彼らを主体・主役に、そして彼らと共に
ある知的障害者授産・更生施設に行ってきました。利用されている約80名の方の平均年齢は54歳だそうですが、「障害のある方の場合は、実年齢に20歳をプラスして考える」といわれるので、かなり高齢化が進んでいることになります。
「介護が必要となっても最期まで看ることができるよう、今のうちに介護の勉強をして力をつけておきたい」と、企画された研修会に呼ばれたのです。しかも、3月に退任された前施設長が、退職金から置土産にと費用を出してくださったとのこと。心引き締まる思いで出かけていきました。
「好き」「嫌い」は…なぜ?
世の中には『本』(つまり活字)の好きな人と、嫌いな人がいる。「なぜ?」と言われても、これは仕方のないことで、好きなものにも、嫌いなものにも確固たる理由はない。
しかし面倒なのは、“本を読む・読まない”が、太古より“学問的優劣”をはかることに用いられ、子どもの頃は…親や先生に「○○を読みなさい!」としょっちゅう言われ…苦労させられることだ(そのせいで“本嫌い”になるのではないか !? …笑)。
感動と感謝の島、屋久島
先日、初めて仕事で屋久島を訪れました。仕事に島内観光付きというありがたい旅でした。周囲約130キロの島にそびえる、九州最高の峻険な峰々。花崗岩の一枚岩を一気に落下する滝の水量。屋久杉と照葉樹が混生し、うっそうとした原生林。それらのスケールの大きさと圧倒的な迫力に鳥肌が立ち、言葉を失いました。
観光中は屋久島の魅力に没頭し、仕事を忘れようと思っていたものの、いつのまにか“見る・聞く・触れる・感じる”ものすべてが「介護」に重なりつながってしまうのでした。介護=人間=生老病死=自然だから仕方ない。(腰が)曲がろうが、皺がよろうが、忘れようが、懸命に生きているお年寄りの姿は屋久杉に重なり、樹齢1000年以上が“屋久杉”で、それ以下は樹齢800年でも“小杉”には、「ハハァ」と頭を垂れ跪く感じ…それはちょうど、長老の前に立ったときの気持ちと同じ。島民が昔から行ってきた、山に入り山から糧を得る許しを請う儀式や祈りは、自然に対する感謝と畏れ。介護に携わる私たちの勘違い、驕り、不遜な言動を思い起こしハッとするのでした。
介護の原点
「近頃、ビジネスがおかしいですね。“ハウ・ツー”ばかり教えているからでしょう…。日本人は大きな“忘れもの”をしている」
以前読んだ雑誌に、そんなことが書いてあった。
昨今の多発する企業不祥事の再発を防ごうと、盛んに透明性のある経営のあり方、責任のあり方がマスコミを賑わす。事が起きたらいち早く情報を取り、世間に公表し、謝罪する。そのための社内体制をどう作るか…であるが、そこには大きな忘れものがある。
ビジネスを理由に偽装、隠蔽、改ざん等、人としてやってはならないことが、“起きることを前提に”善後策を考えているという本末転倒さである。
本来、起こさないためにどうするかが肝心なのに、前提を履き違えているために、「世界に冠たる経済大国」であったこの国は、学習力がないのであろうか…不祥事のたびに“反省のない謝罪”を繰り返し、私たちは何度も同じニュース映像を見せられることになる(あの頭の下げ方…“安っぽく”見えてウンザリするし、悲しくなる)。
「ビジネスとはお金儲けなり」と、その方法ばかりを教え続けた結果、悪事をもってでも利益を守る行為が横行してしまったのだから、根本を解決しない限り再発防止はあり得ない。
商業の原点は「お金儲け」ではなく、「人々を豊かにすること」だといわれている。お金は、その対価なのだ。人を豊かにする喜び、社会に貢献することの誇りを、いかに経営者から幹部へ、そして社員へと教えていくことが重要なのである。