝物」を受け取りたいなと思いました。この記事のお母さん方からのメッセージの贈り物、「一生懸命な姿勢」「知ろうとする気持ち」「柔軟な心」を私も持ち続けようと思います。


投稿者: trinp875 | 2012年11月29日 19:19

私はこの授業に参加していた者です。
お母さん方のリアルなお話を聞くことができて本当に貴重な体験をしたと思います。
その後、介護実習で特別支援学校に行きました。そこで出会ったお母さん方からも内面的な美しさを感じました。おそらくそこに至るまでには私が想像する以上の葛藤や苦しみを乗り越えられていると思います。乗り越えられたからこその美しさなのだと思いました。


投稿者: 智 | 2013年01月25日 16:09

宗澤先生の授業を受けている者です。
私はこの講義に参加していなかったものですが、コメントさせていただきます。
私の母は障害を持つ子供たちの養護施設に勤めています。よく母親に連れられ、施設のイベントや交流会には幼い頃から参加する機会があり、職場の話を聞くことも多々ありました。そんな中で、施設において保護者が子供を施設に預けて連絡がつかなくなってしまったり、一度家に帰って戻ってきた時には体中にアザができていたりという話を聞いたことがありました。その話をしている時の母の涙ぐんでいた表情は忘れられません。
講義の中で「障害の受容」という言葉がありましたが、いざ自分だったら、と考えてみると正直なところ受け入れられるか自信があまりないのですが、もっと障害に関する理解を深めなければならないと感じます。
最後になりますが、ぜひ今後このような講義などの機会がありましたら参加したいと思います。


投稿者: アシュラマン | 2014年01月22日 12:06

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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