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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

疲れを自覚できないあなたへ

 初回のブログにも書きましたが、生活支援の仕事には非定型な性格があり、時間で区切れない苦労がつきまといます。これは生活施設の職員に限られた苦労ではなく、児童相談所のワーカーにもみられるようになりました。
 それは、児童虐待にリアルタイムで対応するために敷かれた24時間体制によるものです。虐待は、ワーカーの勤務時間に合わせて発生するわけではありませんから、仕方がないといわれればそのとおりなのですが……。
 でもこの苦労は、夜間の虐待対応当番のワーカーにとどまりません。夕方に勤務を終えようとしているまさにそのとき、警察や病院から連絡が入って、緊急に子どもを保護しなければならないという事情が発生すれば、おいそれと帰宅するわけにはいかない運びとなるようです。

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 私がスーパーバイズに足を運んだときに、生活施設や児童相談所の職員とお話ししていると、「この人はかなり疲れているな」と思う場面にしばしば遭遇します。
 これが新人の若い方なら、ご本人から「夜勤明けで辛い」「昨晩、急に通告があって、その対応に大わらわだった」という事情が説明されることが多いように思います。しかも、ご本人の「疲れている」という自覚もはっきりしています。
 ところが、職場の中堅以上に位置する職員の中には、私から見れば相当疲れている様子であるのに、「疲れている」という事実と休息をとる必要性に対して、自覚が不明確というか、遠慮されているというのか、そのあたりがよく分からない人に出くわすことがあるのです。

 このような状況にある職員に、「かなり疲労がたまっているようだから、少しまとまった休養をとったらどうでしょう」と水を向けると、私の意に反して「何を心外な」というような表情で「疲れてはいるけれど、これから自分が担当している○○さんの通院があるんです」とか、「来週に予定されている行事の責任者なので、今休むなんてとんでもない」とか、とにかく仕事に対する責任感一本槍の方向での答えが返ってきます。確かにこのような職員に限って、記録のまとめや支援の総括を持ち帰り仕事をしていることも多いようですから、ひたむきな仕事への姿勢は折り紙つきのもの。

 そこで、「このまま仕事を続けると体を壊すなり、バーン・アウトするから、思い切って休んだほうが、利用者や職場の同僚のためにもなるんじゃないかな」とさらに、休息への誘い水を流してみます。それでも、ほとんど答えは変わらない。今度はダメ押しのつもりで、セリエのストレス学説から紐解いて休息を勧めても、やはり無駄でした。

 このような状況に陥りやすい職員の暮らしには、割り切れない、区切れないという仕事の特質から、いつのまにか自分の生活時間の大半を仕事に捧げる形になってしまう落とし穴があるように思います。持ち帰りで仕事をしたり、職場を離れていても、いつも利用者や職場のことを考え続けていたりするなどです。つまり、自分の時間が実質的に消失しています。
 これでは、疲労はなかなかとれないでしょう。神経疲労はとくにそうです。
 知人の多忙な精神科医に休み方を尋ねてみると、日々の診察と治療行為に伴う疲れをとるために、一週間に丸一日は、誰もいない山間の渓流で釣りをするそうです。それも、大物を釣ることが目的ではなく、静寂な自然の中に佇んで、「ただひたすら、ボーッとする」のが楽しみなそうな。
 そこでお勧めしたいのが、対人支援のお仕事をされているからこそ、自分だけの時空間をしっとりとなごませる趣味をもつことです。趣味の内容は人さまざまでしょうが、神経疲労を念頭に置くと、少なくともカラオケや呑み会の類ではないでしょう。ギャンブル系は論外です。
 私はこれといった趣味もなく、どうしても休息をとりそうにない職員に差し出すためだけの名刺をつくっています。その名刺で、私の肩書きは「温泉修験道開祖」となっています。やむを得ず、次のような高飛車な言い方をします。
 「この程度の仕事で疲れるとは、あなたの修行不足のせいなのだ」
 「何の修行ですか?」
 ここで、「温泉修験道開祖」の名刺を差し出して、「生活支援の仕事で疲れたくなかったら、2~3日秘境の温泉に浸かる修行をして来なさい」と。
 これでもダメなら仕方ない。それも、自己決定の原則でしょうから。


コメント


 疲れを自覚することの大切さはわかるのですが、[温泉にでも二三日」とはいかない現実があるのでは…それも修行が足りないせいなのでしょうか…。


投稿者: 藤吉郎 | 2008年05月10日 06:23

 実は私、今近所の海で釣りをしながら読みました。今日お休みでした。


投稿者: eND | 2008年05月13日 13:13

 初めて書き込みさせていただきます。
 ブログを拝見して、以前児童相談所のワーカーをしている方が、働き始めてすぐに、上司の方から「何か趣味を持ちなさい」と言われたとおっしゃっていたのを思い出しました。
 私は福祉の職には就いていませんが、どんなステージにいても、ふーっと息を抜ける場所や趣味があることは大事なのだろうな、と改めて感じました。


投稿者: アン | 2008年05月13日 23:58

 児童虐待ケース対応の現場にいたことがあります…
 ほんとに気持ちは24時間いつもどこかに気になっててて。虐待死亡のニュースが流れるとドキリとしてました。辛かった思いが強く刻まれています。
 今、冷静に考えるとちょっぴり共依存状態になっていたような気もしてます…
 私には「修行」必要かもです。


投稿者: かな | 2008年05月15日 23:06

 初めて投稿させていただきます。よろしくお願いします。
 私は大学生です。祖母と二人で暮らしています。私がそもそも祖母のもとに行こうと思ったのは、高校3年の時に、祖母が倒れたことが理由です。
 この時祖母は1人暮らしをしていて、そのときはたまたま町内の人がいたから助かったのですが、これが夜だったり、1人のときになったらと思って、祖母の家から近い大学を選びました。
 だから、ブログ内容の職員の方の、勤務時間外であっても完全にそのことから解放されない精神状態は少なからずわかるつもりです。
 で、その意識が少なくなったときに祖母が倒れたりということが私にはあったので、本当の意味での自分の時間というのが作れないと思います。
 仕事のための休みではなくて休みを楽しむために働くという考えで日々の仕事に従事されてはどうかな? と私は思います。


投稿者: ザンブロッタ | 2008年11月18日 16:49

 同感です。バーンアウト寸前で余裕のない状況では、いい仕事はできるはずがありません。そういうことが互いに理解しあえる人間関係の職場が理想ですね。そして、カバーしあえる関係作りができたらいいですね。
 この文を読んで、私は子育て中の母親のことを考えました。職業としてではないけれど、人間相手ということで似ています。
私は子育て経験者ですが、追い詰められた母親を何人も見てきました。夫が仕事で忙しくて子育てに関われない、または関わらない。そうして親子は、家庭というカプセル状態に置かされる。
 情報化時代とはいえ、生身の子供のことが分からず不安でぎりぎり状態に追い詰められる母親。つい、虐待。または、虐待の一歩前。新聞報道でも最近続けざまに見ますが、ほんの氷山の一角だと思います。バーンアウト寸前の母親に救いが必要です。
 子育ては365日24時間休みがありません。ある意味、どんな施設職員よりも過酷かもしれません。
 けれども、実際に子育て中の母親は声を大にしては言えません。生活に追われてそんなことを考える余裕がないからです。
これは、障害児や障害者の家族の方にも言えるような気がします。先日、障害者自立支援法が障害者を追い詰めると何人かの方が訴訟を起こしました。私が見た限りではもっとたくさんの方が声を出したかったのではないでしょうか。
 知り合いに障害児の親御さんがいらっしゃいますが、毎日とても大変です。体力的・精神的に。だから、自分たちに影響する法律は反対したいが実際にはその余裕がない。
 いつも、当事者はなかなか声を出すことがままなりません。だから、当事者以外の協力者の理解と支えと後押しがほしいですね。それってどんな人でしょう? 学術的専門家や法的に詳しい人、近くにいるボランティア。行政はもっとそういう人たちの声にも耳を傾けてほしいです。


投稿者: 麦焼酎 | 2008年11月20日 21:33

 疲れを自覚するのは、自分の弱さを認める気がするから、その分難しいのかもしれませんね。
 「星の王子さま」でしたっけ? なぜ酒を飲むのか、飲んでいることを忘れたいから、っていう件がでてくるのは。がむしゃらに仕事をして、疲れているのに気づかないふりをするのも、実は仕事に追われている自分を忘れたいからかも。
 団塊世代の猛烈サラリーマンがリタイアした後、何していいのか落ち着かなくて、必要ないのに再就職しちゃったりするのも仕事に没頭してる方が楽なのかも。でも実際、「何もしない」勇気を出すのはすごくエネルギーのいることで、ましてや罪悪感や疎外感を伴う日本の社会的価値観を背景に生きてればなおさらかも。
 でも3割のアリは怠けアリだっていうし、それでこそアリの世界は調和してるわけで、いつもバリバリである必要なんかないんだって自分に言い聞かせることから始めないと、疲れと仲良くなれないかも。


投稿者: バルボラ | 2008年11月23日 17:34

 ブログ拝見させて頂きました。私も最近、忙しく疲れがたまっています。また、私も人に「疲れているんじゃないの?」と言われるとなんだか腹が立ちます。私の性格故のところもあるのですが…。
 人は誰でも、1日の時間に仕事以外のことを考える時間が必要だと思っています。それは一人のときでもいいし、誰かと一緒にいるときでもいいのです。自分の場合は、休みの日に旅行やコンサートに行くという趣味があります。
 しかし、私の場合はアルバイトなので、ここで書かれている職員の方たちのように、自宅に仕事を持ち帰ることはありません。また、私の場合は完全シフト制なのできっちり休みが使い分けられますが、児童相談所はリアルタイムに仕事があるのでいつも考えなければなりません。そうなると私の考え方は通用しないのだなと思いました。
 仕事と休息の境界線を作ることは日常の自分の癒しにもつながることなので絶対必要だと思います。「温泉の修行」ですが、こんなに必死に働いているのに失礼だと怒る方が多々おられる気がしますが、私はぜひ修行してみたいです。


投稿者: ゆうだい | 2008年11月24日 15:07

 この記事を拝見して、まさに未来の私に向けてのメッセージのような気がしてならず、改めて考えさせられました。
 私も将来、対人援助職に就きたいと考えています。しかし、自分にとってとてもやりがいがある仕事だと感じる反面、あまりにも荷が重いと感じ、考えるだけで息切れしてしまいそうな時もあるのです。
 私が今目指している仕事も、現段階では世間からの確立された評価はまだまだ乏しく、仕事も非常勤の方が多いのが現状です。その現状を一見するだけでは、とてもとても就きたいとは思えないのが本音ではありますが、それでも、私がその仕事に就くことにはきっと意味があると信じて、前に進んでいるところです。
 だけど、やはり不安はあります。信念をガソリンにして仕事に一生懸命になればなるほど、ぼろぼろになっていく自分が目に浮かぶからです。やってみたいという気持ちと、怖いという本当に両極端な気持ちが自分の中に存在していて、気持ちが安定しないまま、それでも時間は過ぎていくので、今の時点ですでにゆっくりと考えられない状態です。
 先生のような方から、『休まれてはどうですか?』と声を掛けてもらえるのは、本当に嬉しいことだと思います。だけど、やはり休めない現実もあるのでしょう。
 だから、本当ならば、声を掛けてくれるだけでなく、物理的な『休日』を与えてくれる職場環境を作ることが、対人職の全てにおける何よりの課題ではないかと感じています。


投稿者: げん | 2008年11月24日 23:39

 初めて書き込みさせていただきます。
 私は小中学生と共に野外活動をするボランティアに参加しているのですが、そのボランティアの中で介護士をされている方と仲良くなり、インターネット上で近況を報告し合ったりしています。
 その方も「患者さんの容態が急変したと連絡があったのに、何故自分は家でくつろいでいるのだろうか」と悩んでいたり、担当する病床数が増えた際には文面からも疲れている様子が伺えたりすることがありました。
 このような時、なかなか「しっかりと休んでほしい」という本音は言いにくく、「無理はしないでください」等の無難な言葉しかかけられず、心苦しくなることがあります。
 この記事を見て、以前、その方が野外活動中に「海でライフジャケットを付けて、何も考えずに浮かんでいるのが一番の癒しだ」とおっしゃっていたことを思い出しました。
 自分だけの時空間をしっとりとなごませる趣味は大切なことなのだと強く感じたので、宗澤先生を参考に「冬は海に代わって温泉に浸かるのはどうか」と進めてみようと思います。


投稿者: スケート | 2008年11月26日 01:21

 生活支援の仕事は非定型の性格があり、職員はその性格に追われ、体力的にも精神的にも大変だと感じます。
 私の姉は、今年からケアハウスで働いています。姉は新人ですが、性格上、家に帰っても「疲れた」「きつい」などという言葉を発することはありません。しかし、あきらかに、顔色は悪く体力も衰えているのがわかります。姉自身も疲れを自覚できていないように見えますし、自覚したくないという気持ちもあるようです。
 姉の場合、月に一定の休日をとることはできていますが、夜勤明けの休みを一日の休日とカウントされるので、その一日を休息にあてると、家事や私用をこなすことができない状態です。
 今は実家で暮らしているので、家事全般をするということはありませんが、実家を出ていたら、結婚したら、子どもがいたらと考えると、とても続けられる仕事ではないと私は思います。
 それでも、姉の職場には、家庭をもった方も働きに来られているという話を聞きます。
 現実的に、休息をとれる環境にないと疲れを自覚する心の余裕も生まれてこないのかと思います。やはり、休息をとれる制度が必要だと思います。


投稿者: ニョニョ | 2008年11月26日 12:17

 人と直接関わる仕事は、常にその人のことが頭にあるため、例えプライベートな時間でも心の底から仕事を忘れることは難しいのだと改めて感じました。特に福祉の仕事は、いつどこでなにが起こるかわからないため、なかなか気が休まらないのだと思います。
 しかし、休息をとらなければ働いている人のほうが体調を崩してしまいます。体調を崩してしまったら元も子もないし、リフレッシュすることでまた新たにがんばれることもあると私は思います。自分の趣味の時間や空間を作ることが結果的に仕事にもよい影響を与えるのではないでしょうか。
 休息をとることが下手な人に休みを与えるためには、周りにいる人が宗澤先生のように積極的に休息を勧めることが大切なのだと思います。そしてそのうちに「休息を取ることも仕事なのだ」という雰囲気を職場に漂わせることができれば最高です。私もこれからは誰か疲れている人を見つけたら、温泉に浸かる修行をぜひ積極的に勧めていきたいと思います!


投稿者: きりん | 2008年11月28日 12:54

 はじめてブログを拝見させていただきました。
 児童相談所で仕事をしている方には定時で仕事を終わらせることができないことが多々あると思います。教育現場で働く教師にも同じような体験があると講義中に聞いたことがあります。家庭の中での生きづらさを感じ、児童に自覚はないかもしれませんが助けを求めるために学内で暴力行為・非行にはしる場合があるそうです。
 その対応に追われる教師は仕事時間外にも児童に関わり、その家族と接するという24時間体制での労働になってしまいます。
 1人の生徒に関わるだけではなく、他の生徒にも接し毎日が戦場のような職場で働いている教師にとって疲れを自覚することができない環境にあると思います。
 広汎性発達障害を抱える子どもをもっている教師にとってどのように家族に接し、子どもにとって学内での環境をよりよいものにするかを考えることは大事なことだと思いますが、日常生活でも考えたり休息日を作らず1日中頭から離れないケースは多くあると思います。
 だから同僚などに支えてもらえる職場環境や、その人に休むことを勧める存在が必要であると考えます。


投稿者: とし | 2008年11月28日 15:12

 はじめてコメントさせていただきます。私は大学で福祉政策を勉強しており、今回のブログを大変興味深く読ませていただきました。
 傍から見ていると日本人はどの職種であれ、大変仕事熱心な人が多いように見受けられます。それはそれで素晴らしい事ではあるのでしょうがやはりストレスも溜まるわけで、そうなると肝心の仕事にも影響が出てくるのは当然でしょう。
 また、「疲れた」という言葉を発するのにもネガティブなイメージを持つ方も少なくないでしょう。質の高い仕事をするためには、質の高い休養も必要というのはまさにおっしゃる通りだと思います。
 特に福祉や介護といった分野では、人手不足も相まってなかなか「休みたくても休めない」という状況があるのかも知れません。そうした事が原因で離職者が出てしまうようなことがあれば、これ程不幸な事態もないでしょう。
 本来ならば本人が自主的に休むのが一番いいのでしょうが、周囲からの斡旋や、制度としての支援も必要になるのかなと感じました。


投稿者: 白 | 2008年11月28日 18:57

 ブログ、興味深く読ませていただきました。 
 最近ニュースでも言われているように、介護や福祉など、人に接し、人を支えるといったような本当に大切な仕事ほど忙しかったり、賃金が安かったりするようです。
 やはりそのような仕事は、まじめな方々でないと勤まらないでしょうし、オンとオフの切り替えがうまくできないのかなと思います。
 昔「悩みを忘れられるものが趣味である」と担任教師に言われたことがあります。しかし、完全に忘れられることなんてないのではないだろうか、とも思っています。今は介護離れや、介護現場への外国人の受け入れなど、介護福祉の現場はたくさんの問題を抱えているように思います。
 外国人の受け入れは、日本政府も経済的に彼らを援助していますが、その分のお金を現場で働いている方々のために使ってはどうかという議論もあります。
 僕は、切り替えがもっとうまくできるように、そして疲れを残さないようにするには、提案されたような日々の小さな変革と、制度的な環境の変化の両方が必要ではないかと思います。
 長文、失礼しました。


投稿者: だいすけ | 2008年12月01日 15:29

 初めて投稿します。児童相談所で児童福祉司をして、3年目となる者です。
 疲労が蓄積されてか、半年後には、身体が「ちょっとおかしいな?」という自覚がありましたが、今ではその変調も日常となり、慣れてしまっている。
 今回、温泉に行きたいなあと思いましたが、いやむしろ、人間ドックでも受けるべきかな?と思いました。


投稿者: ゆうき | 2009年01月03日 22:14

 初めて投稿します。私は大学生です。
 ブログの内容にもあるように、生活支援などの仕事に携わる人々の労働環境がその仕事の特性を十分に配慮したものではないのだと改めて感じました。休めない、働きすぎてしまうといった状況の背景には、このような業種における勤務の制度や働く人々へのバックアップ不足などが問題となっている側面もあるのではないかと思いました。
 生活支援などの仕事に携わる人々が過労に陥ることなく、その能力を発揮していけるような環境を作っていくためには、制度を整えていくということが必要で、行政などの手によって、そうした労働環境の地盤造りをしていくことが大切なのではないかと思いました。


投稿者: 親子丼 | 2009年07月28日 16:56

 初めてコメントさせていただきます。
 私は大学1年生で、4つ上の姉がいます。姉は昔から人と関わるのが好き(と、いうか得意?)、で、誰にでも好かれるような人です。一方私はそういうのが苦手で、出来るだけ他人と関わりたくないタイプの人間であり、まるっきり正反対です。将来就きたい仕事も、姉はとにかく人と接することの出来る仕事、私は自分の好きなことをとことん突き詰められ、他人の干渉が少ない仕事と、全く違います。同じ姉妹なのにどうしてこうも違うのかと、疑問に思っていました。
 先生のブログを拝見して、その理由がやっとわかりました。私と違って姉は、疲れの取り方を知っていたのだと。
 姉は今、老人ホームで働いています。休みの日が不規則なので、疲れている時もあるのでしょうが、本人は「お年寄りの方とお話すると人生の勉強になるし、すっごい楽しいんだ!」と、毎日幸せそうです。
 ある時私は姉に、休日は何をしているのか聞きました。その答えは、「1人でぼーっとしたり、散歩してるよ」というものでした。人と関わるのが好きな筈の姉がどうして1人でいるのだろう?と思っていたのですが、1人で過ごすことで仕事の疲れを取っていたのですね。姉がいつも幸せそうな理由もわかり、なんだかとてもすっきりしました。
 私は人と接するのが苦手にもかかわらず1人で時を過ごすことがなかなかないので、これからは1人の時間を大切にしたいと思います。
 若輩のくせに「疲れた」などと言うのは申し訳ありませんが、このブログはとても参考になりました。本当にありがとうございました!


投稿者: MISO | 2010年01月18日 19:12

疲れは目に見えないところでたまりじわじわといろんなことに影響してきます。一昔前には過労死が騒がれましたが、死に直結するだけでなく、ストレスがたまったりすると、虐待だったりいろんなことに影響してくると思います。日本は平和ボケしているとよく言われますが、やはりそれでも適度に休憩をとったりして、いつでも心にゆとりを持っていられればいいなと思います。


投稿者: alimoe | 2010年07月28日 12:39

 この前宗澤先生の授業を初めて受けさせていただきました。
 私はまだ大学生でバイトもしていないので仕事の疲れがどれほどに辛いものかは分かりません。ボランティア活動をしてきて仕事に近いこともいくらかしてきましたが、好きでやってきたことなので仕事の疲れとはまた違うものなのかなと思います。
 疲れた時のリフレッシュのしかたについて先生は一人になることを勧められていました。私も無性に一人になりたいと思うことがたまにあります。一人でいると頭の中が整理できたり今まで気づかなかったことに気づいたりできるからです。
 しかし私は最近、改めて自分が周りの人に支えられているということを実感しました。自分ひとりでは何もできなかったり、すぐに疲れて投げ出してしまいそうなことでも誰かに少し支えてもらったり後押しされるだけでできるような気がしてくるのです。ですから私は今いる周りの人を大切にし、今度は私が周りの人を支えていけるような存在になりたいと思っています。
 同じ疲れ方でも、ただ一日疲れたというのではなく、何事にも全力投球をした気持ちの良い疲れ方ができたら良いなと思います。


投稿者: 姫様(”*) | 2011年01月14日 14:05

 私は現在ひとり暮らしをしているのですが実家住まいだった頃、福祉関係の職に就いていた叔母とも一緒に暮らしていました。叔母は以前から忙しい様子でした。特に管理職になってからは忙しさが増したようで先日、私が実家に一週間ほど帰省した際に叔母は毎日のように帰宅が23時をまわっていました。
 休日に一緒に出かけることもありましたが、そんなときも仕事の電話がかかってきており、宗澤先生が記事に書いていらっしゃったように自分の時間が実質的に消失しているように思えました。
 私の叔母は「疲れた」とよく漏らしており、疲れているという自覚はあるようなのでまだましなのかなとは思います。ですが、ほとんど休みをとらないようなので休むことを勧めてみようと思いました。やはり、働いていて休みを勧められることはあまりないようなので、休むことを勧めてくれる人がいたらまだ変わるのではないかと思います。


投稿者: さっちゃんず | 2011年01月17日 00:39

 初めて投稿します。大学一年生です。私は半年くらい前から塾講師のアルバイトを始めました。夏期講習や冬期講習を体験して、「私は何がしたくて、こんなに沢山働いているのか?」と思うことが増えました。自分の時間の何倍も、塾の生徒たちの為に費やしていたからです。バイトに行きたくない、そう思って泣いた日も多くあります。ストレスや疲れは、どんどんたまっていくのに、私にはそれを吐き出す場所や時間はありませんでした。
 「私が休んだら生徒が困る、上司が困る」こんな責任を感じました。しかし、辞めることは出来ない、迷惑はかけられないという気持ちがありました。
 子育てにおいても、同じようなことが言えるのではないかと思います。きっと、一日の長い時間を我が子と過ごすうちに、自分の時間が削られていることに辛さを感じるのだと思います。辛くても、「我が子の子育て」という責任から、疲れがたまってストレスになり、虐待にも結びついていくのではないかと思います。まず、周囲の人に頼ったりたまには休むことが、何事にも必要なのだと感じました。


投稿者: pumipe- | 2011年01月19日 13:20

 どんなに疲れていても自己決定はすることができるでしょう。
 もし自分が疲れ果てていてもしなくてはいけない用件があるなら他人には口出しされたくなく、その用件が終わった時点で、あるいは自分で休むときを決めます。
 しかしこれは個人的意見で先生の意見を完全否定しているわけではないので、このような人もいるという考えを頭の片隅においといてください。


投稿者: abcd | 2011年01月20日 18:58

 人と関わる仕事についていると、強制的に相手の人の事を考えて仕事してしまいます。児童相談所のワーカーだけではなく、看護や福祉などの面でも同じことが言えるでしょう。その仕事中に相手に関われば関わるほど、仕事以外の時間の時も、相手の事を考え、仕事と休息のオン、オフがうまくいかなくなるように感じます。
 相手のことを考えて仕事をするのは、もちろん大事なことですが、うまく休息をとらないと、身体的な疲れだけでなく、精神的な疲れも出てくるとおもいます。そして、仕事にも少なからず、影響してくると思います。しかし、中には休息は要らない、今は仕事をしたいんだ、という人もいると思います。
 そういう人達には深く干渉せず、見守ってあげることが必要だと思います。そして、その人の仕事が一区切りついた時、頑張ったねと一言声をかけるだけで、少しは気が楽になると思いました。


投稿者: らっきょ | 2011年01月21日 12:35

 近年増加する児童虐待においての残虐な事件の数々に関して、宗澤先生の記事を読ませていただくまで、正直なところ児童相談所のワーカーの方の立場に立って考えたことはありませんでした。

 メディアではなぜ事件がおこる前に気付けなかったのかという児童相談所の過失などばかりが取り上げられるなか、福祉の現場は相当な厳しさであるという現実との認識の差が改めて大きいように感じます。
 ワーカーさんたちは過酷な状況の中で自己の責任から自身の疲れも自覚できないところまで来るというのはよっぽど根を詰めてしまう程大変でかつ難しい問題が山積みになってしまうというのは、やはり人と人との関係というのはたとえ親子や親しいもの同士といっても、いや、だからこそ難しいものであるのだろうなというのが、正直福祉に関してあまり詳しくはない私のもっとも共感できる部分であります。
 私も人間関係で悩んだ時はぐっと疲れます。
 ましてや他人の問題まで抱え込むというのはかなりの精神的疲労がたまることでしょう。
 そういった苦労も相談者の笑顔で一番報われるのではないでしょうか。
 そのためにも、ワーカーの方々には休息をとっていただけるような福祉制度が整備されることを願っています。 


投稿者: アカシア | 2011年02月02日 04:58

 がんばりすぎてしまうと疲れが自覚できない、それが続くと自らの体を壊し、そのがんばりを継続させることが難しくなってしまうのだなと思った。対人支援の仕事をする人にとって、抱え込むことが一番よくないことだと思うし、仕事のことを少し忘れる時間もきっと必要だけれど、それを上手くオンオフしていくのは難しいのだろうなとも思った。
 笑顔が必要となってくる仕事であるから、思い切り疲れがとれたあとの笑顔で日々接していけるようになれることを願っています。


投稿者: ★33★ | 2011年07月12日 22:45

 疲れを自覚できない人ほど、目の前にある仕事に一生懸命に突っ走ってしまうというような、私の周りでもそのような傾向を持つ人がいるように感じます。確かに生活支援をする仕事だと平日休日に関わらず緊急を要する案件が飛び込んできたりと、普通のサラリーマンのように定時に帰宅することはできないことも多くあると思います。
 しかし休息をとらないと、その人自身が何かしらの病気にかかってしまうことや、急に緊張の糸が切れてうつ状態に陥ってしまう可能性もあると考えられます。別の角度から考えても、疲れた状態で仕事を続けても、パフォーマンスが悪くなることもあると思います。例えば、思考力が低下することや周りの状況が上手く把握できないことが挙げられます。仕事を行う状況とはまったく違う環境に身をおくことで、改めてそのケースについて俯瞰して考えられるようになると思います。よい仕事をするためにも、休息をとることは大切なことだと思いました。


投稿者: alpk | 2011年07月13日 09:46

 大学一年で宗澤先生の講義を受けている者です。
 先日、講義内で先生が娘さんのお話をされていました。ソフトボールの試合の度に弁当を作り・・・というお話。私は今一人暮らしをしているのですが、実家を離れて初めて家事の大変さを知りました。実家では母が仕事終わりの疲れた体で毎日毎日家事を頑張ってくれていました。正月に帰省した際、僕は母に今までのお礼を言いました。「家事は母親の仕事だから」そう言って受け流されましたが、やはりどこか嬉しそうでした。
 周りに頑張りを認めてもらうことも休むことと同じくらいの癒し効果があるのではと思った瞬間でした。


投稿者: ぐるり | 2012年01月19日 15:46

休養というのは確かに仕事を効率的に進めるには重要な事だと思います。私の少ない経験からしても、寝ずに三日間くらい作業していたときの作業効率は相当酷いものでした。2,3日はさすがに非現実的かもしれませんが、長い長い仕事の合間に1日程度の休息を入れるのは非常に大事な事だと思います。もっと海外の諸国を見習って、日本の勤務体制を改めるべきだと思います。


投稿者: だはっ。 | 2012年07月08日 18:13

 生活施設や児童相談所で働く人は,常に担当者のことや業務のことから頭が離れず,極端かもしれないが,本当に自分の時間がないように思えた。今は熱意や責任感などから積極的に仕事をこなしていると思うが,いつか無自覚のうちにたまったストレスが一気に放出されて,虚無感に襲われたり精神疾患をわずらったりしてしまうのではないかと懸念される。自分を失ってしまっては,そこから動けなくなってしまう。そうならないために,息抜きや休息は自分のためにも,間接的には他者のためにも,とても大切なことだと考える。24時間体制が必要とされているならば,ワークシェアできる環境づくりを整え,労働者の心と身体を休められる時間の確保が大切だと考えた。


投稿者: ボボドール | 2012年07月23日 13:55

自分も介護体験などでこの系統の仕事はとても辛く、疲れるものだと感じました。自分も前からずっと疲れにはとても悩んでいて、タイプはまた違うと思うのですが、責任感やプレッシャー、不安などによる神経性の疲れをよく感じます。何かに真面目に取り組んだり、向き合ったりすればするほど、人は壊れていってしまうという矛盾を感じます。人にとって「休息」という言葉は多義的ですが、何か一つの真理のようなものを感じます。


投稿者: ミントン | 2013年01月21日 15:05

働いている人は自分で休息をとることは、もっとがんばっているひとがいるのに自分だけ弱さを認められず責任感が強いのではないかと思う。けれどその疲れやストレスがたまりにたまって最終的には自分にも周りにも被害が及んでしまうのではないか。働くことも大事だが、同じように息抜きすることも大事である。この先、うまく自分の身体と付き合い、良い仕事をしていくためにも人間は休むということが必要なのではないか。過労死という言葉もよく聞くが仕事をする人間としてオンとオフをうまくコントロールする力も自分にとってのひとつの仕事なのではないか。


投稿者: saitama daigaku | 2013年01月22日 15:27

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
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発行:中央法規
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