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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

全盲の人と音楽(世界編)――ルイ・ブライユからマーカス・ロバーツ 1

 ルイ・ブライユといえば、六点法の点字発明者として知られています。世界最初の盲学校であるパリ盲学校に1819年、生徒として入学したブライユは、後にこの盲学校の教師になります。1852年に結核のため43歳で亡くなるまでの短い生涯の間に、ブライユは世界の盲人に文字の光を与える点字を発明しました。
 19世紀初頭のフランスでは、無線や電話などの遠距離の通信手段はまだなかった時代ですから、軍隊の夜間通信をどのように確保するかが問題になっていました。そこで、砲兵仕官だったバルビエは、複雑な点字表記の方法による軍事用夜間文字を編み出し、それをさらに盲人用点字に転用しようとしていました。しかしバルビエ式点字は、盲人の実際の使用には難点の高いものだったため、ルイ・ブライユはそこから着想を得て、アルファベットに対応する実用的な六点法点字を発明したのです(ピエール・アンリ著、奥寺百合子訳『点字発明者の生涯』朝日新聞社、1984年)。

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 このブライユは六点法点字の発明者であるだけでなく、パリ盲学校の礼拝堂でオルガン奏者をつとめ、点字音楽表記法(点字楽譜)を編み出したように、音楽にも造詣の深い人でした。ブライユの点字楽譜は、今日の国際点字音楽表記法の原型をなすものです。
 「点字」といえば全盲の人の「文字=書きことば」と考えるのが普通かもしれません。しかし、私たちが最初に獲得する「話しことば」には、イントネーションや語調のように、声の表情に伴う音程とリズムの抑揚があり、それは地域ごとの方言にも表われます。前々回のブログに示した「たこ凧上がれ、天まであがれ」の旋律が関東と関西で異なるのはその例証でしょう。
 つまりブライユは、「ことば」をトータルに「話しことば」と「書きことば」で捉えていたからこそ、点字表記の中に音程やリズムの要素を加えようとする発想があり、それが彼のオルガン奏者としての音楽的素養と相まって、点字楽譜が誕生したのではないでしょうか。

 このようにして、もともとは軍事技術であったバルビエ式点字を、盲人の暮らしと文化の発展に資する技術に結実させたブライユは、まさに歴史的な偉人であるといえるでしょう。
 視覚障害を補って余りある全盲の人の聴覚と触覚の鋭敏さは、ときとして、楽器の演奏にもいかんなく発揮されています。今や、プロのピアニストでバリトン歌手でもある北田康広さんや、2005年のショパン国際ピアノコンクールに17歳にして出場した辻井伸行さんなど、すばらしい演奏家がわが国にもおられます。
 鍵盤楽器にたしなみのある人ならお分かりいただけるでしょうが、たとえば晴眼者がピアノを演奏する際、叩くべき鍵盤の位置を必ずしも視覚的に確認しているわけではありません。長年の練習によって体得された鍵盤と指・上肢・体軸との位置関係の定位があり、そのことによって、的確な指の運びが自ずと進んでいくような按配です。したがって、鍵盤楽器の演奏そのものに全盲であることが特別の障害となることはないと考えます。

 それでも、全盲の方がすばらしいピアノ演奏をされる音色と姿を前にしたとき、何かに打ちのめされてしまうような畏怖の念を抱いてしまうのは、私だけではないでしょう。とくに私は、ジャズ・ピアニストのマーカス・ロバーツの演奏には驚愕しました。


コメント


 この前、私がテレビで全盲の夫婦は子育てするについての番組を見た。
 子どもさん(里香ちゃん)も遺伝で一歳頃から見えなくなった。お父さんは整骨院で働いている。お母さんは歌手として、世界を回って公演する。
 お父さんの誕生日の日に、みんな一緒に御飯を食べている時、里香ちゃんはお碗を割った。里香ちゃんは泣きながら「先生は私が見えないから割った花瓶を触ったらダメ、ケガになるからと言われた、だから、私はお碗の片付けできないよ」と言ってから、お父さんは相当怒って、「あなたは目のせいにして、ケガになるから片付けしない、自分がやったことからちゃんとしないとダメ!片付けしなさい!」と言った。里香ちゃんはお父さんの無理矢理で割ったお碗を片付けた。
 夜の時、お母さんは音が出るパソコンで里香ちゃんに手紙を書いた。
 「里香ちゃん、あなたは困難がある時、目のせいにして、あきらめるのはダメ、これから、長い人生の中でいろいろな困難がある、あなたは前行くしかない、健全な人より頑張らないといけない、目が見えないのはあなたの不幸じゃなく、ただ不便だ、お父さんはあなたを愛しているから怒った、お父さんのことを嫌にならないでネ。」と書いた。
 盲人にとって、生活ではさまざまな不便がある、生きていくため、健全な人より頑張らないといけない。世界では、多く有名な歌手や名人など障害を持っている。自信を持って挑戦すれば、できないことはないと思う。


投稿者: 雪の花 | 2008年11月21日 11:36

 初めてコメントさせていただきます。大学で福祉の勉強をしている者です。
 私も長いことピアノをやっていますが、曲を完成させようと思えば、最終的に頼りにするのは目ではなく耳とタッチですので、余計な視覚情報が入ってくる晴眼者こそ障害があるのかもしれないと思いました。
 しかし、そこに至るまでのプロセス、特に譜読みに関しては、まだまだ視覚障害を持つ方へのハンディは大きいと思います。

 恥ずかしながら、この記事を拝見して初めて点字楽譜の存在を知り、上記のようなハンディに気付きました。
 世界中で活躍している全盲のピアニストというのは、ほとんどが天才的聴覚・触覚をお持ちの方で、そういった才能に恵まれなかった全盲の方というのはなかなか楽器を習う機会に恵まれないのではないでしょうか。
 楽器に限らず、生活の中で文化・芸術に触れる機会というのは、障害を持っていてもいなくても均等に与えられるべきものだと思います。
 残念ながら日本では、障害を持つ方の中には最低限の生活を送るのにも大変な思いをされる方がいるのが現状です。憲法で保障する文化的な生活というのはどうなっているのだという議論は少し飛躍しすぎかもしれませんが、この記事を読んで改めて日本の福祉政策の貧困を考えさせられました。


投稿者: F | 2008年12月03日 13:22

 私は、幼い頃からピアノをやっていましたが点字の楽譜の存在は知りませんでした。

 普段目の見えない方と接する機会があまりないので、点字というものを意識していませんでした。しかし、近年目の見えない方々の輝かしい功績もあり、関心を持つようになると、私たちの生活している場には、点字をはじめとした様々な援助するためのものが設置されていることに気がつきました。このように関心を持つことが思いやりの気持ちをもつこと・理解することへの第一歩になるのではないかと思いました。

 また、先月介護実習でデイサービスを5日間体験してきましたが、空き時間にピアノ演奏をさせていただきました。その時、音楽は世代や障害という垣根を越えて、心を通わせることができるのだと肌で感じることができとても貴重な体験ができました。


投稿者: みっふぃー | 2009年07月26日 01:56

小さい頃からエレクトーンや打楽器、今大学で吹奏楽部に所属しています。
 わたしも、点字の楽譜の存在を初めて知りました。
 楽器を演奏するとき、もちろん両手は楽器に触れているので、点字を読みながら演奏することは難しいと思います。ピアノの場合は片手ずつ演奏することができるかもしれませんが、もちろん両手で弾くときは点字を読むことは難しいのかと思います。
 ですから、おそらく全盲の奏者の方は、指先で読んだ楽譜を頭の中で音楽として流す感覚がとてもすぐれているのだと思います。


投稿者: アルパカ | 2009年07月29日 03:02

 わたしはギターをやっているのですが、いくら目が見えていても正確に運指を行うことは難しいです。たとえ、練習して弾けるようになった曲でも目を閉じると演奏できなくなってしまいます。
 そこから何が言えるか。これはブログ内にあったように、全盲であることは楽器の演奏においてハンディになり得ないということだと思います。
 こういったように、全盲の方、あるいは何かしらの障害を抱えている方にも習得可能な技能であったり、趣味を見つけてあげることが障害者の方にとっての生き甲斐を見つけることになるのかなと感じました。


投稿者: ぴんがちゃ | 2009年08月05日 12:36

僕は中学校から吹奏楽部で打楽器を続けています。中学生のときですが、「息を聴け」という本に出会いました。内容は熊本の盲学校が打楽器アンサンブルを演奏して全国大会に挑むというものでした。この学校では、あえて点字の楽譜を用いらずに、講師の先生が実際に演奏したものを耳で聴いて覚えて演奏していました。
自分が打楽器をやっているからより分かりますが、ただ叩くだけのような打楽器でもたたく位置でだいぶ音の鳴り方が変わります。その位置が見えない中でも約5分間の曲を演奏することは並大抵の努力ではできないことです。実際に生演奏を聴くことはできなかったのですが、録音されたものでもものすごく感動したことを今でも覚えています。
奏者として大事なことを学ぶことができたきっかけの本です。
音楽は人と人とをバリアが一切なく共有でき、お互いに感動を与えあうことのできるものだと改めて感じました。


投稿者: ピーター | 2010年07月27日 21:13

数ヶ月前に、辻井伸行さんが、テレビ番組で特集されているのを見て、その演奏の素晴らしさに感動しました。わたしは小さいころからピアノや、吹奏楽をやっているので、ピアノを弾く難しさも、大人数で行う音楽の難しさも、多少は分かっているつもりです。そのため、全盲の方が、あんなに周りを魅了する演奏をしているのをまのあたりにして、とにかく驚きました。しかし、次第にわたし考えは変化しつつあります。全盲であるがゆえに、音楽に必要不可欠である、いい耳と表現力に優れているのではないかと考えるようになったのです。そのようなときに、この記事を見て、新たな全盲のピアニストの方を知ることができ、また、視野が広がったような気がします。ありがとうございました。


投稿者: なほ | 2010年07月28日 12:59

 初めてコメントささせていただきます。
 前回の講義でマーカスロバーツさんの演奏を見させていただいて、いたく感銘を受けました。マーカスさんの演奏は、すごく特徴的であり、とても興味をそそられました。
 全盲であるということから考えるに、マーカスさんは音楽というものに対して、全盲ではない人とは異なったとらえ方をしているのではないという風に思いました。
 つまりは、普通の人が、音を視覚の補助的なものでとらえているのに対して、ロバートさんは音でもってすべてを判断するぐらい音に比重を置いている、それによって、本来一般の人が受け取れないような音を受け取れたり、本来人が生み出せないような音楽を生み出せるのではないかという風に思いました。

 個人的にマーカスさんの演奏をもっと聴いてみたいです。


投稿者: タクヤ | 2010年12月24日 11:07

私は、中学校の総合学習の時間、点字について調べたグループだったので、ルイ・ブライユのことは一応なんとなく知っていました。確かその時に、目の不自由な人って点字を読むのだから指の感覚が健常者より敏感なのでは?という議論になりました。
しかし、実際そのことを確かめるすべはなく、お蔵入りに…。でも、今思えばきっとそうなのだろうと思います。私たちは、先生もおっしゃっていたように、どこかで障害者の人々を劣っていると思っている部分があります。障害者という言い方が、もうそのことを言い表しているというか…。
しかし、目の見えないことで他の感覚が研ぎ澄まされるということが実際にあります。そのことは私自身、前回の講義で身にしみて分かりました。
とても良いものを見せていただき、ありがとうございました。


投稿者: しばたろう | 2011年01月02日 17:23

 私はピアノではなくギターをやっているので、楽器をやるときに目が見えないということは、楽器で演奏するときにとても困難だということがよくわかりました。
 目でみながらでも運指がとても難しいのに、全盲でありながら迷うことなく鍵盤をたたけることはすごいことだと感じました。また、目が見えない中でも、素晴らしい演奏をするということに感動しました。


投稿者: Krrn | 2011年01月12日 13:01

 私はこの前の授業で初めて全盲のピアニストの方の演奏を聞いてとても感銘を受けました。私は吹奏楽部に所属し楽器の演奏をしていたため、指揮者の指揮により周りと合わせることの大切さを知っています。だから、視覚に障害があるのにもかかわらず周りに上手く合わせ素晴らしい音楽を作り出していることはすごいことだと感じました。
 また、自分の長所を伸ばし、世界的に活躍している姿にかっこよさを感じました。このようになるまでにはたくさんの努力をしているんだろうなとも思いました。


投稿者: ろうる | 2011年01月16日 21:05

 コメントさせていただきます。
 私は今までスポーツと密接した生活をすごしており、音楽に関する知識は皆無といってもいいぐらいです。
 そんな私でも音楽番組をみたりして「これはいい曲だなー」と、直感的にですが判断しています。また、高校までは歌ありの曲をメインに聴いていましたが、楽器だけの曲、インストゥルメンタルも聴き始めていました。

 そんな私の感想でありますが、見させていただいた辻井伸行さんやマーカス・ロバーツさんの演奏は、オーケストラ達の演奏にひけをとらない、盲人だということをハンディキャップにさせていない迫力のある演奏をしていて感動しました。
 聞きなれた曲はわずかしかありませんでしたが終始演奏に引き込まれていました。

 このような、現在の一般論ではハンディキャップであると認識されている障害をお持ちの方々が一般人を越える技術を活用できる分野で働ける社会、ひいては誰もが自分の意思で活躍できる社会が一つの理想の形であるのではないのかと思いました。


投稿者: ピノ | 2011年01月17日 16:50

 先日の講義を受講して、障害のあることが、果たしてハンディキャップなのか、むしろそうでは無いのではないかと考えさせられました。
 確かに一般的な演奏方法では、辻井伸行さんやマーカス・ロバーツさんは演奏することが難しいとは思います。しかし、障害を補って余りある聴覚や触覚、独自の演奏法を用いることで私たちとは違った、すばらしい演奏ができるのだと思います。
 彼らの演奏を聴いて「全盲なのにすばらしい演奏ができる」と感じるのは少し違うと私は思います。むしろ彼らは、全盲であったからこそ、あの演奏ができた、と私は思います。
 目が見えていたら、例えば体軸をずらさないような演奏法は考え付かないだろうし、考えてもそんな演奏はしないであろうと思います。なぜなら、そのような演奏は一般的な演奏では無いからです。学校などの教育の現場であれば、教師にそれは間違っているといわれて、体重を乗せた演奏の仕方を強要されるかもしれません。
 障害を持っているから、健常者よりも劣っていると考えるのは間違いで、むしろ、私たちとは別の独自の力があるのだと思います。その力を発揮できる場を増やしていくことが今後の課題なのだと思います。


投稿者: あこ | 2011年01月19日 16:05

 辻井さんが賞をとったときに新聞もテレビも全盲であることを大きく取り上げていたことを今でも覚えています。

 障害があることに全く偏見をもたないことは残念ながら今の私にはできません。

 今回の講義を通して、将来、障害にマイナスのイメージがつかないことが当然であるような世の中になってほしいと強く思いました。

 素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございました。

 (私は今、サークルでジャズをやっています。マーカス・ロバーツのラプソディーやアイゴットリズムなど、聴けて嬉しかったです。彼の遊び心ある演奏から音楽を楽しんでいることが伝わってきました!)


投稿者: べる | 2011年01月19日 22:36

 講義を通してはじめて全盲の人の演奏を聴きました。障害のない人でもピアノを演奏することが難しいにも関わらず、障害というハンディキャップを持ちながらあれだけ素晴らしい演奏ができることに感動しました。
 障害があるから生きていくのに不利であるなどという考え方が無くなり、障害があるからこそできることがあるのだと思うようになりました。


投稿者: 猫まる | 2011年01月20日 11:12

 授業で演奏の映像を拝見させていただきました。私が全盲になったと想像すると、絶望に打ちひしがれている自分しか浮かびませんでした。

 それとは完全に対照的な生き生きとした全盲の方の演奏はとても心に響くものでした。

 音楽の才能があることでうらやましい気持ちをもってしまいそうになりますが、それまでに歩んできた道の過酷さは私の想像をはるかにしのぐものだと思います。

 そのような気持ちを含めとても感動しました。
 ありがとうございました。


投稿者: すむなう。 | 2011年01月20日 16:06

 先日の授業でマーカス・ロバーツの演奏を拝見しましたが。全盲であるというのに、晴眼者にも勝るような演奏に感動しました。言葉には文字だけではなくイントネーションや感情が含まれているので全盲の方々はそれらのものを点字から習得するのは大変難しいことであると強く思いますが、楽器などを通して全盲者たちは感情などを外に発信できるのではないかと思いました。
 とても興味深いDVD、ありがとうございました。


投稿者: DD | 2011年01月22日 11:18

 講義で演奏を拝見しました。私は普段オーケストラのような音楽を聞く機会がなかったため、マーカス・ロバーツ氏の演奏を聞いて「オーケストラって凄い。今後こういった音楽も聞いていきたい。」といった感想を抱きました。全盲であるのに演奏ができる感動よりも、演奏そのものへの感動が大きかったです。ハンディキャップを感じる余裕などありませんでした。
 私は音楽についての知識が乏しいため全盲がいかに影響を及ぼすのか想像できませんが、講義で仰られた通り体の軸がぶれない等のプラスであることがたくさんあるのなら、音楽家にとって全盲であることはハンディキャップではなくその人の音楽の特徴であると言えるのでは、と思いました。


投稿者: バニラソルト | 2011年01月24日 09:07

 先日の講義で辻井伸之さんの演奏を拝見しました。
 わたしも小学校のことから10年以上ピアノを習っていましたが、辻井さんの演奏には鳥肌がたちました。
 それを見て、全盲というのは障害などではなく1つの個性、そして才能を生み出すものになりえるという事に気づかされました。
 このような個性が生かされる場や、才能を見出すきっかけが増えていったらよいなと思いました。


投稿者: さんたくん | 2011年01月26日 11:01

 宗澤先生の講義でピアノの演奏を聞きました。耳で聞いただけでは到底判別し得ないすばらしい演奏に感動しました。今まで自分は障害を持つことによって何かプラスになるということはないと思っていましたが、その考えは変わりました。


投稿者: ヒデオ | 2011年02月01日 23:45

 私は、全盲の方々の演奏を見て、“目が見えていないのにこんなに素晴らしい演奏ができるなんてすごいなあ”と思ってしまいました。僕は彼らの演奏を全盲という条件付きで見て聞いていたように思います。途中からは目を閉じて純粋に音楽だけを聞いて、先入観は残っていたかもしれないですが、ほんとに美しく素晴らしい音色だと感じました。
 僕がよく聞くMr.Childrenの“擬態”という歌の歌詞に次のようなフレーズがあります。

富を得た者はそうでない者より
満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めんの!?
目じゃないとこ
耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまう
何かに擬態したものばかり

 一見自分がそうだと思って、先入観でものを見たりしてしまう。 思い込みや自分目線で相手を評価してしまう。目や耳などの常識を取っ払って見てあげないと気づかないこと、見落としてしまうことがあるということを歌ったものだと思っています。もしかしたらこれも主観が働いて、思い込んでいるだけかもしれませんが…。ちょうどこの講義を受講している間に聞いた曲だったので講義の内容と照らし合わせて考えさせられました。


投稿者: るにあ | 2011年02月02日 02:57

 私は幼稚園のころからピアノを習い始めずっと続けてきました。また小学校で金管バンドに入り中学校、高校と吹奏楽をやってきました。私がこのようにずっと音楽を続けてきたのには大きな理由が一つあります。
 ピアノを習い始めてからしばらく経ち発表会なども何回か経験した頃、ピアノの先生に「ピアノの音を通して気持ちを表現するのが上手だね」と褒められたことがありました。言葉を発せずとも音を通して気持ちが伝わるというのは素晴らしいことです。当時は単純に嬉しい程度の気持ちでしたが、次第に音楽の素晴らしさはこの点にあるのだと考えるようになりました。
 全盲であること、言葉が通じない他国の人であること、年齢が大きく異なること、そんな様々な障害の壁を音楽は乗り越えられるのです。このようなことを考え音楽の力を信じ今に至ります。これが私が音楽を続けてきた理由です。
 素敵な音楽に聴き入っているようなとき、自然と目をとじてしまうことがよくあります。音楽は目が見えるとか見えないとかは関係なしに共有することのできる世界を創り出すのです。マーカス・ロバーツらのように、全盲という障害を音楽によって乗り越えて活躍する人たちに私は大きな感動を与えてもらいます。音楽の素晴らしさを改めて強く感じる内容でした。


投稿者: piano | 2011年07月07日 17:13

 私は先生がおっしゃったように、障害があるからといって障害者の方々が健常者に劣っているなどということはないと思います。目が見えずともトップクラスの演奏をおこなう辻井さんやマーカスロバーツのように、自らの得意分野を伸ばしていくことで、並みの健常者をはるかに上回る才能を発揮する人も少なくないからです。
 しかし、日本では他と違うということをよしとせず、個性が強かったり障害のある方を無理に矯正しようとしたり、見限ってしまうといった対応のずさんさが目立ちます。このような事態を減らすために、障害者の方々に対する認識を少しずつでも変えていく努力が必要であると考えます。


投稿者: watase | 2011年07月07日 23:55

わたしは、ピアノを上手に引くことが出来ません。なので、盲目でありながら、音楽の世界で活躍する方々には、ほんとうにすばらしいと感動してしまいます。音楽の分野以外でも障害を持ちながら、他の人よりはるかに豊かな才能を発揮し活躍している方もたくさんいます。しかしながら、障害を持っている方の社会的な立場はまだまだ弱いように感じます。大げさに言うようかもしれませんが「障害があるから、何もできない」という考えを持っている人々がいます。そのような考えを持つことは間違いだと気づき、障害を持った方もそうでない方も含め、多くの人が活躍できるような世の中になっていけばと思います。


投稿者: A・T | 2011年07月08日 17:00

ピアノ経験者もそうでない人も、今回の辻井さんとマーカスロバーツの演奏は尋常なく素晴らしいものと感じると思います。特に私は、マーカスロバーツという人物を初めて知ったのですが、体軸を固定することで体軸と腕の距離によって鍵盤を把握するという方法はすごいと思いました。全盲を含め、障害を持った人は健常者から何かしらの奇異の目で見られ偽善ともとれる無意味な同情心などと、少なからず社会から疎外感を受けがちにあります。しかし、彼らの演奏を見たりすると、そういった考えは大きな間違えであることに気づかされます。私は以前テレビで両腕の無いギタリストを見たことがあります。彼は、両足の指を器用に使い洗練された指使いで見事な演奏を披露していました。彼らの演奏は、障害が物事を行う上で不利なものではなく、むしろ障害をもってるがゆえに非常に洗練されたものとなっているようにも思える素晴らしいものと感じました。全盲の人は光が遮断されていることで、音に非常に敏感で、また自分たちでは想像がつかない程偉大な感性をもっている気がします。二人の演奏を聴いて、改めて全盲であることはハンディキャップではなく、それをもつがゆえに、出来ることもある音楽界での武器にもなりえるのだと思えました。


投稿者: ケンヂ。 | 2011年07月09日 14:31

先日の講義にて演奏の映像を観ました。最初に感じたことはやっぱり「全盲なのにこんなにすばらしい演奏ができてすごい。」ということでしたが、よく考えてみるとこのような感想一つをとっても潜在的に障がい者に対する差別感情が内包されているのかなとも感じました。というのは「全盲なのに~できてすごい。」という発想も、どこか障がい者のある方を「自分より劣っている」と思っているからこそ生まれてくるのかなと思ったからです。確かに彼はハンディキャップを背負っており、必要とされる支援はありますが、全盲であることは決してディスアドバンテージなんかではなく、彼の個性であると認知しあえる社会になればいいなと思います。


投稿者: もこたん | 2011年07月09日 22:17

 目が見えないというのは間違いなく重大な欠点であるので全盲者が健常者と比べて劣っていないとはやはり言えないと思う。ある障害の代わりに何か他の機能が健常者と比べて優れているということはあり得ることだ。しかし現代社会においてその点を活かすことが出来ている障害者は少数だろう。
 障害者が健常者と同等になるには自身の優れている点を活かせる社会制度や教育制度を整えなければならないと思う。


投稿者: Alphard | 2011年07月11日 00:07

一時期、辻井さんが賞を取った時、テレビでその功績をたたえ、また大きく取り扱われていたことをふと思い出しました。
テレビが大きく取り上げたのはなぜか、それは辻井さんが「全盲」であるから他ならないでしょう。ですが、果たしてそれは正しいのでしょうか。
健常者が行っても、全盲の方が行ってもその業績のすごさは不変なのにもかかわらず、大きくとり扱うのは間違ってはいないでしょうか。「全盲だからすごい」という先入観に我々は囚われている、そういったように私は感じます。


投稿者: ハル | 2011年07月11日 21:14

近年では目に見える障害に対してはバリアフリーなどの対策はできてはいるが、目に見えない障害に対する対策は進んでいない。具体的に言えば、車椅子を使う人や目の見えない人に対するスロープや点字などの設備は整っているが、視覚異常や難聴の人々に対するバリアフリーはその比ではない。障害がある人が少しでも自立でき、安心して暮らせる地域を作ることが大切であり、そのためのも健常者側が、相手の気持ちをできるだけ理解しようとする努力と思いやりを持つことが必要でる。


投稿者: ガチャガチャ | 2011年07月11日 21:48

 私も、辻井伸行さんの演奏を初めて聴いた時の衝撃が忘れられません。私は音楽が好きで10年以上続けていますが、人を感動させるような音楽は非常に少ないということを実感しています。そんな中でも、全盲のような障害を抱えた方の音楽は、本当に心に響きます。
 以前、辻井さんの特別番組で、辻井さんのお母さんが本当にご尽力なさったと聞きました。全盲だからといって可能性を狭めない。やりたいことがのびのびとできる環境を整える。そういう周りの支えと、障害をもった方の力が合わさった時、人の心を動かす何かが生まれるのだと思います。


投稿者: 弥太郎 | 2011年07月13日 08:10

 辻井伸行さん、そしてマーカス・ロバーツさんのピアノ演奏を聴かせていただきました。その時は、全盲というハンディキャップを背負いながらも素晴らしい演奏をなさった二人にただ驚くばかりでした。彼らには目が見えないからこそ見えてくる世界が存在しているのではないかと思います。
 残念ながら現在の社会では障害者に対する偏見が存在しており、障害者をどこか自分より劣る者のように見ている人もいると思いますが、彼らを見ていると障害も個性のうちであるように思えてきます。


投稿者: よーのすけ | 2012年01月06日 11:17

 以前辻井伸之さんやマーカス・ロバーツさんのビデオを拝見しました。それは驚きの連続でつい見入るほどでした。盲目というハンデを背負っての演奏であっても感動させられるものであることに感動しました。
 日本では健常者に比べて障害を持っている人たちに対して違った考えを持っているように感じます。それが良い方向に進むものならいいのですが時として悪いものもあると思います。障害のある人と完全に健常者の人と同じように接することは不可能だとは思いますが、障害のある人の気持ちを考慮してあげられる、また、そういった風潮・制度的なものが必要だと思いました。私も自分なりに考えていきたいと思います。


投稿者: Rila | 2012年01月09日 14:14

私の友人はピアノをやっていました。
鍵盤を見ないで、轢くことはできると言っていましたが、目の情報である楽譜を見ないで、
耳だけの情報で楽曲を覚えて、轢くことはとても難しいと言っていました。
しかしながらハンデを抱えているからこそ出せるものもあると思います。
そこを評価すべきではないでしょうか。


投稿者: たかはし | 2012年07月17日 17:13

私はピアノを過去に習っていて今でもよく弾くが、鍵盤を見ずに弾くのはやはり難しいと感じる。しかしこれは私が目が見えるから、見て弾くことしか経験していないからであって、生まれつき全盲である人たちは見えない状況で弾くのが当たり前であるため、何も見えない状況でもピアノが弾けることは普通のことなのではないか。先生がおっしゃるように全盲は障害ではない。それでも私は障害者が楽器を演奏することを健常者が演奏するよりもすごいと思ってしまう。これは自分の中に障害者へ対する偏見を持ってしまっていることだと思うし、現在の社会の態度としてもそうだと思う。メディアが取り上げる際も“障害を持っているのに・・・”という部分を強調しているように感じる。素直に障害の持つ人たちの演奏に感動できるような社会になれば、日本は豊かな音楽に溢れるだろうし、また、障害を持って生まれてきたことに絶望を感じた人やその家族の人たちも明るく生きてゆけると私は思う。


投稿者: ゆうり | 2013年01月06日 21:44

名だたる音楽家に障害のある方が多いのは前から気になっていた。かの有名なベートーベンは持病の難聴を悪化させ晩年は視力もほとんどない中ピアノに顎をのせて振動だけを頼りに作曲をしていたとか。そんな彼も障害を抱えた時に音楽家としての道を閉ざされたと落ち込み自殺しようとしたことがある。今でさえ大した偉人だが、彼自身障害を負うことが音楽家においての大きなハンデキャップを負うという認識を持っていた証拠であり、その点私のような偏った感覚をもつ平凡な人間と同じだったのかと親近感がわいた。


投稿者: タオ | 2013年01月10日 00:08

 幼少のころからピアノを習っており、たくさんの楽譜を見てきました。けれども、今まで点字の楽譜があるということは知りませんでした。
 点字の楽譜の存在を知った今、点字音楽表記法を創り出し、晴眼者であるか全盲であるかを問わず、譜面を読めるようにしたルイ・ブライユはとても偉大であり、楽器の演奏において全盲であることが必ずしも障壁になることはないのだと思いました。しかし、目で見て得る情報が全くないにも関わらず、素晴らしい演奏を生み出すことは凄いことであると思ってしまいます。


投稿者: さとうま | 2013年01月14日 11:19

人の五感の中でも、視覚の与える影響はとても大きいと思う。見るだけで美味しそうと感じたり、表情を見るだけでその人が楽しそうだと分かったりする。盲目の方はその感覚がない代わりに他の感覚がより敏感に感じるようになるのだろうと思った。辻井伸行さんやマーカスロバーツさんの演奏を聴くと音楽のジャンルは異なるのに、繊細で美しい音色が共通していると思った。点字で盲目の人々にも音楽を与えたルイ・ブライユの偉大さを感じた。


投稿者: もちょ | 2013年01月17日 18:03

つい最近、ふと思い立って、あまり目を開けない様にして通学しようと試みたことがありました。そのときに気付いたのですが、晴眼者が普段意識しているよりも、視覚以外から得られる情報というのは多いようでした。
例えば、衣擦れの音から「どこに人がいるか」が分かったり、足音だけを聞いてなんとなく男性か女性か分かったり、「あの人は右足を痛めているようだ」と感じたり、普段では意識しない店内スピーカーの位置に気付いたりと、様々な発見がありました。目の見えない人は晴眼者よりも、聴覚やその他の感覚が本来持っているポテンシャルを発揮することが出来ているのだと思いました。


投稿者: もつ | 2013年01月22日 14:28

部分障害を持った方は生活する上で失った感覚がある分、ほかの感覚を通常の人間よりも集中させることでその感覚が発達しているというのはまえにテレビでも見たことがあります。でも、それが芸能的才能にまで発達するとなると今回のような視覚障害をもった方は通常のヒトの何倍も耳が良いんでしょうね。自分の好きな歌手にスティーヴィー・ワンダーという素晴らしい歌声を持つアーティストがいます。彼はいくつもの代表作を持つほどの有名な歌手ですが、実は彼も盲目で視覚障害を持っています。それなのにピアノを弾きながら歌ったりもしてますし、マイケル・ジャクソンなどと共に「We Are the World」の作曲側にも立ちました。芸能人は生まれつきの才能を持っている人が多いというイメージが強いですが、少なくともこういう方たちからは努力から才能を生み出してきたように感じ取れます。このブログで部分障害を持った方の偉大さを改めて知ることができたし、逆にそういう方からも学べることがあることに気づけてタメになりました。


投稿者: Chr1s Br0wn | 2013年01月23日 13:27

楽器の種類に関係なく一流と呼ばれる奏者の演奏を映像で確認すると、まったく目で楽器を見ていないことがよくあります。おそらく、そういった人達は楽器を演奏することを無意識レベルで処理し、音を純粋に楽しむ段階にいるのだと思います。
この段階にはいったらもはや、目が見える、見えないということは全く関係なく、健常者・障害者という境界線はないのだと私は思います。


投稿者: ゆう | 2013年01月24日 08:07

前回の講義で初めて辻井さんの弾くラフマニノフピアノ協奏曲を聴き、思わず涙が出てきそうでした。もともと音楽ドラマの「のだめ・カンタービレ」を通して知ったラフマニノフピアノ協奏曲でしたが、ただその旋律が好きでよく家でも聴いていました。
しかし、辻井さんの音はいつも聞く音と違っていることにまずは驚きました。ピアノのテクニックも圧巻なのですが、なによりも透明感のある音をどうしたら出せるのかと不思議でした。辻井さんのことをよく知らないのですが、にじみ出る優しさがピアノを通して伝わってくるようでした。
盲目の人は目が見えなくて何かと不便な事が多いのかもしれないと、「助けになりたい」「何ができるだろうか」。そのような思いを今まで抱いてきました。しかし、今思うとそのような考え方はどこかずれているような気がしました。目の見えない人をかわいそうとだけ思っていた自分が恥ずかしくなりました。
辻井さんのようなきれいな音を出せるのも、目が見えないで育った環境が、音を奏でているのだと思うと、辻井さんがうらやましくてたまりませんでした。幼い時うまくピアノを弾けなかったのもあり、初めて少しだけ辻井さんに嫉妬してしまいました。
「盲目のピアニスト」というと、普通は目で見てピアノを弾くのにそれをしないすごいピアニストという意味で、目が見える人を軸として捉えていることとが多い気がします。盲目でピアノを弾けるよりも、その盲目の環境で独特の音を生みだせる方を本当の意味で「盲目のピアニスト」と言うことに辻井さんのピアノの音を聴いて気づきました。
目が見えるか否かという外見ではなく、育った環境の差異によって内側からにじみ出ているものでひとは知る事ができると学びました。


投稿者: たけたけ | 2013年01月24日 23:30

最近では「障害」という言葉自体に問題があるとして、「障がい」と記されるようになっており、世間でも障害のある人に対する見方が変わってきたように感じています。記事の中に、ブライユは「話しことば」と「書きことば」をトータルに「ことば」だと捉えていたからこそ点字楽譜が誕生したとあるように、障害を持っているからこそ生まれるものがあり、それはとても素晴らしいことだと思います。私は辻井伸行さんの演奏されるピアノが大好きなので、もしも彼が盲目だったからこそピアノと出会ったのなら、そのことにさえ感謝したい気持ちです。


投稿者: がん | 2013年01月25日 02:29

辻井さんのラフマニノフを聴いて、本当に素晴らしいと思いました。自分もピアノをやっていますが、確かにずっと鍵盤を見て弾くということはありません。「盲目だからピアノが弾けない」というような勝手な偏見を持ってしまっているということに改めて気付かされました。あんなにも人の心を動かす演奏ができるのは、障がいの有無に関係なく、自分が強い意志を持ってどれほど頑張ったかということが大きく影響していると感じました。


投稿者: WATARU | 2013年01月25日 09:31

障害を持っている方は障害を持っていない方に比べて他の能力が研ぎ澄まされているという話は聞いたことがあります。

私はギターをやっていますが、ギターの場合、目が見えない状態で弾くことはかなり困難だと思います。
しかし、ギターを華麗に弾く全盲の方は存在します。

したがって、私は「障害を持っているのに」ではなく、「障害を持っているからこそ」そのようなすごいことをやってのけることができるのだと思います。


投稿者: H.F.A.E | 2013年01月25日 15:30

演奏者が全盲の方であると知らなければ気づかなかったと思う。演奏を聴くまで私は「楽譜も読めないのに演奏できるわけがない」と決めつけていた、つまり、偏見の目をもっていたのです。しかし全盲の方は全盲というハンディを自分の努力によって克服したのだと彼らの演奏を聴いて思った。演奏において全盲は障害でないと私も思う。
障害者に対して偏見を持っている人は少なくないと思う。そもそも小中高と障害者の方について学習する機会があまりなかったように思える。自分の考えを見直すきっかけが大切だと思った。


投稿者: りんご | 2013年07月20日 16:01

辻井伸行さんの演奏は聴くたびに涙が出てきます。
私は、ずっと障害を持つ人は不便でかわいそうだと思っていました。しかし、辻井さんの演奏を聴いて、そんな自分が恥ずかしくなりました。障害の有無は関係ありません。辻井さんは目は見えませんが、目が見えないからこそ、音を聴いて、感じて、あのような素晴らしい演奏ができるのだと思います。
社会は以前の私のような考えであふれています。障害を持っていることに注目するのではなく、その人の技術や努力を評価できる世の中にしていく必要があると強く思います。


投稿者: めがね | 2013年07月21日 22:17

 わたしは小学3年生の時、点字器を使って点字を打つ体験をしました。その体験を通して、点字の知識はある程度もっているつもりでした。しかし、ルイ・ブライユが点字楽譜を生み出したというのは初めて知りました。ブライユが音程やリズムを点字とマッチさせたことで、全盲の方も晴眼者と同じように演奏し、楽しむことができるようになったということはすばらしいと思います。
 また、わたしはピアノを習っていたので、指が自然と進んでいく感覚はよく分かります。この感覚を振り返ってみると、全盲ということは鍵盤楽器を演奏するにあたって障害にはならないという先生の考えに共感を覚えました。


投稿者: ゆあ | 2014年01月15日 20:38

ピアノを練習している者として、辻井さんのことは随分前から知っていました。
私が幼いとき、彼の演奏を見て「子どもながらどうして目が見えないのに弾けるのだろう、私は目が見えるのに、どうして辻井君みたいに綺麗に弾けないのだろう。」とただただ落ち込んでいました。
しかし、今になるとピアノを弾くことに目が見える見えないは関係ないことだと思うようになりました。
彼が弾けるようになったのは、彼が心から弾きたいと思って、必死に練習したのだと思います。
今思うと、昔の自分には気持ちの部分でピアノに賭ける思いが足らなかったのだと思います。どのような人でも、「ピアノを弾きたい」という意志と動く指さえあればいくらでも努力でき、花開くことができるのです。彼の演奏にはそんなストイックは思いを感じることが出き、そこに人々は魅了されるのだと思いました。


投稿者: 36% | 2014年01月19日 12:15

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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