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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

大山周辺のグループホームを訪ねて(2)

 大山は米子市付近の北側から見るとまさに“伯耆富士”の姿をしていますが、東寄りから眺めると荒々しい断崖絶壁からなる北壁を見せます。
 これと同じように、地域にも多彩な顔があるでしょう。住民同士が支え合う一面があるかと思えば、地域開発や経済的な利害対立で揉め事が生じることもあるでしょうし、偏見や特別視を介して人権の軽視または侵害が起きることもあるでしょう。
 このような現実をくぐりながら「地域でともに暮らす」ことを支援する担い手が、グループホームやケアホームの「世話人」です。

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写真1 大山北壁

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 前回ご紹介したお二人の世話人はともに、身内に障害者支援施設にお勤めになっている職員の方がおられ、自分の子育てに一区切りがついてからは何からかの形で障害のある人の社会参加支援に貢献しようとの意欲をもってこられた方々です。たとえば、障害児教育の現場でのお手伝いや手話講習会への参加を積極的に取り組んで来られました。

 したがって、世話人のお仕事を引き受けられた当初から障害のある人への特別視や偏見はあまりなく、事業団のグループホームの開設が当事者に無理や負担のかからない地域生活移行に心がけた手順を踏んでいったことも手伝って、グループホームの利用者支援や利用者同士のトラブルにはあまり悩むことはなかったそうです。
 賃貸物件について一言付言しておくと、そのお値段は、首都圏の少なくとも3分の1から5分の1で「ゆったりした居住条件」の確保ができていました(嗚呼、羨ましい!)。

(1)地域でともに暮らす関係づくりの大切さ
 この地域では、グループホームの利用者と近隣との関係をつくっていくことにもっとも重点がおかれていました。世話人の平林さんによれば「世話人の一番の仕事といっていいくらい」とおっしゃいます。

 開設時には、近所の家を「覗けない」ように窓に「目隠し」をすることを条件にようやく開設が認められたりしたこともあるそうです。このような事例は、別にこの地域だけに生じているのではなく、どの地域に視察に行っても耳にする話です。窓の「目隠し」とは、本来自分の家につけるものであって、既存の民家をグループホームに借り上げるとなるとグループホーム側に「目隠し」の設置を開設の条件にするというのは、障害のある人の人権保障の観点からは問題があるといえるのではないでしょうか。

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写真2 鳥取県南部町のグループホームにある窓の「目隠し」

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写真3 名古屋市のグループホームにある窓の「目隠し」

 開設以降にも、さまざまな近隣関係をめぐる難しさがあったといいます。魚を焼く時に換気扇を回していたら「換気扇から出る煙を何とかして欲しい」とか、ゴミの分別を間違って集積所に出したものがあればまずグループホームが疑われるなど、日々の暮らしの営みに伴う些細なことから近隣の誤解を一つひとつ解きほぐしていく必要がありました。

 お二人の世話人の方々は、同じ地域に暮らす「住民の一員」としての関係づくりに労力を惜しんではならないことの重要性を指摘されつつ、夜間支援者の有無が近隣との信頼や安心感の分かれ目になるとおっしゃいます。
 つまり、夜間にも支援者の居ることは、火災予防や何らかの緊急時対応への信頼を含めて近隣への信頼と安心をもたらすため、「地域にともに暮らす」実態を作り上げていくために必要不可欠な手立てだということです。それはいうまでもなく利用者の安心でもあり、障害程度区分にいう「軽度」者利用のグループホームだから、夜間支援者は要らないという現行制度の問題を指摘するところです。

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写真4 広々とした共有スペース

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写真5 2階にもある共有スペース

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写真6 公営住宅を借り上げたホーム

(2)研修保障と必要に応じたサービス調整会議の開催
 この共同生活援助・介護事業ふるさとホームの一群の支援者には、月1回のペースでケース・カンファレンスを主とした研修(世話人連絡会)が実施されています。また、統括施設である西部やまと園を中心に、それぞれの利用者の必要に応じたサービス調整会議を地域で召集し実施しています。新しいホームを開設する時は、必ずベテランの世話人と新人との組み合わせにしているそうです。
 しかし、月1回の研修では「心許ない」し、支援費支給制度以降に開設をしてきた蓄積の浅さから、とくに近隣関係のトラブルへの対応も含めて、もっと経験や意見を交流しあうべきだとの考えから、自主的な「世話人会議」がもたれるようになったといいます。これこそまさしく、支援者の専門的自治に立脚した研修といえるでしょう。

 最初は「何人くらい集まってくれるかな」と半信半疑だったところが、全員集まってきたとか。このような気風は、ホームごとの世話人同士に調整が必要なことが生じても、世話人全体の自主的な相談や働きかけによって問題の克服につながっていくようになったとうかがいました。

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写真7 火災報知機の一つは、大手警備保障会社に直通のもの

(3)生活と人生の支援者として
 ある世話人の方は、「若い人がいきなりする仕事ではないかもしれない」とおっしゃいます。その意味は二つあります。
 一つは、昼下がりから夜間までの時間帯に支援の仕事が集中するため、子育て期にある父母が世話人の仕事をすることには無理が多いという点です。福祉や看護の領域で働く人たちの生活条件も配慮した雇用条件の問題をわが国ではまともに検討した経緯があるとはいえませんから、「若い人には無理がある」というより、「若い人が働く条件に無理がある」という意味で妥当な指摘です。

 もう一つは、地域に暮らす生活者を支援するということは、とくに青年期から成人期の全体を含む障害のある人に対しては、現在の生活を支援することがその人のこれからの人生をどのように創っていくのかをともに考えることであり、それが若い人には時として難しい課題であるという指摘です。
 支援する利用者が自分よりも相当年配の人もいるでしょうし、高齢化に伴う二次的な障害のもたらす困難も含めると、にわかには個人の想像力の範囲を超えることは当然で、資格養成のテキストからこのような問題理解ができるようになる保障もないからです。その上、世代間の間柄が希薄であるばかりか、少し世代を異にするだけで人間と社会の見え方まで大きな開きがあるわが国では、「今ここで」の生活支援だけで手いっぱいとなり、人生をともに見通していくような支援を組み立てることはとても難しい課題となるでしょう。
 この問題点も、「若い人に無理がある」というのではなく、「生命・生活・人生を支援することの大切さを、世代を越えた課題認識にしていく」ことの重要性を指摘したものと考えます。

 さて、みなさんの中には「山陽」に比して「山陰」というと、どこかしら影のある地域と誤解されている方が居られるかも知れません。しかし、鳥取は晴天の日数も多く、大山は西日本を代表するスキーのメッカです。とくに米子を中心とする西部地域は、江戸時代から北前舟の航路として大坂につながっていたため、商都としての自由な気風に溢れる地域です。この4月からのNHKの朝のドラマ「ゲゲゲの女房」のモデルである水木しげるさんを記念する「水木しげるロード」も境港との間にあるところ。ぜひ一度はお立ち寄り下さい。

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写真8 関金温泉の共同浴場「関の湯」-小生が推薦する鳥取県の温泉


コメント


 「地域でともに暮らす。」というのは簡単にできそうで実はとても難しいことであるということを最近実感しました。私は中学生の頃からずっとボランティア活動をしてきました。
 地域にでて活動をすることがほとんどでしたので、毎年会う人などがいるとすぐに仲良くなれて、地域の人にも声をかけていただき、顔を覚えてもらえるようになりました。
 学校の行き帰りにも近所の人とあいさつをしていたので、知り合いは多かったと思います。その時に、「いつも元気がいいね。」、「今日も一日頑張ろうね。」などと声をかけられると一日のやる気も違いました。
 今は、環境が変わりその関係が全くの1からのスタートになりました。うまく言えばこれから、自分の力量次第でまた違った地域との関係が作れるのかもしれません。高齢化、地域との関係の希薄化と言われている現代、地域とつながり何かしらの関係を持つことで困ったときにも相談ができ、話は飛躍しますが、孤独死の問題も解消されていくのではないかと考えました。これからの地域との関係作りについて福祉の視点からも自分なりに考えてみたいと思います。


投稿者: 姫様(”*) | 2011年01月14日 13:37

 グループホームの眼隠しは、私も実感したことがあります。
 中学生のころに、学校の授業の一環として、”職場体験”がありました。私はパン屋さんに行きたかったのに、調整の結果で第三希望のグループホームになって、悔しかったのを覚えています。(笑)
その話はさておき、私が2日間お世話になったグループホームは、山の近くにあって、訪ねる時は坂を上らなければなりませんでした。周りに家はなくて、目隠しの必要はありませんでしたが、なんだか「隔離」されたような感覚でした。
 けれども広いホームだったので、もしかしたら、立地条件とか、土地を選ぶ段階で、仕方ない部分があったのかもわかりません。その時の私は、仕事を学ぶということに精いっぱいでした。今思えば、あの場所は、少し目隠しの要素をもっていたのかもしれません。けれども、ちょくちょくホームを出て、外に遊びに行ったりなど、ホームの人たちには笑顔が絶えませんでした。それは、とても温かい光景でした。それも、職員の方々の日々の努力があってのことでしょう。
 機会があれば、もう一度いろいろなグループホームを訪ねて、もっと細かいところまで学べたらいいなと思います。


投稿者: みぽりん | 2011年01月21日 08:52

 私は鳥取県の出身です。ブログを拝見させていただきました。鳥取県は全国でも有数の高齢化の進んだ県です。車で道路を走れば、そこら中に老人ホームや介護施設などが目に入ってきます。さらに、若者の県外への流出により自宅介護を行うことができないということが少なくありません。  
 今回訪問されたグループホームというものについて、私はあまりよく知りませんでした。グループホームの内部がどうなっているのか、グループホームの設立までの苦労など大変学ぶことが多く大変勉強になりました。特に、グループホームの設立にあたって近隣との関係づくりを重視したという点に驚くとともに感心しました。
 確かに、突然、「ここにグループホームを作りますので協力よろしくお願いします」などといわれても、不審に思ってしまうなと感じたからです。関係づくりをしっかりすることによって、緊急時の対応や補助を地域の方々に手伝っていただくことも可能になると考えられます。
 その関係づくりに尽力された関係者の皆さんの努力等の地道な作業によって介護が成り立っているということを忘れないようにしなければならないと感じました。
 最後に、山陰は晩秋~冬にかけて松葉がにがおいしいですよ。ぜひ、また鳥取県へいらしてください。


投稿者: 新参者 | 2011年01月22日 17:03

ブログを読んでいて、グループホーム開設時には、近所の家を「覗けない」ように窓に「目隠し」をすることを条件にようやく開設が認められたりしたこともあるという点を読んで、びっくりしました。私の考え方から言えば、窓の目隠しの役割を帯びるものはカーテンであると考えていたからです。ブログの写真を拝見しましたが、あれでは、外の風景、輪郭を知ることができない、天気を知ることができない、と思います。人が生きていく時に、日常の当り前の風景が奪われているように思います。だから、このような条件があるのは、正しくない、そう思います。また、地域で暮らしていくトラブルについて書かれていましたが、やはりその解決方法は対話、お互いの理解なんだなと感じました。私はマンションに住んでいて感じるのですが、知らない人なら騒音などで不快に感じてしまったり、することもあるのですが、知っていれば『受け入れる』ことができます。前は嫌だった音も、『あーたのしそうだなぁ』と不快に感じることなく思えるようになりました。このブログを読んでも、結局自分が住んでいくには、隣同士の関係などはとても重要なんだなと感じています。


投稿者: とりみなみ | 2011年07月12日 00:12

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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編著者:宗澤忠雄
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発行:中央法規
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