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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

できるだけ正直に

 今回は、前回のブログに書き込みを入れてくださった「@千住t.k」さんの「?」に対して、私なりに考えるところを率直にお応えしたいと思います。
 まず正直にお断りしなければならないことは、「t.k」さんの疑問にお応えするのは、私にとって実に悩ましい課題だという点です。私には、資格制度や福祉職場について、簡単には明るい未来を語ることはできないからです。

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 民間福祉職場の待遇改善は、古くて新しい問題です。私の理解では、1960年代まではほとんど「嫁入り前の女性の職場」で、70年代から80年代の前半にかけて「公共の仕事」(福祉領域を含みますが、福祉に限られたわけではありません)に対する社会的評価の高まった時代に相対的に安定した待遇の時期もみられましたが、その後も何らかのかたちで改善すべき待遇問題を抱えてきた職業領域です。いずれにしても、「絶対的に安定した待遇」の時代はこれまでにありません。
 ただし、以前から存在した福祉職場の待遇問題は、「一部の人たちの問題」として扱われがちだったのに対し、現在、社会的な問題として取り上げられている介護職の待遇問題は、これからの紆余曲折は多々あるにしても、本格的な問題克服のための歴史的なステップになっているのではないかと考えます。その最大の理由は、介護職の待遇についてこれほど広範囲な関心と取り上げられ方をしたことは、戦後のわが国ではじめてのことだと思うからです。
 さまざまな矛盾をはらみつつも、介護・福祉サービスが普遍的なものとして認められつつあるからこそ生じた、待遇問題への関心の高まりではないでしょうか。その証拠に、現在感染が広がりつつある新型インフルエンザへの対処でも、保育所や高齢者デイサービス等の休業が大問題となっているように、今日の介護・福祉サービスは多くの国民の暮らしとわが国の経済活動を底支えしている役割を担っていることを明らかにしています。つまり、「一部の人たちの問題」ではなく、広範囲な国民にとってもはや「なくてはならないもの」になっているのです。

 私が大学に入学した頃のことです。親戚の叔母さんから「ま~っ、忠雄ちゃん。福祉のことを勉強するの。本当にえらいわねぇ」と言われました。当時は、「福祉=人助け、奉仕」という世間の見方がまだ根強く残っていたため、職業領域の一つとして広く認知されることはなく、「篤志家や奇特な人の領域」という受け止め方が優勢だったと思います。このような受け止め方をされるだけでも迷惑な話ですが、さらに私には、福祉の仕事がしたくて大学で福祉を専攻したわけではないという私なりの考えがありましたから、二重の意味でこの叔母さんの「えらいわねぇ」には応えようがなく、困り果てたことを覚えています。
 ハイティーン時代の私は、自分がいかにも不自由な人間に思えて悶々としつつ、だからといって自力でそこから抜け出すことのできなかった苦境にはまっていました。するとある恩師から、次のような示唆を受けました。
 「人間がどうすれば自由になれるのかを考えたいのであれば、困難や不自由さを抱え込まされている人を自由にすることをテーマに据える学問領域に身を置いて考えてみてはどうだろうか。たとえば、社会福祉はその最たるものではないか」と。私はこの一言に心底納得するところがあって、この領域に足を踏み入れることになりました。
 私の友人であるA氏の場合は、筑豊の貧困に疑問を抱いて福祉を学ぶことになったと言いますから(3月5日のブログを参照してください)、私よりもはるかに立派な動機の持ち主です。それでも、せいぜい「いかにして炭塵の浮いていないさら湯に入るか」程度ですから、なに大したものではありません。

 重要なことは、自分の幸福や自由を真剣に考える人だからこそ、他者の幸福と自由の実現に直接かかわる仕事に就くことができるし、それぞれの希望を尊重しながら自分と他者の接点を未来に向けて作っていくことができるということにあると考えます。
 福祉の仕事の多くは、暮らしそのものへの支援です。そこには、それぞれの「私」の生活世界があり、「私」を育みあい慈しみあう「親密な相互関係の世界」が展開されています。「私」だけでは孤立するかもしれませんが、支援職員を含む「親密な相互関係の世界」が豊かになることによって、困難と不自由さを抱えがちな人たちも「公共の世界」へと解放されるというかけがえのない営みの担い手の一つが、介護職だと考えます。
 もし、「t.k」さんがこのように介護の仕事をイメージできるのであれば、多くの人とともに幸福と自由を実現する営みに歩みをともにできるのではないでしょうか。このような歩みを多くの人たちとともに進める中で、「公共の仕事」の必要性と評価への社会的認知は今よりも進み、先人たちが介護・福祉サービスをようやく広範囲な国民のものにしてきたこれまでを受けついで、さらにサービスを利用する人たちと福祉に働く人の両方の幸福と自由と安心を実現していく見通しをつくっていけるのではないかと思います。

 いささか乱暴に逆説的な言い方をすれば、世界同時不況の折、これからの日本には固定的で安泰な仕事はほとんど見当たらないかもしれません。いかに大企業や公務員に就職したからといって、別に生涯の安泰が保障されるものではなくなりつつあります。大メーカーや銀行に勤務してきた私の友人は、子会社に移らされて本体にいたときの6割の賃金に下げられていますし、郵便局や社会保険庁の職員も「公務員」ではなくなります。自治体で生活保護担当のワーカーをしている私のゼミの卒業生もたくさんいますが、毎晩10~11時まで残業し、残業手当はほとんどつかない上、土日登庁まで続けている実態さえ珍しくはありません。
 つまり、本当に問われていることは、自分と他者との接点を大切にしつつ多くの人たちの自由と幸福を実現していくという「働き方の内実」であり、その意味では、介護職に限られた話ではなく、民間企業に働く人たちにも共通に求められている課題ということができるでしょう。ここに覚悟はいると思いますが、この課題を受け止めて突き抜けたときに、経済と労働の、そしてまた働くことと働く人の大切さの再生される展望が拓かれていくものと思います。

 福祉職場の待遇問題の克服には、たしかに抜本的な制度改善が必要です。
 しかし、措置制度がまだ柱であったバブルの時代に、東京や埼玉で「民間社会福祉従事者処遇改善費」という制度があっても、待遇の問題は深刻でした。当時は民間の福祉職場に就職する人がなかなかみつからないために、私のところには「誰か若い人材はいませんか」との「求人」の連絡があちこちの施設長からよく入りました。
 そのとき、私が「何か人に条件はありますか?」と訊ねると、「条件なんて言い出したら誰もこないから、運転免許を持っているだけでいいです」と返ってくるのです。このように明言していた人たちの中には、今、若い人たちが福祉の職場に来ないのは「介護保険や障害者自立支援法のせいだ」とヒステリックにも声高に叫んでいる人がいますが、ちょっと筋違いな一面を含んでいるのではないでしょうか。措置制度の時代から、待遇の問題は継続的に存在していました。
 今後に向けたどのような射程において、現行制度の問題を克服しようとするのかを提示できる職場こそ、若い人たちに魅力のあるところと映るでしょう。


コメント


 私は以前、寝たきりだった祖父の介護をやっていた祖母の手伝いをしたことがあります。満足に体を動かせない祖父の足をマッサージしたり、風呂場で体を洗ったりということをやりました。
 しかし、私と祖父母は別々の家に住んでいたので(それでも、歩いて2~3分程度でしたが)、毎日やっていたわけではなく、それらも含めてたいていは祖母がすべて行っていました。
 2年ほど前に祖父が亡くなって、現在は祖母が一人で生活しています。私はたまに、祖母の買い物の手伝いに出かけたりして、祖母のようすを見ています。今は健康に暮らしていますが、今後もしかしたらという不安もあります。

 私は、仕事としてはもちろんですが、意図せずとも福祉・介護の現場に当たらなければならなくなると思います。福祉・介護職の人材が、この記事にあるような問題などによりいなくなる現状で、私の祖母のように、高齢者が高齢者を介護するケースさえあります。
 私に何ができるのかはわかりませんが、家族に介護が必要な時には、少なくとも自分自身が働くことによって介護職の人を助け、ともに命を助けあえるようになりたいと思いました。


投稿者: k.k.402 | 2009年06月04日 08:49

 私も福祉を学ぶことを決めた時に家族や周囲の人々に「えらい」と言われ、戸惑ったことがありました。
 何がえらいのか、その意味がわからず今まで胸の内にもやもやとした感情がありましたが、ブログの記事を拝見し曇っていた視界が少し開けてきました。宗澤先生の恩師の言葉は、私にも深く残ったのです。福祉分野はまさに人間の自由を考える分野でもあるということに気づくことができました。先生の講義を受講した際も、福祉には私は触れたことがない幅や深さがあり、学びたいという気持ちがさらに強くなりました。
 また、「福祉職場の待遇はよくない」という言葉をよく耳にします。待遇が良いから仕事をするのではなく、私は自分と相手の接点を大事にしつつ多くの人々の自由と幸福を実現できるような働き方ができるようなワーカーになりたいと考えるようになりました。そのためにもこれから一面的な福祉ではなく、福祉を様々な角度から学んでいきたいと思います。


投稿者: しょこら | 2010年01月09日 13:55

 平成21年の4月介護報酬が引き上げられ、介護職の方の給料が2万円上がると見込まれていましたが、大きな効果は上げられていないそうです。
 介護士の職場環境は3K+Y(給料が安い)と言われ、そういった待遇面・環境面から人材が確保できず提供していたサービスを廃止する介護施設もあります。給料の低さから人材が集まらない→サービスの低下→利用者が減り介護報酬減少→さらに給料が減る、という負のスパイラルの発生も懸念されています。少子高齢化はどんどん進み、介護職の重要性は増す一方ですが、肝心の介護従事者の人材は確保できておらず、いかに介護従事者を増やしていくかが今後の課題です。
 それに対しては宗澤先生の述べられている通り、どのようにして現行制度の問題を克服しようとするのかを提示できる職場を作り、若者に魅力や職への安心を持ってもらうかが重要です。しかし、それは介護の現場で働く方や福祉の事業者だけでは実現はできないので、国・事業者・国民が相互に助けあって法や環境作りをしていかなければいけないと思います。


投稿者: アギーラ | 2010年01月13日 00:45

福祉というものに対して少し見方を変えられたような気がします。福祉と言うとどうしても人助けと捉えてしまっていました。人を思いやることのできる優しい人々が関わるものだと考えていました。それに対して私は自分のことで精いっぱいの余裕のない人間です。こんな私に福祉のような慈善活動は無理だと考えていました。けれどこの記事を読むと福祉というのは他人のため、というのではなく自分を含め、もしくは主軸にして社会全体を捉えるような考え方だと気づかされました。自分のことも労わってあげていいのだなと思いました。自分のことを考えながら、他の人のことも考える。そうしていくうちに知らない誰かに自分は支えられている、人は気づかないうちに支え合っていてその活動が広がっていくことは皆が住みやすい社会になっていくのだろうなと感じました。


投稿者: 栗 | 2012年06月14日 13:38

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
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発行:中央法規
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