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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

『親になる 子になる』

 11月1日から朝日新聞の夕刊では、『ニッポン人・脈・記-親になる 子になる』と題し、現代の養親子・里親子について連載しています。まだ連載は続いていますが、18日までの11回分を読み通してみると、GDPをひたすら追いかけてきたわが国にも、来日したブータン国王の提唱するGDH(国民総幸福度、Gross Domestic Happiness)につらなる営みが間違いなく存在することを窺うことができます。

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 この連載の趣旨は、「虐待や遺棄などで親と暮らせない子どもは、全国で約4万7千人。その9割が施設にいる。日本ではまだ少ない里親子や養親子を通して、考えたい。家族ってなんだろう」(連載第1回記事より)とあります。

 毎回、多彩な里親子・養親子の出会いや営みがルポされており、実に読みごたえがあるため、これからの連載も楽しみです。これまでの連載をざっとご紹介すると、次のような内容です。

〈 (1)血のつながりよりも 〉
 急性骨髄性白血病のために骨髄移植の治療を受けた経験をともにする夫婦が、骨髄移植に伴う不妊のために里親となった話と、里子の生い立ちを持つ歌手の川嶋あいさんの話。実の親子でなくとも、親子の幸せを実現できることを提示します。

〈 (2)この命みんなで支える 〉
 3~17歳の発達障害や知的障害のある子どもたちを含む6人の里子を「ファミリーホーム」で育てる里親の営み。4人の補助員は里子たちの幼稚園時代のママ友で、この内の3人は実子が発達障害のある子どもを持ちます。このホームの補助員をすることによって、発達障害のある子どもへの接し方を里親から学んでいきます。

〈 (3)あなたを待っていた 〉
 新生児の出生時に、直ちに里親に託す仕組みをつくってきた児童相談所のワーカー。この仕組みによって、ある夫妻が里親から特別養子縁組をする営み。新生児の障害の有無や性別を問わないという誓約書への署名が里親候補者に義務づけられているところに、親の欲求実現の手段に還元されることのない子どものかけがえのなさが示唆されています。

〈 (4)不妊だったから会えた 〉
 長年の不妊治療にもかかわらず成果の出ない夫妻が、「育てたいなら、自分で生んだ子でなくてもいいんじゃない」と里親になり特別養子縁組をするに至る営み。ここには、「望まれぬ出産」の子等を特別養子縁組(戸籍上、「養子」ではなく育ての親の「実子」として記載される)する契機となった菊田医師やNPOの取り組みも紹介されています。

〈 (5)村で一緒に暮らす喜び 〉
 老舗菓子店の17代目は、幼い頃に戦災孤児と寝食を共にした原体験を持ち、洋菓子作りの修業に赴いたドイツで知った戦災孤児のための「子どもの村」を日本でもつくろうとします。自身は途上で病死しますが、その遺志を受けた人たちが「子どもの村福岡」を実現するのです。

〈 (6)絵本で娘にプロポーズ 〉
 特別養子縁組によって子どもを育てている親御さんが、実子でない事実を子どもに告知することは、子どもへの「渾身のプロポーズ」であるというエピソード。このプロポーズのために作った手作り絵本は、『たからものはなあに?』(2009年、偕成社)に実を結びます。

〈 (7)もう見捨てたりしない 〉
 虐待を受けた2人の子どもを里子として育てている夫妻に、死刑判決を受けた囚人から一通の手紙が舞い込みます。「私はギャクタイ、イジメ、捨てられるという中で生きてきました…」と。この夫妻と死刑囚の交流と励まし合いが描かれた後に、最高裁の上告棄却によって死刑が確定し、「面会や手紙のやりとりはできなくなっている」と結んでいます。

〈 (8)放り出すのが「自立」か 〉
 高校を中退して児童養護施設を出た青年が就労自立の困難に直面しているところを、児童養護施設の職員夫婦が里親となって支えます。「親や社会から見放されて育った子を平然と世に放り出す。それを『自立』という社会は、なんと残酷なのだろう」と。

〈 (9)本当の母より母だった 〉
 生みの母は亡くなり、父は行方不明、2歳のときに乳児院から里親に引き取られた子どもの青年期までの苦闘を綴ります。里親のしつけに対し、「うるせえ、血のつながった親だったら…」と荒れた時期をくぐり、他の里子との交流を通しては「親とは何か」への気づきに向い、里母の死に直面しては「本当の母以上に母だった」と語ります。

〈 (10)人生のパズル完成した 〉
 3歳の時に里親に引き取られた男性。今自身が2人の娘の父親となって、里親のことを「よう我慢してくれはった、と思う」。生みの母を探しあてて再会を果たし、生みの母の真実を知ろうとします。ギャンブル狂いの夫と離婚の際に子どもを引き取ろうとしたが叶わなかったこと、里親の下で暮らす息子を電信柱の陰から見守ったこと。生みの母が脳梗塞で倒れ、「お母さんって、呼べないんです」と言いつつ、「その母の手を、息子はしっかりと握っていた」と。

〈 (11)南の島で家族になった 〉
 過疎に悩む沖縄県鳩間島。廃校寸前の鳩間小中学校の灯を消すまいと、島民たちが沖縄本島から里子を20年間迎え続けます。行き場を失った子どもたちが「子乞いの島」の島民とともに「家族」になるのです。そのかつての里子たちが親となって、島の祭りに「子どもを連れて島に帰ってくる」。

 いずれの連載記事も、里子・養子に背負わされた不幸と苦悩とともに、里親・養親自身の苦悩が描かれています。一方が他方に対して抱く「親子幻想」や「身勝手な期待」を介しながらも、どこかで双方の苦悩が対話と共鳴をつくり、子の幸せを実現しようともがく人生を歩んでいるようにみえます。それは、「血のつながり」のあるなしに拘泥することではなく、学歴や職業の高低評価に還元することでもありません。
 先行世代と次世代が苦悩を介して幸福への歩みを共にしようとする中に、万人に開かれた幸福の可能性を展望する営みがあるのではないかと示唆しています。

 私の大叔母(母方祖母の姉)は、さほど裕福ではなかったけれども、戦災孤児3人を養子に引き取って立派に育てた人でした。私がまだ幼かった頃、この大叔母と成人してそれぞれに自立した養子たちとともに一晩を過ごす機会がありました。このひとときは、幼い私をも包み込むような笑いの絶えない交わりであったことを、子ども心に憶えています。

 里親子や養親子の中には、うまくいかなかった事例もきっとあることでしょう。

 それでも、この連載は、夫婦と親子が〈血のつながり〉・〈自分の腹を痛めた子〉・〈having〉などの幻想から解き放たれ、それぞれの〈being〉を尊重し合う営みこそが、夫婦・親子の真のゆたかさを不断に創出しつなぐかけがけえのなさであることを指し示しています。それは決して貨幣経済的な「幸福」に還元されるものではありません。
 そうして、このような幸福の価値を多くの人たちが共有できた度合いに応じて、わが国は経済成長だけを基盤とする幸福の呪縛から解放されたGDHに接近することができるのでしょう。


コメント


 現在の日本では児童虐待が急増する一方、養子をもらう里親の数はそれに比べて非常に少ないという現実があります。表面的に考えれば、里親を増やせば済むように見えます。しかし親子の血がつながっていないことは子供にとって大きなショックのはずです。
 それでも私は、親子にとって一番必要なのは血縁ではなく、愛だと思います。愛ある里親と里子のエピソードがもっと増えるような日本になってほしいと思います。


投稿者: D-snakes | 2011年11月23日 16:02

たとえ血のつながった子であっても「可愛い」と思えなかったり、またきょうだいであっても等しく愛情を抱けない親はいます。
里親子は血のつながりはなくとも、一緒に生活をする中で里子の試し行動などを忍耐強く受け入れ、あきらめずに見守り続けることで、初めて信頼関係や愛情が形成されていきます。その過程では、たくさんの喜び、悲しみ、苦しみなどがあるでしょうが、里親子関係が法的に解除されても同居し続けたり、元里子が自立した後もお米やお味噌などの食べ物を送ってあげたり、お正月などに里親宅へ帰省したりと、その関係が続いている里親子もたくさんいます。
親子の絆は「産んだら」あるいは「生まれたら」できるのではなく、日々の生活を通して築いていくものであると思います。里親子の関係は、まさにそのことを証明しているのではないでしょうか。


投稿者: まーら | 2011年11月25日 13:21

全く記事に関係ない投稿で申し訳ないのですが、
覚えていらっしゃるでしょうか?
先生のゼミの不勉強な学生だった者です。

先生に働いた無礼の数々・・・
謝っても謝りきれないくらいですが、
今私は長野県のとある山のふもとにひっそりと、夫とお姑さんとその妹、そして一児をもうけささやかに暮らしております。
鳥が気持ち良さそうにさえずっているのを聞くと
先生が昔鳥に興味をお持ちだったような
淡い記憶がよみがえり、お元気かなぁと思いだしたりしています。

ブログがあったのでついつい懐かしくて
書き込みしてしまいました。

私は福祉や学問の世界からは全く離れてしまいましたが、問題の核心へと切り込んでいくような
文章はとっても鮮やかで(わからない表現は辞書を
引きながら読まなければいけませんが・・・)
人として生きていく上で知るべきこと、やるべきこと
はまだまだたくさんと襟を正して読みました。

今度機会がありましたら地元のお菓子でも持って
研究室にお邪魔します(もし御迷惑でなければ…)


投稿者: 木崎(佐藤)尚美 | 2011年12月08日 21:02

木崎(佐藤)尚美さん、しっかり憶えていますよ「無礼の数々」(笑)

今でも鳥は毎日眺めていますよ。

ご結婚されてお子さんもおられるとのこと。お元気そうで何よりです。埼玉の方に来る機会があれば、ぜひとも研究室にお立ち寄りください。心待ちにしています。

連絡先等は、直接お電話を頂戴するか。中央法規出版企画部03-3379-3784を介してお教えください。


投稿者: 宗澤忠雄 | 2011年12月09日 18:55

里親の数が少ないという現実は確かにありますが、まず子どもを愛おしいものと思える状況を作ることが優先されなければいけないと思います。現代の若い人たちは、子育てをお金のかかる、自分の時間をとられることとしてとらえている人が多いのではないでしょうか。そのことが子どもを産んでからの理想と現実の落差を作っているように感じます。
政府が予算を教育費などに回す、自治体などでは子育てしやすい環境を整えるようになればそういった問題を少しでも解決できるでしょう。
子どもを愛する人たちが増えれば、自然と里親の数も増え、GDHを高めることができるはずだと思います。


投稿者: hazime | 2011年12月11日 19:33

昔、小さい頃は出産するのは鼻からスイカを産むくらい痛いと聞いて、そんなに痛いなら絶対にうみたくないと強く思いました。里親になれば孤児もへり、自分にも子供ができてちょうどよいではないかと。
しかし、大きくなったいまでは、そんな、出産する覚悟もないようなやつには、なんの関係もない、血のつながりがなにもない子をそだてることのほうが、きっとはるかに困難なことであろうとかんがえます。
大人になり、出産のことや子育てのことも少しは現実問題となり、とおいさきのことだとしても、どれだけ大変なことか少しは想像がついてきました。
そのうえで、血のつながらない子をわが子として愛し続けること、血のつながらない親を心から慕うことが本当にすごいことなのだと思います。


投稿者: doradora  | 2011年12月14日 17:17

子どもと育ててくれた親との間に愛が育まれていくことは自然なことだと思います。それが血のつながった親であるかないかということは、一緒に時間をかけて過ごしていけばきっと些末なことになるはずです。
親子になるということはただ血のつながった親子が一緒に暮らしていくということではないはずですから。お互いを大切にし合う関係を築き上げることができたなら、そこに本当の幸福が見えてくるのはないでしょうか。


投稿者: ミルキー | 2011年12月25日 07:28

育児放棄は何の罪もない子供にのしかかり、彼らを精神的に追い込んでいます。そんな無責任な親が増加していく中で、孤児を引き取り育てようとする里親の行動はとても美しいと私は感じざるを得ません。
里親になった方々は自らの意思で子供を育てるという責任を負うのです。確かにそれは里親にとってみれば、「子供が好き」だという言葉に最終的には集約されてしまうかもしれません。ただ、私は里親の行動の中から子供への愛情とは繋がりではなく、自立するまで育ようとする責任なのだと受けとりました。
この自ら責任を負って育児をする姿勢の中に暗く沈んだ日本に幸福を分け与える術を見いだせるような気がしてなりません。


投稿者: s.y0123 | 2011年12月28日 17:40

少子化だと言われつつも、虐待や遺棄などで親と暮らせない子どもは、全国で約4万7千人いることを聞いて、ビックリしました。家族とは何か。辞書で調べると、家族とは「繋がっている血縁集団を基礎とした小規模な共同体が、家族である」と書いてあります。しかし、血縁ではないことで繋がる家族もあります。子供を愛し、子供の意思を尊重し、一緒に暮らして行くとともに、たとえ血縁関係がなくても真の幸せな家族になるのは必然的なことでしょう。そして、里親と一緒に暮らせることが子供にとってよいが、その割合は全体の1割しかありません。里親になる人が少ないのが現実です。なので、私は里親になる人の数を増やすことよりも、子供の虐待や遺棄をする親たちの数を減らすことが大切だと思います。また、良識のある善意の里親が多い中、一部の里親が子供に対して虐待することもあるとニュースで見た記憶があります。非常に残念なことですので、今後は里親制度も改善されることがあるでしょう。


投稿者: slxiaxi | 2011年12月30日 15:04

子と親が血を繋がって入ればそれに越したことはありませんが、私は別に親子間において血の繋がりは全く関係のないことだと思います。人が本当に子をほしい、愛してあげたいと思った時、それは単に血縁的なことではなく、人間の心の奥にあるもの、つまり「愛情」が無意識的に働き、親子としての幸せが生まれるのだと思います。よって、孤児が増えているこの状況において、我々が最も早くやるべきと思われることは、早い段階からの子に対する「愛情」の教育であると、私は考えます。


投稿者: まるいち | 2011年12月31日 19:36

 未だに日本人の「家族」についての考えは古いものに凝り固まっているような気がします。血の繋がりや、「役割」を重視する家族観が家族の崩壊を招いた例は何件もあります。
 「より良い家族(の一員)にならなくては」という強迫観念に揺り動かされ、自分を見失ってしまう人は多いです。また、「血が繋がっていないから」と殻に閉じこもってしまう子もいます。家族とはもっとフレキシブルにその形を変化させ、受け入れるものではないのでしょうか。里親、養子、再婚、連れ子…これらの家族形態のマイナスなイメージを振り払うために、私たちはもっと「家族」や「愛情」について深く学び、発言していかねばならないと思います。


投稿者: 朱雛 | 2012年01月03日 12:54

この記事を読んで、私が一番に頭に浮かんだのは親戚の家族のことです。小さい頃によく遊びに行ったその家には、おじさんとおばさんに私よりも年齢がだいぶ上のお兄ちゃんが3人いて、とても仲が良く、遊びに行くといつも笑いが絶えませんでした。
そんな仲の良い親戚の家族が、実は血が繋がっていないということを、私は大きくなってから知りました。その家族を見ていると血の繋がりなんて関係ないように感じます。実際に血の繋がった親が、育児放棄や虐待をするという問題が増えています。
私は、そんな中で血の繋がりを強く意識するのはおかしいと思います。子どもに愛情を注ぐことができることの方が、親として重要なことだと思いました。


投稿者: mikan | 2012年01月11日 10:19

 記事にあるような血縁関係のない親子の幸せな事例がある一方で、授業などで血縁関係のある子どもに対する虐待数が増加傾向にあるという現実を知ってしまうと、血縁関係の有無は親子関係を築く上でそれほど意味のあることなのだろうかと感じてしまう。
 経済的豊かさを求めるだけでなく、「お互いがいるだけで幸せ」と思えるような親子関係を築くことが大切だ。


投稿者: たおた | 2012年01月12日 16:45

 この「親になる 子になる」を読んで、私が一番に頭に浮かんだのは親戚の家族のことです。
 小さい頃によく遊びに行ったその家には、おじさんとおばさんに私よりも年齢がだいぶ上のお兄ちゃんが3人の5人家族で、とても仲が良く、遊びに行くといつも笑いが絶えませんでした。そんな仲の良い親戚の家族が、実は血が繋がっていないということを、私は大きくなってから知りました。その家族を見ていると血の繋がりなんて関係ないように感じます。
 実際に血の繋がった親が、育児放棄や虐待をするという問題が増えています。私は、そんな中で血の繋がりを強く意識するのはおかしいと思います。子どもに愛情を注ぐことができることの方が、親として重要なことだと考えます。なので、今はまだ少ない里親制度ですが、子どもが欲しくても恵まれなかった人たちがなることを期待します。


投稿者: mikan | 2012年01月13日 15:29

 血のつながりはなくても、家族以上の繋がりを持っている家庭もある一方で、血がつながっていても虐待や放置をする家庭もある、ということをニュースで見ているとなぜこんなことになったのだろうと思います。それぞれ事情があるとは思いますが、何の罪もない子どもが被害者になるということが許せません。
 日本には万全なサポートではないとはいえ、相談所が各自治体にあるのだから利用すればいいし、政府ももっと対策を考えないといけないと思います。


投稿者: LEAF | 2012年01月14日 18:20

 親子の絆の強さに血縁関係はそれほど関係ないと思う。とは言っても、一番望ましい親子の絆は、円満な夫婦に愛された血の繋がった子どもであると考えている。しかしながら、血の繋がった親子でも、子どもが親から虐待を受けるケースも少なくないことから、血は繋がっていないけれど愛情を注いでくれる親子の方が言うまでもなく絆が強いと考える。
 子どもにとって(大人にとっても)、虐待は心身ともに苦痛を伴うが、両親の離婚も再婚も、別の親元で生活することも心理的苦痛を伴うと考える。しかしながら、培い続けた絆によって、その子どもの苦痛を和らげたり、取り除くことができると思う。それは良い親子関係があってこそであるが、近所の繋がりや親せきの繋がり等の良い人間関係を築けば築くほど、絆は密になり、愛情は豊かになると考える。


投稿者: kizuna | 2012年01月14日 19:34

 この「親になる 子になる」を読んで、私が一番に頭に浮かんだのは親戚の家族のことです。小さい頃によく遊びに行ったその家には、おじさんとおばさんに私よりも年齢がだいぶ上のお兄ちゃんが3人の5人家族で、とても仲が良く、遊びに行くといつも笑いが絶えませんでした。
 そんな仲の良い親戚の家族が、実は血が繋がっていないということを、私は大きくなってから知りました。その家族を見ていると血の繋がりなんて関係ないように感じます。実際に血の繋がった親が、育児放棄や虐待をするという問題が増えています。私は、そんな中で血の繋がりを強く意識するのはおかしいと思います。子どもに愛情を注ぐことができることの方が、親として重要なことだと考えます。なので、今はまだ少ない里親制度ですが、子どもが欲しくても恵まれなかった人たちがなれることを期待します。


投稿者: mikan | 2012年01月14日 23:09

 ブログ冒頭の里親子や養親子を通して、考えたい。家族って何だろう?という問いについて、自分も考えてみると、やはり血のつながりというものに大きな意味があるのかと疑問に感じました。
 自分は子供の立場しか知らず、生みの親と育ての親が同じではあるが、子供からしたら自分が生まれた時の記憶なんてあるわけがないし、夫婦にも血のつながりはないが、れっきとした家族です。
僕は愛してくれない生みの親と愛してくれる親なら、僕は後者を自分の親だと声高に話すことでしょう。
 だから、僕は家族とは血のつながりを持った人間の集団ではなく、絆を持った人間の集団であると考えます。


投稿者: ねっこ | 2012年01月15日 14:31

 この記事にあるような里親の話は、私にはあまり関係のない話だと思っていました。しかし、実際どこにいても不思議ではないことです。記事を読む限りでは、このような親子は普通の血がつながっている親子よりもお互いのことを強く思っているので絆も深いのではないかと思います。もちろん大変なことも多いと思いますが、里親制度は子供にとっても、そして大人にとっても素敵な制度だと思います。
 本当の親子でも本当の親子じゃなくても、そんなことは関係ないのだと教えてくれるこの記事を読んで、こんな親子がこれからも増えるといいなと思いました。


投稿者: アルプス | 2012年01月15日 15:12

 このブログを読み、改めて親子のつながりというものについて考えさせられました。
 私は今もし自分の親に『お前は血がつながってない』と言われてもさほどショックを受けずに『そうなんだ』と受け止められると思います。これは、私が血のつながり以上に育ててくれた感謝という絆で父母とつながってると思えるからです。
 ここから何を言いたいかというと血のつながりを超えたつながりはしっかりと存在しており、血のつながりなど無くても人と人はもっと強い絆で結びつくことができるということです。
 今回の話で出てきた里子や里親の方にはそれぞれきっと私には想像もできないような苦しみや苦悩があるのだと思います。しかしそのような人たちでも愛情の授受や互いへの思いやりによって人は必ず良い絆を築くことができ、必ずお互いに大切な家族になることが出来るはずです。
 これからも血のつながらない親子はたくさんできると思いますが、その人たちが血のつながりなど無くても誰にも恥じる必要も、気を使う必要もない社会になっていってほしいと思いました。


投稿者: しーえれがんす | 2012年01月16日 01:54

日本では親と暮らすことができない約9割の子どもが施設で生活しているという現実をうけ、まだまだ里親制度が確立していないということを実感しました。施設でも子どもたちが豊かな生活を送れるように最善を尽くしていることとは思いますが、やはり親という存在は子どもにとってなくてはならないものだと思います。里親、養子として生活していくうえでの苦悩なども十分に考えられますが、里親の選定基準を厳しくするなどの工夫をしていき、血のつながりがなくても全ての子どもに親からの無償の愛を感じることができる豊かな生活をしてもらいたいと思いました。


投稿者: fmk | 2012年01月17日 10:09

 里親や養子といったものは自分には関わりがないと感じてしまうのは、それだけ意識が低くいということなのだと感じました。日本にはまだ数が少ないとはいえ里親子や養親子は存在しており、世界全体を見るとその量は非常に多いため、やはり、そのような子供たちもいるという意識を持つことを忘れてはいけないと感じました。
 血のつながりは例え無かったとしても、それ以上の絆が家族の間には生まれるわけだし、それは何にも代えられない程の大きな物であるため、このような子供たちを当たり前の存在と認め、幸せを感じられる子供が増えていくといいなと思いました。 


投稿者: ポッピン | 2012年01月17日 21:17

 親子の絆に血の繋がりは必ずしも必要ではないと思う。私は自分の両親と血の繋がりはあると思っているが、もしかしたらそのうち「血は繋がっていない」と言われるかもしれない。もしそのようなことを言われたら、最初はもちろん驚くだろうし、戸惑うだろう。
 だが、これまで愛情をもって育ててきてくれた「その人たち」は、私にとっては大切な「父」と「母」であると受け入れることができると思う。血が繋がっていないとしても、互いに思い合っていれば「家族」になれると思う。


投稿者: Noi | 2012年01月18日 18:37

 虐待や遺棄、さまざまな事情で親と暮らせない子供の9割が施設で生活しているというのを読んで、前にテレビで放送されていた、施設で生活している子供たちのドキュメンタリーを思い出しました。とても悲惨なことだと感じました。
 たとえ血のつながりは無くても強い絆で結ばれている親子関係であればそれは家族だと思います。家族と暮らせない子供たちが少しでも減ればいいと思います。


投稿者: kmkm | 2012年01月19日 10:13

 親と子、その関係に必要なのは血のつながりではなく、互いへの愛情、互いを大切に思う気持ちだと思います。もし私が親に「実は血がつながっていないんだ。」と言われたとしたら、もちろんショックは受けると思いますが、さして問題ではないと考えると思います。
 何があったとしても今までの信頼関係が崩れることはないと思うし、今まで育ててくれたという事実が消えることはないからです。そのため、たとえ血のつながりのない里子であっても愛情をかけて育てることができれば、本当の家族になれる、ということを改めて感じました。


投稿者: ふなちむ | 2012年01月21日 05:41

 私は、親と子の間に「血のつながり」は必ずしも必要なものではないと思う。少し前までは、家族≒血がつながっているものだと考えていた。しかし、最近某ドラマを見てそもそも、お父さんとお母さんは血がつながっていないという当たり前のことに気付かされた。大切なのはやはり気持ちであり、確かに血がつながってないことに対する不安であったり疑問を感じてしまう時期もあると思うが、愛情をもって育ててくれたなら大切な親にかわりはないと思う。


投稿者: モンテ | 2012年01月21日 13:13

 実の親と離れ離れになった子どもが存在するという事実は残念ですが、現実問題として、“赤ちゃんポスト”が設置されるくらいですから、親と暮らせない子どもがいなくなることはないと思います。
 ならばやはりそれを受け止める体制、つまり里親制度を充実させる必要があります。不妊に悩む女性が多い中でこの制度を広めていくことは、子どもと大人の双方に有益となる可能性があるのではないでしょうか。一組でも多くの家族が、たとえそれが血がつながっていない家族だとしても、幸せに暮らせるようにしたいものです。


投稿者: ゆかりそ | 2012年01月21日 17:24

 この記事を読んで最初に思い浮かんだことは政治家の野田聖子さんのことでした。野田さんは長い間の不妊治療も実らず、アメリカで卵子の提供を受けて子供を授かったそうですが、それで産まれてきた子供は多くの手術を受ける必要がありました。そんなことで生まれた子供は幸せだったのでしょうか。「私は母になりたかった」と仰っていましたが、それなら里親になるという手も十分にあったはずです。私には自分勝手に思えてしまいました。


投稿者: mnbst | 2012年01月22日 15:14

 現代増加傾向にある虐待という問題は、例外なく誰もが隣り合わせのものである。そんな時代だからこそ、誰かが子どもたちに愛を教えていかなければならないだろう。そうして育った子どもたちが成長し、大人になった時、教えられた愛を次に伝えていく可能性を、少しでも大きくしていって欲しい。そのためには、この記事のような親子関係が、この日本でも当たり前のこととして存在するということが理想的なのではなかろうか。


投稿者: A38 | 2012年01月22日 18:53

 「里親は本当の親じゃない」って思ってつい強く当たってしまう子供たちも、実際に里親を失って初めてその大切さに気付く。親子の絆に血の繋がりは関係ないと私は思います。逆にいえば血が繋がっている家族でも愛情に乏しい育児が行われている家庭があるのも現実。本当に大事なのは、子供たちにどれだけ愛情を注ぐことができるかだと私は思っています。この記事を読んで私は強くそう感じました。


投稿者: A.S | 2012年01月22日 21:27

 僕は、家族というのは血のつながりなんて関係ないのだと思います。夫婦というものも血はつながっている関係ではないですし、実際に、今回の朝日新聞の夕刊で連載されていると紹介されていたお話では、どれもとても強い家族としての絆があるのだなと感じることができました。
 日本ではまだ里親子や養親子が少ないようですが、これが増加すれば、より多くのの人々が望んで親になり、望まれて子になることができると思います。


投稿者: kzr | 2012年01月22日 21:28

 肉親として子供を育てることと、養親、里親として子供を育てるということ、家族になる過程は違えど大切に子育てをするという情熱、さらに子供が親から受ける愛情は全く同じだと思う。養親、里親になると決意した時点で強い絆で結ばれているのではないかと思う。親になって大切に子供を育てたいという意思があれば必ず養親や里親になる権利はあると思うのでそのような意志を持った人が増えてくれればいいなと思う。


投稿者: imo | 2012年01月23日 00:26

 里親になったり、養子縁組をしたりする人は、ただならぬ覚悟を持っていると思います。過去に辛い経験をした人も多いと思います。里親と里子の関係は、ただの「血がつながっている親子」よりもよっぽど「絆」が強いのではないかと思います。
 「氏より育ち」の言葉通り、子どもは、「自分を育ててくれた親」というのは、血がつながっていなかったらなおさら感謝するのではないでしょうか。実の子ではないのに、よく自分をここまで育ててくれた、と感謝するのではないでしょうか。1月22日の大河ドラマを見て、育ての親が実の子でない清盛を庇うシーンを見て、強くそう感じました。
 施設でも、もちろん立派に育つことは可能だと思います。しかし、やはりひと組の父母がいるというのが子にとって一番だと思います。だから、これから里親制度がもっと活発になってほしいと思いました。


投稿者: ほへふひは | 2012年01月23日 02:40

私は、世間一般で言われる「親子の絆」に、遺伝的要素は一切関係ないと考えています。
感覚が似る、相手の気持ちがわかるというのは、決して同じDNAを持っているからではなく、長い間同じ時間を共有し、同じ感情を分かち合うことによってのみ、得られることだと思います。そして、時間を共有するのは赤の他人でも出来ますが、同じ感情を分かち合うことは、互いに愛情がないとできないと私は考えています。よって、「この子は親のいないかわいそうな子だから」という、同情に似た考えで里親になった人は子供の気持ちや感覚が理解しづらくなると思いますし、家庭はうまくいかないと思います。また、そのような感情で子供に接し続けるのは子供にとって失礼極まりないと考えます。里親は、子供との関係がうまくいかなかったとき、「血が繋がっていないから」と考える前に、自分の、子供に対する感情に同情が潜んでいないか、問うべきだと考えます。


投稿者: akane | 2012年01月23日 09:47

養親、里親になり、子供を育てるということは、並大抵の覚悟では、とてもやりきることはできないと思う。さまざまな事情で養子や里子になった子供たちの気持ちを正面からしっかりと理解することが大切だと思う。特に私が印象深く残ったのは「子どもの村」で、このブログを読んで初めて知ったのですが、全国にもっとこのようなかたちのものが増えてもらいたい。また、実際に「子どもの村」を訪れてみたいと思う。


投稿者: てこてこ | 2012年01月24日 00:30

 今の社会には、さまざま理由があり、親と一緒に生活できない子供たちがいます。その子供たちは施設で育ったり、里親のもとで育てられたりするわけですが、子供を育てていくうえで必要なのは愛情だと思います。たとえ血縁のない親と子という関係でも、愛情を注いで育てた子供とのきずなは簡単に途切れるものではないと思う。
 しかし里親が今の日本では足りておらず、施設で育てられる子供が多いということを知って、不妊治療がうまくいかず、子供を授かれなかった家庭などに里親になってもらうべきではないかと思う。里親として血はつながってなくても、大きな愛情を注いで子供を育てて、本当の家族になるという素晴らしいことが実現できるはずだと思う。里親という制度が今後広まっていくことを期待します。


投稿者: KA | 2012年01月24日 02:11

子供が欲しくてたまらないのに、授かることができないでいる人たちが一方で、望まない子供を授かり、虐待をしてしまう人たちもいます。血のつながりは、やはり特別なものだと思います。だから、どうしても自分の子が欲しいと思うのも、当然のことです。しかし、里親制度がもっと広く認められるようになれば、里親になるという選択肢を考えている人は一歩踏み出しやすくなると思います。血のつながりがなくても、本気で子のことを思い、考え、大切にしていれば、親子になれると思います。何らかの事情があって、実の親から離れて暮らしている子供たちにとっても、幸せな暮らしができるチャンスになるかもしれません。もちろん、過去に傷を抱えている子供たちと、途中から親になった里親の間で、子供の成長過程での衝突は少なくないだろうと思います。しかし、里親制度が、子供を持ちたい人、実の親がいない子にとって、希望のある制度であることは言えると思います。


投稿者: ko66 | 2012年01月24日 11:11

小学生だった頃、里親というわけではないですが親が離婚して新しい血の繋がっていないお母さんがいる友達がいました。当時は、新しい母親になじめず、反抗的な態度をとっていましたが、最近久しぶりに彼に会って話したら、血の繋がっている母子のように仲良くなっていました。私は、親子の絆というものは、血の繋がりではなく、ともに過ごした日々がつくる、精神的なものなのだと思います。


投稿者: FFF | 2012年01月24日 14:18

実親だからと言って子どもが幸せに不自由なく暮らせるというわけではないし、里親だったからというわけで不幸で愛のない生活を送るというわけでもないです。ただそこにはきちんと愛情持って接してくれる大人がいるかいないかの違いであると私は思います。もちろん、里親だという事を知らせた時に「自分は皆とは違う」という事に精神的に不安定になる子どもも少なくないと思いますが、それは少しのハンディーキャップであるだけで、愛を注いであげられれば良いと思います。実子に虐待をしてしまう親だっています。里親だからといって特別なことはないのです。事実をきちんと告白する事は渾身のプロポーズであるという言葉はとても素敵であると思いました。「いらないのに産まれてきてしまった。」「欲しいのに無理だ。」里親制度がもっと社会に認められるものであり、認知されているとなればこのような負の感情や言葉は減るのではないでしょうか。血の繋がりは関係ない、子どもが絶対に愛されるような社会が来てほしいです。


投稿者: ぱゆこ | 2012年01月24日 15:51

里親に育てられる子どもが里親に強い反抗心を抱いてしまうのは周りからの視線もあるのだと思います。実際に里親に育てられた子どもは少ないと思いますが、そういった境遇の人たちの気持ちを知ろうとすることはできます。制度とかそういった文書で規定するよりもまず偏った考えを正すように力を入れるべきだと思います。そして、血のつながった家族だけが本当の家族なのではないとこの記事を読んで強く感じました。子どもは愛情を注がれた分だけ一生で愛情注いでいくものだと思うので、子どもができたら愛情を注ぎたいと思いました。


投稿者: フルーツポンチ侍 | 2012年01月24日 18:38

今回ブログを拝見して、親とは何か、何を以て親なのか、深く考えさせられました。
幸いなことに、私は実の両親に、何不自由なく育てられてここまで生きてきました。
実際のところ、虐待や里子など、耳にしたことはあるものの、それらの言葉をどうしても自分にとっては縁遠い話だと思っていました。
そう思うことであまりにつらい現実に向き合うことを避けてたのかもしれません。

しかし、今回のブログを通して、里親子の実態に触れ、家族の幸せの形はいろいろで、血のつながりというものは、その中の人とに過ぎず、家族のきずなとは、もっと大切な何かで形作られているのだと感じました。


投稿者: 竹村 | 2012年01月25日 00:00

家族というものを形成する上で、血縁というものは必要不可欠、とまでは言い切れないのではないか。血縁について考え、ふさぎ込んでしまう人たちもいるようだが、私の思うところでは、親と子の気持ちの持ちよう、考え方次第で全然違う結果になると思う。親が子を『愛したい』という考えをもつか、子が親に対して『尊敬』を持てば、そこではすでに家族は成り立っていて、虐待などは起きないだろう。『愛』『尊敬』があるならば、きっとその先には虐待などない幸せな生活があると思う。


投稿者: いとかんうり | 2012年01月25日 01:07

現在、親が子どもを捨てたり虐待したりする問題が増えていることによって、里親に育てられている子どもが増えています。わたしは里親と実の親とではやはり実の親に育てられたほうが子どもにとって良いと思います。自分は実際に体験していないのでこのような人の感情はちゃんとわかりませんが、自分の親が実の親でないことを知ったら、子どもは多少ながらも遠慮を覚えてしまうと思います。しかし、やはり子育てに大事なのは愛情だと思います。子どもを育てる気がなくなってしまった、あるいは育てられなくなってしまった親に育てられるよりも、その子どもを育てることができ、育てたいと思った里親に育てられたほうがわたしはよいと思います。


投稿者: 「増井みお」と検索してみましょう。 | 2012年01月25日 01:16

 この記事を読んで、私は親子関係において大切なのは、決して「血のつながり」ではなく、親子間の「愛」だと思った。血のつながりが全く大切ではないというのは、嘘になってしまい、やはり血のつながりのある家庭の中で幸せに暮らすことが一番だと思う。しかし、血がつながっていなくとも、里親と里子の間には、確かに親子の愛があります。それは誰が見ても新の親子である。
 今後、近い将来、このような「愛」のある親子、家族が日本中に増えれば、ブータン国王が提唱していたGDHが日本でも増えるのではなかろうか。


投稿者: マヨペロ | 2012年01月25日 03:00

「幸福」を測る尺度については様々なものがあると思います。お金、愛…
この記事に出てくる里親子や養親子の関係性からもその様子が伺えます。
血が繋がっていないからといって幸せな家庭が築けないということは全くもって
有り得ないですし、母親がお腹を痛めていない子どもだとしても溢れんばかりの愛情を注がれてすくすくと育ったり…

幸福の共有が最大多数の日本人によって為されれば、真の意味での豊かな国になっていけるのではないかなと感じました。


投稿者: れお | 2012年01月25日 06:57

「虐待や遺棄などで親と暮らせない子どもは全国で約4万7千人」という事実に衝撃を受けた。「お腹を痛めた子」などというが実の子どもであってもまっとうに愛することのできない親は確かに存在する。実の子であろうとなかろうと大切なことは互いに信頼し、慈しむことであると思う。「血のつながり」に頼ることなく子どもを愛し、育て、幸せにしようと努力する里親の姿勢に多くの親もならうべき点が多いのではないかと思う。


投稿者: しま | 2012年01月25日 07:38

家族とはなにか。考えてみると家族とは血縁関係にある親と子、兄弟のことがはじめに思い浮かびます。しかし今日本には虐待や遺棄などで親と暮らせない子供は全国で約4万7千人います。私はこのことに衝撃を受けました。
自分が思う当たり前の親子の関係、兄弟の関係を築けていない子供達がたくさんいることを知り、家族というものについて改めて考えさせられました。
血縁関係などに関わらず親が子を愛し、子が親を愛す。共に暮らしていくうちにたとえ血縁関係がなくても幸せな家族を築くことはできると思います。
孤児の子供たちが里親との家族の幸せを少しでも多く感じられるように、また、それ以前の問題として孤児になる子供達がこれ以上増えないように私たち一人一人が家族というものについて考えなければいけないと感じました。


投稿者: ta03 | 2012年01月25日 08:25

里親、養親になることはとても覚悟のいることだと思う。里子、養子と真っ正面からぶつかっていかなくちゃいけない。これは普通の親子よりもすごく大変だと思う。それでも、里親や里子、養親や養子の家族の愛は一般の家族と変わらないものなんだとこのブログを呼んで思いました。


投稿者: えんざ | 2012年01月25日 08:29

日本にいる親と暮らせない子供のうち9割が施設で暮らしていて、里親などと暮らしている子供は1割であるという事実に対し、私は正直意外と里親と暮らしている子供は多いと思ってしまいました。実際に里親と暮らしている子供の話を聞いたことがなかったからです。しかし9割の子供が親の愛情を受けることなく育っていくと思うととても悲しいです。本来子供は実の親と暮らすべきものであり、家族に囲まれて精神的にも肉体的にも安心して暮らすべきものである。その安心をせめて里親から受けてほしいと感じました。(施設の職員が愛情を持って接していないという意味ではない)


投稿者: N-gonzo | 2012年01月25日 09:48

虐待、育児放棄とはすこし立場が違うかもしれませんが自分の父親も血縁関係はありません。5歳からのことなのであまりよく覚えていませんが自分にとって父親と血縁関係がないという事は全く関係ありません。「(1)血のつながりよりも。」でも言われていたように血縁関係がなくても家族は幸せになれる。そう思っています。


投稿者: kokoko | 2012年01月25日 13:11

親は子を選べない。また、子も親を選べない。親にとって子は、また子にとって親はかけがえない存在であるはずです。そんな中、一歩間違えれば子どもを選ぶことのできてしまう里親制度を初めは否定的な目で見ていました。しかし、「障害の有無、性別を問わず引き取る。」という誓約書があるということを知って、かけがえのなさは保たれているのかなと感じた。たとえどんな子であっても、という想いが里親制度には重要であると思う。


投稿者: takari | 2012年01月25日 13:45

命は何にも代え難く尊いものであり、それが我が子の命ならばなおさらだと思います。
しかし家庭によっては親から子への虐待があります。
虐待を受けた子は愛情を知らぬままに大人になり、それを繰り返してしまうことだと思います。
虐待の報道があったときに自分には何も出来ない事にとても無力さを感じます。
だからせめて自分の周りの子だけでもそういう脅威から避けられるよう努めるべきだと思いました。


投稿者: masao | 2012年01月25日 17:50

 子供を育てるには1000万円以上のお金がかかり、20年近くの自分の時間は子供を育てるために犠牲にする必要があります。これは子育てをする上で現実的に関わってくる問題なので親になる人はしっかりと認識していかなければなりません。
 しかし、すべての準備が整った上で子供を持つことができる人がほとんどいないであろうこともまた事実です。親になるということは結局、自分をどれくらい信じてやり抜くことができるかという信念の問題だと思います。これさえ持てないなら子供は持つべきではありません。
 しかし、学生の私がいくらきれいごとを並べたところで世の中は変わりません。虐待・育児放棄に走ってしまう親は後を絶ちません。そのような親の元に授かった命を、しょうがない。と切り捨てるのではなく、しっかりと大切に守っていってくれる親を捜す里親制度はとても重要だと思います。社会がもう少し、血縁以外の親子への偏見をなくしていければ、里親制度はもっともっとよいものになると思います。


投稿者: izu | 2012年01月27日 16:22

 記事を読み、親と子の関係について考えさせられました。ひとりの人間を育て上げるということは、とても大変なことだと思っています。いいこともあるでしょうが、嫌なことだって沢山あるのでしょう。それでも親が育ててくれるのは、やはり自分の子供だから…という考えが多少なりとあるのでは私はと思っていました。しかし、それは里親里子の関係には成り立ちません。そんな中里親になろうと決意し子どもを預かり育て上げる…なんて難しく、そして素晴らしいことなんだろうかと。先行世代が次世代を育て繋いでいく。それは血が繋がろうが関係ない営みだと皆が言えるような社会を、私たちは作っていかなければならないなと考えました。


投稿者: 竹 | 2012年06月20日 17:28

家族とは、お互いに助け合い、支え合い、尊重し合うことのできる、もっとも深い絆で結ばれた人々のことであり、血の繋がりは関係ないと改めて感じました。血の繋がりなしに本当の家族になるのは、想像できないほど大変なことだと思います。しかし、様々な試練を乗り越えているからこそ、より深い関係を築くことができるのだと思います。虐待やDVなど、血の繋がりがあっても本当の家族になれない人たちがいる今日の社会では、もっと「深い絆」を大事にしていくべきだと強く感じました。


投稿者: ky-ma | 2012年06月23日 16:20

現在の親と子どもの間、お互いの理解は足りないだと思います。パソコンや携帯がまだ普及してなかった昔、家族みんなで話し合う時間が多かったです。子どもが何か悩むこと、楽しいことがあって、友達だけではなく、親にも相談したでしょう。今の生活のスピードがとても速い、家族であっても、一緒におしゃべりの時間が少なくなりました、それで、親も子供なにを考えているかわからないし、子どもも親の話時々納得できません。家族の間はいつのまにかわだかまりがあった。それで、虐待や暴力などの問題が発生しただろう。家族との交流をもっとしたほうがいいでしょう。


投稿者: ミヤ | 2012年06月27日 21:47

親も子も1人の人間であるからという理由で、互いに介入をしない方がいいという意見を言われたことがあります。そんな考え方は「家族」という存在を形骸化させてしまい、どんどん人が「個」として生きていく環境を増長させてしまうでしょう。地域のコミニティーがほぼ失われつつある今、家族間でさえ人が孤立するようになれば、様々な問題が発生する土壌が広がるようになるはず。私としてはもっと家族であろうとする努力が必要になってきたのだと思います。


投稿者: 菜種油 | 2012年06月30日 12:36

良い家族になるためには、「血のつながり」よりもどれだけお互いを愛せるかであると思う。初めは、子どもたちも里親を受け入れることができないと思うが、自分のことをいかに愛してくれているかが分れば、徐々に自分の親として受け入れ、最終的にはとても良い関係を作れるはずだ。逆に「血のつながった家族」では、子どもは親がいることが当たり前になってしまっていて、感謝や愛が薄れてきていると思う。家族を大切にすることを改めて考える必要がある。


投稿者: CL | 2012年07月03日 22:40

以前、「ぶどうの木」という本を読んだことがあります。里親の方の記録で、後日ドラマ化もしていました。それを読んだ時にはどこか遠いことのように思ってしまいました。しかし、自分が里親に、里子にならないとは限りません。同様に、自分の隣にいる人がどのような境遇で育ったのかは本人にしか分からないことです。親になること、子になることは出産を経るかどうかではなく、そこに心のつながりがあるか、全力で愛せるかが大切になってくると思いました。いつか大人になったときに、「私は愛されて育った」と胸を張って言えて初めて、「親である(子である)」と思えるようになるのかなと思い、同時に親とは、子とはという概念を根本から考えなくてはならない時代であることを悲しく感じました。


投稿者: よこ | 2012年07月10日 13:33

里親になることは想像もできないくらいの困難を共にすると思います。自分の子供すらまともに育てることが出来ないい人がいる中、血の繋がりがない子を立派に育てることは大変素晴らしいことだと思います。
私の友人にも里子となった子がいました。その子に「僕の親は本当の親じゃない」と聞いたとき小さいながらに私は、かわいそうだな、と思いました。しかし、今思い返すとその子はいつも笑顔で幸せそうでした。親と血が繋がってなくとも元気に立派に育つし、本当の家族にもなれるのだろうと思いました。
虐待や親がいなくて苦しんでいる子どもたちのためにたくさんの愛をそそいでくれる里親が増えることを願います。


投稿者: のぎ | 2012年07月11日 08:40

家族というのが血の繋がりを基盤にしているには違いないです。しかし、愛情を持って育てながら家族になっていくというのは、普通の家族と少し違うかもしれないが素晴らしいことだと思います。自分の子供だからしょうがなく育てるのではなく、自分が家族として受け入れて愛する、育てると決めたのですからもしかすると血で繋がった親子よりいい関係になるかもしれないと思います。


投稿者: kittystar131 | 2012年07月11日 12:38

私は実家暮らしですが、大学で一人暮らしをしている友達を見て、親のありがたさを感じました。里親の方は実親と特別な関係を結べない子に大きな希望を与えてくるのだと思います。里親になってくださった方はきっと愛情があり、自分の子でなくても一生懸命育てよう、と立派な心があると思います。なるべく多くの子に実親と暮らしてほしいですが、もし施設に入っても、幸せに暮らせる環境が増えることを願います。


投稿者: なっぴ | 2012年07月18日 00:32

家族となるのに血のつながりは関係ないのだと思います。そもそも夫婦は元は血のつながらない赤の他人だったはずなのですし、実の親子であっても虐待やDVに苦しめられているより、血がつながっていなくても仲の良い親子の方がよほど家族らしいと思います。もちろん血のつながりを否定するのではなく、それを超えた愛情などが家族となる条件なのだと思います。


投稿者: +皐月+ | 2012年07月18日 01:23

 母はかつて丸の内OLでした。結婚後退職をしたと聞いていたので、その時のことを尋ねました。
 結婚後すぐに退職することはせず、姉が生まれるころに退職したそうです。家事と仕事の両立は可能でも、子育てが加わると職との両立は難しいと判断したとのことでした。娘が2人とも小学校に上がる頃、家から徒歩1分の小さなオフィスでパートを始めました。朝私たちを送り出してから出勤し、17時には帰宅して夕飯の支度。私の生活には、いつもそばに母がいました。
 娘2人が高校生になるころ、母は隣町のオフィスに会社員として入社しました。仕事は以前と比べ残業があったりと、拘束時間が増えましたが変わらず毎朝娘にお弁当を持たせて送り出してくれ、洗濯、掃除、食の支度をこなしています。こう思い返すと、脱帽とか感謝とかそういう言葉では言い尽くせない思いが込みあげてきます。
 親孝行ってなんだろうと考えて、立派に成長した姿を見せてあげることかなと思いました。自慢の娘と言われるべく努力していきます。


投稿者: Kaya | 2012年07月20日 12:18

私は高校時代に一年間アメリカにホームステイで留学してきました。そこで驚いたことの一つは、養子の多さです。毎週末に教会へ行くんですが、一つの小さい教会の地域の中に3、4家庭は養子を育てていました。ご近所づきあいもあり、その家庭にお邪魔する機会がありました。そこで思ったことは、血がつながっていなくても十分幸せな家族になれる、ということです。現在日本では虐待が急激に増加して苦しんでいる子供はたくさんいるのに、養親などになる人は非常に少ないと聞きます。これは、子どもができなくて悩んでいる人たちが血がつながっていなくても十分幸せな家族になれるということを、実感として知らないからだと思います。不妊治療が上手くいかず、苦しんでいる人と養親が交流できる場などがあればもっと養親・里親は増えると思います。


投稿者: ぶぎう | 2012年07月23日 00:16

親子において大事なことは血のつながりではない。誰もがそう主張し、実際に血のつながりよりも大事なことはあるでしょう。しかし、それは血のつながった子として育ったからこそ言えることかもしれません。養子、里子として育った人の中には血のつながりを強く意識している人もいます。一般的に言われることが必ずしも当てはまらないということも考えなければいけないと思います。


投稿者: りゅーりゅ | 2012年07月24日 00:45

事情により親と暮らせない子どもがこれほどいるのかという事実に驚かされた。血の繋がりだけで親子を語るべきではないのが一般的な見解であるでしょうが、血縁というものを大事にしてきたこの国で抜け切れていない慣習なのかもしれません。やはり血縁関係がなくとも幸せに暮らしていけば“家族”になれると思います。


投稿者: ケトル | 2012年07月24日 14:31

里親になるということは、自分に全く関係のない見ず知らずの子供を引き取り、育てるということです。施設に預けられたり、親のいない子供達は少なからず心にダメージを持っています。そうした子を引き取るというのは並大抵の事ではありません。それを踏まえ、覚悟を決め、子供を引き取り、立派に育てていく里親の方々は普通の家族より家族らしく、素晴らしいと感じました。


投稿者: akina | 2012年11月28日 13:58

現在、日本では児童虐待・相談件数共に増加している傾向にある。しかし反対に、全国施設入所児童と里親委託の割合は、児童養護施設82%、里親10%、乳児院8%と里親の割合は非常に少ない。それに比べ諸外国では、子供たちのほとんどが里親に引き取られ、特に5歳以下は里親で育つのが原則である。アメリカに至っては里親の割合が89.9%と日本とはほぼ真逆の数値だ。この数値をみて、日本では里親の制度や意識があまり浸透していないように感じる。こうした中で、自身の子ではない見ず知らずの他人の子供を引き取り、育てて行くというのは並大抵の決意と気持ちではやっていける事ではない。世間の目や周囲の噂にさらされることもないとは限らない。特に現在の日本は近年まれにみる不況に陥り、金銭的にも里親の増加は難しいと考える。出生率の低下に伴い、様々な制度ができ、子供を育てやすい環境にはなってきたが、親のいない子供も引き取った里親の方々を支援するための制度も充実させていくべきではないだろうか。そして、生まれてきた子供達の多くが幸せに充実した人生を送れる世の中になってほしい。


投稿者: つっちー | 2012年11月28日 14:49

女性には母性があり、お腹を痛めて産んだ我が子を愛することができないと考えている人は多いのではないか(特に日本人は)と思います。しかし私は、血の繋がりがあるからといって必ずしも母親が子どもを愛せるとは限らないと思っています。約十ヵ月間お腹の中で一緒にいたからといっても、生まれてしまえば子どもは自分とは別の存在であり、初めて会う存在です。得体のしれない物体と感じてしまう人も少なからずいるのではないでしょうか。
血が繋がっていても愛せないのなら、血が繋がっていないから愛せないというのは通用しないのではないかと思います。この記事を読んで、血の繋がりのある親子と同じように里親子や養親子にも、「親子幻想」や「身勝手な期待」があると知り、その思いは強まりました。
現在の日本では養子や里子の制度についてあまり知らない人が多いと思います。恥ずかしながら、私もよく知りません。母親に問題があっても、子どもを母親と引き離すのはかわいそうだという人もいます。しかし、子どものことを真剣に考えるなら、血の繋がりにこだわらない社会や本当に子どもにとって良い環境とは何なのかを考えていく必要があると思います。
結婚年齢の上昇や不妊の問題が話題となっている今、この問題を取り上げるのは自然なことなのではないでしょうか。子どもとひとくくりにいっても、それぞれが別の思考を持った同じ人間なので、子どもにとって一番良いことを考えるのはとても難しいことだと思いますが。これを機に、私も里子や養子について知りたいと思いました。


投稿者: ひつじ | 2012年12月10日 23:02

実の親子でも、子に対して愛情が持てなかったり、虐待が起きたりすることがある。逆に、血の繋がっていない里親子の間に強い絆が深まる事がある。「親子」というものは、単純に血の繋がりだけで決まるものではない。親が子を育て、子がその愛情を受け取る過程を経て関係を築いていく。しかし、親子と言えど、人と人の関わり合いである限り、すれ違いも衝突もあるだろう。それを一緒に乗り越えることで、さらに親子の関係性が濃いものとなっていく。孤児や虐待を受けた子供たちを救うには、養子縁組や里親制度がもっと広まり、一人ひとりの認識を強める必要がある。良好な親子関係は、全うな人間を育てることにも繋がる。里親制度は実の親との関係が築けなかった子供に親子の素晴らしさを与えたり自立した人間を育てたりする大切な要因となるだろう。


投稿者: コンちゃん | 2012年12月11日 02:05

里親の話を聞いて思い出す話があります。小学生の頃、友達の家が実の子供もいるのですが里親も引き受けていました。実の子供3人と里子2人くらいを育てていたように思います。私は、一人っ子で片親だったので、両親が共にいて兄弟がたくさんいる環境をとてもうらやましく思っていました。ですが、私の家は父子家庭であり父はもちろん働いており、祖父母に育てられてきました。祖父母の負担を増やす訳にも経済的にも私の家に里子を引き取るという選択肢はなかったのだと思います。ですが、今考えてみると、実の子供もいる中で実の子供ではない里子を育てていく苦悩や葛藤は凄まじいものであったのではないかと大人になった今思うことがあります。私は里親をしている友達の家庭を外からしかみていませんが、円満な家庭であったように思います。現在もその友達と大学は違えど交友はありますが、21歳になった今でも実家を出ることなく実家から通える大学に行き、家庭教師のアルバイトをしながら生活しています。
現在は、不妊治療など医療も発達し、たくさんの娯楽や趣味が存在してます。また、不況の中で結婚しない人や夫婦だけの世帯も増えている現状から里親が減っているという事態がおこっているのかもしれません。もし、私が子供ができない体であったとき里子を引き取るかどうか。今の時点の私のままだったらやっぱり「自分の子供じゃないから…」という理由で引き取れないと思いました。里親になるのはきっとすごく覚悟がいることであるし中途半端に掘り出すことができないことなんだな。と再確認させていただきました。


投稿者: しおりん | 2012年12月11日 09:29

私が養子について読んだ本に、日本の家族は圧倒的に親子中心だ。配偶者はあてにならなくても、子どもは自分を必要とし、一生大切にしてくれると思いたい。
「そう信じるための『保証』が血のつながりで、そこが養子だと弱い」。そんな信頼関係は本当は幻想で、血がつながっていても虐待や親殺しはある。でも、保証があるほうが同じ幻想でも信じやすい。
幻想が崩れたとき、実子ならあきらめもつくが、養子の場合は自ら選んだ結果とみなされる。「日本では事故や災害など本人の意思と無縁の災難は同情されるが、選んだ結果生じた不幸に対して非常に冷たい。だから自分の選択を後悔するリスクを負いたくない」とあった。
また、養子には特有の難しさもある。養親が信頼できるか見極めようとする子の「試し行動」、出生について伝える「真実告知」。家庭養護促進協会理事の岩崎美枝子は「子どもを持つことで経験するつらさや悲しみ。それも含めて半生をかける覚悟があるかを、希望する人には確認する」と言う、と書かれていた。
この状況を動かすには、国の関与が必要だろう。韓国では、養親自らが啓発活動をし、政府主導で社会の認識を変えようとしている。米国でも里親から養子縁組への移行が進んだのはここ15年、政府の肝いりでのことだ。日本でも現場レベルの取り組みはある。愛知県の児童相談所は妊娠中や出産直後の生母の相談に応じ、新生児の養子縁組に結びつけている。
一人でも多くの子に愛情ある家庭を見つける。その共通の目的をめざして動いた先に、「標準型」ではくくれない多様な家族のあり方が見えてくるのではないか。


投稿者: peach | 2012年12月13日 15:12

親子に血のつながりは関係あるのか?
たぶん、以前の私も含め、多くの人が「親子」といえば「血がつながっている」と思うだろう。
しかし、現在虐待や育児放棄などが増えている。つまり、たとえ血がつながっていても「本当の親子」になれないことがあるのである。
「本当の親子」になるには「愛」がなければいけないと思う。そして「愛」は血がつながっていなくても十分に作ることができるのである。
たぶん、「本当の親子」になった里親と子供たちはこのことをしっかり理解しているのだろう。
私たちはこのことに気づき、今の日本の里親の少なさについて考えなければならないのではないだろうか。


投稿者: momoko | 2012年12月29日 12:46

里親は子どもたちと血のつながりを持たないが、実の親子のように幸せな時間を過ごすことができる。実の親子でも、最近では親が子どもを虐待やネグレクトなど、きちんとした扱いができず、親がいても子どもが辛い日々を送るケースも少なくはない。親を持たない子どもにより多くの里親が見つかるようにすると同時に、そのような家庭内で酷い扱いを受けている子どもを救い出す手立ても考えなければいけない。


投稿者: 白くまアイス | 2013年01月07日 02:02

現代の日本において、里子として血縁関係のない家庭に引き取られた方というのはかなり稀である。私自身も里子の経験がある知り合いはいない。そうなると里子である方をみるとまず「かわいそう」、里親の方を見ると「大変なのに偉い」などと思ってしまう人が大多数であると思う。これはおかしなことで、大多数の里親とその子供たちは「家族」である。日本には里親があまりに少ないために、逆境の中生きていかなければならない子供たちもいるだろう。私たちは何か理由のない限り里子を引き取る家庭が日本にあまり多くはないことをもっと問題にしていくべきである。


投稿者: まさき | 2013年01月08日 21:13

現在の日本では、罪のない子供が犠牲になってしまう児童虐待などの悲惨なニュースが多く聞かれます。その背景にはもちろん未熟なままに親になってしまった保護者側の責任もあると思いますが、子育てを孤独に行わなければならない社会状況も少なからず関係しているでしょう。こうした里親制度を考えると血のつながりよりも、子どもを想う気持ちや愛などもっと大切なことが見えてくる気がします。地域のつながりを大切に社会で子育てをするという意識が広がれば、里親制度も当然のこととして多くの人に受け入れられるのではないかと考えます。


投稿者: maroon | 2013年01月14日 15:05

不妊治療に力を注いでも子を授かることのできない夫婦は存在する。育てることができるだけでいいとなったら里親になると思います。私は血の繋がりよりも、その関係に愛があるかどうかがポイントだと考えます。今日の日本は虐待は増加し、里親は減少という厳しい状況にあります。他の国のように里親になることは変わったことではない、普通の事であるという考えを日本にも広めたいと思います。加えて、障害の有無にかかわらず愛情を持って接することがとても重要であるということも理解していただきたいです。


投稿者: Eita | 2013年01月16日 11:47

生まれてすぐに里子に出された子どもとは、里親とも信頼関係を作りやすいだろうと思う。しかし、虐待などを経験して心に傷を負った子どもが里親と信頼関係を築くのは、必ずしも容易なことではないかもしれない。
授業で、ボランティアの大学生が施設を訪ねると、施設の子供たちの多くは「この人と自分たちは身分が違うのだ」と思う、ということを聞いた。思春期などのセンシティブな時期に里子に出された子ども達は、里親のもとで生活することに抵抗を感じはじないのか。
暖かな家庭と親の存在を求めている子、里親の愛を受け入れられる子は大勢いるだろうから、里親制度は大いに拡大するべきだと思う。しかし、それと同時に虐待被害にあった心の傷を癒す方法を、子ども達一人一人に対して考えなければならない。


投稿者: wsrt | 2013年01月18日 15:15

近頃児童虐待のニュースを頻繁に聞きますが、わたしは今までこのことが深刻な問題だとは思いつつも「あぁ、かわいそうだな。なんで親はそんなことをしてしまうのだろう」と完全に他人事であったと思います。実際にはこれから自分が加害者になってしまう可能性だってあるのに。また、自分がそのようなことを受けてこなかったことに幸せを感じるべきなのに。児童虐待の深刻さを自分にも関係のあることであると受け止め、さらに自分にもできることはないのかを考えるということが最近欠落してきているのではないでしょうか。まずは自分の子供を愛する、そして今まで自分が受けてきた幸せを恵まれない子に伝えてあげようという気持ちがあれば虐待は減り、里親になろうとする人も増えるのではないのでしょうか。(そう簡単にはいかないから大変なのですよね…)里親になるということは相当な覚悟がいると思うし、実際にわたしが親という立場になったときに進んで受け入れることができるかは今はまだわかりません。しかし、これからの人生でそのようなことを受け入れられる力をつけたいと思っています。しかし、責任転嫁になってしまいますが、わたしのような物事を他人事のように考えてしまうような人を数多く作り出している社会形態や教育のありかたはこれから見直していく必要があるのではないかと感じます。


投稿者: らふ | 2013年01月20日 23:17

現代の日本では児童虐待、育児放棄に比べて里親になる、という数は少ない。その理由は様々あると思うが、僕は血のつながった親子にこだわる風潮を感じる。
血がつながっているからといって、残念ながら親からの愛情を必ずしも受けることができない子もいる。しかし、僕は愛情を注ぎ、親子関係を築いていくのに血がつながっているという条件はないと思う。
そして虐待を受け、親の愛情を待っている子がいる今、里親になるという選択肢を積極的に考えてもよいのではと思います。


投稿者: K&K | 2013年01月23日 13:05

この記事を読んで一番印象に残っているのは「もう見捨てたりしない」という言葉です。同じように孤児になった人の中でも、この話のように道を誤ってしまう人と、無事養子に迎えられて少なからずや葛藤のある中でも幸福感を感じながら生きていく人がいる。これが今の日本の支援事情だと思うと、やはりこの問題に関して積極的に取り組まなければならないと思います。おそらく日本の場合、自分もそうでしたが、関心が無いのではなくてそもそも知らなかったという人が多い気がします。そこでこの問題を知るきっかけを与えることで、子に恵まれない方はもちろんのこと、子供はいるけれどもぜひ愛情を持って育ててあげたいと思う方が出てくると思います。それが将来養子自身良かったと感じるか否かはその後の問題だと思います。まずはこの問題を知るきっかけを作っていくことで、少しでも幸せと感じる方が増えればと感じました。


投稿者: mouth | 2013年01月24日 14:44

日本では子を授かれない場合、不妊治療や受精卵を子宮に戻すという手法がとられがちであるが、ヨーロッパでは里子として子供を育てることを優先させることが多いらしい。これは今生きている子供を救うこともできて非常に幸福なことであると思う。親子で血がつながっていないことは日本では悲劇としてとらえられるが、ヨーロッパのように里子が増えればそのような感情は薄れるであろう。


投稿者: TLC | 2013年01月24日 19:24

里親制度、自分は現場にいたこともなく詳しくしっているわけではない。孤児院にいる子供が何らかの事情で子供ができなかったり心の良いひとが子供をひきとるのだと思うがそれは果たしてよいことなのだろうか。生まれたばかりの赤ん坊ならまだしも大きくなれば人格もできてくる。まわりの子供ばかり引き取られて自分が引き取られなかったりしたらどうだろうか。子供たちの生の声が聴きたいと思った。


投稿者: ポール | 2013年01月25日 07:16

「親になる」とはどういうことなのか。よく先生が「東大でたからといって、良い親になれるとは限らない」とおっしゃっていたのを覚えています。なので、もしかしたら何らかの理由で生んだ子どもを育てられない、虐待して放置してしまうということはあるのかもしれない。ここで大事なのは、周りが捨てられた子どもを平気で世の中に出さないことである。血の繋がってないことは確かに辛い。けれども、母親なみの愛情をうけることができないことのほうがよっぽど辛いと思います。それを防止するための里親システムでもあるのだから。


投稿者: Andy | 2013年01月25日 08:05

親子関係にあるということは血縁関係がある、ということではなく親から子へ、子から親への愛情の行き来があるということなのだと感じました。正直なところ、今までは「里親」「養子」と聞くと「かわいそう、さみしい」といったネガティブなイメージを少なからず持っていましたが、その考え方は間違っていると気が付きました。
先日、海外の国々、特にヨーロッパでは「子どもは社会のもの」との意識が根付いており里親制度も整っている、と大学の講義で学びました。それに比べ日本では児童虐待件数の増加の一方で里親希望者は減少しています。日本は社会福祉の制度の点でもっと海外の国々を見習っていくべきではないでしょうか。
血の繋がりを超えて幸福を手に入れた里親、養子は多くいるという事実に日本は目を向けて里親制度の充実などを検討していく必要があると思います。そうすれば、モノの豊かさだけではなく、さらに多くの人々が心の豊かさを手に入れられる国に近づけるのではないかと思います。


投稿者: 一零 | 2013年01月25日 16:02


虐待を受けた子はイノセンスに悩んでいるとある授業でならったことがある。また、虐待などで苦しんだ経験がフラッシュバックするときは現象が落ち着いていて心を許してるときであるということも学んだ。その授業を受けるまでそのような知識が全くなかった。教師になる人間はそのようなことを知っていないと子どもたちと信頼を築けないことすらある。教員になる人はもっと福祉について学ぶべきた。


投稿者: さち | 2013年01月31日 13:38

本当の親子とは何なのでしょうか?血がつながっているから親子。そんな簡単なものではないと思います。お互いを思う気持ちがないのなら他人と変わらないと思います。いろんな思いを共有してきたからこその信頼が積み重なって親子の絆ができると思います。逆にもし血がつながっていなくても信頼が築け、愛情があれば親子になれると思います。里親制度を整備して日本にもっと”親子”が増えればいいと思います。


投稿者: とびまる | 2013年07月03日 00:41

 親子の関係に「血のつながり」は関係ないと思う。一方で里親や養子という言葉を聞くと同情のような感情が起こる。非常に失礼なことだと思う。
 日本は血縁関係に重きを置いてきた文化がある。その名残がいまだに存在しているように思える。家庭崩壊や虐待が問題視されている現代社会で「親子」や「家族」の認識は改められるべきだ。血がつながっていても虐待やDVがある親子もある。血がつながっていなくても深い愛情と絆でつながっている親子もいる。大切なのはお互いの愛情や信頼関係であると思う。血のつながりではなく過ごしてきた時間が親子関係を作っていくのだとこの記事を読むことで強く感じた。
 自分を含め里親制度への認識が甘すぎると思う。偏見をなくし正しい認識を広く一般にしていくことが必要だと思う。


投稿者: ちゃー | 2013年07月04日 00:01

日本では家庭で生活することの出来ない児童の約9割が施設で暮らしているという現実があります。また、ネットで「里親」と検索すると、上位に出てくるのは犬や猫の里親募集に関するページばかりです。日本では、未だに「家族」に対する考え方が、古く、里親の制度があまり浸透していかないのかなと思いました。
施設で育つことが子供にとって必ずしも良いという訳ではないと思うので、やはり、血の繋がりの有無に関わらず"家庭"での生活をしたほうが良いのではないかと思います。里親とソリが合わないということもあるようですが、施設での集団生活にはない、家庭で安心できる居場所を確保することができることは里親制度の利点でしょう。日本でそのような制度が広まっていないのは残念に感じます。里親になるのは覚悟のいることかもしれませんが、海外では里親になることは決して珍しいことではないようなのです。ですから、日本でも、もっと里親制度の実態を多くの人々が知り、その必要性を理解することから始めるべきだと思いました。


投稿者: かどるす | 2013年07月04日 13:23

日本では家庭で生活することの出来ない児童の約9割が施設で暮らしているという現実があります。また、ネットで「里親」と検索すると、上位に出てくるのは犬や猫の里親募集に関するページばかりです。日本では、未だに「家族」に対する考え方が、古く、里親の制度があまり浸透していかないのかなと思いました。
施設で育つことが子供にとって必ずしも良いという訳ではないと思うので、やはり、血の繋がりの有無に関わらず"家庭"での生活をしたほうが良いのではないかと思います。里親とソリが合わないということもあるようですが、施設での集団生活にはない、家庭で安心できる居場所を確保することができることは里親制度の利点でしょう。日本でそのような制度が広まっていないのは残念に感じます。里親になるのは覚悟のいることかもしれませんが、海外では里親になることは決して珍しいことではないようです。ですから、日本でも、もっと里親制度の実態を多くの人々が知り、その必要性を理解することから始めるべきだと思いました。


投稿者: かどるす | 2013年07月04日 13:24

このブログを読んで家族とは血のつながりだけの関係ではないのだと思った。もちろん本当の親に愛情を注いでもらって育ててもらうのが一番いいことではあるが、もし何かの事情があってそれができなくて、赤の他人に育ててもらった場合でも、そこに愛があって幸せを子供が感じることができれば誰に育ててもらおうが関係ないと思った。


投稿者: そら | 2013年07月15日 23:04

 日本では多くの子供が児童養護施設などに預けられ、実の親と生活できない現状があることはメディアにも取り上げられていますし、授業でも触れていました。そのような子供の話を聞いたときに、今後この子はどうなるのだろうか、と思う一方で、きっと施設で育ち高校を卒業したら自立していくのだろう、と漠然と、無責任に考えていました。恥ずかしいことに、私の考えのなかにも里親・養子という考えはすぐには浮かんでこなかったのです。
 このようなことをなくし、里親制度を広めるには、この制度の重要性を多くのひとが理解し、親の愛情を待っている子供がたくさんいることを知ることが求められていると思います。里親制度のおかげで愛情を求める子供と、愛情を与えたい親の関係が成り立つのですから、子供にとっても親にとっても素晴らしい制度だと思います。そんな簡単なことではないことは理解していますが、多くの人が考えるほど、かわいそうなことでも、憐れむことでもなく、もっと単純なことだと私は思います。


投稿者: 白米 | 2013年07月17日 17:31

私のまわりにも親と血のつながりがない友人が何人かいます。たしかにそのことに関して何も悩んでいることがないわけではなさそうでしたが、自分を本当の娘のように愛してくれていることに対する感謝の方が大きいと言っていました。本当の親子ではないというと社会ではマイナスイメージに見られることが多いのが現実ですが、家族にとって本当に大切なのはどれだけ親のこと、子どものことを大切に思えるかということだと思います。


投稿者: にゃんこ | 2013年07月20日 09:58

よく本の中でも使われる「お腹を痛めて産んだ子」という表現があります。それだけ苦しい思いをして産んだ子だからこそ、自分の子は一層可愛く見えると母親たちは思うのでしょう。しかしそれは、里子を育てる母親たちにも当てはまることだと私は思います。将来子どもは、その事実を知って傷つくのかもしれないと葛藤したり、自分は本当の子でなくても、全ての愛情をその子に注げるのだろうかという不安を抱えながら、里親たちはその決断を下すのでしょう。でもだからこそ、里親としての母親たちもその痛みを子供たちと分かち合うように愛情をもって接することができるのだと思います。つまり、所謂ふつうの家庭に生まれた子どもと、里親によって育てられた子どもには、何ら違いはないと言ってもいいのではないでしょうか。一括りにして言ってはいけないことではないと思います。けれど、里子の方たちには「自分は人と違う」という認識を持って欲しくないので、私はこのように考えました。


投稿者: れぎゅらー | 2013年07月22日 17:33

以前、里親・里子に密着取材したビデオを見たことがある。フラッシュバックを起こす子どもに優しく寄り添う里親の姿が印象的だった。ビデオを通して里親の抱える問題や悩みを知った。地域の人から理解されないことがあったり、病院に行っても医者が受診券について知らないため、診察を拒否されることがあったりするという。私は里親制度についてもっと多くの人が知れたら良いなと思う。周りのサポートが里親・里子を支えると思う。私の知り合いは里子の家に通い定期的に遊ぶという活動をしている。その子どもは知り合いが来るのを楽しみにしていて、里親さんもその子どもの様子を見て喜んでいるという。この知り合いの活動も里親・里子を支える一つだと思う。里親・里子を支える人・もの・制度がもっと充実したら良いなと思う。私ももっと実態を知ったりなどして勉強していきたい。


投稿者: もけけ | 2013年07月22日 21:02

この記事を読んで、「親子とは何か」という問題を考えさせられました。私には実の母がいるし、その母と18年間苦痛を感じることなく一緒に過ごしてきましたし、そのことについてなんら疑問も持たずに生活していました。しかしその反面、親から虐待などの苦痛を与えられ、一緒に暮らすことができなくなっている親子が現実にたくさんいるのだと聞いて、正直考えられない、という気持ちでいっぱいです。そして私は実の親子で生活できないことを可哀想だと思っていました。
でもこの記事のおかげでそれは間違いだと気づきました。血のつながりはなくても、こんなに「親子」だと感じさせられる話もあるんですね。血のつながりなんて親子の絆を築くのに必ずしも必要なものではないんだな、と感じました。私はこの記事を読んで、自分の親のことをもっと大切にしようと改めて思うことができました。自分に子供ができた時もこの話を忘れずにいようと思います。


投稿者: amj | 2013年07月23日 17:38

日本は諸外国に比べて、里親や養子縁組をしている親の数がとても少ないのが現状です。もちろん、里親や養親がいなくても、全ての子どもが実親に育てられることが理想です。しかし、様々な事情があるので、本当は育てたかったのに育てることができなかったということもあるでしょう。里親子や養親子が絶対に幸せになれるということではありませんが、もっと里親子や養親子が増えて、血のつながりだけが親子のあるべき姿ではないということを踏まえて、血のつながりに拘ることなく、全ての子どもが寂しい思いをすることなく、「親子」の愛情を育み、幸せである世の中になっていってほしいと思いました。


投稿者: たむたむ | 2013年07月24日 05:26

私は血のつながった家族に育てられ今まで生きてきました。友人の中にも、里親・里子の人や血のつながりのない家族関係を持つ方はあまりいなかったように思います。(私が知らないだけかもしれませんが…)なので、「血のつながりがない」ということがどれだけ大きなことなのか、表面上では理解したつもりでも実際には私にはわかりえないです。私のような、里子、養子について理解の少ない人が他の国に比べ日本には多く存在すると思います。それだけ日本では、「血のつながり」や「本当の親子」が良い意味でも悪い意味でも重視されすぎてしまっているのだと考えます。そして、日本政府はもっとこういった「家族」に関する問題に対して、目を向け、対策を練っていくべきだと考えます。先日の参議院選挙で、インターネットの選挙情報サイトを拝見しましたが、どのサイトでも教育や子どもに関する争点を挙げていませんでした。それだけ日本人の中には家族に関する問題意識が低いのだと感じました。
様々な家族の形があること、本当に親を、子を大切にするとはどういうことなのか、私を含め、たくさんの人が考えるべきなのだと思います。


投稿者: smscy | 2013年07月24日 06:44

ブログ内に記されている『親子の絆は「産んだら」あるいは「生まれたら」できるのではなく、日々の生活を通して築いていくものである』という言葉を読んで、まさにその通りであるなと感じました。
私は「親子の絆」は乳幼児期における基本的信頼をもとに形成されていくものであると、今まで考えていましたが、それを恥ずかしく思います。思春期になると「片親である」とか「血がつながっていない」とか、そういった「親子の絆」の形成に何ら関係のないことに邪魔されて、つい反抗的になり、「絆がない」という錯覚におちいってしまうこともあるだろうが、そのような悲しい状況にならないようにも「親子の絆」というものについて教育の場で学んでいく機会が増えていけば良いと感じました。


投稿者: めしむら | 2013年07月24日 09:36

私にとって両親は、いつでも無償の愛をあたりまえに捧げてくれる存在です。大きく愛情表現することは普段の生活の中で全くもってありませんが。家族になるにはあたりまえの愛が絶対に必要だと、強く思います。そこに血の繋がりはあまり関係がないのではないでしょうか。「自分を大切にして、同じ分だけ相手も大切にする、思いやる」。これは私のモットーなのですが、これはどんな家族に対しても当てはまると思います。大切なのは血のつながりではなく、無償の愛だと思います。


投稿者: fukami- | 2013年07月24日 12:28

殺人事件などの痛ましい事件の加害者の生いたちをたどってみると、育児放棄を受けていたり、父親から暴力を受けていることが多く、親からの愛情が、子供が健全に育つことの必要条件であると痛感するこの頃です。 実親から虐待されている子供もいれば、里親からいっぱいの愛情を受けている子供もいます。愛は血のつながりを超えることができると思います。幼少期には誰かしらが愛情を注いであげることが必要だと思います。


投稿者: さや | 2013年07月24日 12:35

親子間に血縁関係があるに越したとはないだろうがその関係において最も重視すべきは愛情の有無である。子にとって親は唯一無二の存在であり、唯一無償の愛を注いでくれる存在でもある。血の繋がりがあるか否かよりも子に十二分の愛を注いであげられることのほうが大切だ。


投稿者: AAA | 2013年07月24日 12:35

私は、親子関係にいわゆる「血のつながり」というものは関係ないと思っています。でも、血縁関係は重要なものであるということも思います。ただ、のつながりがある親子でも虐待をする親がいたり、産みたくて産んだわけじゃないというような考えを持ちネグレクトをする親がいたりとこれを「親子」と言っていのか甚だ疑問に感じます。子供が欲しくてもどうしても子供が出来ない状況にいる人や病気や事故で子供を亡くしてしまった人たちが聞いたら憤るでしょう。せっかく自分たちの元にやってきてくれた子供に対してこ愛を持って接しないなんてことは、私には考えられません。血のつながりのある実の親から愛を与えられず、虐待を受けて辛い思いをしているような子供がいるのなら、血のつながりがなくとも愛を持って接してくれる人を里親という形で迎えて新しく「親子関係」を新たに築き上げていけばそれは、血縁関係を諸共しないれっきとした「親子」であると言えると思います。また、記事本編にもあるように、「望まれぬ出産」の子等を特別養子縁組として引き取るが戸籍上は「養子」ではなく育ての親の「実子」として記載されるというのも今の世の中に合っているものだと思います。里親として引き取った方も里子として引き取られた方も、愛を持って接していて「血縁関係」を超えた親子関係でもやはり「戸籍上の関係性」というのは少なからず気になるところだと思うので、精神的に少しは楽になるのではないかと私は思います。


投稿者: cherryleaf | 2013年07月28日 12:18

「親になる 子になる」を自分だったら、どうするのであろうか?と考えながら読んでいました。自分の親が本当の親ではないと知った上で本当の親のように甘えることや、自分が実際に生んでない子供に本当の愛情を注ぐのは、どちらも大変だと思います。自分だったら、正直無理だと感じました。
現在、ただでさえ児童虐待や子供が実の親を殺害するなどのニュースをよく耳にします。
実の親でも、そのような問題が出てくるのだから、里親が難しいのは当たり前ですよね。
しかし、「里親の数が増えれば、問題が解決するわけではない」のが難しいと思いました。
里親が子供にとって本当の親に慣れる可能性はやはり低いと思うし、実の親に一度手放されてしまった傷は、人を信じることができないなどの様々な問題を引き起こすと思います。
血の繋がりって、やはりすごく大きな意味がありますね。
元はと言えば、どうせ捨ててしまうのに何で生んだの?途中で諦めてしまうのに何で里親になったの?などの疑問が浮かんでしまいます。でも、こればかりは実際に体験してみないと分からないものなんだと思うと、少し悔しい気持ちになります。
わたしは、本当の親に育てられ、あまりこの記事のようなことに携わったことがないのですが、この記事を読んで親を大切にし、自分に子供が生まれたときには、たくさんの愛情を注ごうと思いました。


投稿者: ぽにょ | 2013年07月29日 13:40

家族ってなんだろう?私もいつも考えています。人は誰かに裏切られてしまうのが怖くて、「血のつながり」は人間にとって多分唯一疑いなく信じていいものではないでしょうか。だから、もしお互いにこういう信頼関係が成り立つことができるなら、別に「血のつながり」がなくても、「家族」ともいえる私はそう思っています。かえって、実の親子といっても、もし二人の信頼関係が何らかの事件によって破壊してしまったら、「血のつながり」があっても、どうしようもないではないでしょうか。確かに、子供に真実を言うのはつらそうなことですけど、誠意をこめて育ったら、必ず感じてもらえる私が信じています。


投稿者: oscar | 2013年12月18日 18:27

大辞泉で『家族』と引くと『夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。』と書かれていました。では、血縁関係のない里親子や養親子の関係は家族たり得ないのでしょうか。私はこのブログを読んで里親子や養親子の関係も家族であると確信しました。子供が生まれれば自動的に内面の伴った親になれるわけではなく、悲しいことに親になれず育児放棄をする人もいます。しかし、家族も血縁関係だけに基づくものではなく、家族たる関わり合いを通して後から付随する関係なのだと感じました。里親制度の社会的な理解と、そもそもの親子関係の構築への支援制度の確立を願います。


投稿者: mori | 2013年12月21日 00:16

11個の連載の要約を読んだだけでもなにか心にぐっとくるものがありました。
私も機会があったらちゃんと読んでみたいと思います。
私は養子縁組や里親制度を利用して親子になるということは、子にとっては親が見つかり、親にとっても子と出会えるという点で、幸せなことばかりなのだと思っていました。でも幸福なことばかりだけではなくて、「血が繋がっていないから…」ということからたくさん辛いことも経験するのだなということを知りました。本当の親子でなくても愛情を注いで育てることが最も大事なことなのではないかと思います。親になるということは簡単なことではないけど、私は親になったら、どんな形でさえ、愛情をたっぷり注ぎたいと思いました。


投稿者: サンタさん | 2013年12月21日 09:05

 虐待・育児放棄など様々な事情で血のつながった親と暮らすことのできない子供たちが4万7千人もいるとは知りませんでした。また、そうした子供たちに残された選択が施設で生きていくことであることにも衝撃を覚えました。血縁関係を持った親と暮らせることが当たり前の環境にいたからです。
 私は血縁関係のあるの親でも、そうでない里親でも、そこに愛情を持った子育てがあれば「家族」、「親子」として成り立つのではないかと思います。親の愛情の深さ次第では、里親であっても血縁関係をも超える関係が築かれていくと思いました。


投稿者: りんご | 2013年12月30日 10:17

私は血がつながっているかいないかは「親子関係」において問題ではないし、「家族」や「親子」を定義する点はそこではないと思う。里子だったとしても尊重し、慈しむことができるのだとすれば、必ずしも生みの親がいなくてはならないということはないと思う。よく「生みの親より育ての親」という言葉を耳にするが全くその通りだと思う。しかし、記事にもあった通り里親と里子がうまくいかないケースも多く存在する。そこで重要なのが「里子」というステレオタイプにとらわれず互いを受け入れていく意識と政府などによる里親制度の改善であると思う。意識の改革と制度の発達が成されて里親制度が受け入れられやすい社会を実現させることが急務であろう。そうすれば多くの子供たちが救われることになるし、結果的にGDHの向上にもつながるのではないだろうか。


投稿者: TMCN | 2014年01月01日 18:25

  この文章をよんでいろいろ考えさせられました。
今の社会では多くの子供が恵まれない夫婦は養子をもらうのを選びます。それはいいことだと思います。血のつながった親が実子を虐待することは少なくありません。一方、血のつながりがない親子は一生いい関係で支え合っていきていくことも少なくありません。だから、血のつながりということをそんなにきにしなくていいだと思いますもっとも重要なのは、親子はお互いに大切にするということです。親が自分の感情を注ぎながら子供を育ったら、子供もきっと感謝の気持ちを持って親のことを愛してると思います。


投稿者: かてん | 2014年01月06日 00:15

家族の繋がりに血縁の有無はあまり関係ないと思います。しかし、いざ自分が里親・里子の立場になった際、血の繋がらない子供(親)を「自分の子供(親)」として受け入れることができるのか、と問われて容易にうなずくことはできないと思います。家族と共に生活していく中で、この問題にぶつかり、悩み、考えなければならない機会は必ずあるでしょう。しかし、その中で親が子供に愛情を注ぎ、子供がそれを受容し、そこから生まれた「幸せ」という感情をお互いに共有することで、血縁以上に強い家族の繋がりが生まれるのではないでしょうか。
「里子・里親・養子」等の言葉に未だマイナスなイメージを抱きがちである現代において、改めて「家族」の在り方について考える機会が必要なのではないかと思います。


投稿者: Johnny | 2014年01月07日 20:41

「家族」という響きは本当に素敵でありますが、その「家族」にもさまざまな意味があるということが里親子と養親子から現されていました。日本では親と暮らすことができない9割の子どもが施設で生活をしているという現実を知り驚きました。誰しも成長していくためには親が必要であると思います。それは、血縁関係があるかないかは関係ないと思います。
家族には絆が大切であると思います。例えば、もし今親に実は血が繋がっていないと言われると、戸惑いを隠すことはできませんが今まで通りの生活は続くと思います。それは真心をこめて一生懸命育ててもらえることで愛情を感じ、互いに信頼して深い絆で結ばれているからです。絆を深めるということは重要であり、それは今日問題となっている虐待の減少にもつながるのではないかと思います。家族を大切にするということを改めて考えなおし親になることの重大さを知りました。


投稿者: coco | 2014年01月07日 20:48

虐待や育児放棄などのために親と一緒に暮らすことが出来ない子どもが4万7千人もいるとほ知りませんでした。さらにそのうち9割が家庭ではなく施設で暮らすという選択しかない現状を知りました。日本では里親という制度があまりメジャーではないことを考慮すれば納得のいく結果かもしれませんが、家庭のあたたかさを知らない子どもがたくさんいるという事実であることには変わりありません。
血縁関係がある親であっても、そうでなくても、そこに子どもを想う気持ちがあれば親子、家族として成り立つのではないかと思います。大切なことはその子どもが安心して暮らせる環境があるかということではないでしょうか。


投稿者: モカ | 2014年01月08日 14:33

家族愛は、友達や恋人に対する愛とは違うように感じる。それは、血のつながりがあるかどうかで決まることではないと私は思う。しかし人間は私も含め、血のつながりの強さを信じ、求める性質があるのだろう。一方で、血のつながりがない人同士が家族になることは、結婚にも言えることであり、そう考えると、ごく自然なことのように感じられる。さまざまな動機で里親になろうという決意が生まれている。親としての責任を果たそうと必死に子どものために尽くす中で、血のつながりをこえた親子の信頼関係が形成されることだろう。


投稿者: ぱんぷきん | 2014年01月09日 17:54

韓国では里子のことを「腹でなく胸で産んだ子」とも言う。直接産んだ子もよく育てにくく、それに関する問題も多く発生している今の時代に、本当の子でもないが、本当の子よりもよく育てるために努める里親の話が多くある。里子の場合は、新生児から幼稚園に通うくらいの年まで様々であるが、少し年を取っている場合にはその子なりの自我も持っており、特に前の親からの虐待などによって心を傷つけられた子の場合はより育てにくい。然し、里親はその傷まで慰めつつ、立派に育ててくれる。亡くなった後にも我々の記憶の中に残っているアップルの創始者「スティーブ・ジョブズ」も里親から育てられた人である。全ての親は偉大であるというが、特に私は里親をより偉大であると言いたい。


投稿者: SARANG | 2014年01月16日 15:43

私は血のつながっている親に今まで育てられてきた。そして、それをあたりまえのことだと思っていた。だから養子の問題を深く考えたこともないし、考える気もなかった。しかし、様々な事情があり自分の子供を自分の手で育てることのできない人もいて、そしてその親や子供どちらに対しても様々な困難があるのだと考えさせられた。また、実の子ではない子供を育てていく里親について今の社会全体で考えていくべきだと思う。血がつながっていることが一番大事なことではなく、心のつながりが親子には必要なんだと思う。


投稿者: ことり | 2014年01月19日 14:19

血のつながりがあることと親子であることは必ずしもイコールではないと思います。血のつながりがあったとしても幼児虐待といった問題はありますし、血のつながりはなくとも互いを思いやり絆の形成にいたっている親子もいるでしょう。私自身、名付け親が全く血のつながりのない方であり、その方の事を本当の祖父母のように慕っていました。そこには血の繋がり等のしがらみはなく、ただただ温かさがありました。血の繋がりというのは親子を結びつける一番初めの段階に過ぎないと思います。親子間の愛情や絆というものは時間をかけて形成されていくものであり、そこに血縁というのはほんの些細なことに過ぎないと感じます。


投稿者: とっとこ | 2014年01月19日 15:09

家族とは何なのか…私は、同一空間で、常に愛情を持って接することのできる人たちの集まりであると思います。血のつながりや生い立ちとは関係なしに親子の関係を築くことは困難を伴うかもしれませんが充分に可能だと思いますし、そのような事例は沢山あると思います。大切なのは、その親子を見守る世間の目だと思います。実際、今の社会では親子関係において血のつながりを重視する傾向が強いと思います。その為、血のつながりのない親子に対する風あたりが強いのだとしたら悲しいことです。地域の子どもたちみんなの幸せを願う社会が築けたとしたら、全ての親子にとって過ごしやすい生活が生まれるのでは、と思いました。


投稿者: コアラ | 2014年01月20日 09:07

家族とは何なのか…私は、同一空間で、常に愛情を持って接することのできる人たちの集まりであると思います。血のつながりや生い立ちとは関係なしに親子の関係を築くことは困難を伴うかもしれませんが充分に可能だと思いますし、そのような事例は沢山あると思います。大切なのは、その親子を見守る世間の目だと思います。実際、今の社会では親子関係において血のつながりを重視する傾向が強いと思います。その為、血のつながりのない親子に対する風あたりが強いのだとしたら悲しいことです。地域の子どもたちみんなの幸せを願う社会が築けたとしたら、全ての親子にとって過ごしやすい生活が生まれるのでは、と思いました。


投稿者: コアラ | 2014年01月21日 08:55

里子や養子とは少し形が違いますが、私も血のつながりがない人に育ててもらいました。

私は実の家族から虐待を受けていました。
親から愛された経験はあまりなく、家は安心できる場所ではありませんでした。しかし、実の親以上に愛して育ててくれた人達がいます。
小、中学校の同級生の両親、保険の先生、近所のおそば屋さんの夫婦、色んな人が愛してくれたおかげで今があると思っています。
虐待されていたことも知っていて、守っていこうと決めてたと大人になってから聞いて、感謝してもしきれない大事な家族です。

血のつながりがあっても『家族』として機能していない家もあれば、血のつながりがないからこそお互いが愛して理解を深めて『家族』になって、その先につながっていく場合もあります。
養子、里子、実子に関係なく、信頼関係を結べる人のそばで、自分らしく成長していける場所があれば、そこはどこでも家であり、家族だと思います。

 


投稿者: はちみつ | 2014年01月22日 00:36

これまで、養親子や里親子のことについて身近にそのような境遇の人がいないため考えたことがほとんど無かったのですが、虐待や遺棄などで親と暮らせないこどもが5万人近くいて9割が施設にいるなんて想像もしていませんでした。
この記事にあるように親子関係においては、血のつながりよりも親と子の絆が重要なのだと思います。
もしも自分の親と血がつながっていなくて、今そのことを打ち明けられたとしても、親のことを嫌いになるなんてことはありえないと断言できます。むしろ、これまで優しく育てて来てくれたことに感謝の気持ちがあふれて来ると思いました。
里親や養子の制度への肯定的な考え方をする人が増え、血のつながりに縛られることなく幸せな人々が増えてほしいです。


投稿者: tom | 2014年01月22日 03:38

日本人は昔の考えを善とする傾向があるため、家族といえば血のつながりに固執しているように思う。本当の家族とは、血のつながりだけがあれば良いのか。お腹を痛めて生んだ子どもを虐待したり、捨てたりする親が本当の親で、養子として引き取り大切に育てたが血がつながってないだけで偽物の親になってしまうのか。いや、それは違うだろう。「生みの親より育ての親」というように人として生きていく過程が重要で、その過程を支えている人こそ本当の親ではないかと考える。しかし、養子・里親といった言葉を聞くだけで、可哀想と思う人が多いのが現実だろう。日本に家庭で暮らせる子どもたちを増やすためには、可哀想という一種の偏見を変えることや里親里子・養子縁組などの知識を多くの人が得ること、国としての制度をしっかりと設けることが大切だと思う。


投稿者: ポッカ | 2014年01月26日 23:13

親子のつながりとはなにか。血がつながっていなくても幸せに暮らしている親子がいる中、血のつながった子供を虐待する親が増えている。このような事実を考えると、親子の間に血のつながりは大事なことだと思うが、それ以上に愛情というものが重要である。たとえ本当の親子ではなくてもそこに本物の愛情があれば幸せに暮らしていける。逆に言えば、血縁関係にあったとしても愛情がない家庭が増えてきている、だから虐待が増えているのではないか。


投稿者: TR | 2014年01月29日 06:59

 私は教育学や保育学の講義で子供の虐待について学ぶ機会はありましたが、そのような虐待を受けた子供がその後どのような生活をしていくかについては深く考えておらず、この記事は新鮮でした。
 心優しい里親が見つかったとしても、そこで良い関係が築けるとは限らず、うまくいかないケースがたくさんある。そんな中でも、お互い苦悩し合いながら血のつながりを超えた親子関係を構築していく、という営みが素晴らしいことだと感じます。

 今までこのような事例は自分には関係ない話だと思っていました。しかしながら、成人した今、この先もし自分が子供に恵まれず不妊治療も成果が見られないという状況になったら、このような子供たちの母親になろうと思うのだろうか、と、ふと考えました。先のことはわかりませんが、少なくとも今は、それを強く望むことはできないような気がします。血のつながりのない子供を愛せるのか、特に、虐待等を受けていて心に傷を持った子供ですから、良い関係が築けるのだろうかと、情けなくも様々な不安を感じてしまいます。
 しかしながら、日本における虐待や遺棄などで親と暮らせない子どもについての現状をもっと知れば、その気持ちも変わってくるのかもしれません。この記事で紹介されていた連載をしっかり読み、もっと深く考えたいと思いました。


投稿者: ぱせりん | 2014年01月29日 12:05

講義を受講しているものです。
親になるということ、そして子になることを再認識しました。血がつながっているということがすべてではないのですね。現在虐待や育児を途中で放棄して親と生活できない子どもが多くいると知り本当に驚きましたし、疑いもしました。自分の20年余りの人生経験上そのような方と接したり話を聞いたりすることがなかったため、衝撃です。
血がつながっているから親なのか、愛情があれば親なのか、判断できません。倫理観や個人の意見等ありますが、自分は血がつながっていなくとも、不妊やその他事情により里子として養子に迎え入れられても愛情があり、普通に子として、育てられるのならそれは本当にわが子だと思います。逆にそうできない親は親として失格だし、恥じるべきだと自分は考えます。まだ親でもない大学生の意見です。すみません。


投稿者: タク | 2014年01月29日 22:40

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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