歌と暮らし
今から20年以上前、東京の下町にある施設で知的障害のある人たちに生活史のヒアリングをさせていただいたことがあります。そのときに協力してくださった方の中に、中学の特殊学級を出てから、建設現場で20年間ほど勤め続け、加齢とともに体が思うように動かなくなって施設利用に至った経緯をもつ人がおられました。
生活史をヒアリングするといっても、知的障害の特質に由来して、私に正確な事実に即した聞き取りができるのか覚束ない気持ちでした。ヒアリングのテーマは、職歴を軸にした生活史でした。
その方は、次のように語られたことを今でも鮮明に覚えています。
「二十歳くらいの時だったかな、コンクリートを捏ねてた。美空ひばりの『柔』が好きでね。仕事をしながら『柔』(を歌い)、仕事が終わったら『柔』(を歌う)、てな毎日だった、その頃は景気よかったしね、仕事の後は一杯引っかけたよ」と。
『柔』のことを調べてみると、東京オリンピックの開かれた1964年に発売されて爆発的なヒット曲となり、翌年には第7回レコード大賞に輝いています。
◇『柔』 作詞:関沢新一、作曲:古賀雅男
(歌詞は以下のサイトで検索してください。
http://www.utamap.com/)
この方は、オリンピック景気に沸く建設現場で、毎日汗を流して働き続ける自分を励ますように、「人間らしく」生きたいお気持ちをこの歌に託しておられたのでしょう。この方の生年月日からは、1964年当時19歳だったことが分かりました。つまり、この方の生活史の事実と『柔』の歌に託されていた記憶はまったく正確なものでした。
その人なりに励む仕事があり、日々の暮らしに根ざす歌があった-それは、この方の人生のゆたかさを表しているものだと思います。
働く取りくみを進める施設でも、このような文化が生まれてきたのか、ミュージックセラピーなんて名ばかりの「お遊戯」や、バザーのための出し物に利用者を駆り出した「学芸会風の合唱」なんてものが散見されるのではないでしょうかね。











コメント
音楽には、言葉では説明しにくいパワーがありますね。なにげに口ずさんでいる歌にふと、その時々の自分を思い出すことが多々あります。この方は、“柔”という歌の力強さのようなものを若かりし日、元気で働く自分の姿と景気が良くて、世の中が活気づいていた頃を懐かしく、いとおしく想いを馳せたのでしょう。この方が以前の自分を歌を通して、自分が建設現場で汗を流して働く姿を想い出し語られる姿が目に浮かびます。私自身が“柔”という歌を知ってるからでしょうか。それとも若かりし日を想い浮かべる年齢になってきたからでしょうか。現在私たちは、あまりに物や情報に溢れた社会の中で、健康であることが当たり前で人生のゆたかさなど、どこか置き忘れ機械化されて、流されているように感じます。私たち生きているみんな一人ひとり生活があり、音楽があり、人生があるのですよね。福祉に携わっている者として、幼い子どもからお年寄り、障害を持つ方々など、施設で生活をされている方々が、自分の好きな音楽を聴きながら、想いを馳せ、語り合えるような場所や機会がたくさんあればとしみじみ思います。
初めてブログ拝見させていただきました。大学で政策を学んでいる学生です。
高校の友人が音楽療法士になりたいと言い、京都の大学に進学したのを思い出しました。その子は大好きな音楽で人助けをしたいという感情があったのだと思いますが、芸術(特に音楽)は万国共通で万人共通なのだと改めて感じました。
音楽を聴くとなぜ心が安らいだり当時を思い出したりするのでしょうか。脳の構造上の事柄だと思いますが、音楽にはそれだけの力がありそのことを無意識に感じているのだと思っていました。
しかし、私たちは障害のある方と接するとき、その人の障害ばかりに目が行き、その人の心の声を聴くことができていないことがほとんどです。自分の目の前にいる人は障害のある方ではなく、自分と同じ一人の人間なのだということに気が付かなければなりません。
音楽が万国共通・万人共通なのは、音楽は生身の人間と違い、差別をしないからなのかもしれません。
初めてブログを拝見させていただきました。
私は障害をもった方と身近に接する機会がないので、障害者の方がにとって何が印象に残るのかや、何を記憶し、感じるのかということを上手く想像できないでいました。実際には健常者と変わらないことを感じ、考えていても、なんとなく、「違う」と考えていたのです。ですから、この記事を読んで、自分の青春時代に口ずさんだ歌を覚えているというだけでなんだかドキッとしました。「違う」と思っていた人たちも、私と同じように昔口ずさんだ歌を覚えているのです。自分の、壁を作っていた冷たい心と音楽の力を思い知りました。音楽は、言葉を越えた、心に訴えかける力があると思います。「お遊戯」や「学芸会風の合唱」ではなく、その人個人に響くような音楽がある世の中になればいいなと思います。
初めてコメント投稿させていただきます。
私は大学で福祉を学ぶ学生です。現在特別養護老人ホームでのアルバイトをしております。
そこで何度か音楽会の行事に参加させていただいたことがあるのですが、私はその時音楽のもつ力にとても驚かされました。
認知症でいつも無表情のおばあちゃんが手を叩き笑う。家族の顔も忘れてしまったおばあちゃんが古い歌を正確に歌う。
言葉は発せないけれど、いつも笑顔のおじいちゃんが涙を流す。
私の言葉にはほとんど反応を示さない認知症のお年寄りたちが、とてもいい表情を見せてくださいました。普段は自分の世界の中でわけの分からないことをつぶやいている方も、「うれしい、うれしい」と言ってにこにこされていました。
このようなお年寄りたちを見て、私は本当に感動して涙が出そうになりました。
音楽が人に与える影響とはこんなにも不思議で大きなものなのだと感じました。
自分が一番良かった時代のことはよく覚えているものだとよく聞きますが、ここに紹介されているのも、それと同じようなことなのだろうかと思いました。
自分が音楽をやっていることもあり、さまざまな分野において音楽が今後どのような役割を果たしていくのかとても楽しみです。
初めてブログを拝見させてもらいました。
私は7歳の頃から大学生になった今(21歳)でも、2週間に一度は実家に帰りピアノを習い続けています。
特に上手なわけでもなく、大学受験の時などは練習するのが結構嫌でした。それでも続けている理由は、自分で弾く曲により、自分が癒されていると感じるからです。
きつい時などに、簡単な曲など、なんでもいいので弾くと心がやすらいでいました。
人は悩んでいる時、悲しいときなどは決まって音楽をきき、また、思い出の音楽がありもす。音楽は私たちの生活において欠かせないものなんだとつくづく感じました。
障害者の方も音楽を聴いて、きっと元気になると思います。私はミュージックセラピーの効果は抜群だと思います。
音楽は本当にとても大きな力を持っていると思います。
特に歌には歌詞があるので、情景や気持ちが想像しやすく、自分の気持ちにも投影できやすい、と思います。また、人間の記憶は視覚記憶よりも聴覚記憶のほうがよく覚えているといいます。
その生活史を語って下さったか方も、歌とたくさんの思い出とが絡み合ったことで鮮明に覚えているのではないでしょうか。
今日、楽器を中心に使った音楽療法をよく耳にしますが、使い方によっては歌を使った音楽療法の道を広く開けるのではないかと思いました。
よく歌を聴いたり歌ったりすると元気が出てくるといいますよね。やはりその歌には作曲された人のメッセージがあり、落ち込んでるひとや悩み事がある人にむけての歌であるわけで、それを聞いた人を元気にするのが歌手の生きがいになってくるわけで。やっぱり歌はすごい力を持ってるのだと思います。世界中をまわってコンサートをやってらっしゃる方もいて、とても尊敬します。
美空ひばりさんの「柔」聞いてみましたが、とても奥の深い歌詞であり、本当に言いたいことははっきりとはわかりかねましたが、その歌詞に込めた思いはひしひしと伝わってきました。「行くも住るも、座るもふすも、柔ひとすじ、柔ひとすじ、夜が明ける」ここの歌詞がとても印象的です。
自分もいま就活中で鬱になりかけてますが、がんばっていこうと思います。
携帯電話を買って初めて着信音にした歌、卒業式で泣きながら歌った歌…そんな歌を口ずさむ時、普段思い出さない当時の記憶が突然蘇ります。
このように、人生のどんな些細な出来事にも音楽の影響力を感じずにはいられません。
それは障害者の方も変わらないはずです。
今回の記事の方も音楽を通してより鮮明に当時の記憶を思い出せたのでしょう。
私は音楽こそが地位も国籍も言語も性別も関係なく人の心をつなぐ一番の近道なのではないかと思います。
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