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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

スズメとともに暮そう-社会開発とノーマライゼーション その1

 わが国ではスズメが激減しています。
 本年5月に発表された、立教大学理学部の三上修先生の「日本におけるスズメの個体数減少の実態」という研究論文によると、1990年当時から現在までの約20年間に、減少率を低く見積もった場合は、50%ほどのスズメの個体数が、減少率を高く見積もった場合には80%もの減少に達することが、それぞれ推測できるそうです(日本鳥学会誌vol.58、No.2、pp.161-170)。次のサイトで読むことができます。
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjo/58/2/58_161/_article/-char/ja
 スズメの減少原因に関する分析は鳥類研究の専門家に委ねますが、私には、日本人に最もなじみ深いスズメさえ住みにくい地域社会を前に、果たして人間の多様性は保障できるのかという疑問を払拭することができません。

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写真1 街のスズメ

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写真2 スズメの仲間ホオジロ♂――私はホオジロも減少したように思う

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 先日の11月30日には、カナダの生物多様性センター(CBD)が皇帝ペンギンを含むペンギン19種のうち12種が、12月8日には、コンサベーション・インタナショナルがダーウィンの進化論を生み出したガラパゴス諸島に棲息するガラパゴスペンギンが、それぞれ絶滅の危機に瀕しており早急な保護策が必要であるとの報告を行っています。
 北極のシロクマと南極のペンギンが絶滅危機種になっていることは、地球温暖化との関係で徐々に知られるようになってきましたが、スズメがかくもさように減少している事実に実感をもって気づいている人は、日本にまだそう多くないかもしれません。

 東京周辺のターミナルでは、スズメやツバメの姿をみかけることはめっきり少なくなり、もっぱらムクドリの大群だけが目立つようになりました。埼玉県の大宮駅や川越駅も例外ではなく、夕方になればいささか不気味な鳴声を発しながらムクドリの大群が駅周辺の街路樹やビルにねぐらを求めて舞い降りてきます。

 1970年代以来、ヒヨドリを筆頭に「都市鳥化」する鳥が現われ、雑食性の鳥の中で都市に適応する鳥もいました。しかし、日本全体の国土でみれば、わが国の鳥類の絶滅危機種は確実に急増したのです。そして、このように生物の多様性が解体されつつある中で、人間の多様な存在と生き方も同時並行して解体されてきたと考えています。それは、長い近代化の過程とその無惨な帰着点である「構造改革」に同根をもつ問題でしょう。

 この20年ほどの間に、「今ここで自分を大切にする」という「自己決定・自己選択」は、「日々自分を大切にする」ことへ、そしてまた「生涯自分だけを大切にする」という強欲へと変節し、そのことへの反省はさまざまに指摘されてきました(たとえば、神谷秀樹『強欲資本主義 ウォール街の自爆』文春新書、2008年)。その過程は、「人間-社会-文化-自然」という統合関係を究極なまでに破壊するものであったからこそ、生物多様性の解体とともに、「強欲な者」だけが生き残ることのできる地域社会の秩序再編の中で、子どもたち・障害のある人・高齢者等を含む多くの人たちの生命と生存が脅かされるようになってしまいました(詳しくは左欄にある拙著をご覧ください。また、雑誌『響き合う街で』vol.47「森の再生・地域の再生-根幹から見つめなおす時がきた!」(やどかり出版、2008)年もご参照ください)。

 しかしこのことは、同時に「自己決定・自己選択」の源である「近代的個人」のあり方そのものが問い直されているということに他ならないのです。身近な他者との親密な交わりを土台に据えた公共圏のあり方をどのように構想するのかという問いからすれば、「自己決定」をめぐる主体的・客観的諸条件を問わないままに、社会福祉サービスの起点を「自己決定」に委ねてしまう「自己決定還元主義」はまさに笑止千万です。
 近代的個人のあり方を出発点に据えた社会開発の結果、子どもたちは「産むか産まないか」という発想次元の対象にまで貶められ、障害のある人や高齢期の人たちを排除しやすい地域社会が拡がり、極地のシロクマやペンギンだけでなく、わが国のスズメさえ絶滅の危機に瀕する地球・地域になってしまったのです。日本では中世まで、全盲の琵琶法師が広域を宗教者・芸能者として渡り歩いていたにもかかわらず、今や一駅の移動にも困難を強いられています。このような街の構造を作り出したのは、まさに近代化の過程に貫かれた社会開発のあり方そのものを問題に浮上させなければならないでしょう(2008年10月16日ブログ参照)。

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写真3 スズメもいずれ絶滅危機種となるか?

 このような社会開発そのものの問題を真正面から課題に据えたのは、21世紀初の主要人権条約と位置づけられる「障害者の権利条約」です。障害のある人の現実を柱に据えて、「誰もが地域で暮らせるノーマライゼーションを実現する」営みは、このようにして「スズメと共に暮そう」という表現にも通じていると考えています。
(次号に続く)


コメント


 この記事を読んでスズメの減少という一見福祉とは全く関係のない問題も福祉に結びつけて考えられるんだなと実感しました。
 確かに生命力が強く順応力も強いスズメさえも生きていくことが困難な時代に人間が生きていけるはずがないと思います。障害がある人や子どもはなおさらです。子ども手当など子どもへの援助は強化されつつありますが障害者への援助は課題にもされておらず、まだまだなようです。
 近年バリアフリーが叫ばれ、障害者も高齢者も生活しやすい社会になっているはずなのに、鎌倉時代より障害者や高齢者が社会で生きにくくなったのはなぜだろうか。
 それは社会がファッションや建物など個性は求めるが人間の多様性は求めておらず、集団からはみだした人間は排除する傾向があるからだと思います。この記事を読んでどんな問題からも福祉の問題が考えられるということを学ぶことができました。


投稿者: N.K | 2009年12月27日 14:38

 こんにちは。以前、現代社会と福祉2で宗澤先生の講義を受けた北九州市立大学の学生です。先日はとても興味深いお話をありがとうございました。
 先生の講義を聞いて、現在の日本はここまで障害者に対しての関心や配慮がないのかと驚きました。確かに、視覚障害者のために街中に点字ブロックなどが設置されているのに、その上に自転車が並べられていたり、マンホール上のブロックの向きがバラバラでまったく機能していなかったりと、表向きだけの配慮になっているのではと感じることが何度もありました。
 さらに現代社会では、家族間での障害者虐待なども増えてきて、障害のある人達にとって安心して過ごせる場所が内にも外にもなくなっているのでしょうか。講義で挙げられた「ノーマライゼーション条例」のような障害のある人を主体として捉えるような条例が、もっと他の地域にも広がってほしいと思いました。


投稿者: N/S | 2010年01月01日 13:06

 こんにちは。先日、先生の講義を受けたものです。先生の話を聞いて、現代の日本の福祉問題について改めて考えさせられました。
 政府もこれらの問題に対していろいろと対策をとってはいますが、こういった対策は本来市民が主体となって講じるべきものであるにも関わらず、市民の声はあまり反映されていません。実際に問題に直面している人々の意見を反映していない対策は、本当に困っている人の助けにはならないと思います。
 また、市民自体も福祉の問題について無関心であったり、どうしていいか分からなかったりしています。そこで、まずは地域や家族などのコミュニティの崩壊を立て直すことが先決だと考えます。
 地域の人々や家族と強い結びつきがあれば、お互いを思いやることができ、多少の困難も助け合って生きていくことができるはずです。そして、皆が福祉の問題を解決するために一致団結すれば、日本の福祉はよりよいものになると思います。


投稿者: BRT | 2010年01月04日 15:47

 こんにちは。北九州市立大学で講義を受講させて頂いた者です。

 スズメやツバメの減少については私も薄々感じていましたが、私自身が大人になったことで生活環境も変わり、目にする機会が少なくなったのかな?とあまり深くは考えていませんでした。
 けれど、以前は学校などの建物に毎年一つはツバメの巣を見かけたものですが、最近ではなかなか目にすることもなくなりました。実家の庭にヒエやアワを蒔くとスズメが食事に来たりしていましたが、今ではその数も少なくなったように感じます。個人的にはミノムシなんかも最近はなかなかお目にかかれないなぁ~と、少し切ない気持ちになったりします。

 私は日本以外の国で生活をしたことがないので、なかなか実体験からの比較で考えることができませんが、やはり日本は福祉を必要としている人たちにとっては暮らしにくい環境なんでしょうか。
 私は法学部の学生なのですが、先日ゼミ報告のための資料収集でICPSという国際センターが発表している「世界平和度指数」なるものを目にする機会がありました。
 これは、主に各国の犯罪発生状況やテロ、政治不安などの治安面での指数を表しているものなので福祉に関するものではないのですが、日本はこの「世界平和度指数」の値でみると2009年は7位、2008・2007年は5位という順位でした。
 福祉の水準を示す調査報告ではないのですが、上位10位内には福祉の先進国である北欧諸国がランクインしていることもあり、日本もそれなりに平和ではあるように感じていたのですが、「平和である」ことと「生活しやすい」ということは福祉の観点で考えてみると、必ずしも比例するものではないのですね。
 尤も、国の治安が安定していなければ福祉に力を注ぐこともできませんから、前向きに考えれば日本の福祉政策はこれから!!なんでしょうが、とっくに高齢化社会から高齢社会へと進んだ世界トップの長寿国である日本が、できるだけ早く「平和で住みやすい」国になればいいなと強く感じました。


投稿者: アップルパイ★ | 2010年01月04日 17:19

 こんにちは。北九州市立大学で宗澤先生の講義を受講した者です。先日はお忙しいなか、貴重な講義をしていただき有り難うございました。非常に興味深いものでした。
 身体に障害のある人や高齢者のためのバリアフリーが叫ばれ徐々に実行されてはいるものの、まだまだ生きやすい社会とは言いづらい現状ですよね。
 私たち人間でも生きづらい現在の社会環境はスズメやツバメなど鳥類にとっても住みにくく、近年激減しているという事実にはたいへん驚きました。身近だと思っていたスズメたちが身近でなくなったようで不思議な感じです。
 私の実家にも毎年ツバメがやってきて、ひな鳥の誕生や餌を求める元気な鳴き声を目の前にしてきたのですが、それが見られる機会も減ってくるのかもしれませんね。
 人間だけに住みよい社会でなく、他の生き物との共存も満足のいく、そして平和な社会を私たちの手でつくり上げることが必要だと思います。


投稿者: LIV | 2010年01月05日 18:41

 現在と過去どちらがいいのかということを考えるきっかけをこの記事は与えてくれました。
 現在しか体験していない私からすると今の世の中のほうが便利で、良いと考えてしまいますが、それは自分が特別不自由な思いをしたことがないから安易にそう考えるのではないかと感じました。
 社会は力のある人たちの都合のいいように作り上げられてしまうがためにその上のレベルにばかり追いつこうとしてしまうから自分より立場の弱い人たちに目を向けることができなくなってしまったのではないでしょうか。
 だから、昔であったら琵琶法師のようなことができたが、今では到底出来そうもなくなってしまったのでしょう。
 これからも、上に上に基準が持ち上げられて行ってしまえば、淘汰されるもののほうが多くなってしまうのではないかと不安に思いました。


投稿者: MYJ | 2010年01月05日 23:21

 こんにちは。北九州市立大学で先日講義を受けた者です。
 「すずめが減少している」確かに言われてみれば、以前はあんなにいたるところで目についていたすずめを、ここ最近大量に見るということが少なくなってきたかもしれません。そのことに先生のブログを読んで気づき、そういえば!と、とても驚きました。
 ただただ強いものだけが生きやすく、そして生き残っていく社会では、現在の地球温暖化などの現象に陥っている地球環境のように、少しずつ崩れ、いつか破綻していくのではないかと思いました。
 誰にとっても、生活しやすい環境とはどんなものかに気づき、築いていくことが必要なんだと実感しました。
 そして、「気づく」ということは難しいことだなとも思いました。


投稿者: UVLA | 2010年01月06日 11:39

 書き込みさせていただきます。
 先生の記事を読んでいまさらながらスズメの個体数減少に気づかされました。また、福祉とは接点のないもののように思えることでも根底ではつながっていることに驚きを隠せません。
 終盤の「全盲の琵琶法師が広域を宗教者・芸能者として渡り歩いていたにもかかわらず、今や一駅の移動にも困難を強いられています。このような街の構造を作り出したのは、まさに近代化の過程に貫かれた社会開発のあり方そのものを問題に浮上させなければならないでしょう」というのはまさにその通りだと思います。
 近代化によって恩恵を受けている部分もありますが、それを貫き過ぎて人と人との生身の接触(コミュニケーション)をもデジタル化によって希薄にせしめる社会を作り出してしまったことは、人間の反省すべき点なのではないかと思います。


投稿者: sss | 2010年01月06日 16:08

 先生の指摘を受けて、よくよく考えてみると自分の身の周りにスズメが少なくなっていることに気がつきました。
 環境においても人間社会においても、活動における犠牲を最初に受けるのは弱者であり、犠牲を負わせている側は自分のすぐそばまでその影が忍び寄るまできずかないものなのだと痛感されられました。
 いくら社会が便利になり発展しても、弱者に対する優しさや気遣いをもてなければいつもどこかしらに犠牲を伴い、環境問題や虐待、福祉の問題がなくなることはないと思います。
 スズメという身近な存在から環境や人間社会のことをここまで深く考えられるなんて、面白いと同時に少し恐ろしくも感じました。


投稿者: D.F | 2010年01月06日 23:06

 こんばんは。
 言われてみれば確かに、最近スズメの姿を見ることは少なくなってきているように感じます。
 その一方で、ムクドリの姿を多くみかけるようになりました。地元の駅前には、テレビでも取り上げられたくらい、かなり大量のムクドリの姿をみかけます。
 スズメの数が減少してきていることに気付いている人は、そう多くないと思います。言われてみてから初めて気づくのかもしれません。
 現在、かなり多くの生物が絶滅の危機にあります。このような原因を招いた一端には、私たち人間が係わっていると思います。このことを全人類は意識して生活しているのだろうか。
 この世界に住んでいるのは、自分たち人間だけではありません。このような『当り前なコト』を忘れているうちは、「誰もが地域で暮らせるノーマライゼーションを実現する」ことは難しいだろうと私は思います。


投稿者: kuromoko | 2010年01月07日 00:07

 すずめの減少、という事実に驚きました。と同時に、私たちは自分に関係のあること以外になかなか関心を持ち得ないのだということも痛感しました。
 先日、北九州市立大学での講義をお聞きして、自分の福祉に関する見識の狭さを痛感しました。中でも筆談に伴う困難や、国際シンボルマークのお話で、自分の認識がいかに曖昧ででたらめだったかがわかりました。
 多くの人に関心を持たれない雀たちが生きにくい環境の中数を減らしているのと同じように、人間もマイノリティには関心が集まらず、結果、講義の中で紹介された茨のからんだ手すりなどが現れてしまうのだろうと思います。
 道路にしても建設物にしても、はじめから誰もが利用しやすい設計をしていくことが、求められていると思います。


投稿者: 砂糖 | 2010年01月07日 15:38

 文章を読みながら、宗澤さんの顔と元気な声が思い出されました。今後ともブログを楽しみにしています。


投稿者: たろう | 2010年01月07日 18:31

 こんにちは。先日、宗澤先生の講義を受講した北九州市立大学の者です。
 私はこの記事の表題を見たとき、ノーマライゼーションと何の関係があるのかと不思議に思ったのと同時にとても興味がわきました。一見、スズメの固体の減少と福祉にはなんら関係はないように思えますが、そのことが福祉問題の現状を示唆する大きな意味を持っていると知りました。
 今まで普通に生活してきて、そういった変化に気づくことはなかったし、この記事を読んで気づかされることが多くて福祉や環境について考えるよい機会になりました。
 日常生活の中で気づくという行為はすごく大切で、それがどんなに小さくてもそれはなんらかのサインであるのだと思いました。とても身近に存在していたはずのスズメたちの減少。これは人間が自分たちのために環境を変えてきたことに対する警告でもあると思います。自己中心的に考えるのではなく、社会的に弱い立場にある人や動物たちともうまく共存していける社会を創っていくことがとても大切だと感じました。


投稿者: ゆん | 2010年01月09日 14:16

 先日は、大学で講義していただきありがとうございました。
 現代社会でユニバーサルデザインが必要とされていることを改めて感じました。そしてそれと同時に、ユニバーサルデザインの実現が困難をともなうということにも気付かされました。身近な存在であったはずのスズメとでさえも、人間はうまく共生できずにいるのに、誰もが日常をともにできる環境を本当に作ることができるのかとても不安です。
 しかし、身近な他者とのコミュニケーションが苦手な人が増えているからこそ、他者のことを考えることが大切だと思いました。障害のある人もない人もともに過ごすためには、相手のことを思いやることが不可欠で、それは人間だけでなく動物に対してもあてはまると思いました。


投稿者: はる | 2010年01月09日 17:01

 こんにちは。先日はとても興味深い講義をしていただき、ありがとうございました。
 今回のブログを拝見して、スズメの減少と私たち人間の多様性の問題を重ね合わせて考えることのできる視点を私は持っていなかったなと感じました。しかし真に物事を考え、解決していくためには様々な立場、視点からの発想が必要なのだと感じました。
 そしてこのスズメの減少から、私たちは自分たちの利益や利便さの追求にばかりとらわれ、全人類、全生物の生きる権利の保障を軽視しているのではないかと思いました。しかしこの世に生を受けた以上、その命は十分に大切にされる権利を有しています。
 だからこそ私たち人間は、何事においても他人や他の生物における利害までをも考えていかなければならないのだと考えました。


投稿者: かっち | 2010年01月10日 11:10

 こんにちは。先日、宗澤先生の講義を受講した北九州市立大学の者です。
 スズメや極地のペンギン・シロクマのように環境の変化によって、苦しんでいるものがいることを改めて感じました。これらの存在に気づいていない人も多いようです。さらに都心では実際にムクドリの大群が目立つようになっています。
 これは人間の存在と生き方にも置き換えられるでしょう。障害のある人や高齢の人たちのケアをせずに、その存在を軽視して自分自身のことを考え、優先しすぎる人が増えてきていると考えられます。
 私たちは、これまで以上に障害者の権利を守るための条例づくりについて考えなければなりません。そして地域社会と市民がより密接に関係し、困難や問題があったときに支援ができる環境が必要であると考えます。周りで起こっている問題に早く気付き、より大きい規模で改善を目指す社会の結成が求められるでしょう。


投稿者: ニッキー | 2010年01月11日 13:57

 ムクドリの大群の不気味さは、10年位前から感じていたが、スズメの数が減少している事には気づかなかった。ブログを見て以来、今までに無くスズメを愛おしく眺めるようになった。
 先生が指摘するように、スズメさえ住みにくい環境になったのだと思うと、がっかりしてしまう。人間社会も、依然として弱いものが生き難い状況であると思う。強い者だけが、良い思いをして、弱い者は苦難に耐えながら生きているように思える。
 昨年末の、宗澤先生の講義の中で取り上げていた、障がいをもった人への虐待も、問題の1つであると思う。中でも、障がいのある女性を商売にしているという話は、同じ女性として許すことが出来ないことである。もっと積極的に法的整備をして、人権的に救済しなければいけないと思う。そして、多くの人が、障がいをもっている人の虐待など問題の現状を、知る必要があると思う。
 弱い者が苦しみ、生命の危険にさらされているような社会では、日本に明るい未来は無いと思う。


投稿者: 朝顔の顔 | 2010年01月11日 16:07

 「生涯自分だけを大切にするという強欲」ということばにハッとしました。
このことばは今の福祉制度にも当てはまるところがあるのではないでしょうか。せっかく点字ブロックつきのマンホールを設置しても向きを揃えないという話もそうです。マンホールを開発した人はきっと真剣に考えて取り組まれたことだと思いますが、その熱意が社会全体に広まらない限り、このような現状が続くと思います。マンホールの向きを考えない人はきっと自分の仕事をはやく終わらせるために、自分のことだけしか考えていないのでしょう。
 人間は自分の利益を求める生き物ですが、自分だけの利益ではなく、自分も他人も幸せになれるような利益追求の福祉社会になっていく必要があると思いました。


投稿者: 豚足 | 2010年01月11日 20:18

 こんにちは。先日あった北九州市立大学での講義を受けさせていただいた者です。
 私は去年の春にコンビニまで歩いて30分というような田舎から、コンクリートに囲まれたような場所に上京してきました。庭の木には何かの実がなっていたため、それを取りに来たスズメの鳴き声が実家にいるとよく聴こえてきたものでした。
 春から上京してきて鳥の声を聞いてないように感じてましたが、環境の違いからだろうと1人で納得していたため、スズメの減少についての記事を読んだときは衝撃でした。
 先日、実家に帰ったところ私の知らない建物がそこの地域に少し増えていました。有名なコンビニエンスストアーもその中には混じっています。日本全国どこにでもあるコンビニが、そこの土地でしか見れないものを侵食していってしまうように思い、少し怖くなりました。
 日本列島は南北に長いため、四季によっても地方によっても様々な景色が楽しめるような国だと私は思っていました。しかしこのままではいたるところにコンビニやコンクリートが広がり1年中、全国どこでも似たような風景しか見られなくなってしまうのではないかと感じました。


投稿者: ひよこ | 2010年01月12日 22:47

 こんばんは。先日大学で講義を聞かせていただきました学生です。
 この表題のスズメと福祉との関係性がすごく気になったので読んでみると意外な考えにびっくりしつつも納得しました。そのような考え方は普段過ごしている中で全く考えもつかないし、たとえスズメの減少に気付いても何故かまでは思いつかないと思います。知らずにスズメを減少させてしまうような人間社会が進んでいると考えるとすごくこわいです。
 社会全体がそのような事実(例えば今回のようなスズメの件)を知ろうとするのは厳しいと思います。まさかスズメが福祉と関係してるとは思わないでしょう。しかし、先日講義であったような割れ窓理論のような見て気付く事実であればまだ人々の関心度によって良い社会には変われると思いました。


投稿者: 悠 | 2010年01月12日 23:40

 この記事を読んで初めて今スズメの数が減少していることを知りました。生活している中で一番よく見かける鳥なのではじめは信じられませんでしたが、近年、人間による環境破壊によって様々な動物たち、植物たちが絶滅している状況なのでこのスズメの減少も本当なのだろうと思いました。
 人間の多様な存在と生き方は共生しなければならないはずの動物たちや植物たちのことを犠牲にして、様々な社会問題を生んでしまった。このことは人間同士の間でも起こっていることだと思います。
 記事にもあるように『自己決定・自己選択』の自由が与えられ、たくさんの人たちが自分の意思で様々なことを決めることが可能です。しかし、自分以外の人と共生する中で自分のことだけを考えて行動すると他の人が住みづらくなってしまいます。これはこの記事にあるスズメの問題と一緒なのだと思いました。
 人も障害のある人と共生していくためには、『自己決定・自己選択』できる環境を誰しもが手に入れることのできるようにし、障害を持っていてもいなくても変わらない生活を送れるようにサポートしなければならないのだと思いました。


投稿者: yu-ri | 2010年01月12日 23:43

 こんにちは。私は北九州市立大学の生徒です。先日は、社会福祉原論の授業での貴重な講演ありがとうございました。
 全国にいる障害を持った方々のためにも、これからもっと、いろんな方に利用してもらえるような多くのユニバーサルデザインの物を作っていくことが、必要であり、大切なことであるのだなということを、とても強く感じました。技術の進んでいる日本だからこそ、これを実現させることは、格別難しいことではないし、ほかの世界の国々よりも先を進んでいけるような、またお手本になれるような、そんな社会環境が整備されていくといいなと思いました。
 今回の記事を読んでも、身近なすずめの減少についてということで、読んでみてまず、怖いなと思いました。人間とも比較して、同じことが起こらないように、また今のこの状況が悪化の一途をたどらないように、なにかしら努力していかなければならないなと、感じました。


投稿者: TTT | 2010年01月13日 14:51

 宗澤先生、こんにちは。先日、先生の講義を聴いたものです。
 私は、そんな感じを感じたことがなかったので、スズメが減っているというのに驚きました。スズメにとって住みにくい環境になってきているのかなと思いました。そこで、ユニバーサルデザイン必要になってくるのではないかなと思いました。
 私は、今までユニバーサルデザインは、障害のある方や高齢の方だけのものだと思っていました。ですが、誰にでも優しいというのはとても素晴らしい定義だと思いました。現在は、まだユニバーサルデザインの定義を知らない人が多いのではないかと思います。だから、まだ浸透していないのだと思います。この考え方が浸透すると、誰もが住みやすい街になるのにと思いました。
 講義ありごとうございました。


投稿者: ちきん | 2010年01月13日 15:24

 こんにちは、北九州市立大学で講義を受けた者です。今回は貴重な講義ありがとうございました。

 今回の講義を受けて日ごろ私たちが「この施設は障害者に配慮されているんだなあ」と感じるようなものさえ、まだまだ障害者の方にとっては到底便利にはなっていないのだと思いました。そして、講義を受けたあとに改めて街を眺めてみると障害者の方にとっては住みにくいだろうなと容易に感じることが出来る部分が多く見受けられるということがわかりました。
 しかも、今回の内容にもある通り日本、もっと大きく言えば地球規模で生き物にとっては住みにくい環境となり絶滅危惧種といわれる生き物が増加していっています。これらの多くは人間の行動などが原因となっています。いかに人間が自己中心的な動物であるかよくわかると思います。
 しかし、私が先生と違うなと思ったのは、ムクドリばかり見るようになったという記述については私は他の種が繁栄しているならばそれはそれで喜ばしいことだと思うのです。だから、私はスズメもツバメもムクもたくさん生きていける環境というのが一番いいのではないかなと思いました。


投稿者: じゃが | 2010年01月13日 15:25

 先日、北九大で先生の講義を受けさせていただいたものです。先生のお話をうかがったことで、今まで自分が考えてもいなかった観点からの現代福祉の問題点が浮かび上がり、驚きました。また、それまでに理解していた問題についてもさらに根深い問題を見つけることができ、まさに目からウロコが落ちる思いでした。
 そして、ブログの内容も大変興味深いものでした。確かに、先生が述べておられる通り、現代における自己決定・自己選択は少々歪んだ形になってしまっていると感じました。そして、それにより多くの人たちの生命と生存が脅かされていることも事実なのだということも改めて理解しました。これからの時代では、今までの社会開発のあり方を見つめなおし、自己決定・自己選択を正しい意味で捉えなおしていくことが重要なのだと私は考えさせられました。


投稿者: うたかた | 2010年01月13日 20:25

 この記事を読んで、何年か前に家の近くで見たある光景を思い出しました。私の家の近くには以前大きな田んぼがあり、木々も沢山生えていたのですが、数年前に工事され今では道路が綺麗に整備され高級住宅地となってしまいました。その近辺に木が何本か残っているのですが、住宅地が完成したすぐ後にその木の近くをたまたま通ると、一本の木に異常な数のスズメが木に群がっていました。そのときの私は、周辺の木や田んぼがなくなり、スズメの住処がなくなったんだとあまり深くは考えていませんでした。しかし今、現代に生きる障がい者や高齢者があのときのスズメと同じような目に遭っているのだと気付きました。
 社会開発が進めば進むほど、高齢者や障がい者、生き物は「便利」を求めるために排除され、生きる権利が脅かされているという現実を私たちはしっかり受け止め、考え直さなければならないと実感しました。


投稿者: コロネ | 2010年01月13日 22:34

 すずめの写真がとても可愛らしくて心が和みました。そんなすずめですが、私の実家福島のすずめよりこちらのすずめがやせていることには気づきましたが、(餌の理由かすずめの種類が違うのかは分かりませんが)数の減少はブログを読みはじめて気がつきました。
 すずめすら生きにくい現代は、健常者も障害者も生きにくいと感じているひとは少なくないと思います。
 全盲の人が昔、琵琶法師として全国を旅したとあります。駅に行くことすら困難を感じさせる今と比べると、それができた昔は本当に素晴らしいと思います。そこで私が疑問に思ったのは「全盲の人=琵琶法師(音楽関係)」だったのか、「全盲の人の生き方の選択肢の一つが琵琶法師(音楽関係)」だったのかということ。昔の日本には人権や職業の自由がない時代があったことは知っていますが、障害者の場合どうだったのかと疑問に思いました。時間があるときに調べてみたいと思います。


投稿者: さく | 2010年01月13日 23:04

 先日、北九州市立大学で先生の講義を受けさせていただいた学生です。
 この記事を読んで極地に住むシロクマやペンギンには絶滅危険があることを知っていたが、身近にいるスズメにまで絶滅の危険性があることを知りとても驚きました。このことから私たちの身の回りにある福祉の現状も身近な問題であるのに気づいていない人が多いのではないかと考えました。
 ノーマライゼーションの考えをたくさんの人に知ってもらい、私たちみんなで障害のあるなしの関係なく共に暮らしていくために必要なものを考え実現させることが大切であると思います。
 今の能力のある人だけが発展する社会ではなく、すべての人が助け合いながら同じように暮らせる社会になるように私も無関心ではなく努力していかなければならないと感じました。


投稿者: おれんじ | 2010年01月13日 23:31

 こんにちは。スズメが減少したという文章を読み、思わず見入ってしまいまいました。確かに、最近スズメは全然お目にかかれなくなりましたよね。この記事を読むまでとくに意識もしていませんでしたが、そういえば、以前は祖父母の家にツバメが巣を作り、フンで困るほどだったのに、今ではまったくそれに困ることもなくなりました。楽になる半面、とても寂しく思います。
 人間の住みよい社会にするために進めてきたはずの開発が、動物はおろか人間にも住みよいとは言えないようになっていると思います。自分たちのことだけ考えて行動することが、逆に自分の首を絞めることになるのでしょうか。バランスのいい社会、誰もが幸せな社会が実現してほしいと思いました。


投稿者: 紺 | 2010年01月14日 00:05

 北九州市立大学で、先生の講義を受けた者です。興味深い講義をありがとうございました。最初この記事を見た時、スズメがなぜ記事にでてくるのか不思議に感じていました。記事を読んでいくうちに、福祉がスズメにも関わっていると分かりましたが、スズメと福祉の組み合わせは、意外で驚きました。
 自己決定・自己選択が生涯自分だけを大切にするという強欲に変わり、子どもや高齢者、障害のある人が脅かされる社会になってしまっているとありました。自分だけを大切にするのではなく、自分以外の他の人たちを大切に思う気持ちを持つ人が増えてほしいと思いました。一人で生きているわけではなく、みんなと生きていることを忘れてはいけないと思いました。スズメも人間も、誰もが暮らしやすい社会になっていってほしいと思います。


投稿者: EYAM | 2010年01月14日 00:30

 先日は北九州までお越しいただき、貴重なお話をありがとうございました。
 たしかにスズメの個体数に注目して考えたことはありませんでした。なじみ深いスズメさえ住みにくいのでは、いつか人間にとっても住みにくい地域社会になることは簡単に予想ができますよね。
 実際に、マンホールの点ブロックの例のように障害のある方にとって生活のしにくい場所があることを聞き、なぜマンホールの位置をなおすというそのちょっとした気遣いができないのか、そのことに驚くと同時に、自分がそのような気遣いをちゃんと意識的にできているかと問われたときに、胸を張ってはい、と言える人ではないということにも気づきました。自分を律していくことから社会を変えていかなければならないと思います。


投稿者: かしゆー | 2010年01月14日 01:15

 先生のこの記事を読んで初めてスズメが減少危機にあると知りました。
 日常生活の風景の一部でもある鳥が姿をけすのではないかとなるとすごく変な気分になりますね。
 わたしたち人間が自己中心的に生きるのではなく、身の周りの環境から大切にしなければならないなと思いました。
 それは動物だけに言えるのではなく、人にも言えることで身近にいる人たちをもっと大切にしたいと思います。


投稿者: annie | 2010年01月14日 03:05

 こんにちは。北九大の学生です。スズメのことは驚いたし、工夫されていると思った構造が時に妨げになることも記事や講義から感じました。
 色々なことが行われますが、動物にとって住みにくい環境ならノーマライゼーションとは言えなくなるし、必要とする人に本当に役に立たなければ、それはひとりよがりになると思います。
 私達と行政の、すべての人の意見が取り入れられるような取り組みは、難しいけど必要性を感じました。


投稿者: ちも | 2010年01月14日 15:54

 こんにちは、北九州市立大学で講義を受けさせて頂いた者です。先日はご多忙の中、私たちに講義をしていただきありがとうございました。

 スズメが減っているというこの記事を読んで、確かにそうだなと感じました。子どもの頃程、鳥や空を見上げることが少なくなったこともありますが、その数は確実に減っていると感じます。子どもの時よりも建物は増え、私たちにとってはとても便利な世の中にはなっています。
 しかし、障害者にとってはどうでしょうか。前回講義で述べられたように、今の世の中に琵琶法師がいれば、とてつもなく苦労されるでしょう。私たちが住みやすい社会は、必ずしも障害者の住みやすい社会ではありません。私たちは、ただ自分たちが住みやすい社会を創るのではなく、鳥や障害者にも住みやすい社会を作るべきだと、先生の講義を聴いて感じました。その為に私たちは自分になにが出来るかを考えなければならないと思います。
 講義を聴いていて、特にそう感じたのが、電車の中にある電光掲示板の存在です。私たちが何気なく見ている掲示板は、聴覚障害者にとっては、無くてはならないものである。それを聞いた時、衝撃が走りました。私は障害に対して、少なからず意識していると考えていました。しかし、私は今までそんなことにも気が付かなかったのかと感じ、恥ずかしくなりました。これから、日常生活を過ごす上で、このようなことがないように気をつけようと思いました。


投稿者: 曉 | 2010年01月14日 17:02

 こんにちは。先日、先生の講義を受講させていただいた者です。

 確かに言われてみれば、スズメやツバメが少なくなったように感じます。このブログを読むまで気づきませんでした。
 気づくということは、とても大切なことだと思います。先生の講義の中でも出てきましたが、マンホールのふたの向きをそろえないために、点字ブロックを利用される方が迷惑を被っているという話がありました。これは、マンホールをとりつける人が気づいていない、つまり、意識が低いがために起こったことだと思います。意識を高く持つことは、住みよい社会環境にするためにとても大事なことだと思いました。

 貴重なお話ありがとうございました。前後しますが、スズメの減少と福祉が結びつくことに驚きました。先生の意識の高さは素晴らしいと思います。
 


投稿者: カツオちゃん | 2010年01月14日 17:15

 誰もが住みやすく差別のない社会を、というノーマライゼーションが叫ばれています。ですが、それはまだまだ一種の理想でしかないのだということに気づかされました。
 “誰もが住みやすい社会”が、“誰もがやりたいようにやることのできる社会”という風にとらえられているのではないかと思います。だから、「自己決定・自己選択」は「生涯自分たちだけを大切にする」という強欲へと変わっていき、その結果、自分たちばかりを大切にし、何か困難を抱える人々には手を差し伸べないという状況になってしまっているのだと思います。
 現在も虐待が減らず、障害者に対する支援も行き届いていない状態なのはそのためではないでしょうか。そしてその“誰もがやりたいようにやる”欲求は、人間のみならず、すずめなどの動物にも被害を及ぼしているのだということを知りました。
 誰もが住みやすい社会を作るには、自己決定のあり方を見直す必要があるのではないでしょうか。


投稿者: ゆず | 2010年01月14日 18:50

誰もが住みやすく差別のない社会を、というノーマライゼーションが叫ばれています。ですが、それはまだまだ一種の理想でしかないのだということに気づかされました。“誰もが住みやすい社会”が、“誰もがやりたいようにやることのできる社会”という風にとらえられているのではないかと思います。だから、「自己決定・自己選択」は「生涯自分たちだけを大切にする」という強欲へと変わっていき、その結果、自分たちばかりを大切にし、何か困難を抱える人々には手を差し伸べないという状況になってしまっているのだと思います。現在も虐待が減らず、障害者に対する支援も行き届いていない状態なのはそのためではないでしょうか。そしてその“誰もがやりたいようにやる”欲求は、人間のみならず、すずめなどの動物にも被害を及ぼしているのだということを知りました。誰もが住みやすい社会を作るには、自己決定のあり方を見直す必要があるのではないでしょうか。


投稿者: ゆず | 2010年01月14日 18:50

 先日、北九大での講義を受けた学生です。
 今の日本はスズメにも生きにくくなっているようですね。鳥の世界でも人間の世界と同じように、強い者が弱い者を押しのけて己の幸せだけを追求していっている様です。
 人間の世界でも、バリアフリーや、ユニバーサルデザインと叫ばれてはいるのですが、それがいったい何なのか、本当はどのような意味で使われているのかを知っている人は実はそんなに多くはないのではないでしょうか。
 エコや、省エネのように記号化されてしまって、言葉だけ「いいこと」として独り歩きしてしまっているような印象も少しあります。
 スロープをつけて「バリアフリーです。」といって、実際は傾斜が急すぎて車椅子では降りられない、昇れないというケースもあります。
 「スロープつけたからバリアフリーでしょ、文句ないでしょ」という姿勢に感じてしまいます。
 それは、授業で取り扱ったマンホールの上の点字ブロックにも言えるのではないでしょうか。「とりあえずつけたからそれで終わり」ではなく、つけたならば、きちんと管理が必要です。設置することだけでなく、それがきちんと利用できるということまで考えるべきではないでしょうか。


投稿者: 北Q州 | 2010年01月14日 19:14

 コメントさせていただきます。そう言えば私が小さい頃、スズメは身近な存在だったような気がしますが、最近本当に見かけないように思います。人間が無意識に身勝手な行為を繰り返した結果が、様々な生物の絶滅を招いていること。
 このような現状は、今の福祉の社会においても当てはまると思います。自分勝手でしか行動しないままでは、障害を持っておられる方が、目の前の通路で今どんなことで困っているのか、何によって道を阻まれているのかに目を向けることさえできなくなっていくと思います。障害のある方だけでなく、高齢者や小さい子ども、皆が同じように暮らしやすくあるべく、ノーマライゼーションの考えが広く取り入れられる社会をめざすことが大事だと感じました。


投稿者: FF | 2010年01月15日 01:47

こんにちは。先日は貴重なお話をありがとうございました。

強いものが生き残り、環境にうまく適応できないものは排除されてしまう。すずめが適応できなかった環境を作り出したのは私たち人間の豊かさを求めすぎる心でした。私が生きている現代社会は豊かさや効率のよさを求めすぎるあまり、体や精神に障害を持つ人々にとって余計に負担が大きく、むしろ社会に参加することを拒んでいるような社会システムが当たり前のように形成されています。これによって障害者の人権までもが侵害されていることを学びました。障害者の人々の人権や生活を守り、心の豊かさを保証するためには、制度や法律では不十分であり、地域の住民の支援が必要であると思います。真の共生が存在する社会の実現には、最上級の便利さではなく、全ての人にとって不便がない負担の小さい社会が必要で、それが心の豊かさをももたらしてくれるのだと思います。


投稿者: キンギョ | 2010年01月15日 04:36

 こんにちは、北九州市立大学で講義を受けさせていただいたものです。貴重な時間をありがとうございました。
 
 私は、周りには田んぼばかりが広がるような場所に住んでいました。もちろんスズメも珍しいものではありませんでした。しかしこちらに来てから、朝見る光景は、マンションや店の前に出されたごみに群がるカラスたちです。私は初め、この光景にぞっとする恐ろしさを感じました。鳥たちにとっても住みにくい社会は人間にとっても住みにくいのだなと感じました。
 現在の社会は子どもや障害者、お年寄りに優しくありません。私は祖父母がいますが、「80や90までこんな社会で生きたくない、その前に死にたい。」と言っているのを聞いたことがあります。私は、とても悲しくなりました。現在の社会はこんなにまで弱者を追い詰めているのかと実感しました。私たちは便利なものを求めすぎて大事なことを見失っているように思います。例えば、先生のお話にありましたが、点字ブロックの上に自転車が止めてあったりします。点字ブロックは障害者の方にとって大変便利なものですが役目を果たせなければ何の意味もありません。私たちが障害者やお年寄りの首を絞めているのだと思いました。
 少しの配慮で変わってくると思います。鳥や人間にとっても生きやすい社会になるといいです。そして、祖父母にも「長生きしたい」と言ってもらえるような社会になってほしいです。


投稿者: りんご | 2010年01月15日 10:44

こんにちは。先日北九州市立大学で先生の講義を聞いたものです。先生の講義のなかで、障がい者に対する虐待というお話を聞いて、そのような現状があることを初めて知りました。私が高校生のときに、障がいを持った友人が数人いましたが、その友人たちはまわりの人たちとも打ち解けており、虐待を受けているような感じは全くなかったので先生の講義を聞いて本当に驚きました。このような現状があることを私たちはもっと知らなければならないし、このことを伝えていく上でどうすれば虐待がなくなるかを考えていかなければならないと思います。確かに障がい者施設を充実させることや、その数を増やすことも重要であると思いますが、まず私たちが今ある現状に目を向けることが私は一番大事だと思いました。実際に私も障がい者に対する虐待についてほとんど無知であったので、先日の講義は私にとってとても有益なものになりました。先日の講義で得た知識を私が周りの人達に伝えるだけでも現状は少しずつではあるかもしれませんが変わっていくのではないかと考えます。


投稿者: まよまよ | 2010年01月15日 13:36

 スズメの減少が進んでいる。政令指定都市に住んでいるとうすうすは感じるもののはっきりとは気づきませんでした。
「舌切りスズメ」という童話があるほど、以前は多かったであろうスズメが現在減少しているということに切なさを感じます。

 『近代的個人のあり方を出発点に据えた社会開発の結果、子どもたちは「産むか産まないか」という発想次元の対象にまで貶められ、障害のある人や高齢期の人たちを排除しやすい地域社会が拡がり』
 これは近代社会開発の問題点であると思います。産むことは自然なことであると思います。コミュニティに受け皿があれば高齢者や地域の人が協力して子育てをすると思います。それが、高齢者や障害者が住みにくくなり、子どもを産みづらくなっている。近代的個人のあり方を出発点に据えた社会開発の前に、個人のあり方を問い直すべきであると思いました。


投稿者: よう | 2010年01月15日 14:38

 明けましておめでとうございます。昨年の北九州市立大学での講義を受けさせて頂いた者です。その節は興味深いお話をありがとうございました。先生のお話を聞くうちに、自分の福祉に対する無関心とそれについての知識のなさに驚き、悲しくなり、そしてそんな自分を恥ずかしく腹立たしく思ったのを覚えています。
 そして今回の記事でもまたそれらがぶり返したようです。都市におけるスズメの減少は話にだけは聞いていましたが、その過程とそれが表していることについてまでは考えが及んでいませんでした。開発された地域にそぐわない弱者の後退と、そこで暮らす術を持つ強者の繁殖・繁栄。これはどこか、福祉がないがしろにされている社会での障害のある人とそうでない人との関係や暮らしやすさの違いに通じているように思います。
 いまの日本は福祉が徹底され始めたとはいえ、まだまだ先進国の中ではその水準も下方に位置します。このスズメの話を知り、「誰もが地域で暮らせるノーマライゼーション」の実現の重要性と、それが早急になされるべきことを改めて感じました。


投稿者: はま | 2010年01月15日 15:09

 こんにちは。宗澤先生の講義を受けさせて頂いた北九州市立大学の学生です。先日は、貴重なお話ありがとうございました。
 
 この記事を読んで、身近なはずだったスズメとも共存できなくなってきている人間の身勝手さを強く感じました。そしてこのことと、先生が講義でおっしゃっていた「割れ窓理論」から、暮らしやすさに、周りの環境の良さというものは、欠かすことのできないものだということを改めて考えさせられました。
 日本は、先生がおっしゃっていたように、地下鉄など上下移動が多く、障害を持つ人にとってとても暮らしやすいとはいえないと思います。スズメのみではなく、人間にとっても暮らしにくい環境になっているという現状にとても不安を感じます。広い意味での、ノーマライゼーションの考えが必要だと感じました。


投稿者: KPKのP | 2010年01月15日 16:54

 北九州市立大学で先生の講義受けさせていただいたものです。先日は、とても貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
 
 先生のブログを読んで、初めてスズメが減少している、ということを知りました。同時に、いかに私が日ごろ、そのようなことを気にすることなく生活しているのか、ということも考えさせられました。
 私たちは普段あまりに周りのことに無関心であると感じたし、相手の立場になって考える、ということができなくなっているのでは、と感じました。特に、障害のある人への無性化の問題では、自分の都合を重視し、その人の尊厳を無視している例であると思いました。
 本当の多様性とは何なのか、私たちはもう一度考え直さなければならないと強く思いました。


投稿者: ムー | 2010年01月15日 18:52

 こんにちは。去年北九州市立大学で講義を受けさせていただいた学生です。ありがとうございました。

 確かに最近では、街中でスズメを見かけることが減ってきたように思います。それ以外にもメダカやトンボ、アマガエルなどといった小さな生き物達の姿も見かけなくなりました。
 人間達にとっては住み良い環境が、小動物たちには厳しいものとなっています。
 生物に多様性があるように、私たち人間の中にも色々な性質、立場の人がいます。
 そのような場では、自分にとってプラスと思えることが、他者にマイナスを与えてしまう可能性があると思います。
 健常である人に住み良い環境と、障害者が暮らしやすいと思うような環境にも、そうした差異があるでしょう。私たちは気づかないところで、障害者の方々を傷つけているかも知れません。
 ひとつの共同体として、同じ環境に暮らす以上は、そうした多様性を認識し、多方面への配慮を心がけなくてはならないだろうと思います。


投稿者: 口 | 2010年01月16日 22:13

 埼玉大学で講義を受けているものです。
 私は環境について学んでいるので、この記事はとても興味深いものでした。福祉と環境も関わりあっているのだと気付かされました。福祉などという人間の営みも含めて「環境」なのだと思います。
 自分のことばかりを大切にしている人間が増えているというのは非常に悲しいことだと思います。私自身もこの記事を読んで、考えさせられました。
 自分や自分と同じような立場の人だけでなく、高齢者や傷がいをもつ人などといった、多様な人たちのことも考えられるようにしていかなければならないのでしょうね。そのために、それを実現できるような社会を作っていかなければいけないのだと思います。


投稿者: ムシパン | 2010年01月18日 13:54

 こんにちは。埼玉大で講義を受けさせていただいています。
 スズメという生態ピラミッドの中でも弱いものが生存しにくい環境になってきていることは、人間でも子供や高齢者、障害を持った方が生活しずらくなってきていることに重ねて考えることができます。「強欲な者」に合わせた社会づくりを行ってきていた結果が、このように健常者の自分勝手な社会にしてしまったのではないかと思います。
 大学で「環境」について学んでいる私にとって、生態系の保護のためには、科学技術などだけではなく「福祉」や「人間社会」について考えることも必要だと思いました。スズメの減少についての記事を読むことで、それについて考えることができました。
 「環境」「福祉」「地域」などすべてをバラバラに切り離して考えるのではなく、すべては繋がっている上で物事を考えることが大切だと感じました。


投稿者: あずきプリン | 2010年01月19日 14:07

 こんにちは。埼玉大学で講義を受けさせて頂いている者です。
人が自然環境に脅威をもたらし、やがて自分に返ってくるといわれるように、福祉の観点においても同様に言える。とても興味深いお話でした。
 そして、その状況の核ともいえるのが「自己決定」で欲ある人が住みやすい社会をつくってしまっている。この記事を読んでハッとさせられました。
 私は、スズメがこのような状況下にあることなんて知らず、また宗澤先生の講義を受けるまで福祉の実態も自分で思っているほか知りませんでした。
 地球環境(大規模な)の異変は多くの人の関心を集めていますが、この(スズメ)ような小さな、より身近な話題は、残念ながらあまり広がっていないような気がします。福祉も同じだと思います。
 「福祉」「環境」「社会」はそれぞれとても大きな世界で一つに繋がっており、身近な問題を知ることから、大きい問題を考えることが大切なのだと思いました。


投稿者: アンサンブル | 2010年01月20日 15:41

 埼玉大学で講義を受けているものです。
 以前から、駅周辺でのムクドリの大群や、通っていた高校の校庭に集まるカラスの大群を見て少々気味悪さを感じていました。
しかしこのブログを読みスズメでさえも数が減少しているということを知って、とても驚きました。
 北極グマやペンギンたちが地球温暖化が原因で危険な状況にあるということは多少は知っていましたが、こんなにも身近に生息しているスズメが危ないとは考えもしませんでした。
 つまりは私たち人間が自分だけが良ければいい、という考えのもとで開発を進めた結果、知らないうちに力のない動物たちのことを置き去りにしてしまったということです。
 このことが社会福祉の問題と結び付けられていて、なるほどなと思いました。
 私たちは障害者のことを考えていると思いながらも、どうしても健康な自分たちの利益を優先しがちなところがあると思います。
ですから、一部の人だけでなくもっと多くの人が関心をもたなければいけないなと思いました。
 そして、またスズメが生きやすい環境に戻ることができればいいなと思います。


投稿者: べあ | 2010年01月20日 16:01

 私はこの記事を読むまで、スズメが減少しているということに目を向けることもなかったし、ましてそれを福祉の問題にまで結び付けるという発想もありませんでした。しかしこの記事を読んで改めて考えてみると、私が幼かった頃に比べてスズメを見ることが少なくなったように感じられます。
 私たち人間の自分さえよければ良いという自分本位の考え方が、シロクマやペンギン、そしてスズメなどさまざまな生物の住みにくい環境を作りあげてしまったことは言うまでもありません。本来は地球上に住む一種の生物でしかない私たち人間が、その他の多くの生物たちを犠牲にして生きているのだと思うと、とても残念でなりません。
 記事にも書いてあるように、この問題は環境問題にとどまらず、福祉の問題にも結び付いてきます。自分だけが良ければよいという考え方では、人間の多様性は絶対に保障することができません。子どもたちや障害者の方々、高齢者の方々の住みやすい環境をつくるために、私たちはもっと他者を思いやって暮らしていく必要があると思います。
 私たち人間の未来をよりよいものにするためには、環境・他者を思いやる気持ちが必要不可欠であると考えさせられました。


投稿者: レン | 2010年01月20日 21:49

 この記事を読み、ハッと思いました。すずめが減少している…。今まで考えたことも気づいたこともありませんでした。しかしよく考えれば、私が幼いころと比べると身の回りにすずめの姿があまり見られなくなったのは事実です。すずめ=どこにでもいる鳥、最近ではそんなことも言えなくなってしまったのでしょうか。
 そう考えると私たちは今、どのような社会で生活しているのか。世の中はどんどん便利になっているようで、それはまさに先生のいう「強欲な者」だけが生き残れる社会になっているのでしょう。幼い子供たちや障がいのある人たち、高齢期の人たちがどんなに肩身の狭い思いをして今の世の中を生きているのか、毎日の暮らしに不安や恐怖を抱いている人々がいるということをよく考え、見つめなおさなければならないと思いました。
 当り前にいるようで、実はその数を減らしているすずめ…。またその数が自然と増えることはあるのでしょうか。随分と考えさせられました。


投稿者: ゆん | 2010年01月23日 14:49

 こんばんは。埼玉大学で講義を受けている者です。
 この記事を読んだ後、スズメを意識して外を歩いてみましたが、その姿はほとんど見ることができませんでした。昔は窓の外を覗いてみれば電線に3羽くらいとまっていて、鳴き声が聞こえていたのに…。スズメさえも住めない環境になったというこの事実は本当に悲しいことです。
 同じように私たち人間の中にも暮らしにくいと思っている人たちがいるというのは言い表せられないくらいつらいことです。それなのにそのような社会が本来の意味から大きくずれてしまった自己決定からでてきた強欲な者たちなどによってさらに拡がっているとは…。一刻も早く止めるためにもっと全体でこの問題に取り組んでいかなくてはどうにもならないと思いました。それには皆がこのことに気づいていかなければなりません。
 すべての人々にとって暮らしやすい社会が一日でも早くおとずれるように、私自身ももっと努力していきたいと思います。そしてまた動物たちにも暮らしやすい環境になるように、スズメが空を飛んでいることが当たり前のことに戻るようにしたいです。


投稿者: たとさん | 2010年01月24日 03:47

 どうも、こんにちわ。
 書き込みさせていただきます。
このブログを読むまでは身の回りにあったスズメが姿を消し始めていることにさえ僕は気づくことができませんでした。僕なりにこのようなことが起きてしまう理由を考えてみると私たちは自分にとって関係が薄い事柄について深く考察し、重く受け止めることが少ないということがあげられるのではないでしょうか。
 バリアフリーに取り組んでいても実際には障害のある人たちにとって困難が伴っている現状が起きているのも同じように思います。障害のある人々の暮らしというものは障害のない僕たちにとってあまり関係がない事柄だろうと僕は思います。
 なので深く考えることなく障害のある方のニーズに応えきれない今の状況が生まれたのではないかと思います。
 よってひとりひとりが日ごろからどのような物事に対しても深い考えをめぐらせることが重要なのだと僕は感じました。ブログを読んでとても勉強になったと思います。


投稿者: ベル | 2010年01月24日 11:01

 こんにちは。北九州市立大学の学生です。
 今回の先生のブログを拝見させていただきました。私はスズメが減少しているということを初めて知りました。周りを見渡せば田んぼしかないよな田舎に住んでいたため、スズメは当たり前のように空を飛んでいました。大学の周りでもスズメはいましたし、スズメはどこにでもいる鳥で減少しているなんで気付きませんでした。どこにでも順応するスズメが約20年間で50%から80%も減少するなんて考えられないことです。
 動物にとって、こんなに住みづらい環境であったり社会を造ったのは人間です。
 私は、現在の社会は便利で特に不便したこともなく住みやすいと思っていました。人間が住みやすい社会を構成するために、動物等が犠牲になり環境が破壊されていることは知っていました。環境が破壊される代わりに人間は便利な暮らしをしているものと思っていました。しかし、便利な暮らしをしていたのは、社会的強者のみであり弱者はそうでなかったと気付かされました。
 全盲の琵琶法師が広域を渡り歩いていた時代のように、どんな人でも自分のやりたいことができる社会を造らなければならないと思いました。


投稿者: takulaw | 2010年01月25日 14:53

 埼玉大学で先生の講義を受けています。
 今回のブログの中で個人的に一番心に残ってのが、「強欲な者」だけが生き残ることのできるという言葉でした。確かに、人間はその強欲な性質がゆえに繁栄し、他の種よりも優位にあるのだと思います。
 しかし、現代の社会では強欲に、自己中心的に活動することは求められていないと思います。そのように活動してしまったらスズメ同様に高齢者や障害者も住みづらい生活に追いやられてしまうと思ったからです。スズメの様になってしまってからでは遅いと思うので、そうならないために、早め早めに高齢者や障害者が暮らしやすい環境を整えなければならないと考えさせられました。


投稿者: アルクェイド | 2010年01月27日 09:57

 すずめの減少には環境の悪化が影響していてすずめの数が環境の指標になっているのと同じように、高齢者も暮らしにくい環境にしてしまうと減少ではなく平均寿命の低下につながるのだと思う。
 人間の強欲さによってすずめが減少してしまったことを忘れずに、高齢者にとって暮らしやすい環境を作っていくことが高齢者だけでなく若者にとっても暮らしやすい環境ができあがるのではないかと思う。
 そのためにも個人がその様な意識をもち地域で協力し、福祉の向上に取り組むことが重要であると思う。


投稿者: ざわざわ | 2010年01月27日 12:49

 こんにちは。埼玉大学で先生の講義を履修している学生です。

>日本人に最もなじみ深いスズメさえ住みにくい地域社会を前に、果たして人間の多様性は保障できるのか…

 本当にその通りだなと私も思いました。地球全体で様々な動物が絶滅の危機に瀕しているという話はよく聞きますが、まさか私たち日本人にとって最も馴染み深いであろうスズメまでもこの絶滅危機種として世間に広まる日も遠くはないのではないのかと感じました。
 無知であること・気づかないことは恐ろしいことだなと思います。
 身近な存在であるスズメについても、言われてみれば確かに最近見かけないなとか、昔より数が減ってるかもしれない、と意識して初めてその動向に目が向けられます。視界にはしっかりと入っているはずなのに、私たち人間はそれを意識しない限り見落としてしまい想いをめぐらせたりすることはほとんどありません。
 スズメに限らずそれはヒトについても言えることです。都市の開発や発展は主にそこで働く人々にとって便利になるように進められ、子どもや障害者、高齢者の方々を無意識のうちに自動的に排除して行われているようにしか見受けられない点が多々あります。と言っても、私も先生の授業を聞くまでは全くそんなことは考えていませんでした。無知であるが故の結果であると思います。
 ますます近代化が進む中で、排除されている立場の人々に考慮した社会開発を行うためには、まず“知る”ことが必要であり重要な役割を果たすと思います。
 子ども・障害者・高齢者に考慮した開発を進めろと頭ごなしに指示されるだけでは、開発を進める人間はその意義を十分に理解しないままで不適当な処置を施すことになるかもしれません。だから私は何よりもまず、気づくこと・知ることが大切だと考えます。
 私は先生のお話を聞いて、授業を通じてまだほんの一部分ではあると思いますが気づき、知ることが出来ました。ありがとうございます。


投稿者: もよ | 2010年01月31日 08:23

この記事を読んで、すずめの減少が福祉と関係していると知って驚きました。
まず、すずめが減少していること自体私たちはあまり気づいていないということが残酷な話だと思いました。こんなに身近にいる鳥なのに、人間のエゴで絶滅していくのはとてもひどい話だと思いました。
すずめが環境の悪化で絶滅していくように、人間も暮らしづらい環境に置かれているなら、それはとても悲しいことではないかと感じました。


投稿者: りぷとん | 2010年07月21日 13:12

わたしの通っていた高校は川越だったのですが、川越駅前のムクドリにはよく驚かされたのを思い出しました。

わたしが住んでいる地域にはすずめがまだ顔を出します。
わが町は田舎だから、まだ都市鳥化していないのでしょうか。

鳥に限らず都市化するということは生命の多様性を削ることにつながるのですね。
アパートの隣に住んでいる老人の顔も名前もわからず、いつの間にか孤独死していた…みたいな話をよく聞きますが、都市化というのは人間関係をも希薄化するのですね。
私の住む田舎ではそんなこと絶対にありえません。むしろ3km先の贄田さんの顔ですら覚えています。

都市のこんな状況をなんとか打開する方法はないのでしょうか?
将来都市部の中学校で教鞭をとることになることを考えたら不安です…。


投稿者: мото | 2010年07月28日 13:02

雀だけでなく多くの鳥類の減少の問題を過去に聞いたことがあります。私は山形県出身ですが、地方で自然が多いからといって鳥類の減少と無限というわけではありません。私の祖父は愛鳥会というものに入っていて、鳥の保護にかかわっています。雀の保護の問題は都市部では特に困難だと思うけど、木を植えたりして積極的に活動をしていかないといいけないとおもいました。


投稿者: さか | 2010年07月28日 14:03

 現在埼玉大学で講義を受講している者です。
 自分は東北地方からの上京組です。自分が幼い頃はそれこそすずめが朝に鳴く声で目が覚めることもあったほどでした。しかし、今になって振り返ってみると、いつの間にかそのような感覚がなくなっていたように思います。自分の眠りが深くなっただけ、とは到底片付けられないほどに「朝」を感じられる声量が減ったように感じます。
 そして今埼玉にいますが、ここは朝の音が激減した故郷よりもさらに朝を告げる囀りが聞こえてこない気がします。
 すずめの住む樹がなくなる≒都市化が進むことが要因となっているのでしょうか。気がつかない間に当たり前のように存在していた生き物を追い詰めている現状を、もっと多くの人が自覚するべきだと思いました。このすずめが現在のめだかのような事態にならないことを願いたいです。


投稿者: タンスの角に薬指 | 2010年12月15日 09:10

 私の住んでいる地域でも、スズメを見かけることが減り、夏になるとムクドリの大群が、電線の上に居座っている。人間が勝手に環境を変化させているせいで、スズメのように少し前では割と見かけていた動物でさえ、見づらくなってしまっている事実を改めて感じた。


投稿者: asbel | 2011年01月13日 16:17

 生物多様性という言葉がようやく注目され始めたことはとても良いことです。
 しかし、多くの人は世界に目を向け、身近な自然に目を向けません。
 私の住むさいたま市には日本でも生息地が少ないチャイロスズメバチというハチが生息しています。スズメバチとはいっても、刺してくることはまずない、とてもおとなしいハチです。
また、ノウルシという春になると黄色い頂芽が特徴の植物も生育しています。
 このノウルシは大変に貴重な植物です。
 さらに、埼玉大学周辺の公園や田んぼにはオオタカやキジ、タヌキやホンドギツネといった大型動物が生息しています。
これらの生物はある程度豊かな生態系が存在していないと生活できません。
 おそらく、ほとんどのさいたま市出身の学生は上記の事実を知らないでしょう。
 それがどんなに嘆かわしいことか。
 Think globally , Act locally
 これが、今やるべきことの根幹を成しているということを忘れてはいけないと思いました。


投稿者: shipwreck | 2011年01月30日 22:02

 こんにちは。先生の講義、いつも興味深く聞かせてもらってます。
 スズメの減少、この記事を見るまで気にしたこともありませんでした。しかし言われてみれば思い当たることもあります。
 多くの人にとって社会福祉の問題というのも同じようなものなのかも知れないと思いました。
 以前先生の講義で点字ブロックの話を聞いた時、ハッとしたのを覚えています。大学内にも駅から大学への道にも敷設してあるにも関わらず私はそれを気にしたことがありませんでした。大学からの帰り道、自転車を走らせながら視覚障害を持つ人のことを考えてみました。
 自転車で通るのも大変な、狭いでこぼこ道。点字ブロックはボコボコと浮き上がり、途中で途切れ、やはりマンホールの上のものはずれていました。雑な工事のせいなのか凹凸が激しく、杖をついたおばあちゃんが休み休み、難儀そうに歩いているのを見たこともあります。
 点字ブロックがあるだけいい、とは思えませんでした。これでは意味がない、どこにもたどり着けない。
 先生の仰る「管理の大切さ」を実感しました。

 人の立場になって考え、行動することを人はどうして忘れてしまうのでしょうか。私は以前、ある選手団の総務として全国障害者スポーツ大会に参加させていただきました。同室は全盲のSTTの選手の方でした。
 朝食を買いに一緒に出かけた時、ほんの少しの段差や坂、無造作に置かれた自転車がどれほど危険であるかを感じたはずなのに、たった3ヶ月の間にそのことを忘れている自分に愕然としました。もしかしたら邪魔な場所に駐輪していたかもしれません。

 普段何気なく生活している人々にとって社会福祉問題というものは遠く、リアリティのないものなのではないでしょうか。そして今の世の中、強欲な人間というか、自分のことに精一杯で余裕のない人間が増えている気がします。(それを強欲と言ってしまえばそうかも知れませんが)
 そんな人間ばかりではこの生きづらい社会はよくなりません。
先生が仰るように、まず、問題を浮上させることが大切だと思いました。
 そのためにも私たちが、身近な人々との関わり合いの中で人に対する思いやりと慈しみを育み、問題意識を持って生活していかなければならりませんね。


投稿者: はにわ | 2011年02月01日 14:20

 私は埼玉大学で先生の講義を受けているものです。たしかに、私の地元の静岡でも最近めっきりスズメを見ることがなくなってしまいました。そのかわりカラスの数が年々増えていっています。
 我々は人間の住みやすい環境のためにといって都市開発を進めていますが、その結果が同じ地球に住む生き物を傷つけているのなら間違っていると思います。どんな人にも生き物にも住みやすい環境を考えることが必要でしょう。


投稿者: かつかつ | 2012年01月22日 19:43

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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障害者虐待 その理解と防止のために
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