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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

七五三

 秋は深まり、今年も七五三の「シーズン」となりました。近くの神社は、着飾った親子連れの姿にあふれています。

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10月の七五三

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 七五三という伝承的な習俗は、数字に示される年齢ごとに、子どもの加護を氏神に祈り、その成長を祝福し、子どもを社会的に承認する通過儀礼の一つでした。
 「七つまでは神の子」とされる幼児期までは、亡くなっても決して本葬は営まれない仕組みさえありました。そして、7歳の宮参りに氏子入りすることによって、神と社会から一人前の社会的人格として承認される運びとなるのです。これ以降は、子供組などの社会的組織に加わるシステムが社会の側に用意されていました。

 冒頭の画像は、近くの神社を通りかかったときに、七五三参りと思われる大勢の親子連れを目の当たりにして、私のふとした疑問から撮影したものです。「まだ10月というのに、えっ、七五三?」と。

 七五三は厳密には、11月15日の氏神参りとして伝承されてきた習俗です。この日は、「霜月の祭りの日に当たり、家々の生業に関係深い神々を祭る日であったから」(平凡社『世界大百科事典』デジタル版Ver2.010、大藤ゆき著「七五三」)であり、家業を代々継いでいく子どもを大切に祝福し、社会の一員として迎える儀礼でした。

 ところが、家族の近代化が家名・家産・家業の一体性と共同体とのつながりを喪失し、親の職業によって休日もさまざまとなると、「だいたい11月中に七五三」と人々の習慣は変化し、今や「11月前後の七五三」にまで拡散しているのでしょうか。

 この辺の事情を近所の神社の方に伺ってみました。

「本来なら、やはり11月15日にお参りしていただくのに越したことはないと考えております。ただ、親御さんのご都合もあるでしょうし、特定の日にお参りが集中すると混みあってご不便をおかけすることにもなりかねません。」
「とくに、男の子の袴着(はかまぎ)や女の子の帯解き(おびとき)に必要な衣装も、今はすべてレンタルですから、特定の日に集中するとご要望にお応えできなくなる心配もあるのです。」

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帯解きに袴着

 実際、この神社のホームページにある「七五三詣」によると、七五三とは「現在では誕生から幼児期までを無事に過ごしたことを感謝して氏神様に参詣し、今後の無事を祈願する大切な人生儀礼となっています」とあり、七五三詣の期間は「11月上旬は、神社正面に特設の外拝殿を設営して行いますが、11月に限らず年間を通して通常の祈願同様に承っております」と案内されています。

 神社本庁の発行する子ども向けのパンフレット『神社に行こう!』においても、七五三は子どもの「みんなの成長を神様に見てもらう行事なんだニャア。今まで無事成長できたことへの感謝と、これからもご加護をいただくように神社にお参りするんだニャア。」(このパンフの電子版は次を参照。http://www.omiyakids.com/anime/go_jinjya/go_jinjya.html)とあり、社会の一員として子どものメンバーシップを承認するという「通過儀礼」としての意義は、今や全くなくなっていることが分かります。

 小山静子著『子どもたちの近代―学校教育と家庭教育』(「江戸後期のこども」24-33頁、2002年、吉川弘文館)によると、民俗学が明らかにしてきたさまざまな「産育の習俗」の一つが七五三であり、それは「家族内での私的な祝い事」ではなく、親族共同体や村落共同体などの社会集団に組み込まれていた家族の子を、共同体の一員として社会的に承認する通過儀礼であったことを指摘しています。

 つまり、子どもの成長と発達にかかる習俗は家族の関心事にとどまるものではなく、共同体の一員としての子どもに対する祝福であり、子どもの社会的承認のための大切な節目だったのです。

 この点と関わって、小山さんの指摘は重要です。
「共同体の子どもとしての側面は、擬制的親子関係の存在にもみてとることができる。擬制的親子関係とは、取上親、乳親、拾い親、名付親、あるいは成人時の烏帽子親などの仮親との間に、血縁によらない親子関係を結ぶことである。」

 「血縁による親子関係とは別の親子関係をもつ子どもがいたということである。家族外に、子どもの成長を関心をもって見つめる他者が存在していたことになり、そういう意味でも、子どもは『いえ』の子どもであるとともに共同体の子どもであった」

 そこで、当時は親子関係に対して共同体による規制が働く場合がありました。「親と子が喧嘩沙汰になっても、親が自律的・恣意的に実子を勘当したり、養子を離縁したりできたわけではなく、親の側に非があれば、村の意思と強制力でもって当主の地位から退けられ、隠居させられることもあったという」

 子どもが7歳になると子供組の一員として社会への参入を果たし、村の行事をつつがなく遂行する一人前の役割をもつ、実親に限らず子どもの成長に関心をもって見つめる「第二の親」「第三の親」が地域社会に存在する、親に非があれば地域社会が介入し規制を働かせる―これらはいずれも、現在の孤立した子育てと子ども虐待の克服に有益な示唆を与えていると考えます。
 私化された家族の下で、レンタル衣装による「袴着」「帯解き」で氏神にお参りすることは、「七五三ビジネス」と「親の満足感」に資するものである点では間違いないとしても、子どもの社会的承認としての意味は喪失されています。
 現代の大人には、子どもの権利条約に立脚して、わが国の伝承的な習俗を現代にふさわしく再構築する課題があるのではないでしょうか。


コメント


七五三は一つのいわゆるイベントであり、そこで子どもの社会的承認としての意味を維持し続けることが、社会の子どもへの見解を変え、子どもの権利を守ることにつながるのかというのは疑問である。行事の変化から現代の変化を知ることができ、その結果をもってして現代の状況を変えるには至らないのではないかと考える。したがって、伝統的な行事を再構築することが課題なのではなく、現代の行事とかつてのそのあり方を比較し、子どもが社会的にどのような位置にあり、どのような状況であることが望ましいか考え、新しいシステムを構築したほうがよいのではないだろうか。


投稿者: だいだいろくま | 2011年12月30日 18:25

七五三という行事にこうした意味があるとは知りませんでした。実際、七五三の目的を正確に知っていて行っている人というのは少ないと思うし、地域の人との関係が希薄になっている現在、その目的の理解を広めることは難しいと思います。地域が一体となって子どもを育てるというのは子供の成長に大切なものだと授業を通しても実感するし、自分の生活を振り返ってみても、近所の人との関係が薄いのは寂しく感じる面もあります。しかし、昔のように地域全体が家族のようになることは厳しいものがあるのなら、こうした行事を家族の絆を深めるものとして行っていければいいのではないかと思います。七五三をきっかけに子どもの成長を振り返り、見守っていくことができるのなら、一番大切な目的は達成できるように思いました。


投稿者: フローレン | 2012年01月03日 16:54

「だいだいろくま」さんへ

子どもの権利条約では、子どもを「小さな市民」として大人と対等平等な権利主体として位置付けています。

「子どもの社会的承認」とはそのような意味で大切な文化だと主張しているのです。

あなたは本文の意味をはき違えていますね。


投稿者: 宗澤忠雄 | 2012年01月04日 02:08

「だいだいろくま」さんへ

子どもの権利条約では、子どもを「小さな市民」として大人と対等平等な権利主体として位置付けています。

「子どもの社会的承認」とはそのような意味で大切な文化だと主張しているのです。

あなたは本文の意味をはき違えていますね。


投稿者: 宗澤忠雄 | 2012年01月04日 02:08

 七五三も家族内だけで済ますようになっていることは、本当に現代は地域とのつながりが希薄になっているのだなと実感させられます。逆転の発想で、この七五三から地域とのつながりを再構築できるような工夫をすることができるかもしれないとも思いました。地域との繋がりがあれば、他のブログ記事でも取り上げられている家庭内での様々な問題に対して、地域レベルでの解決策を見いだせるのではないかと考えました。


投稿者: しろくま | 2012年01月18日 23:39

七五三の習俗が家族の関心事だけにとどまらず、子どもの社会承認のための大きな節目だったことを初めて知りました。一昔前は、現在よりも地域との繋がりが強かっただろうが、今は家の隣人の顔がわからないという状況もあり、繋がりが薄くなっていると思う。子どもの虐待などは小さな集団である家族が孤立してしまうことが原因で起こると思うので、地域との繋がりが子どもの人権を守ることの一つの要因になると考えました。七五三から現代の問題の背景が見えるとは思いませんでした。


投稿者: ボルト | 2012年01月23日 19:12

七五三における意味を私はこの場で初めて知り、また現代ではその行事の意味は多少ずれてきているようですがかつての意味での七五三はとても素敵で重要なものであったと感じました。先生が仰っている現在の孤立した子育てと子供の虐待の克服に有益であるという意見に私も非常に賛成であり、七五三に限らず今は薄れてしまった地域共同体、社会集団の理念を形成していく古き良き思想・発想を今一度見直す必要があると思います。


投稿者: するが | 2012年01月24日 23:39

七五三における意味を私はこの場で初めて知り、また現代ではその行事の意味は多少ずれてきているようですがかつての意味での七五三はとても素敵で重要なものであったと感じました。先生が仰っている現在の孤立した子育てと子供の虐待の克服に有益であるという意見に私も非常に賛成であり、七五三に限らず今は薄れてしまった地域共同体、社会集団の理念を形成していく古き良き思想・発想を今一度見直す必要があると思います。


投稿者: するが | 2012年01月25日 02:13

七五三は子供を社会に迎え入れる儀式だったのですね。既婚女性はお歯黒をするなど、昔は年齢によって行動や容姿が制限されていたように思いますが、今ではそのような通過儀礼はほとんど見かけません。七五三という儀式によって親は子供を社会的に認めるための心の準備ができると思うので、やはり七五三は重要な行事だと思いました。11月15日にお参りしたほうが親は「我が子は社会の一員だ」とより強く認識できると思うのですが、やはり現代では難しいのかもしれません。また、地域の人間関係が希薄になってきているのは私もひしひしと感じます。共同体による規制が働かない今日では、子供の権利は昔と比べて、その点において縮小したように思います。地域集団で子供とその親を監視することで虐待や子供が巻き込まれる犯罪が減ると思うので、共同体を再構築していく必要があると思いました。


投稿者: たらこ | 2013年12月21日 17:09

七五三が村落共同体にまで広がる慣習だったということは初めて知りました。現代では、こうした通過儀礼は家族間で済まされ、日常で考えても、近隣住民との関わりはせいぜい挨拶くらいに縮小されてきています。しかし、こどもたちをその地域コミュニティが見守るというシステムはやはり衰弱させるべきではないと考えます。母親に重くのしかかる子育ての負担を地域住民で分け合えば、それだけ母親のストレスが減り、こどもに虐待という形で当たるということが克服されるのではないでしょうか。こうした通過儀礼を通して、共同体みんながこどもの成長を見守る暖かい社会は守っていきたいものです。


投稿者: ちゃんえり | 2013年12月23日 14:38

私が七五三という行事に子どもの社会的承認としての意味があることを知ったのは高校生になってからです。それまでは、このような意味を教わらなかったし、私自身子どもの社会的承認としての七五三を経験してきませんでした。その背景にあるのは、やはり共同体の関係の希薄化にあるのだとと思います。共同体の関係がなくなっていき、それぞれの家庭が孤立していけば、虐待やネグレクトなどの問題が発生しやすくなってしまう。七五三に限ったことではなく、現代の様々なことからこのような問題が浮き彫りになってきていると感じました。


投稿者: まくら | 2013年12月27日 15:27

七五三に、それを節目にして子供が社会の一員として認められるといった大きな意味があったことを初めて知りました。時代の変化とともに核家族化が進み家族間の関係も狭くなり、そして地域の人々との関係も昔に比べ淡泊なものになってしまった中で、かつてのように村落共同体に及ぶまでの意味を持っていた本来の七五三という存在に戻ることは難しいかもしれません。しかし、こうした伝統的習俗の意味をもう一度考え直してみて、昔から大切にされてきた文化を守っていければいいと思います。


投稿者: はるく | 2014年01月04日 21:38

宗澤先生の講義を受講しているものです。
七五三が、社会的人格として仲間入りするという意味を持つ通過儀礼なのだということを初めて知りました。これまで七五三という行事があるのだということは知っていましたが、本当の意味は知らないでいました。母に聞いてみたところ、私の七五三のときは11月15日に一番近い休日に神社に行っていたそうです。着物は従姉のおさがりを着ていました。休日でないと父が行けないためだったそうです。このように私事で本来行くべき日に行かないというのは伝統を壊してしまう原因だと思いますが、仕方のないことだとも思います。もちろん15日に行けることが一番なのですが、それよりも家族でそのような行事に参加するということが大事なのではないかなと思います。家族で参加できるという環境が調う家庭が増えればいいと思います。


投稿者: とまと | 2014年01月18日 00:02

 子供も労働力として集団に参加していた時代と異なり、現代は社会的集団においては子供の重要性がだいぶ薄れて「ただの人の子」状態になっている思います。また、隣人関係の希薄な現代においては他人の家の子には関心は向かず、なおさら虐待や育児放棄などが見過ごされる原因ともなっています。七五三が社会集団に与する通過儀礼でありましたが、現代はただのイベントと化し非難される立場にあります。しかし、他人に全く関心を抱かない他の社会集団のメンバーに「七歳になった」と知らせ、親子関係をわずかにでも知らせる、ある種のコミュニケーションツールと残すことでも意義はあると思いました。


投稿者: 野鳥先輩 | 2014年01月22日 00:24

七五三の本来の目的について初めて知った。ブログの結びにもあるように、地域的なつながりが薄れていく中で本来の意味を活用して子供の権利を確保していくことの重要性を感じた。しかしながら、孤立社会は今後ますます加速していくと思われる。問題を解決するために古い慣習を復活させるのか、新しい枠組みを作るのか議論が必要と考える。どちらにしても子供を守るための複数のチェック機構と、家庭に過干渉しないシステムが大切だと考える。


投稿者: おでん | 2014年01月22日 02:40

10月に七五三が行われるというのは驚きでした。私の実家はとても田舎なので集落の繋がりも深く、私の七五三にはおよそ100人近くの親戚、近所、その他様々な人が集まり盛大にお祝いをしていただいた記憶があります。最近では七五三がビジネス化されてしまっているというのは大変悲しいことであると思います。せっかくの七五三のお祝いであるのだからもっと大切にしてほしいです。


投稿者: 衿 | 2014年01月28日 22:50

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
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発行:中央法規
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